151 仮設の住人
どのくらいウトウトしていただろう。
窓の外で夜が明けて、街が動き出す気配がした。
道を走る魔道車のエンジン音。行き交う人の話し声。
「出るぞフェル、起きろ」
カザンに小突かれ起き上がると、時刻は午前8時を回っていた。
「お前……そのだらしない見た目を直していけ」
「……?」
トントン、と指で首を叩かれて壁の鏡を見たら、頬や首筋に化粧らしき紅色が残っていた。完全防御は失敗したな……百戦錬磨のお姉様方が怖い。
「うぇ……なんだこれ全然落ちないぞ。全部兄さんのせいだ」
「聞き込みに協力してやったんだ。感謝されても文句を言われる筋合いはない」
置いてあったタオルでゴシゴシこすりながら、恨めしげに兄をにらんだ。
こんなんつけて帰ったらどんな目で見られるか……今ばかりはエヴァがいなくて本当に良かった。
外へ出ると曇り空に雪がちらついていた。
石畳の続く道には思ったよりも人が多い。都会でもなく、田舎でもない街並み。
無機質な科学国の建物とはまったく違う。クラシカルな整然さは、アルティマの屋敷に似たとんがり屋根のせいだろう。
ひとまず穏健派の司卿、イグナーツがいるホテルを目指して異国の街を歩く。
途中、やけに簡素な建物が目に付いた。
平屋で隣同士がくっついた、簡易住宅のような。
かなりの数、同じ建物があるようだ。人がまばらに行き来して暮らしているのが見える。
「あの建物、大雪降ったら重みで潰れそうだよなー」
カザンは俺の視線の先を見て「まあそうだろう、仮設の建物だからな」と言った。
「仮設って、あ……」
そうか、あれが毒で逃げてきた被災者の仮住まいか。
住むとこ追われてあんなところにずっと住んでるのか……世の中には色んな人間がいるなぁ。
「少し見てみるか」
気になることでもあるのか、カザンはそのエリアに足を踏み入れた。
大通りからたった2本道路を挟んだだけなのに、このあたりは妙に静かだ。
玄関先で立ち話をしている人たちの他は、みんな家の中にいるようだった。
「いつまで続くのか……」
通りすがりに聞こえた声。
ふたりの老人が眉間にしわをよせて話している。
「昨日はB棟の番だったそうだ」
「前回よりまとまった人数が出ていったって話だな」
「ああ、働けない年寄りが後回しにされるのは仕方ないが……早く順番がこないもんか」
順番ってなんだろう。
話の中身と老人たちの様子が気にかかった。
「深刻そうだが、なにかあったのか?」
カザンが男たちに話しかけた。
いきなりデカい男に話しかけられて、ふたりはギョッとしたようだ。
「……よその人か?」
「ああ、旅行中なんだ。なにか困りごとか? 力仕事なら手を貸せるが」
よく言うよ。ボランティア精神なんて毛の先ほども持ち合わせてないくせに。
呆れる俺とは反対に、気遣ってもらえたと思った老人たちは笑顔になった。
「ありがとう。なに、大した話じゃない。順番待ちの愚痴さ」
「働き口や住居を斡旋してもらうのに、どうしても若い人からになるからね」
「年寄りはいつここを出て行けることやら」
「まぁ要するに、うらやましいって話さ」
カザンは「そうか、大変だな。ここは住みにくいのか?」と尋ねた。
老人ふたりは「ああ」とうなずいた。
「それでも生きていけるだけマシさ」
「最低限の衣食住は面倒みてもらえるし、贅沢言っちゃいけないとは思うんだが」
「住み慣れた場所に帰れないのなら、せめて落ち着いた生活がしたいよ」
「バスティン様には感謝しているがね」
老人たちの言うことは、女たちから聞いた話とほとんど同じだった。
新しい生活を送るため、ここを出て行った人間がたくさんいると――。
「あまり観光しがいのない街だが、楽しんでいきなさい」
そう言うと、老人ふたりは笑顔で見送ってくれた。
こんな場所で大変な暮らしをしているはずなのに……人はどんなときでも親切に感謝したり、笑ったりできるんだな。
俺がまだ行ったことのない場所にも、大勢ああいう人間が住んでるんだろうか。
「気配からざっと数えてみたが――」
仮設の家を抜けて、元の通りに戻ったところでカザンが言った。
「住人は70人ほどだったな」
「え、そんなに少ないんだ。あの姉さんたちは200人くらい残ってるって言ってたけど」
「人の話などアテにならないものだ」
となりを歩きながら、なにか考えた風のカザンの横顔を見上げる。
俺は気になったことを聞いてみた。
「カザン兄さんは、ここがなにか引っかかるのか?」
「……爺さんに、内乱を調べてこいと言われたからな」
わざわざ住人に話しかけにいったことといい、カザンは気になることがあるようだ。
「お前も毒で汚染された街に行っただろう」
「ああ」
「俺はあそこに3日いた。爺さんからはシアン系の毒だと聞いていたが……少なくとも俺がいた場所で毒の気配はなかった。4年経って分解されたんじゃないのか」
「え? じゃあもうあの街に毒はないってこと?」
「おそらくな」
それなのになぜ、いまだに仮設の家に住んでいる人がいるんだろう。
荒れたゴーストタウンとはいえ、毒の影響がなくなったのなら、住み慣れた家に帰りたい人間だっているはずだ。
「毒が消えたことに、国も気付いてないとか……?」
気付いているのなら、知らない街に転出させるのは不自然だ。住人にとっても国にとっても、そんなことをするメリットが分からない。
「考えにくいな。分かっていて住人に知らせていない可能性のほうが高い」
「……なんのために?」
「さあな、妙な話だ」
毒の街は、内乱となにか関係があるのだろうか……
その疑問に今すぐ答えを出すのはむずかしかった。
しばらく歩いて、俺たちはイグナーツが宿泊しているというホテルの前までやってきた。
街で見た中では一番大きく、6階建てで教会が併設している。
建て構えも濃茶を基調とした石造りで高級感があった。
フロントで試しに面会を申し込んでみたが、当たり前のように断られた。
そりゃお偉いさんがアポもとってない人間にホイホイ会うわけないよなぁ。
「さて、どうやって会うか……」
小箱を渡さなきゃいけないし、話も聞きたいし。
ひとまずホテルの構造を確認するために周囲を歩くことにした。
春がくれば芝生広場になるだろう、ホテル裏の雪原。薄く積もった雪の上に足跡をつけていく。
窓からコンニチハってのは避けたいが、ここからなら侵入するのは簡単そうだ。イグナーツはどの部屋にいるんだろう。
「できればイグナーツ本人から内乱の話を聞きたいところだが、素性は詮索されたくないな」
カザンがさも面倒そうに呟いた。
「だよなー」
アルティマの人間だとバレれば、じいちゃんに「暗殺者として心構えがなっとらん」と怒られるに違いない。
「お前は結局、爺さんに隠して持ってきたその小箱を渡せば気がすむんだろう? 長居は無用だな」
昨日の夜の会話を聞かれていたらしく、カザンには小箱のことがバレてしまっていた。
「いや、不死の軍の話も聞きたいんだって。むしろそっちがメインなんだって」
「面倒な」
チッと舌打ちすると、カザンはなにかに気づいたように視線を上げた。
「おい」
「ん?」
「3階、左から2番目の窓だ」
俺は言われた窓を横目で見上げた。
ブラインドを開けて、窓際に立つ人物がいる。
「……?」
体格のいい男だ。明らかにこちらを見ている。
「まさかとは思うが、知り合いか?」
同じく男を横目で見ながら、カザンが言った。
ガラス向こうの顔はよく見えないが、この土地の人間と知り合った覚えはない。
だが小箱を託された男にはピゲール村で会っているし、同じ場所に他にも人がいたんだから、俺を覚えてるヤツがまだいるかもしれないよな。
「ぱっと見、記憶にはないなー」
「見覚えがないのなら、なんなんだあれは」
カザンがそう言ったときには、もうブラインドが下げられていた。
「あ、いなくなった」
「お前を見ていたのは間違いない。面倒なことじゃないだろうな」
「俺なんにもしてねーって」
裏庭に変な二人組がいるな、くらいに思われたのかもしれない。
その考えは、わりとすぐに否定された。
「――失礼ですが、少々よろしいでしょうか」
振り向いた先には、礼装の老人がいた。




