163 ローガン過去の告白 中編#
from a viewpoint of ローガン
国立研究所のトップになって、しばらく経った頃のことだ。
偵察部隊に加わって、ローラシアに行く機会があった。
取るに足らない諜報活動。旅行程度の気分でいたことも事実だ。
唐突な部下の裏切りに対処できなかったのは、そんな気の緩みが原因だった。
特殊能力を持っていても、戦闘に長けているわけではない私は深手を負った。
(これは、しくじったな……)
逃げて身を隠した家の庭先で、こんな終わり方をする人生だったのかと呆れた。
ならば次は本当の死神として生まれ変わってやろう。
そんなことを思いながら目を閉じた。
だが、私が死神になることはなかった。
「――良かった、気がついた?」
鳥が歌うような声に目覚めると、女神がいた。
一瞬本気でそう思ったが、実際は質素な家の中にひとりの若い女性がいるだけだった。
私はベッドに寝かされ、傷の手当てがされていた。
「覚えてる? あなた庭に倒れてたのよ。運ぶの大変だったんだから」
――生まれてはじめて、人間を美しいと感じた。
あまり手入れのされていない金の髪。地味な色の服。
だがそんな見た目と裏腹に、内に秘めた輝きが見えた。
それはきっと「普通」ではないなにか――。
(なんだ、この人は……)
まるで魅了の魔法にかけられたようだった。
私は生来の能力の影響で、魅了の類いにかからない。
それなのに、目の前の女性から視線を外すことができなかった。
白い星が散ったような瞳孔のない瞳を見て、盲目なのだとすぐに分かった。
それなのに彼女は、光を宿さない濃紺の瞳で私を見ていた。
間違いなく普通の人のように――いや、普通の人以上に、私を見ていた。
彼女は唐突に言った。
「水に似ているのに、深くて濃い赤ね……怖いくらいきれい」
言われたことが理解出来ず、「なにが?」と聞き返そうとしたが、熱で枯れたのどから声は出なかった。
彼女は私が聞きたいことが分かったらしく、答えた。
「あなたの色よ。私、人の持っている色が見えるの」
このときなんと返したか、実はよく覚えていない。
夢見心地で名前を尋ねたことだけ記憶している。
「ミレニアよ、ミレニア・グレンジャー。よろしくね」
ミレニアはそれから、出身も職業も黙秘したままの私の世話をかいがいしく焼いてくれた。
ゴンドワナへ帰らなければ、と思いつつ、私もその待遇に甘えていた。
なぜ見も知らぬ自分に良くしてくれるのか何度も尋ねたが、「痛そうだしかわいそうだから」以上の理由がないと言った。
私が普通でないことは理解していただろう。一目で人の本質が分かる能力だ。
それなのに――。
私の血濡れた本質を見抜きながら、怯えることも蔑むこともなく彼女は笑いかけてくれた。
自分ですら認めていなかった「私」という存在を、ミレニアは否定しなかった。
そこには一言で表すことのできない、驚きと安堵があった。
今までにない感情が心を占めていた。どうしたらこの美しい人を手に入れられるだろうと。
周囲から同情され、庇護される立場。
盲目とはそういうものだ。
だがミレニアは、なににも手折られることなく、気高く自分の足で立っていた。
歌手として働いていて、裕福ではないものの自活しているとも分かった。
4ヶ月間、彼女とともに過ごした。
その美しい花を手折りたいという醜い感情を抑えようとも思わず、側にいた。
誰かを大事にするということを、知らなかったから。
彼女はどうして私を拒絶しなかったのだろう。
かわいそうだったから?
彼女も寂しかったから?
今でもそれが不思議でならない。
あるの日の朝、ミレニアは起きてこなかった。
体が弱いとは聞いていた。何かしら原因のありそうな不調に思えて、ベッドの中の彼女を問い詰めた。
ミレニアは胸の中心を指して言った。
「生まれつき、ここが弱いの」
私は研究者であり、医師だ。
診察し症状を聞いて、彼女すら知らなかった病名に思い当たった。
ラオフレス病――。
先天性のもので、女性だけが発症する奇病。
魔力の核に欠陥があって、生まれつきひどく弱い体で生まれてくる。
短命で、どの患者も40歳まで生きた例がない。
遺伝性の病気の中でも根治は不可能とされた、難病だった。
なぜ彼女が……
愕然とした。
ここにきてからというもの、彼女に無理をさせていた自分を殺したくなった。
「ミレニア、ゴンドワナに行こう。君の病気は私が診てやれる」
私は必死で説得した。
しかし彼女は首を縦に振らなかった。
「どこに行っても治らないわ。私の母も同じだったから分かるの。私は両親が残してくれたこの家で……最後のときまで、ここで過ごすわ」
それに多分、ゴンドワナにはたどり着けないから。そう彼女は笑った。
ゴンドワナに行くには、長時間の移動に耐えなければいけない。なにより、魔獣のうごめく険しい山を越えなくてはならない。
薄いガラスのような核を持つ彼女に、魔力の濃い場所を旅するのは負担が大きすぎる。
魔道具を使っての空間移動にも耐えられないだろう。
彼女を連れて帰ろうとすればどうなるか、結果は容易に想像できた。
「だから、ごめんなさい」
「……そうか」
そのとき、私はミレニアを手に入れられないことを理解した。
手に入らなくていいとも思った。
きっと、病以上に私が彼女を壊してしまうから――。
(彼女の病気を治そう――なにを犠牲にしても)
私の人生で、一番価値ある時間をくれた彼女を死なせてはいけない。
生涯をかけてもこの病を治してみせよう。私が彼女にしてやれることがあるとすれば、それだけだ。
他人も自分も呪うことしかできなかったはずの私は、本気でそう思うようになっていた。
傷もすっかり癒え、ローラシア滞在、最後の日。
別れを切り出した。
「ゴンドワナへ帰らなければいけないんだ」
そう言うと、彼女は初めて見る顔をした。
よい言葉が浮かばなかったのだろう。少しの間黙っていたが、思い詰めたように唇を引き結ぶと、私のジャケットの前を握った。
「なにも望まないから、側にいて」
「……無理なんだ。私はきっと、君を殺してしまう」
本心だった。
渇きしか知らない愛で求め続ければ、遠からずそうなる。
死神は彼女にふさわしくない。
ラオフレス病の研究をするにも、ゴンドワナへ帰るしかない。
離れるのが最善だと知っていた。
「殺されてもいいわ」
光を宿さない、星空のような瞳で彼女は言う。
嘘偽りない言葉だと分かるからこそ、甘えるわけにはいかなかった。
「ミレニア……これを、持っていてほしい」
私は彼女の手首に、ブレスレットを巻いた。
核から放出する魔力を安定させ、病の発症を遅らせる魔道具だ。
人骨を使って作ったもので、見た目は悪いが一定の効果はある。
私はゴンドワナでラオフレス病の治療法を確立するつもりだった。
彼女を治すための道は、私が見つけてみせる。
それこそが彼女に出会った意味であり、私が呪われながらも生まれてきた意味なのだろう。
待っていてほしいとは、決して言えなくとも――。
「さようなら、ミレニア」
なにも約束はせずに。
私はその日、彼女の元を永遠に去った。
あと一話だけ、ぐっとサイレントでおつきあいくださいませ~。
(まぁそのあとも脇キャラ視点が多い3章なんだけど……)




