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155 追っ手

 出発から1時間ほど経って、車はガタガタした山道を進んでいた。

 のどかな山の景色もとうに飽きた。飛んだ方が全然早いのに、車ってのはつくづく不便だ。


「しかしせっまい道だなぁ、他に通るとこなかったのか?」


 俺のぼやきに、運転している執事が答えた。


「ここを越えると近いのです。なにぶん急がなくてはいけないもので」


 追っ手が来る前に自分のテリトリーに入りたいってとこか。

 出頭命令無視して謹慎場所から逃げ出したんだから、今や立派な犯罪者集団だもんな。


「近道だとしても、敵襲あったら逃げるとこないじゃんか。こっち急斜面だし、反対側崖だし」


 眼下には深い森が見える。山頂に近いせいか、この辺りは特に道が狭い。

 敵に出会えば逃げるところも隠れるところもないだろう。


「仰るとおりですが、今ここにいる護衛たちは精鋭揃いですのでご心配なく。皆それなりに魔法の使える剣士ばかりです。3倍の敵が来ても後れを取ることはありません」


「へえー、でもあんたらは非戦闘員だろ?」


「はい。戦う力とは別の力で、イグナーツ様をお支えしておりますゆえ」


「そうか……いいな、そういうの」


 うちの使用人たちみたく、庭師からメイドまで戦闘能力が高すぎるなんてのは、普通じゃないんだろう。

 戦力にならなくとも、置かれた場所で自分の仕事に誇りを持つ執事か。

 その考え方には素直に好感が持てた。


「私やお爺ちゃんは戦闘のときには足手まといになるので……なにかあったらすぐに逃げるよう言われてるんです」


 メイドのアンがそう言って、首に掛かった空間移動用の魔道具を見せてくれた。

 こんな希少なものを一介の使用人に渡すのか……太っ腹だなぁ、イグナーツ。


「じゃあ安心だな」


 俺がそう言うのを待っていたかのように、前方からドォン! という大きな衝突音が聞こえてきた。

 思わず嫌な顔になって、カザンを振り返る。


「いかにも出そうだとは思ってたけど……言ってるそばから敵襲かな?」


「そのわりには敵らしき魔力が感じられない」


 カザンの言うとおり、魔法を使ってなにかしたような余波は感じられなかった。

 こんな道の狭いところで車を襲うなら、剣士よりも魔法使いを使うはずだ。


「ここからではよく見えませんね……様子を見て、必要ならば引き返しましょう」


 緊張した面持ちで、執事が言った。


「引き返すって……ここ、Uターンできるほどの道幅もなさそうだけど」


 車の横、数メートル先には木も草もない。要するに断崖絶壁だ。あの間際まで行って車を回すなんて、やめたほうがいい。

 そうしているうちに前の車からバタバタと人が降りていく音がした。


 状況がよく分からないからと、執事も車を停めて降りていった。俺も自分でドアを開けて外に出る。ひやりとした山の空気に火薬の臭いが混じっていた。

 ゆるやかなカーブの先には軽鎧の一団が見える。神殿の神官兵だ。

 道の真ん中に大きな木の幹が横たわっていて、先頭の車が下敷きになっていた。さっきの音はあれか。


「イグナーツのお迎えってわけじゃなさそうだな」


 俺の呟きに、執事が答えた。


「中央神殿の下級兵です。魔法も使えない兵たちの集まりですので……イグナーツ様を連れて行くには腕不足ですね。急いで足止めに来ただけ、といったところでしょう」


 道をふさがれたイグナーツの私兵たちは、得物を手に車から降りてきていた。

 こりゃ戦闘は避けられそうにないなぁ。


「フェル」


 カザンが車から出てきた。

 俺たちが降りたのに自分だけ乗っているわけにいかなかったのか、アンも降りてきた。


「つき合うのもここまでだ、離脱するぞ」


「は?」


「これ以上中央神殿のもめ事に関わるな。爺さんにも言われただろう」


「え、いや、でも……」


「なにを迷うことがある? 依頼でもない、家族でもない。お前が戦う必要などないだろう」


 カザンの考え方は、少し前の俺にもあったものだ。

 わざわざ面倒事に関わって、自分がリスクを負うことはない。誰が死のうと倒れようとしょせん他人。


(でも、今は少し違う)


 わずかでも言葉を交わして、その人が見えてしまうと。

 関係ないからどうなってもかまわないなんて――。


「聞いてるのか、フェル!」


 ハッと視線を上げた。


「兄さんの言ってることは分かる……けど」


 殺さなくてもいい命が消えるのを見るたび、取り返しのつかない気持ちになるんだ。なにが真実だろうと、あんな気持ち悪さは味わいたくない。 

 迷いながらも、俺は執事に向き直った。


「ふたりとも、ひとまずどっか隠れるか車の中にいろよ」


「お客さまを置いて隠れるなどできません」


「そ、そうです」


「いや、俺たちの心配なんて必要ないから……」


「そうはいきません。ここは護衛たちに任せて、私たちは身を隠しましょう」


 執事はそう言って後ろを振り向いた。誘導しようと思ったのだろうが、そのまま足を止める。

 来た道に車が見えたからだ。軽装甲の魔道車が、坂の下から何台も登ってくる。


「ノルディスクの軽装甲車です……!」


 前方には道をふさぐ兵士たち。後ろからは新たな敵。

 挟まれたみたいだな。


「フェル、行くぞ」


 カザンがイラついた声で俺の腕を掴んだ。

 このまま無理にでも連れて行こうという勢いで引かれる。ずるずると崖際まで引きずられた。


「テトラ教の内乱など放っておけ。ここから飛ぶ」


「いや待てよ、確かに内乱なんてどうでもいいけど……このまま帰れないって!」


 俺はグッとその場に踏みとどまった。


「こいつらは勝手に逃げるなり戦うなりするだろう。弱ければ死ぬ、強ければ生き残る、それだけだ」


 そうだ、この世は弱肉強食。俺だっていつもそうやって生きてきた。

 でも、本当にそうなのか?

 弱い人間に生きる価値はないのか?


「……それが、真実だとしても俺は――」


 誰に対しても強くなれないなら死ねなんて。

 俺は、もう――。


「アン! 私の後ろに下がりなさい!」


 執事の声で振り返ると、追いついてきた魔道車から次々に兵士たちが降りてくるところだった。

 ふたりを狙って走ってくる。


「兄さん、離せ!」


 握られた腕を振りほどこうと力を込めると、カザンは舌打ちして俺を離した。

 振り上げられた細身の剣が下ろされる前に、執事たちの前に飛び込む。硬化した爪で刃先を受け止めた。

 反対の爪を軽鎧の胸に突き立て絶命する体を避けると、向かってきたもうひとりの脇腹を切り裂いた。

 鋭く突き出された長槍の先端を交わし、続けざまに数人を沈める。


(なんだこいつら、弱すぎる……)


 赤ん坊と変わらないじゃないか。

 イグナーツを捕らえに来たのだろうが、魔力もほとんど感じられないただの下っ端兵士たちだ。

 くだらない、殺すまでもない。


 少し距離を取ると、後続の兵士たちの足元に氷魔法を展開した。

 膝から下を凍り付かせた兵士たちは、全員その場から動けなくなった。


「っ甘いことを……なぜ殺さない?」


 カザンが言った。


「殺意を向けられて手加減するような腑抜けに育てた覚えはないぞ!」


「言いなりになってるだけの下っ端なんて、別に殺さなくてもいいだろ」


「お前、なにを……幼い子どもにでも戻ったのか?」


 カザンは執事とアンを横目で見ると、さらに眉間のしわを深くした。


「その甘い性質を薬まで使って矯正してきたというのに……今頃なにを言い出す? これ以上他人にかまうな。情を持って関わったところで、俺たちのような存在は相手を不幸にするだけだ」


「それは兄さんの道理だろ? 俺に押し付けんな」


「誰にとってもそれが真実だ。関わるな、最終的に傷つくのはお前だ」


 カザンの忠告はどこか否定できない重さを含んでいた。

 人殺しを生業とする一家にとって、それが正しい。俺だって理解してるはずだった。


 でも家族じゃなくても、たとえ弱い存在だったとしても、執事のじいさんだって、アンだって、イグナーツだって生きてる。

 俺と同じで、きっと大事な人がいて、守りたいものがあって……

 そういうことに思い当たってしまったら、もうダメだった。


「別に感謝されたいわけでも仲良くしたいわけでもねーんだから、ほっといてくれよ!」


 言い合ってる間に、来た道からはさらに新たな車が姿を見せた。前方では兵士同士の戦闘が始まっている。


「俺がさっさと片付けて、予定通りイグナーツの屋敷に行けばいいだけだろ。なんでそこまで邪魔すんだよ?!」


「そもそも、そんな予定は俺の中にない」


「……っ分からず屋の馬鹿兄!」


「ほう、今死ぬか?」


 前方ではイグナーツの私兵たちが剣を打ち鳴らしていた。敵の数が多い。兄弟ゲンカしてる場合じゃない。

 2番目の車付近にイグナーツの姿が見えた。と思った瞬間、樹上まで昇るつむじ風が起こり、兵士が何人か吹き飛ばされていった。

 イグナーツ自身が高位祭司並の魔法を使えるらしい。この分なら俺が手を出さなくても片付くかもしれない。


 だが魔法が飛び交う戦場に、非戦闘員がいるのは自殺行為だ。

 俺は執事たちに向き直った。


「おい、空間移動用の魔道具、あるんだろ? 巻き込まれる前に使って逃げろよ」


 逃走手段があることを思い出して提案すると、アンは首を横に振った。


「だ、だめです……この魔道具で運べるのはふたりだけなんです!」


「お前とじいさんでちょうどいいだろ?」


「お客さまを置いてそんなこと――」


「俺たちは大丈夫。戦えるしここからでも飛べるし」


「アン」


 執事は進み出ると、アンに魔道具を握らせた。


「行きなさい。それを使えば屋敷に飛ぶはずだ。誰かがこの状況を伝える必要がある。先に行って、皆に伝えなさい」


「おじいちゃんは……?」


「私は残るよ。いかなる時でもイグナーツ様のお側にいたいという年寄りのわがままだ。大丈夫、すぐに後で行くから、先に行っていなさい」


「……でも」


「お前は女の子だ。少しの傷でもついたらみんなが気に病む。さあ、これも仕事だ。早く行って皆に伝えなさい」


「……おじいちゃん、絶対にあとで来てね」


「もちろんだとも」


 アンはもう一度俺を振り返った。

 うなずいてみせると深々と頭を下げた。魔道具が発動する。

 その場から、アンだけが消え失せた。


「空間移動は魔力の少ない人間にとって、核への負担が大きいものです。気を失うくらいで済めばいいのですが……」


 見送った執事が心配げに呟いた。


「まぁでも、今は行かせたほうが危なくないだろ。てか、アンタは本当に行かなくて良かったのか?」


「ええ、どうせ老い先短い命ですから、なにも惜しいことなどありません。あとでお叱りをいただくかもしれませんが……私はイグナーツ様を置いては逃げられません」


「そっか……」


「敵は見たところただの歩兵ですが、数が多すぎます……お客さまも、お逃げになるのなら今のうちに」


「いや、また向こうから新しい車来たみたいだし、年寄り置いて逃げたら俺もあとで叱られそうだから遠慮しとくよ」


「あなたにも仕える主人が?」


「まぁ、そんなとこ」


 執事を安全なところへ移動させてやりたかったが、車の中は逆に逃げ場がなくて危ない。

 崖と車の間で身を低くしているように言うと、後方の敵に向きなおった。


「フェル」


 崖のふちに立って、カザンが呼ぶ。

 最後通告のような険しさがあった。


「行かねーって言ってるだろ」


 そう吐き捨てて背を向けた瞬間。

 なんの前触れもなく、それはやってきた。

 ざわりと肌をなでる波動が、全身を飲み込む。


(――?!)


 人や魔物の持つ気配とは違う、なにかもっと巨大な――。

 エヴァの力とどこか似ていて……似ているのに、性質は真逆で。

 抗いがたい暴虐さを感じた。

 肺が潰れそうな圧迫感に耐えきれず、膝を折った。


「……な、んだ、これ……?!」


 不可視の力は、一瞬にして四肢の自由を奪っていった。

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