152 穏健派の長
年のわりに背筋の伸びた男は、丁寧に礼をして言った。
「私はホムンワイス家の執事でございます」
えらそうな名前だな。
カザンは現れた老人を一瞥すると呟いた。
「イグナーツの家名だ」
「ああ」
なるほど。いや、なんでだ。
「突然お呼び止めしてしまい申し訳ございません。実はお伝えしたいことがあって参りました」
「俺宛?」
「はい。主人からの言伝でございます。もしあなた様が黒い翼をお持ちでしたら、ぜひお礼をしたいと申しております」
俺が反応するより先に、カザンの気配が変わった。
軽く手をやって殺気だった兄を制すると、「今、黒い翼って言った?」と聞き返した。
目の前の男はどう見てもただのじいさんだ。害意はなさそうだし、即座に消す選択はアウトだろう。
「はい。事情があって主人は部屋から出られないため、ご足労願えないかとのことです。いかがでしょうか」
「礼をされる覚えはないけど、俺のことみたいだから行くよ」
「ありがとうございます。ではこちらへどうぞ」
歩き出した執事についていこうとして、カザンに小突かれる。
「どういうことだ? なぜイグナーツが変形のお前を知っている?」
「あー……たぶん、見られたんじゃないかな。ほら、家出したときゴンドワナに行ったから」
「この馬鹿が……よりにもよってゴンドワナの司卿に……」
カザンは鋭い目で「全員消すが最善か」と不穏なことを呟いた。
うちの家族は過保護の方向性が物騒すぎると思う。
「俺、ウィングと違ってそう簡単に誘拐されたりしないよ」
「……爺さんがゴンドワナ行きを許可したから、そうだろうと思ってはいたが……聞いたんだな」
「うん、母さんや姉さんだけじゃなく、カザン兄さんまで俺を過保護に育ててたとは知らなかった」
わざと嫌がりそうな皮肉を言うと、カザンはチッと舌打ちした。
みんなで俺がウィングと同じ目に遭うんじゃないかと心配してたなんて、本人からすると馬鹿馬鹿しいとすら思える話なんだよな、実際。
「……お前は似すぎてるからな、あいつに」
「知らねーって。似てようが別人だろ。俺は大丈夫だよ、一緒にすんな」
「その危機意識の低さが一番の問題だ。家出のときのことは後でちゃんと説明してもらうぞ」
お小言を食らいながらホテルに入り、階段を上って3階まで進んだ。
向かう途中、ところどころに立っている兵士らしき男が目に付いた。イグナーツはここで謹慎中らしいから、護衛というよりは監視か。
「こちらです」
奥まった部屋の扉を開けて、執事が中に入るよう促す。
濃茶のカーペットに一歩踏み込むと、VIPが泊まる部屋の造りだと分かった。謹慎にしてはいい待遇と錯覚しそうだが、要は体のいい軟禁だな。
カザンに近い高身長の男が、大きなソファーから立ち上がった。
年の頃は40代後半といったところ。短く切りそろえた金髪に碧眼。がっしりとした体つきから、祭司と言うよりは兵士を思わせた。
「全知全能の神よ。今日の良き出会いを与えてくださいましたことを、感謝いたします」
胸に手をあててテトラ教の挨拶を口にすると、男はその手を差しだした。
「来てくれてありがとう、黒い翼の少年よ。イグナーツ・ホムンワイスだ」
剣ダコのある大きな手。
少し迷ってから握手を交わす。
「どうも。ええと……悪いけど、俺は事情があって名乗れないんだ」
後ろでにらんでるカザンがいるからな。
「いや、かまわない。急に呼び立ててしまってすまなかった。ずっと君に礼を言いたかったものだから」
精悍な顔立ちに笑顔を浮かべると、イグナーツは言った。
すごく感じのいいオッサンだなぁ。
「神の思し召しだな、こんなところで会えるとは思っていなかった。あのときは部下たちを救ってくれて、本当にありがとう」
「あー、大体予想はつくけど、あのときっていつの話?」
「1ヶ月ほど前にピゲール村でアサンドラを倒してくれたろう? 中隊長以外は新兵ばかりの隊だったから、君がいなければ私が着く前に何人か死んでいたかもしれない。私を含め隊員一同、心から感謝している」
顔を覚えていたわけじゃないが、なんとなく思い出した。
「あ、分かった。あんた、最後に追っかけてきた人だよな?」
確か最後の最後に、ひとりだけ雰囲気の違った兵士がいた気がした。
イグナーツは笑ってうなずいた。
「そうだ、呼び止めたんだが君は飛んで行ってしまった。あのときは驚いたよ。人間に翼が生えるとは考えもしなかった」
「あー……」
エヴァを見られるのが嫌だったし急いでいたから、自分の翼のことなんて後回しだったんだよな。
「よく俺の顔まで覚えてたなぁ」
「目がいいものでね。君はなんというか、その、特徴的だし……しかし黒い翼とは、クラミツハのようだな。生まれつきそうなのか?」
度々言われることだが、6大神の闇の神の名だ。
テトラ教が6大神へ向ける信仰は強くないから、オマケのような神だと認識している。
「まあね、でもあんたらが信仰する神とはなんの関係もない人間だよ」
「――おい、お前」
控えていた兵士のひとりが、たまりかねたように横から声を上げた。
皮の軽鎧にグレザリオのマーク。下にいた銀鎧の見張りたちとは違うみたいだけど……イグナーツの私兵だろうか。なんか怒ってるな。
「言葉遣いを改めろ、無礼だぞ!」
「はあ?」
「イグナーツ様に向かってその口のきき方はなんだ! もっと礼を尽くして――」
イグナーツは、俺に突っかかってきた兵士を手を上げて止めた。
「やめろ、彼らは私の客人だ。それに信者でもないのに司卿を敬う必要はない。少し出ていてくれないか」
「しかし――」
「問題ない、外で控えていてくれ。なにかあれば呼ぶ」
「……かしこまりました」
兵士はカザンを気にしながらも、しぶしぶ出て行った。
俺と違って体格良すぎる上に危険人物っぽい雰囲気マシマシだしなぁ。警戒されて当然だ。
「すまなかったな。良かったら少しかけて話さないか」
お茶の入ったテーブルを指して、イグナーツは言った。
おとなしく座ると、カザンは俺の後ろに立った。
「兄さんも座れば?」
「俺はここでいい」
馴れ合う気など微塵もないと言いたげな声だ。
感じ悪いなー。
「あー……ごめん。これ俺の兄なんだけど、空気だと思ってくれるとありがたい」
3人分のお茶を前にそう言うと、イグナーツは微妙な顔で「そうか。では申し訳ないがそうさせていただこう」と納得してくれた。
「改めて、君には感謝している。今は少し事情があって私も自由が利かない身だが、なにか望みや欲しいものがあれば教えてくれないか。礼をしたいんだ」
「礼なんていらないよ。金には困ってないし」
「だが……」
「でもせっかくだから、ちょっと教えて欲しいことがある」
「ほう?」
「これを預けた人が、あんたなら俺の質問に答えてくれるって言ったんだ」
俺は上着のポケットから小箱を取り出すと、イグナーツに手渡した。
小箱を見てなにかは分からなかったらしい。開けて木の実を見た瞬間、表情が凍った。
「これは、誰から……」
「悪いけど名前聞けなかったんだ。そこに遺品のピアスが入ってるだろ? 見覚えない?」
「……ある。中隊長だった、男のものだ」
「あんたに渡してくれって頼まれた。ちゃんと渡したからな」
「待ってくれ、遺品……? 彼は、まさか死んだのか……?!」
「ああ」
イグナーツは唇を噛んで押し黙った。
ピアスを見つめたまま、「なぜ……」と呟く。
「あんたの部下か?」
「ああ……正確に言えば、1週間前まで部下だった男だ」
「1週間前?」
「私の部隊から抜けて、バスティンの私兵になったんだ……忠誠心の強い男で、長い間よく支えてもらった」
祭司長からあからさまに疎んじられるようになると、イグナーツの元を去る人間が出てきたらしい。
俺に小箱を託した中隊長も、例外ではなかった。
中隊長は「自分にも部下にも生活があります。このまま穏健派に留まっても未来はありません」と言って、イグナーツの元を去ったそうだ。
イグナーツは中隊長を引き留めなかった。
信じがたい思いもあったが、「部下の生活を守る責任がある」と言われて納得してしまったと言った。
小隊を2つ引き連れて、中隊長はバスティン側に移った。
その後すぐの反乱だったようだ。
最初から、強硬派内部に打撃を与えるつもりだったのだろう。
「私の元を離れたいというのは、やはり嘘だったんだな……これを手に入れたところで死んでどうする。元も子もないじゃないか」
「……それ、一体なんなんだ?」
「おそらく『人工不死の実』の完成形だ」
「人工、不死の実……?」
「神の領域を侵す、あってはならないものだ……バスティンが所長を務める国立研究所で作られていて、今まであまりうまくいってなかったのだが……ひとつだけ、完成形ができたと聞いている」
不死の実。どこかで聞いたような。
確かなにかの本に書いてあった。神話の産物だよな。
「中隊長は……これを盗み出したことで、殺されたのか……?」
イグナーツの問いに、俺は首を横に振った。
「いや、手に入れた経緯は知らない。俺は研究所の戦闘で、たまたま会って看取っただけだ」
「研究所の、戦闘?」
「ああ」
「どういうことだ?」
俺は研究所で見た反乱らしき戦闘のことを説明した。
あそこにいた研究員たちを殺したのは、ほとんどが侵入者……ようするに、イグナーツのところを抜けた中隊長とその仲間たちだろう。
最後に研究所の建物を破壊したのはじいちゃんだけど。
部下が全滅しただろう話を聞き終わると、イグナーツは蒼白の表情で「なんてことだ……」と呟いた。
「彼らは、神の領域を守るために……研究所を潰すために、私の元を抜けたというのか……?」
「……最後に言ってたよ。『お側にいられず申し訳ない』って。あんたの役に立ちたかったんだろうな」
苦しげに眉を寄せると、イグナーツは小箱を握りしめた。
その様子を見ながら、あいつ馬鹿だな、と思った。
穏健派のいう「神の領域」がどれほど大事だか、部外者の俺には分からない。
でも、どんな理由があるにせよ、残された人間には残酷だ。
そんなに忠誠心が強かったのなら、ずっと側で支えてやれば良かったのに。
(……ひとつひとつが、重いんだな)
人の命は軽いと思っていた。
弱いから殺される。
弱いから悪い。
殺されたくなければ、強くなればいい。
その真理の中で育ってきた。
でもきっと、どんなにあがいても、殺されないくらい強くなれる人間なんて一握りなんだ。
傷つくのはみんな同じでも。
望んだからって、全員が強くなれるわけじゃない。
なら、強者は弱者を傷つけてもいいなんてのは、ただの傲慢なんじゃないか。
うなだれるイグナーツを見て、そう思った。
うん、この一話だけ名前変え損ねてた……(こっそり修正)




