156 不死の兵と予兆#
前半ルシファー、後半エヴァ視点でお届けします(゜∀゜)
地面についた腕が、ガクガクと震えた。
のしかかる不可視の圧力。呼吸すら圧迫する力が、四肢の自由を奪っていく。
「っフェル……!」
背後からカザンの呼ぶ声がする。
わずかに振り返り、居場所を確認した。
カザンも蒼白の顔で地面に膝をついていた。周囲に視線を巡らせれば、イグナーツの兵たちも同様なのが分かった。
深海に落とされたようなこの圧力は、ひとりを狙ったものでなく場に作用している。
だが、俺やカザンの動きを同時に、ここまで完全に封じられるような強力な拘束魔法には覚えがない。
「兄さ……これ、なん……」
「フェル、手を……伸ばせ……!」
「……?」
「片腕で、いい……魔力を、流さず伸ばすんだ……早く……しろ!」
魔力を流さず?
不可解なまま、兄に近い左腕だけ流す魔力量を薄くしてみる。
濡れた布がまとわりつく感覚はあったが、そこだけが少し自由になった。
「よ……し、こっちへ……俺が、引いて、投げる……」
身動きのとれない俺を、崖から投げて飛ばす気なのだと分かった。
カザンが俺に向かって震える手を伸ばす。スローモーションのように。
見慣れない、弱った兄の姿に動揺が走った。
体がまともに動かない。
魔法も使えない。
今、なにが起こってるんだ?
こちらへ向かって歩いてくる気配を察知して、伸ばしかけた左手を止めた。
兵士が数人。首や鎧の間から血を流し、武器を握っている。
見れば、足止めした兵士たちはひとりも氷の枷から抜け出せていなかった。
なら……こいつらは……
(なんだ? 確実に殺したはずなのに……)
最初に俺が仕留めた兵士たちだった。
無意識に手加減してしまったのだろうか。いや、それでも全員が生きているはずがない。
手負いのくせに足取りもしっかりしすぎている。
かち合った視線はうつろで、底冷えのする不気味さを感じた。
「フェル、早くしろ……!」
切羽詰まった響きをふくんだカザンの声と、数メートル手前まで迫った敵。
どうする? 俺だけじゃなくカザンも自力で動けないはずだ。
俺をこの場から離脱させられたとして、カザンはそのあとどうするつもりなんだ?
(場に作用している魔法なら、なぜこいつらは動けるんだ?)
明らかに先程と様子が違う兵士は、表情ひとつ変えず俺の目の前に立った。
まるで死人の顔だった。
血を流しているのに、痛みを感じているようにも見えない。
殺したはずなのに生きている兵士。
「まさ、か……」
思い当たったことを確認する手段がなくて歯がみした。
強烈な重力に逆らおうとすればするほど、重さは体にのし掛かる。
兵士が剣を構えた。その横を、もうひとりの兵士が通り抜ける。
向かう先に思い当たって、冷や汗が吹き出た。
(ダメだ……!)
俺はいい。死なないから。
でもカザンはダメだ。
「っ……!」
背中が裂けそうな痛みをこらえて、一気に翼を具現化した。
広げた反動でかろうじてひと羽ばたきだけ、自分の周りに巻き上がる気流を起こす。
周囲にいた兵士がよろけ、視界の端にカザンが吹き飛ばされるのが見えた。
体勢を崩して転がったすぐ後ろは、崖だ。
「っフェル……!」
落ちていく兄の、見たことがない目を見ていた。
(なんだ、そんな顔もできるんだな……)
どこかおかしくなって、笑った。
相当な高さだろうが、カザンならきっと大丈夫だ。
途中できっと、得意の風魔法を使って……
「っ!!」
左肩に衝撃が走った。兵士が振り下ろした剣が肉を断って食い込む。
目の前に飛んだ赤色の中に、引かれた刃の先端が見えた。
圧迫感に神経が灼き切れる痛みが上書きされていく。
見上げた先で、別の兵士が細身の剣を振り上げた。
回避する手段はない。歯を食いしばったところで、ドスン、と鈍い音がした。
「……?」
目で追ったのは、倒れた兵士。それと……
体当たりを喰らわせた執事が、兵士の上に覆いかぶさっていた。
「ば……っなにして……!」
振り払われて横に転がった執事は、俺に向かって叫んだ。
「っお逃げください!」
逃げろと言われても、俺は動けない。
なぜ執事は動けるんだ?
これは敵全体に作用する、なにかの魔法じゃないのか?
立ち上がり、拾った剣を振り回そうとする執事の足を倒れた兵士が掴んで引き倒した。
そこへ他の兵士がのしかかる。
「や、め……」
氷魔法を放とうとしたが、発動させることすらできない。
魔力を動かした瞬間、それまで以上の圧力が体を締め上げた。
「っイグナーツ様をどうかっ……お助け――」
執事の声が兵士の背中の向こうに途絶えて。
水の中みたいにぼわんと響く耳に、うめき声が聞こえてくる。
「やめろ……!」
なにひとつできないまま。
背中から胸に抜ける衝撃で、意識は暗闇に落とされた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
from a viewpoint of エヴァ
ふいに、悪寒がした。
指から滑り落ちた透明な結晶が、温室の床に落ちていく。
パリン! と足元で砕け散ると、赤い敷石の上に散乱した。
「やり直しさね」
トルコさんが、ザリッと欠片を靴の底で踏みつける。
欠片は一瞬にして燃え上がり、消えた。
「途中までうまくいっていたのに、どうしたさね?」
「その、急に寒気がして……」
なぜか分からないけれど、肩に重石を載せられた気分だ。
息苦しくて、気分が悪い。
ふと、手首に目が留まった。
うっすらと残るあざ。
どうして不死の力が働かないのかは分からないけれど、ルシファーに握られた手のあとはまだ消えなかった。
色々な不安が降ってきては、心のすみに積もる。
「ごめんなさい、割れちゃったわ……」
手首をぎゅっと握って言った。
「謝るヒマがあるならもう一度やってみな。こうして弱すぎもせず、強くもない一定の力できっちり10秒間、魔力を刻むんだよ」
トルコさんが手にした魔法石の結晶に、赤い光が立ち上る。
出力の安定した魔力の光は10秒後、ふっと消えて。
透明な結晶は、燃え上がる炎の紋様が刻まれた、赤い魔法石に姿を変えた。
「魔力ってのは指紋と一緒でひとりひとり違う。魔力認証はそれを応用したシステムさ。純結晶はこうして魔力で染めてやると、自分の能力を閉じ込めることもできるさね」
「……そうなのね」
透明な魔法石を受け取って、もう一度魔力を流してみた。
重苦しさは続いていたけれど、見ないフリで集中する。
トルコさんと同じくらいの出力で、一定に、10秒間。
白い魔力が揺らめいて、魔法石を包み込む。
「なんだい、できるじゃないか」
魔法石は、模様のない乳白色の球体になった。
トルコさんのものとは大分見た目が違うけれど、魔力で作るこの丸い玉は何度も見たことがあった。
私がこの作業をするのははじめてじゃなかったから。
「昔、作ったことがあるの……」
白い結晶なら、ゴンドワナの研究所でいくつも作らされた。
あれがなにに使われたのかは分からないけれど。
「どの程度開放すればいいかは、なんとなく分かるみたい。昨日もできたし」
「機械にアクセラレータを使ったそうだね。よくやったじゃないか」
トルコさんは満足そうに言った。
アスカちゃんのようなヒューマノイドに、アクセラレータを使うなんてはじめてのことだった。
触れて力を流してみて、彼女が魔力を持った人間ではなくて、機械なのだと実感した。
「アスカちゃんに触れたら、周りの機械と繋がっているのを感じたの。それで、繋がっている先の機械にも力を流したら……たまたまうまくいったのよ」
「たまたまじゃない。手放せない諸刃の剣は、自分以外に使いこなせないんだ。もっと自信を持ちな」
迷いはまだあるけれど。
トルコさんの言うことは正しいと思えるから、アルティマにいる間は素直に教えを乞うことにした。
本当は咎人の石のときみたいに、誰もこの力を使えないようにしてしまえればいいのだけど。
「そういえば……おばあさまは咎人の石をつけることはできないの?」
思い当たって、疑問を口にした。
「なんだって?」
「咎人の石で魔力を使えないようにしておくのが、本当は一番安全だと思うの。できないかしら?」
「はぁ……呆れたね。お前さんが魔力を外に出せなくなったら、誰がフェルに魔力供給するんだい?」
「あ……」
「その方法は諦めな。苦痛を耐えて施したとしても、なんの解決にもなりゃしない。あとね、アタシをテトラ教の馬鹿祭司どもと一緒にするんじゃないよ。あんな胸くそ悪い方法でじわじわ人を殺す趣味はないさ。殺すならサクッとひと思いに殺すさね」
ころ……そうだわ、ここは暗殺一家の屋敷だった。
普通に歓迎されて過ごしているからか、たまに忘れかける。
「しかし第3の力ってのはつくづく異色なもんだね」
私の作った白い結晶を手にとって、トルコさんが呟く。
「できた魔法石がなにか変なの?」
「魔法のような動きをしてはいるが、魔力とは根源が異なるってことさ」
「それって……どういうこと?」
「魔力も科学力も人の力だ。この世に生きるものが持つ力さ。だが、お前さんのはそのどちらでもない。テトラ教の神具や、霊山から噴出する自然のエネルギーと同じ……まぁ要するに、人の力じゃないさね」
それはまるで、私自身が人ではないと言われたようで。
どこか恐ろしくなるのと、納得する気持ちが入り混じる。
「神様は……何がしたいのかしら」
私みたいな、異端な存在を作って。
お母様やセレーネさんのような、頂点の魔女を作った意味はなんなのかしら。
すべてが謎のままだ。
なぜ私は生まれたの?
こんな脅威にしかならない能力を持って。
「神の思惑か……」
トルコさんはぽつりと呟いた。
手に持った白く丸い石を、くるくると回しながら眺める。
「まぁ、愉快なもんじゃない気はするさね」
ふいに、こめかみに鋭い痛みが走った。
「あ、痛っ」
「どうした?」
「分からない……さっきから息苦しくて。今は頭がズキズキするわ」
「不死のくせに風邪でも引いたかい?」
「そうじゃないけど……あの、ルシファーは、まだ帰らないのかしら」
ゴンドワナにお兄さんと残っていると聞いたけれど。
今日帰ってくるかは分からないという。
どうして今、こんなに不安になるのかしら。
「ラムハーンはそれなりに遠いからね。遅くとも明日には戻ってくるだろう。調子が悪いならこの辺でやめとくかい?」
「いえ、大丈夫……まだできるわ」
「そうかい、じゃあ次のステップだ」
トルコさんがそう言ったとき、小径の向こうから靴音が聞こえてきた。
かかとの高い、ヒールの音だ。
「お婆さま、小鳥ちゃん」
現れたのはロシベルさんだった。
更新遅くても待っててくださる読者の皆さま、五体投地で御礼申し上げます。
空前絶後の人手不足につき、私があと3人ほどほしいのです……(´-`)




