161 空虚な時間#
from a viewpoint of ロシベル
「ラムハーンは久しぶりね……」
首都に来るのは2年ぶりくらいかしら。
基本的にアルティマの住人は、中央神殿の影響が強いこの場所に出入りしない。
情報は先生を経由するか、お爺さまが直接運んでくるから、私がここへ来る必要はほとんどなかった。
「代わり映えしない街だわ」
昔から比べれば自由なこの国も、首都にくれば話は別だった。
服装から食べものから、相も変わらずテトラ教の慣習が色濃く残る。
華やかさよりも慎ましさ、遊びよりも仕事。堅実さが表れすぎていて、私にはそぐわないものばかり。
「うんざりね。神殿よりも先に、国立研究所の跡地へ行くべきかしら……?」
先生の足取りを追ってここまで来たものの、正確な居場所は掴めていなかった。
でも彼はこの国の裏側では有名人だもの。どこにいるかはすぐに分かるわ。
そう考えていた矢先、前方の空に黒い鳥の群れが現れた。こちらへ向かって飛んでくる。
思ったより早かったわね。
「ノワール」
「クヮッ」
頭の上で四散していくカラスの群れの中、ひときわ大きなカラスが一羽、伸ばした手の上に舞い降りる。
私の使い魔、デスクロウは同族の小型カラスを使役する。伝音や彼らにしか分からない合図を使って、どんな種族よりも情報収集を得意としていた。
「先生の居場所は分かった?」
「クワ」
拍子抜けすることに、中央神殿と隣接した自宅にいるらしい。
もう会えないかもしれないと胸が潰れる思いでいたのに、一気に馬鹿馬鹿しさが押し寄せてきた。
「なにを考えてるのかしら……とりあえず行ってみましょう。私を置いてアルティマを去ったこと、後悔させてやらないと気がすまないわ」
同意する使い魔を連れて、中心街へと足を向けた。
視界の先には巨大な白い丸屋根が見える。東西には天に向かって伸びる白い塔があった。午後の光に照らされて輝く、巨大な建造物らはテトラ教の聖地だ。
ラムハーンの3分の1は中央神殿の敷地で、テトラ教の大学校が併設している。
敷地内には、大勢の祭司、神官や巫女が暮らしていた。
ローラシアのドームと似ているところがあるけれど、ゴンドワナの中枢にも強固な護壁が展開されている。魔力登録されている人間以外は、神殿内部に入れない。
でも先生の居住区は護壁の外だから問題ないはず。
いくつかある門のひとつをくぐり、中央神殿の敷地内に入った。
白く舗装された道を少し歩いただけで、この異様な空気に吐き気がした。
「異様な」だ。これを「神聖な」と言ってしまうのは違う気がする。
同じカラーで固めた、多様性を自ら捨ててしまった人たちが発する空気は、薄気味悪いという言葉がぴったりだ。
まったく理解出来ないわね。私は神になんて祈らない。
信じるものなんて、自分ひとりで十分。
ローブをまとっているものの、どう見ても巫女には見えない私を振り返る人は多い。それでもテトラ教は、巡礼者や余所者をすぐに追い出すようなことはしない。
しばらくそのまま歩いて、神殿の研究者や高位祭司の別宅が連なる通りに出た。
ここに先生を訪ねてくるのも久しぶりだわ。
通りの一本裏、一番端にぽつんとある小さな家。
この国最高峰の研究者に贈られるには、あまりにも質素な見た目。
白く塗られた壁が好きになれなくて、自宅にはほとんど近寄らないのだと、そう言っていたのに。
国立研究所がなくなってしまったから、滞在先がここしかないのね。
待機するよう合図すると、ノワールは飛んでいって屋根に留まった。
白壁の玄関前に立って、ノックしようと思ったけれど、そんな必要もないと思い直す。だってもう、相手は訪問に気づいているのだから。
ドアノブに手をかけた。
カギはかかっておらず、引くと開いた。
「――来てくれると思っていたよ」
そんな第一声に迎えられて、私は土足のまま家に上がり込んだ。
ホッとした顔なんて、絶対に見せてやらない。
後ろ手にドアを閉めると、「ご期待に添えまして?」と口端を上げた。
「ベルはいつも、私の期待を裏切らないからね」
「先生が私に期待することなんて、なにもないくせに」
「そういうところだよ」
小さな家の中は、入った瞬間にすべて見渡せそうだ。
奥の窓際に置かれた机から立ち上がると、先生は真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
「来てくれてうれしいよ、ベル」
これを追い求めてきたはずなのに。
耳横の髪をすくい上げて頬を撫でる手は、すぐここにあって妙に遠く感じる。
「逃げもせず、隠れもしないのならどうして黙って出て行ったの?」
怒っていなければ虚しさに支配されそうで。
冷たく、トゲのある声を絞り出す。
「アルティマとの契約が終わったからだよ」
「っそれは答えになってないわ!」
珍しくゆるく着崩されたシャツの、襟元から見える首に指を絡ませた。
黒い爪が肌に食い込む。
あとわずか力を入れるだけで消える命だというのに、この男は少しも顔色を変えない。
「私に一言もなく消えて……『契約が終わったから』ですむと思って?」
先生はうめき声ひとつあげず私を見ていた。
抵抗するでもなく、その右手は変わらず私の頬を撫でている。
「私をなんだと思ってるのよ……!」
私を大事にしないこの人を切り裂いてやりたかった。この怒りを、悔しさを分からせて「悪い」と思う顔をさせてやりたかった。
それなのに、先生の目には後悔の欠片すら見られない。
ギリッと歯を食いしばって、鬱血してきた首を離した。
解放されたのどが酸素を吸い込む。一筋流れ落ちた赤い色が、白いシャツの襟に移った。
「……怒ってるのよ、すごく」
5本の指先についた血を、シャツの胸元になすりつけて吐き捨てた。
「……そのようだね」
血のにじんだ首を気にするでもなく、微笑むのを見て思う。
なにを言っても、しても、結局は響かないことを思い知るだけね。
「すまなかった」
引き寄せられて、口付けられた唇の温度があまりにも冷たくて泣きたくなる。
憐れに思ってしまうから、怒るだけでいられなくなるのよ。
「怒ってるって、言ったわ」
「ああ、だから謝っている」
こんな時だけしつこく追ってくる指は、私が許すまで離さないと知っているから。あきらめにも似た気持ちで、その肩を押した。
「もういいわ、生きていたから」
「死んだと思ったかい?」
「ええ」
「そうか。でもまだそのときじゃない。やることがあってね」
どの口が言うのかしら。
これだけ心配させておいて、本当になんの反省もないのね。
もとよりこの人に、良心なんてものは存在しないのだろうけれど。
「それよりせっかく来てくれたんだ、少し話さないか」
「……話ですって?」
「ああ、長くなるかもしれない。座ろう」
「その前に、血を止めた方がいいんじゃなくて?」
「せっかくベルにつけてもらったんだ、このままにしておくよ」
綺麗な笑顔でそう言うあなたの中に、私は存在しているのかしら。
捕まえても不安ばかりが募る。私を置いてどんどん先に行ってしまう。
(どこへ行くの? なにを見ているの?)
私を映した灰色の瞳に問いかけても、返ってくるのは空虚だけ。
「さあ、昔話をはじめようか」
膝の上に重ねた手を、今度は傷つけないよう、そっと握りしめた。
やっっと更新できた……(TT)
次話から3話ほど、脇キャラのサイドストーリーが続きます(いつもの)
さ、夜にでも割烹書こうっと。




