159 研究所跡地#
from a viewpoint of ローガン
がれきの上を歩きながら思う。
見事に跡形もなく崩してくれたものだ、と。
「このあたりは実験棟だったか……」
多くの薬品を貯蔵していた実験棟は、倒壊したことで毒が流出したらしい。半透明のフィルターが跡地一帯を覆っていた。
2年前の事故を教訓に、という名目で実用化されたものだったか。
あれが事故などではなく、故意の大規模実験だったということを知るものは多くない。
適当な穏健派の街を選んで毒を流したのは、住人を避難させると見せかけて実験に利用するためだった。
街がひとつ消えてなくなったことに、いまだ誰も疑問を抱かない。
ノルディスクに残る避難民も、住人は皆少しずつどこかの街へ散らばっていったと信じているだろう。
おかげで、1000人あまりの実験体を確保することができた。
結果的に50名ほどの不死の兵を作り上げることができたが……そこが成果の限界だった。
昔、白銀の巫女が残した魔力の結晶も在庫が尽きた。もうできることはない。
不死の研究は、ある意味予想通りの結果を出して終わった。
人の手による不死の完成は――不可能。
足元に焼け残った資料らしき紙切れを拾い上げた。焦げた臭いが鼻をつく。
風に吹かれて、手から空に散っていった。
研究員たちの死体を運ぶ兵士が忙しなく行き来する。その間を縫って歩いた。
惨状、という言葉が似合う光景。
なんの感慨も湧かず、長年過ごしたはずの場所を見て回った。
アルティマがどれだけ完璧に仕事をこなすか、よく分かっているつもりだった。
それでも実際に目の当たりにすると、やはり敵に回してはいけない存在なのだと再認識させられる。
紙のように切断された分厚い壁を指でなぞった。おそらくロスベルトの能力だろう。ここまでしてくれなくても良かったと思うと、なぜだか笑いがもれた。
宿舎以外は全壊。少し離れた研究棟にいたっては、どこに存在していたかすら確認できない。
資料棟は火がつけられたため、建物の残骸が黒く変色していた。
「望んだことなのに、終わってもすっきりしないものだな……」
虚無感、とでもいうのだろうか。
元よりなにもない空っぽの心でただ生きていたこの20年間。今更だ。
ようやく終いにできる。
「――ミレニア」
いつぶりか、その名を口にした。
生涯でただひとり、そのままの私を愛してくれた女性。
彼女が遺伝性の難病で亡くなってから、もう10年が経つ。
私のしたことを彼女は許さないだろう。なじられて当然のことをした。
だが治療法のない病に、不死の技術で打ち勝とうとあがいたことを後悔してはいない。
彼女が危険を冒して産んだ命と、その先の命を生かしたかった。
善意からではない。そうしなければ絶望に打ち勝てなかっただけのこと。
この執着を形にして終わらせたいと、ひどく自分勝手な感情だけでこれまで生きてきた。
よりいっそうの虚しさを感じて、少し驚いた。
まさか感傷的になっているのだろうか、自分が。
「くだらないな……」
足を止めたところで、会いたくもない不快な人物がやってくるのが見えた。
そういえば、この男を殺し忘れていたな――。
「なんだ、そこにいるのはローガン・フェブライトじゃないか? しばらく見ないと思っていたが、さすがに戻ってきたか」
不死の研究内容などなにひとつ理解しておらずとも、同罪で業の深い男。
強硬派の長、バスティンは真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
相変わらずの装飾過多な服装は、視界に入れるだけで気分が悪い。
「珍しいところでお会いしますね」
いつも通り、平坦な声を返す。
「面倒でもこの目で見ないわけにはいかないからな」
バスティンは大儀そうに答えた。
普段は神殿の奥で、祭司長のご機嫌を取るのが仕事だというのに。
大事故だから仕方ないとはいえ、この男が直接研究所までやってくるとは。
「詳細は聞いたか?」
「いえ、まだ」
「穏健派の兵の中に妙な敵が混ざっていたらしい」
窺うような目で言うと、バスティンは小首を傾げた。
「研究員たちが翼のある人間を見たと言っているのだが、フェブライト、そんな生きものに心当たりはないか?」
「さあ……ありませんね」
ルシフェルだろう。
姿を見られて生存を許すとは……本当に性根が甘い。
他人に情けなどかけても、いいことはないと教えてきたというのに。
ピゲール村での脅しが正確に伝わっていないらしい。
「死神にも知らないことがあるのか?」
「私も人間ですから、知らないことのひとつやふたつあってもおかしくありません」
「ひとつやふたつか……相変わらず自信家だな」
バスティンはくくっと笑うと、本題を口にした。
「実は、それらしき人間をひとり確保したのだが」
ひやり、と嫌な感じがした。
表情には出さず、尋ねる。
「確保、とは?」
「イグナーツの身柄を拘束したついでに捕らえた。見た目は少年だが、翼を広げたのを見ていた人間がいてな。どうやら出し入れ自由らしい」
「……」
「ん? まさか疑っているのか? 私も見てきたから間違いない。翼がなくともクラミツハのごとき見た目だぞ。あれで性別が女なら傾国の美女だろう」
間違いない、ルシフェルだ。だがそんなわけがない。ルシフェルはカザンとともに行動していたはずだ。
そうでなくとも、雑兵ごときにあの子が捕まるわけが……
そこまで考えて、ふと思いあたった。
「まさか、神具を使ったのですか?」
「……ああ、神託があってな。イグナーツを捕らえに行くのに、神具を使えと祭司長からお達しがあった」
「祭司長は……話ができる状態なのですか?」
「当たり前だろう、いつでも聡明なお方だ」
祭司長が公の場に姿を現さなくなってから半年あまり。
バスティンがなにをしているのか、おおよその見当はつく。その上で祭司長の意識がまだあるとは考えにくい。
自己が保てないような状態でも、神託とやらは可能なのか……
いや、虚言と思ったほうがよさそうだ。
「ところで、なぜ神具を使ったと思ったのだ?」
狡猾なキツネの目で、バスティンは尋ねた。
面倒な男だ。
「イグナーツは民からの支持率も高いですが、それに見合う実力も持ち合わせています」
「忌々しいがその通りだ」
「少数精鋭の魔法士たちを側に置いているとも聞いていましたし、簡単に制圧できたのなら『縛りの聖杯』を使ったと考えるのが妥当でしょう」
バスティンは吐き捨てるように笑った。
「私はもっと違う答えが聞きたかったのだがな」
「ご期待にそえず残念です」
「ふん……クラミツハに似た少年は神殿の西の塔に幽閉してある。興味があるなら行ってみるといい」
「被害状況を確認したのち、時間がありましたら」
バスティンは馬鹿馬鹿しいとばかりに口端をあげた。
「これを見れば被害状況もなにもないだろう、天災級の魔物にでも襲われたような有様だ。すべてなくなった。不死の兵以外はな」
「不死の兵は、今どこに?」
「同じく西の塔だ。あそこの護りが一番固いからな。一度死んだ奴らは理性をなくして魔物のようだぞ。寝食がいらないのはなによりだが、使い勝手が悪すぎる。なんとかして改善しろ」
「できるものであれば」
「フェブライト……貴様、私になにか隠してないか?」
唐突にバスティンが言った。
「なぜそのようなことを?」
「貴様は、研究所を壊滅させた犯人に心当たりがあるように思える」
「検討もつきませんが……たとえ知っていたとしても、隠す理由が見当たりませんね」
表情を動かさず答えると、バスティンは黙った。
思い通りにならないことは我慢ならない男だ。目を見ればそのいらだちが窺える。
「そうか、貴様は利口な男だ。イグナーツを排すれば政権は我が手だぞ。どのようなふるまいが利口か、誰につくか、よく考えておくんだな」
言いたいことは言ったとばかりに、バスティンは部下たちと去って行った。
実際あの男にとって研究所の後始末などどうでもいいのだろう。
権力と、自己顕示欲にまみれた醜い人間。
あれの始末が最後の仕事になるかもしれないと、馬鹿馬鹿しく思った。
大崩壊以来、人は魔法の力によって多くのものを手にしてきた。
だが、本質は何も変わっていない。
人は弱く、身勝手な生きものだ。
慈悲や思いやりなど、しょせんまやかし。
ひとりで立ち、ひとりで生きていく以外に平穏を手に入れる術はない。
安らげる相手など探してはいけない。
たとえ手に入れても、失えば自らが壊れる。
壊れて、血を流し続ける傷が残るだけだ。
「人は自分のためにしか泣けないものだと、教えてきたはずだった……」
ルシフェルは、私のようになってはいけない。
他者を圧倒する力を持って産まれた者は、誰とも分かり合えないものだ。
「私がいなくなったあとも、自らの足だけで立ち、強く生きてもらわなければ」
それが歪んだ願いと分かっていても。
幸せを願う形には、違いないのだから。
半分(以上)寝てますので、あとで直すかも…… …φ(:3」∠)_




