157 先生の行方#
from a viewpoint of ロシベル
お婆さまがお怒りだ。
どこの死にたがりか知らないけれど、お婆さまの庭園に傷をつけるなんて。
「魔獣の顔に針を刺すようなものね……」
ひとり呟いて、温室の入口をくぐった。
犯人はシュルガットの調べでローラシアだと分かっている。
ミサイルが発射された軍事施設に報復も済んでいるのに、大統領補佐官のランゴールは誤発射と言っているらしい。
誤発射? なにをどうしたらそんな言い訳が出てくるのかしら。
冗談にしても笑えないわ。
「お婆さま、小鳥ちゃん」
温室の中央に向かって声をかける。
昨日に引き続き、お婆さまと能力制御の訓練をしているエヴァがいた。
大分気に入られたみたいでお気の毒さまね。
人体実験の餌食にならなければいいけれど。
「ベル、誰を殺しに行けばいいか分かったかい?」
待ってましたとばかりに、お婆さまが応えた。
昨日も母さんとふたりで散々なだめたのだけれど、内心怒りは収まっていないようだ。
お爺さまが帰ってきてくれなかったら止めきれなかった。今これだけ落ち着いてくれたのは……小鳥ちゃんのおかげかしら。
「それがまだはっきりしないのよね。さっきやっとランゴール殿から連絡が来たの。とってもレトロな方法で」
通信機器がおかしいとの言い訳付きで、伝書鷹を飛ばしてきた科学国の大統領補佐官が滑稽すぎる。後々までネタになりそうだ。
「そうかい。で、なにをどう謝罪するって?」
「それがね、『昨夜のあれは誤発射でした。私どもにも把握出来ないなんらかのトラブルがあったようで、大変申し訳ない』って言ってるわ」
「あの男はとうとう脳みそが沸いたみたいだね……」
「どうも本気みたいなのよね。迅速に調査して、結果を報せるって」
「はっ、まさかそれだけかい?」
「迎撃に使った消滅弾の費用、3倍の額を支払うって。あと向こう一年間、軍の通行料を倍にするって言っておいたから、さぞかし青くなってると思うわよ」
あと彼に必要なことは、お婆さまに土下座しに来ることくらいかしら。
「国の兵器をどう誤発射するんだい……呆れた言い訳さね」
ブツブツ言っていたけれど、やはり機嫌はそこまで悪くないようだ。
教え子が適切なときに力を使えたのがうれしいのね。
「ロシベルさん」
話の終わりを待っていたのか、エヴァが言った。
「ルシファーは? まだ帰らないの?」
調べ物のために、ゴンドワナに残ったフェルのことは私も気がかりだった。
でもまだ、帰還予定はない。
「朝、カザン――一番上の兄から連絡があったけれど。もう少しかかるらしいわ」
「……そう」
「人のことは言えないけど、心配しすぎもよくないわよ」
「そうね……死なないことは確かだものね」
「バカね。死ぬより恐ろしいことなんていくらでもあるわ」
エヴァは眉をひそめた。
「そんなこと言われたら、やっぱり心配になるわ」
「あらそうね、ごめんなさい」
今のフェルの強さはローラシアで確認した。家出のときと違って兄さんもいるし、行方不明でもないのだから心配はないと自分に言い聞かせている。
それでも、あの子がゴンドワナにいるかと思うと落ち着かない。
本当ならテトラ教徒の目から一生隠しておきたい。
もう二度と、ウィングのときのようなことを繰り返してはいけないから。
「魔力切れの問題もあるし……早く用事をすませて帰ってきてほしいわ」
エヴァが暗い顔で言った。
「大事な小鳥ちゃんに心配かけて、フェルも悪い子ね。戻ったらうんと言い聞かせてあげましょ?」
「また連絡があったら、教えてくれる?」
「もちろんよ」
エヴァは少しだけホッとした顔になった。
ここにいると特訓の邪魔になりそうね。私は「がんばってね」とウィンクして温室を離れた。
屋敷内に戻り、廊下を歩く。
ふと、向かってくる気配に気づいた。
今日はここにいるはずがない、小さな気配がふたつ。
「「姉さん」」
現れたのは予想通り、デリアとフォリアのふたりだった。
「ふたりとも、帰ってたの?」
「「うん、おはよう」」
年の離れた妹ふたりは、両側から私の首に飛びついてきた。
しゃがみこんで頬にキスをくれる妹たちを抱きしめる。
「おはようって、もうお昼過ぎよ……今帰ったんじゃないのね?」
どのみち帰宅するには早すぎる。先生にはしばらく帰ってこないよう言ったのに。
「うん、寝過ぎちゃった。ただいま、ベル姉さん」
「テーマパーク、楽しかった」
「そう、良かったわね」
「昨日の夜に帰ったの」
「超速チャーター便に乗って」
「そしたらキエルゴの空が赤く染まっててきれいだった」
「すごく高いところでバクハツしてた。花火みたいだったの」
「でも護壁のせいでおうちに入れなくて」
「どうしようって言ってたら、シロが迎えに来てくれたわ」
代わる代わる話す妹たちは、呆れたことにあの襲撃のさなかに帰ってきたらしい。
それより先生はどうしたのだろう。
「ねえ、先生は?」
「「知らない」」
「知らないってことないでしょう」
「知らない。だって私たち、帰ってきてすぐ寝ちゃったもの」
「きっとお部屋じゃない?」
「そう……分かったわ」
先生が家にいたら困る。フェルがいなくとも……会ったらまずい人がいるでしょう。
妹たちを残して、足早に離れにある先生の部屋へ向かった。
「先生? 私よ」
ノックをして声をかけたけれど返事がない。
鍵もかかっておらず、ドアノブを引くと扉が開いた。
「いないの先生?」
主のいない部屋はいつもよりさらに殺風景に感じて、寒気すら覚える。
もしかして、自分だけまたローラシアに戻ったのかしら……
「……?」
部屋の隅にある大きな机。
その上には読みかけの本。紙と万年筆。
いつもと変わりない風景に見えるのに。
なぜかしら。胸騒ぎがする。
部屋の中を見回して、奇妙な焦燥感を覚えた。
不穏なリズムを打ちはじめた心臓を押さえて、小さなワードローブを開けた。
空のハンガーたちが並ぶ。上着も、シャツも、一着もない。
ほら、女の勘は当たるのよ。
理由は分からないけれど、先生がもうここへ戻ってこない気がする。
すぐさま部屋を出て、お爺さまのところへ走った。
「……っ先生はどこ?!」
ノックの返事も待たずに扉を開いた。
揺り椅子に座ったお爺さまは、青いファイルを片手にぼんやりと天井を眺めている。気だるそうにこちらに視線をやった。
「なんじゃロシベル、騒々しい」
「答えて! 先生はどこへ行ったの?!」
「あやつの行き先など、いちいち把握しておらん」
「嘘! 本当は隠してるんでしょう?!」
「……」
答えないことが答えだ。
舌打ちしてきびすを返すと、後ろから「ベル!」と呼び止められた。
足を止めて振り返る。
「ローガンとの契約は終いじゃ」
「……なんですって?」
「契約期間が終わった。あやつはもう、うちの家庭教師でも医師でもない」
「意味が分からないわ」
なにが終わったですって?
先生との契約内容なんて、知らない。
「なにを突然、私の知らないところで……!」
「落ち着け。最初から決まっていたことなんじゃ」
お爺さまは先生と交わした契約内容について、はじめて教えてくれた。
先生は10年前、住み込みの家庭教師、兼医師として働くためにアルティマに来た。
とある研究が完成したら、お爺さまの手でその研究内容を無に還すことを条件に。
とてもいびつで、シンプルな契約内容。
理解出来なかった。まさか、そんな意味の分からない契約だったなんて。
先生はアルティマに住むようになってからも、ゴンドワナの国立研究所に関わってはいたけれど。
「そんなに昔からの、なんの研究を無に還すですって……? お爺さまも先生も、どうかしてるんじゃなくて?」
「気が触れてようと、契約は契約じゃ」
「じゃあ、今回の国立研究所の依頼が……」
「そうじゃ。研究所と、研究に関わった者たちの消滅。長年望んでいたあやつの結末じゃ。ローラシア側から依頼があったのは意外じゃったが……」
そう言って、お爺さまはポン、と机の上に一冊のファイルを投げた。
表紙に黒い鳥の描かれた、青いファイル。
「ローラシア向けにこんなダミーの資料も用意していたことを考えると、それも予期していたのやもしれんな」
国立研究所ごと、その研究をなかったことにしたというのなら。
それがそもそもの目的だったのなら、じゃあ、その後は?
死にたがりのあの人が、生きていく理由がなくなったのかもしれない。
その想像にゾッとした。
「あそこにある資料はすべて燃やした。研究所も再稼働は不可能じゃろう。契約は終わったんじゃ」
「……それで納得できるわけ、ないでしょう」
「もう好きにさせてやれ、すでに死んでいるも同然の男じゃ」
「お爺さまと先生の間で交わした契約なんて、私には関係ないわ!」
部屋の扉を乱暴に開け放った。
もう一度「ベル!」と鋭く呼び止められたけれど、無視して思いきり扉を閉めた。
どうして。
私になにも言わず出て行ったの? 先生――。
どこまでも追うと決めているけれど、どこへ向かったのか分からなくては話にならない。
とりあえずローラシアで、彼が行きそうな場所へ行ってみるべきかしら。
上着に袖を通しながら、足早に玄関ホールの階段を下りる。
「あっ、ロシベルちゃ~ん」
殺伐とした心境に似合わない声が、私を呼んだ。
ホールでは到着した行商の一団が荷物を運びこんでいる。その真ん中で手を振るのは、赤髪の女の子。
大国を渡る行商『疾風の獅子団』の看板娘、ベスパだ。
「ちょうど良かった~、欲しいって言ってた黒真珠が手に入ったのよ~」
陽気な商売人の彼女は、見た目だけで言えば私と同年代。
長年アルティマに出入りしている、数少ない知り合いだ。
ベスパは重たそうな宝石箱を取り出すと、ウィンクしてみせた。
「どうする? 全部買ってくれてもいいよ。一番大きいのがなかなか見ない秀品でさー」
「悪いわね、ベスパ」
商談を始めようとするのを遮って、「私、これから出かけるの」と返した。
「せっかくだけど、次の機会に見せてもらうわ」
「えーっ?! そんなぁ……結構苦労して手に入れたのよこれ!」
「急ぎの用があるの。悪いわね」
横を通り過ぎようとしたら、「あ、ねぇ、メガネの先生の荷物はどうする?」とベスパが言った。
「自分はもう使わないから、ロシベルちゃんにあげてって、お金だけもらったんだ。出かけるなら執事さんに渡しとけばいい?」
「……それ、いつ言われたの?」
「ここに来る途中、ウェビナーの街で偶然会ったのよ」
ゴンドワナ方面の、小さな商業街だ。
そっちへ向かったの?
「先生は、どこへ行くって?」
「聞いてないよ。でもあそこにいたってことは、魔馬に乗ってどこかにいくつもりだったんじゃない?」
ウェビナーは、あちこちの道が交わる街だ。
先生はゴンドワナへ行くのに、いつも魔馬や魔道車を借りていた気がする。
「……ありがとう! ベスパ!!」
「えっ? あっ……そういえばルシフェルは?! いい加減帰って――」
玄関を飛び出し、呼び出しておいた使い魔の背中に飛び乗った。
私の意思を忠実に解釈したノワールが、黒い翼を広げる。
舞い上がった魔鳥が向かう先は、ゴンドワナ。
「先生の希望なんて……叶えてあげない」
捕まえてみせる。
すべての感情を押し殺し、それだけを思った。




