158 夜に目覚める
はじめて「死んだ」と思ったあのとき。
意外なくらい穏やかな気持ちだった。
痛いはずの体が遠く、なにもかもがぼんやりしていて。
自分が自分でなくなっていく感覚が不思議に思えた。
死ぬってこういうものなんだな。
そう思ってた。
でも少し違ったようだ。
死ぬのは痛かったり熱かったりして、やっぱり苦しい。
(エヴァも――)
お前も、そうだったのか――。
もう何度、こんな苦しさを味わってきたんだろう。
(全部、なくしてやりたいな――)
あいつのまわりから、痛さも、悲しさもなくしたい。
だってもう十分だ。
こんなもの、一度味わえばもう……
『ルシ、ファー……ごめんね……』
記憶の中からこぼれ出た言葉が。
むき出しの心を撫でる、強烈な痛みになって襲いかかる。
「……――っ!!」
暗闇に覚醒した。
全身の毛穴から汗が吹き出る。心臓は壊れそうなくらい早鐘を打っていた。
身じろいだ背中が床の冷たさを拾う。目だけを動かすと周囲を探った。
狭い部屋だ。人を閉じ込めるためのものだとすぐに理解する。
「……ぅっ」
息苦しい――。
乱れる呼吸を殺しながら、泥のように重い半身を起こした。
(……夢だ……)
生々しく恐ろしい、過ぎた記憶だ。
そう言い聞かせながら、乾いたのどに唾を呑みこむ。
ピゲール村のあの教会で。
腕の中のエヴァが呼吸を止めたときの感覚が、こびりついている。
夢だ。エヴァは死んでいない、生きている。
分かっているのに恐怖が引いていかない。
「……くそっ、しっかりしろ」
確か最後に……そうだ。兵士たちに背中から槍で突かれたはずだ。
あれで生きていたらおかしい。
ああ、そうか。俺、生き返ったのか……?
「約束、破っちまったな……」
以前、特殊憲兵に殺されそうになったとき「もう誰にも殺されない」と約束したのに。
エヴァは知ったら怒るだろうか……いや、泣くかな。
俺のせいで泣くなんて最悪だろ。黙っておこう。
手を持ち上げようとして、じゃらりと鳴った手枷がいつもと違うことに気付いた。
当たり前か、ここは家の反省房じゃない。
両手の左右をつないでいるのは、太い金属の鎖。
足首から延びた長い鎖は床に固定されていた。
力任せに引いてみたが、びくともしない。魔獣捕縛用の銀製拘束具だ。
鍵穴もないことから、魔法でロックされていることが分かった。
「んだよこれ……つけたヤツ、絶対殺す……」
人を魔獣扱いしやがって。
せめて人間用を使いやがれ、と妙な方向に文句を思ったら、ぐらんと視界が揺れた。吐きかけて、せり上がってきた酸を無理矢理飲み下した。
「……はぁ」
座ったまま少し後退して、冷たい石の壁に背を預ける。
(……状況を整理するか)
目覚めは最悪だが、泣き言など吐いてはいられない。
ここにカザンがいないということは、良くもあり、悪くもある。
あの兄に限って死ぬことはないと思うが、身動きが取れない状態で崖から落としたんだ。さすがに無傷ではすまないだろう。
俺の居場所を見失っているのは、ただ見つけられないだけなのか。それとも……
「くそ……あいつがくたばるわけ、ないだろ……」
今は無事でいることを祈るしかない。
そして――。
(たぶん、あっちは……死んだよな……)
俺をかばおうとした執事。
最期までイグナーツのことを案じていた。
俺よりずっと弱いくせに、逃げるでも隠れるでもなく、なんで……
あんなことになるなら、アンと一緒に逃げるように言えば良かった。
もう遅い。取り返しはつかない。悔やんだって、やり直しはできないんだ。
人の生はそういうもので……やり直しなんてきかない。本当は。
「……あ」
そこまで考えて、あの奇妙な兵士たちを思い出した。
あいつら、一体なんだったんだろう。まるで生き返ったみたいだった。
ここに俺を連れてきたのは、あいつらなのか……?
暖房もない、石のブロックで作られた部屋。腕一本すら出そうにない通気口から、外の空気が流れ込んでいる。普通の人間なら凍死してるな。
VIP待遇からほど遠いこの場所に、誰が、どうして俺を連れてきた?
冷たい空間に、鎖の音が耳障りに残る。
銀の拘束具か……俺って、強くなっても結局これには敵わないんだな。
自嘲じみた笑いがもれた。
「さて……どうするか……」
気を失ってから、いや、死んでからどれくらいの時間が経っただろう。
現在地も、置かれた状況も分からないときている。
ひとつだけ分かるのは、悪意に満ちた扱いを受けているということだけ。
だとすれば、俺が取る行動はひとつだ。
ここから出て、エヴァのところに帰る。
邪魔するヤツは、誰だろうと容赦しない。
「いいな。シンプルじゃん」
言ってみると、少し気持ちに余裕も出てきた。
「とはいえ、これを外さない限り、むずかしいか……」
手枷を眺めた。自力で外すのは困難、というより不可能に思える。
死んだふりをして外してもらう……のも無理だろうな。
なにか使えそうなものを持ってなかっただろうか。
「あ、そうだ」
ばあちゃんから預かったものを思い出して、裂けたTシャツに触れた。
上着もボロボロで血の痕がひどい。どんだけ刺されたんだよ、俺。
首に掛かっているはずのペンダントをゴソゴソ探っていたら、どこかで人の気配がした。
誰か来る。
足音が近付いてくるのが分かった。
ひとり……ふたり、3人。
固い靴底が床を叩く。音は扉の前で止まった。
パッと部屋の明かりがついた。明るさに目がくらむのを抑えるため、闇魔法で眼球だけに薄く帳を下ろす。
物見の小窓が開いて、ふたつの目が俺の姿を確認した。
なにかコソコソ話す声と、施錠を外す音が聞こえてくる。
開いた扉の厚みを見てげんなりした。
なんだあれ、金庫かよ。この状態じゃ絶対に切り裂けないな。
「……本当に生きているな……」
そう言って部屋の中に入ってきた人物は、白い祭司服に金の帯を巻いた男だった。えらそうな装飾を手や首にジャラジャラつけている。
年は50代後半くらいか……魔力量から見て高位祭司だろう。
神経質に角張った顔立ちは一見大人しそうで、狡猾な獣の気配を感じた。
「出血量から確かに死んだはずでしたが……連れて帰ってくる途中、息を吹き返しまして」
後ろに控える兵士が答える。
「その際に計った魔力量の数値が尋常でなかったもので、急ぎ拘束してここに運び込みました。与えた傷もふさがったのを確認しています」
「恐ろしい回復力、というより異常性だな。不死の実の反応は?」
「2度検査しましたが、ありませんでした。うちの検体ではないのですが、不死であるように見えます」
「ほう……実に興味深い。それで背中の翼とやらはどこにあるんだ? 切り落としたのか?」
「いえ、気付いたら消えていました」
「消えた? そんなことがあるのか……」
ふたりの話から、俺が連れて来られた経緯はなんとなく分かった。
最初は俺の翼が珍しいから、死んでてもいいから持って帰ろう、ってことだったんだろう。それで、生き返ったもんだから驚いてここにぶち込んでおいた、と。
やたらえらそうな態度のオッサンは、俺の前に立つと小首を傾げた。
「口はきけるのだろう? また出せるのなら翼とやらを出してみろ」
挨拶もなしに失礼なヤツだ。
俺は壁に背を預けたまま、男の顔を横目で見上げた。
「……どうやらオッサン、知らないみたいだな?」
「……なにをだ?」
怪訝な顔で男は反問した。
そんなの決まってる。
「オールバックの長髪てのはな、イケメンしか許されないんだぞ。つまりあんたはアウト」
お世辞にも整った顔とは言い難いのに。
脂ぎった白髪伸ばすなよ。死ぬほど似合わねー。
「あとそのチョビ髭も趣味悪くてキモい」
俺の正直な感想に、男は頬をひくつかせた。
「……自分の立場が分かっていないようだな?」
男は手にした金属の杖を持ち上げると、俺の首筋にあてた。
低く抑えた声で「人間に見えるが……何者だ?」と尋ねる。
「正真正銘人間だけど」
「名は?」
「忘れたなー」
答える気がない返答をすると、冷たい杖先があごを持ち上げた。
「違うな、それは私の聞きたい答えじゃない。もう一度聞こう、お前は何者だ?」
暗く、冷たい鈍色の瞳。
人の命をなんとも思わない、そういう輩の目だ。
「だから忘れた」
振りかぶられた杖が、空を切って打ち下ろされた。
素直に殴られる気はない。手枷を盾に受け止めると、金属の爆ぜる音が散った。
「……これで最後だ。お前の名は? どこの何者だ?」
「いたいけな青少年いびって尋問か? 趣味悪いねー」
「黙れ」
男が口の中でなにごとか呟いた。
瞬間、体に電気が走った。
「っ……!」
枷に付与された魔法だろう。痺れは全身を駆け巡った。
のけぞって床に倒れたところで、ガン! と頭に衝撃がきた。
固い靴底と床にはさまれて、ギリギリと頭蓋が鳴る。
「翼のある不死の人間など、自然発生するわけがない……単に生命力の強い魔獣なのか? 人に化けているだけか?」
「……ッ」
「兵たちがお前の背に黒い翼を見たと言っている。加えてこの異常な回復力……答えろ、お前はなんの化け物だ?」
答えろと言いながら、答えさせる気はないようだ。
これだけ頭を踏みつけられて、口なんか開くかバカ。
「……ん? これはなんだ?」
男は身を屈めると、俺の首筋に手を伸ばした。
引かれた拍子にのどを締め上げられ、息がつまる。ぶつり、となにかが切れる音がした。
「げほっ!」
「ほう? 魔笛か?」
しまった。ばあちゃんから預かった、クロのワイバーンフルート。
男は俺の顔を見て、にやりと笑った。
「なんだ、もしや大事な物だったか? なんの魔法が付与されている?」
「……知らねーよ、クソ祭司、死ね」
「本当にしつけの悪い化け物だな」
黒い角笛をぶら下げて眺めると、男は「まあいい」と言った。
「見ない種類だが、調べれば分かるだろう」
男は俺から興味がそれたのか、控えていた兵士を呼んだ。
「おい、こいつの血を採れ。半獣か人間か、もう一度ちゃんと調べろ」
「はっ! しかし、その……今は検査もままならない状況でして……」
「まったく……研究所が使えないせいで、こんな簡単なこともスムーズにいかないとは……」
国立研究所はすべての施設をじいちゃんが使えなくしたはずだから、そのことを言っているのだろう。
ということは、ここは国の機関か。
男は忌々しそうに息をついた。
「検査はできたらでかまわない。代わりに痛めつけて何者なのか聞き出せ。イグナーツとの関わりもな」
「かしこまりました」
イグナーツ。
そうだ、あそこにいた人間はみんな、どうなったんだ?
「……イグナーツは……死んだのか?」
去ろうとした男に尋ねると、冷えた笑顔で振り向いた。
聞くまでもない、か。
「気になるか? いずれはそうするつもりだが、安心しろ。簡単に殺すわけがないだろう。今はまだ部下の死体と仲良く、牢の中で過ごしてもらっているさ」
なにが安心しろだ。ふざけやがって……
こういう人間はターゲットの中にたまにいる。
人の痛みに鈍感で、自分の信じるものだけしか見ない、歪んだ精神の持ち主だ。
「お前、イグナーツに恨みがあるのか? 誰なんだ?」
「私を知らないとは……やはり獣の類いか」
「誰が獣だ。お前絶対いい死に方しないからな、断言する」
「ゴミ以下の獣が、好きなだけ吠えておけ」
そう吐き捨てると、男は部屋を出て行った。
お待たせしました……!
前回までのあらすじとかつけるべきだったか。投稿空きすぎて作者も記憶が(
次は土日あたりにもう1話投げ込みますね……(.ω.)⁾⁾




