153 異変
イグナーツは目を閉じて祈っているように見えた。
哀悼の邪魔をしたくはないが……今は時間が惜しい。
俺は「あのさ、それで俺の聞きたいことなんだけど」と切り出した。
「その不死の実のことに関係ありそうな……国立研究所で『不死の軍』の研究に成功したって話、詳しく聞かせてくれないか」
すぐに返事をせず、イグナーツは「……なぜそれを知りたい?」と聞き返した。
「俺の大事な人に関係があって不死のことを調べてるんだ。不死の軍なんてものが本当にあるのかとか、どうやって作ったのかとか、なんでもいいから教えてくれ」
「すまないが、詳細は国家機密だ。私の口から話してやれることはなにもない」
背後からカザンの殺気が伝わってきてヒヤヒヤする。
イグナーツが教えない、話さないと続ければこの場で拷問しそうな勢いだ。そう思っていたら、イグナーツは続けて話し出した。
「正直に言えば、分からないから教えられないんだ。それはバスティンが進めている研究で、私は完全にノータッチなんだよ」
「バスティンて、強行派の司卿だな」
「ああ。そんな風に呼ばれてはいるが、私は自分を穏健派だと思ったことはない。武力が必要だと思えば行使もする。ただ神の教えに従って行動しているだけだ」
ゴンドワナの神殿が、不死の研究をしていること自体は周知の事実。
国力を上げるために有効だとする強行派と、とんでもないことだと止める穏健派が対立して、国内部は混乱していると説明された。
「不死など……神の領域を侵すような所業は信徒としてふさわしくない。生も死も、神の手にゆだねるものだ」
「……ふーん。それが穏健派の考え方か」
「そうだ。内情を知らないんだな。君はゴンドワナに住んでいるわけじゃないのか?」
「俺の出身は黙秘。で、あんたはなんで謹慎中なの? 司卿を罷免されるって本当なのか?」
「街で聞いたのか……まだ処分は決まっていない。だが時間の問題だな。バスティンの横暴が目に余って、聖下に進言したんだ。だがそのこと自体が聖下の指示だったらしく……不興をこうむったようだ」
横暴なのか、バスティンってやつは。
街の人間と言うことが違うな……どっちが本当なんだろう。
「部下のいうことに耳も貸さないとか、祭司長ってのは案外心がせまいんだなー」
「聖下は素晴らしいお方だ。だがここ最近はどうもご様子がおかしくてな」
イグナーツはそう言って、暗いため息を吐いた。
なにか考え込むような表情で視線をさまよわせたあと、首を振る。
「いや、つまらぬことを言った。不忠の身にて謹慎中なのだから、口は慎まねばな」
「俺はできれば赤裸々に語ってほしいけど」
せっかくゴンドワナの司卿と話をする機会を得たんだ。
もっと詳しいところを話してもらおうと口を開きかけたとき、扉がノックされた。
「イグナーツ様、聖下の使者が至急の謁見を求めております」
扉の向こうから聞こえる声。
さっき俺に突っかかってきた護衛っぽい兵士だな。
「分かった、通してくれ」
イグナーツは立ち上がると小箱を机の引き出しにしまいこんだ。
俺たちに向かって「すまない」と部屋の扉を示す。
「急ぎの使者のようだ。ここに通したいから、一旦別室に移動してもらえないか」
「それはかまわないけど、どうすんの?」
「どうするとは?」
「神殿からの使者なら、国立研究所のことだろ? あんたのせいにされるんじゃないの?」
騒動を起こしたのがイグナーツの元部下なら、まずその話だろう。
「ああ、おそらく君の言う通りだろう」
「研究所潰す計画なんて知らなかったんだろ? ここで謹慎してたんだし、知らない、関係ないって言えばいいよな」
中隊長たちが強硬派に寝返ったフリしたのは、イグナーツと関係ないことにしたかったからだろう。
実際戦いには加わってないんだし、知らぬ存ぜぬで通したほうが死んだヤツも浮かばれると思う。
「そうだな……だが血の気の多い者たちが、武力で不死の軍計画を潰したいと考えているのは知っていた。止められなかったのは私の責だろう」
そこで自分を責めなくてもいいと思うんだが。
「……まぁ、俺がとやかく言うことじゃないか。とりあえずまた後で話を聞かせてくれ」
そう言って部屋を出た。
先ほどの兵士が不機嫌を隠そうともしないで別室に案内してくれる。
「そこで待っていろ。妙な真似をしたらただではすまないからな」
そう言い残して勢いよく扉が閉まった。
あいつもカザンと同じで感じ悪いな。
「フェル」
「ん?」
カザンがなにか言いたげに俺を見ていた。
「なに?」
「さっき言っていた大事な人とやらが、例の異能力を持った不死の魔女か」
「ああ、うん」
「……そうか」
カザンはそれきり黙ってしまった。
あれこれ聞かれて説教されるんだろうと思っていたが、これはこれで不気味だ。
コンコンコン。
部屋の扉がノックされた。先ほどの執事とメイドがひとり、ワゴンを押して入ってくる。
「お茶をお持ちいたしました」
「あ、ありがとう。待ち時間長そう?」
「それほどかからないとは思いますが……何にせよ、お待たせすることになって申し訳ございません」
「いや大丈夫。本棚にある本は読んでもかまわないか?」
「もちろんでございます」
メイドがテーブルにお茶を並べてくれた。
ずいぶん若いな……見た目エヴァと変わらない年だ。成人してないよな。
「私の孫のアンです。イグナーツ様の身のまわりのお世話をするのに女手が必要でして、連れて参りました」
俺が見ているのが分かったのか、執事が説明してくれた。
そうか、孫か。身長もエヴァと同じくらいだなー。
なんとなく目で追っていると、メイドはどこか挙動不審になって視線をそらした。しまった、じろじろ見過ぎたか?
「ご用がございましたら、お呼びください」
執事とメイドはお茶の支度を調えると、部屋を出て行った。
いれてもらったお茶をすすりながら、ようやく座る気になったカザンに話しかける。
「イグナーツに聞いても分からないんじゃ、不死の軍のことはバスティン派の誰かに聞くしかないよな?」
「そこまでする必要はない、あとは帰って資料でも見ろ」
カザンはバッサリ答えた。
「俺が禁書庫から持ち出した資料のこと? あの1冊に詳しく書いてあるかどうかなんて分かんねーじゃん」
「それなりに重要な資料だから禁書庫にあったんだろう。とにかく話が終わったら帰るぞ。アルティマの状況は問題ないようだが、こんな場所に長く留まる意味はない」
「シュガー兄さんと連絡とったの?」
「今朝な。庭園への軽微な被害以外、特になにもないそうだ。どこに報復するかはすぐに分かるだろう」
「ばあちゃんが真っ先に飛んでいきそうだなぁ……」
誰の仕業か分からないが、喧嘩を売る相手を激しく間違えたな。
アルティマの敵襲は日常茶飯事でも、大抵は庭師とシロクロに狩られて俺たちが手を下すことなんてない。そういう意味では善戦したんだろうが、ご愁傷様だ。
「この本棚、楽しそうな本がないなー」
冊数もあまりない小さな本棚をのぞくと、ほとんどがテトラ教の本だった。
聖典が目に付いたので手を伸ばして引き出す。
パラパラめくったページに、シンプルな銀の聖杯が載っていた。
神具「縛りの聖杯」か。
確か、エヴァの村の魔女たちはこれにやられて全滅したんだっけ……
次のページには短い杖。神具「解きの聖杖」だ。
どちらにもキラキラした石がついていて、絶対神の力を帯びていると書かれている。
「ふたつの神具の所有者は祭司長、か……」
祭司長。このゴンドワナの最高権力者。
崇高な人物をイメージしてたのに、国立研究所やイグナーツの状態を見るにそうでもないみたいだ。
病気とやらで心まで病んだのかな。
しばらくの間そこで本を読みながら過ごしていたら、にわかに廊下が騒がしくなった。
勢いよく扉の閉まる音。バタバタとした足音。
誰かが怒鳴るような声も聞こえてきた。
「なにかあったのかな?」
「さあな」
「気になるんだけど」
「俺たちには関係ない」
カザンはソファーで腕を組んだまま動かない。確認に立つことすら面倒そうだ。
廊下の足音はいったん止んだが、また少しして騒がしい声が聞こえてきた。
「なぁ、やっぱりなんかあったんだって」
「なら帰るか。待つのも飽きた」
もうかれこれ30分は待ってるからな。
でも無断で帰るのは気が引ける。常識人を目指す身としては、兄のような感じ悪い行動は慎みたい。
「俺ちょっと見てくる」
妙な真似はするなと言われたが、部屋から出るなとは言われてない。
ドアを開けて廊下をのぞいた。
神殿からの使者だろう。祭司っぽい男とイグナーツの私兵がもめている。
「ではあくまでも出頭しないと言われるのか!」
「くどいぞ! 話は終わりだ、バスティンの犬は帰れ!!」
「この、無礼な……! 私は聖下の命を受けて来たのですよ?!」
先ほどのメイドが近くにいたので、ちょいちょいと後ろから肩をつつく。
「なあ」
「っはい!」
必要以上に驚かれたが、気にせずに尋ねる。
「なんかあったのか?」
「そ、その、イグナーツ様に即時出頭命令が出たようで……」
「あー……そんでイグナーツが拒否ったから、あそこにいる使いのにーちゃんがキレてると」
「は、はい」
出頭命令か、まぁそうなるんだろうな。
連れて行かれたら罷免よりもひどいことになりそうだ。下手したら反逆罪……あれ? この状況は強硬派にとって都合良すぎないか?
大義名分の元に、イグナーツの処刑でもなんでもできそうだ。
例の血の気の多い兵士が、使者を突き飛ばした。
「イグナーツ様は時が来たらご自身の足で聖下の元に向かわれると仰った! 今はお前たちに従う気はない!」
「帰られよ!」
他の兵士たちも集まってきて、ちょっとした乱闘に発展しそうな勢いだ。
使者は悔しそうな表情にふと笑いを混ぜた。
「……後悔されるといい」
悪役っぽいセリフを残すと、使者はおとなしく帰っていった。
残っていた兵士たちは、すぐにバタバタと動き始める。
どこかに行こうとするメイドを引き留めると、これからなにをするのか尋ねた。
「移動の準備です」
それだけ言うと、メイドは頭を下げて走って行った。




