160 敵か味方か
ディスフォール家の教育は、当事者から見ても変わっていると思う。
普通の子どもが覚えなくてもいいことを、優先的に覚えさせられるからだ。
拷問時、いかに痛みを感じないようにするかは一通りの方法を教わった。
ばあちゃんは「命が補償されてるなら我慢する必要はないさ。情報などくれてやればいい。あとで皆殺しにすればすむ話さね」と言っていたが。
今はたぶん、そういうケースなんだろう。
「でもそれもしゃくに障るんだよなー……」
切れた口の中からペッと血を吐き出して、冷たい石の床に転がった。
あのいけ好かない祭司が出て行くと、残った兵士たちは居丈高に詰問してきた。
だからまぁ、少し黙らせてやろうと思ったんだが。
手枷の鎖でふたりほど絞め落としたら、その後はよってたかってサンドバッグ状態だ。枷にかかった拘束魔法を使われると反撃すらできない。
「まぁ、死なねーし、別にいいけど……」
効率良く拷問もできない下っ端兵士を相手に、大して腹も立たなかった。
弱者は死んで当然と思っていたはずが、なんか違うと気付いたからだろうか。
なんか俺、大人になったよな。
負った傷は軽症だが、治りきらずうずいていた。
どうやら命に別状がない場合、不死の回復力はゆっくり働くらしい。
そんな仕組みを身をもって理解するのも悪くない、と思っておくことにする。
しかしここはどこなんだ。今のところ分かっているのは、国立研究所からそう遠くないということだけ。
ワイバーンフルートを持って行かれてしまったし、正直困った。
反省房と似た環境におかれていることを考えても、ここから自力で逃げられる可能性なんてないように思える。
「ん?」
足音だ。兵士が戻ってきたらしい。
こんな夜になってまで人を殴りにきたのか、うんざりだな。
面倒くせーから、もうベラベラしゃべっちまおうかなぁ。
そうヤケになったとき、扉が開いた。
入ってきた人物を見て、目を疑った。
飛び起きて、床に座り直す。
「え……どうして……」
「やあルシフェル、ご機嫌かい?」
ご機嫌のわけがない。
苦々しく思いながら、扉を閉めた背中に揺れる、灰茶の髪を見ていた。
「先生……助けに来てくれたのか?」
いつも家で見るのと変わらない姿で、ローガン先生が立っていた。
ということは、ここは家族より先生が出入りするのに都合のいい場所なのか。
「そうだよ、と言いたいところだが……どうだろう」
「は?」
近付いてきた先生は、床に座り込んだ俺の前に膝をついた。
「顔に傷をつくると、ロシベルが怒るだろう?」
長い指が擦れて血の滲む頬に触れる。とたんに痛みが消え失せた。
怪我や病を治すことに関してはフォリアに敵わないが、先生は能力を使って人体の仕組みを操ることができる。
「治療なんていいから、早くこれ、外して欲しいんだけど」
手枷を持ち上げて言うと、先生は毒気のある笑みを浮かべた。
「すぐには出してやれないんだ。すまないね」
「はぁ? どういうことだ?」
「それより私の優秀な生徒は、なにか言いたいことがあるのじゃないか?」
こんな風に捕らえられた状態で、優秀もクソもないだろ。
だが言いたいことならもちろんある。
「ああ、あるよ。ピゲール村でリアムの記憶を操作しただろ。なんでだ? 母さんたちの指示でもないくせに、俺の、友達を……」
「友達」
先生はのどの奥でくっと笑った。
「自分が人と同じように出来ると思うのはやめなさいと、警告してあげたじゃないか。君に友達は不要だよ」
「……っ俺に必要なものは、俺が決める」
静かな怒りを滲ませて、頬に触れたままの手を払った。
先生は払われた手を見て、俺に視線を戻した。
「立派な信念だが、君のように直情的な子は大人のアドバイスを聞いた方がいい。呪われた世界の住人が一般人と関わりなど持ったところで、両者にいいことはない。あの白い魔女もだ。あれは異質すぎる驚異だよ」
「勝手に決めんな!」
今度こそ鋭く言い返した。
ローガン先生には10年以上も前から様々なことを教わってきた。
医学だけじゃない。魔法学も、歴史も、色んな分野に精通した人だ。その知識量を尊敬してるし、本気で俺を育ててくれたことも理解してる。
だがすべての教えに頷けるわけじゃない。
「なんなんだよ……それが先生の考えなのか。俺が立派な暗殺者になるのに不要だから? リアムにしたように、エヴァの記憶も消すつもりなのか?!」
「彼女は不死の魔女であるのと同時に破滅の魔女だ」
先生は質問とずれた答えを返した。
「私に殺意を抱くならそれもいい。だがあの魔女を消すのが先だ」
「消す? エヴァは死なない、先生がなにしたって無駄だ」
「やはり気付いていないんだな。自分こそが彼女を殺せる存在だということを」
「……なに?」
奇妙な不安が湧き上がった。
聞いてはいけないことを聞こうとしているときの、得体の知れない不安だ。
先生は言った。
「君は彼女の能力に影響を受け、また受けない唯一の存在だろう?」
「どういうことだ?」
なぞかけのような言葉だ。
だから次に先生が続けた内容も、すぐには理解できなかった。
「君が彼女につけた傷には、不死の力が働かないんだよ」
「は……? そんなわけ――」
先生は「勉強不足だな」と俺の言葉を遮った。
「ピゲール村のときに魔女と使い魔の因果律について、本を残してあげたろう? 読まなかったのか?」
そういえば、ピゲール村で先生が置いていった荷物の中に本があった。
広げるのも嫌で、読まずにどこかにやって……あれはなにについて書かれた本だった?
そこで思い出した。俺がうっかり握ってしまったエヴァの手首のことを。
確かにあれは変だった。すぐに治る程度のあざが、普通に残って……
(じゃあ、あれは俺がつけたから?)
エヴァを殺せる、唯一の存在――。
その事実に愕然としかけて、床についた拳を握りしめた。
しっかりしろ俺。そうだとしても、なにも変わらないだろう。
「思い当たることがあるのか?」
「だから、どうした……俺は、殺さない」
そう声に出したものの、ひどく重い塊を飲み込んだ気分だった。
なんでだ。そんな権利、俺はいらない。
「彼女が望んでいるのに? まぁ、不死の魔女が自死したければ他にも手はあるが」
「……もういい、黙ってくれ先生」
怒りなのか動揺なのか、声が震える。
「そうもいかなくてね。もう少し話すことがあるんだ」
先生は懐からなにか取り出した。
見覚えのある木の小箱。
イグナーツに渡したはずの、あの小箱だった。
「それ、どうして」
「ロスベルト様に破壊されたのか、持ち逃げされたのか、消息不明だったからね。イグナーツが持っていてくれて探す手間が省けた」
「なんで先生が持ってんだ。イグナーツはどうしたんだよ?」
「さあ? 彼がどうなろうと興味はないね。これは私の持ち物だから私のところへ返ってきたまでだ。むしろこちらが聞きたいな。なぜルシフェルがこれを知っているのか」
ぱかりと口を開けた小箱から、長い指が木の実を取り出す。
目の前に持ち上げると、先生は言った。
「これひとつなんだ」
「……なにが」
「長年研究を続けて、こんなものしか作れなかった」
「なんなんだよ、それは」
「白銀の巫女が残した、魔力の結晶で作った『不死の実のまがいもの』さ」
それはイグナーツから聞いた説明と、つじつまの合うものだった。
「人工、不死の実ってやつか……」
「そうだ。このオリジナルは一度だけ、完璧に人を蘇らせることができる」
「一度?」
「ああ、作動させるのにもう一手間いるが、1回限り再生能力を発揮する。君が見た不死の兵は、このオリジナルの模倣品を使っていてね」
イグナーツを襲撃した兵たちのことだろう。
なら、あれはやっぱり生き返ったのか。
「第3の力の代わりに人の命を使ってみたんだが、5人ほど使ってもひとりを一度しか生き返らせられない。しかも生き返ったときに自我をなくしてしまう。破壊活動を繰り返すだけで、生きものとして最低限の生命活動……ようするに飲食も忘れてしまうんだ。兵士として実用には程遠いよ」
バスティンがどうしても試すと言い、20名ほど連れて行ったのがイグナーツを襲った兵たちだと先生は説明した。
最終的に、このオリジナルはバスティンの手に渡るという。
「もう材料がないからね、これ以上は作れない。作る気もないが」
「なんだよそれ……そんなことやってたのか? 今までずっと?」
「そうだ」
どこか遠い話だった。
ノルディスクの被災者たちが人体実験に使われていたとか、強硬派の司卿はやっぱり嫌な人間だったとか、本当のことが分かっても結びつかなかった。
先生がもうずっと、不死を研究していたなんて。
「今回、長い年月をかけた結論が出た。代替えの材料で不死は作れない。自然法則……因果律をねじまげるには、神の力が必要なんだ」
狭い空間に、先生の話す声だけが響く。
「しょせん医学も科学も魔法も、可能なことを可能にするだけだ。不可能を可能にする力はない」
すべてを見通す予言者のように、先生はふっと笑った。
「結局のところ、私たちは『生死は人が手出しできない神の領域』であることを証明してきただけに過ぎない。永遠の命を作ることはできないんだよ、神以外には」
「よく分かんねーけど……先生が狂ってるってことだけは分かった」
今の俺の偽りない感想だった。
それを手に入れるために、追求するために、どれだけの犠牲を払ってきたんだろう。
寒気を覚えるくらいの、狂気だ。
「ありがとう、理解してもらえてうれしいよ」
笑みを深めた先生が、なにを考えているのか分からない。
人工不死の実とやらを作った目的は、なんなんだ?
「先生は不死に、なりたかったのか……?」
思い当たったことを聞いてみた。
それが一番妥当な答えだと思ったから。
「いや」
先生は即座に否定した。
「死んで欲しくない人がいたんだ」
「……だれ?」
「君の知らない人だよ」
答えると、先生は立ち上がった。
「ルシフェル、ゆくゆくは暗殺一家の長として生きていきなさい」
「は?」
「家族以外に心を許さずに、あの小さくとも強固な国の王として。そう約束してくれるのなら、ここから出してあげよう」
先生の真意が分からない。
それでも俺の答えは決まっている。
「……断る」
「いいだろう……もう少し時間をあげるから、考えてみなさい。なにが最善か」
「待てよ! まだ話は終わってねぇぞ!」
「ああ、また来るよ。逃げられるなどとは思わないことだ。ここは反省房より頑丈に作ったからね」
先生は振り返りもせずに扉を出て、閉めた。
施錠の音が聞こえてくる。
「マジか、ここ、先生が作ったって……?」
逃亡の可能性なんて、ますますゼロに等しい。
やがて、靴音は遠ざかっていった。




