150 ノルディスクの街
国立研究所から走ること30分。
首都ラムハーンに隣り合ったノルディスクは、鋼業の街として知られていた。
採掘工たちが滞在する街でもあって、メイン通りには24時間営業の店も多い。
テトラ教は馬鹿騒ぎを禁じているものの、酒そのものは禁忌でないため、酒をメインに看板をかかげている店も多かった。
俺とカザンは人の集まりそうな大衆酒場に入って、夜明けを待つことにした。
夜中の2時を回った頃だというのに、店内はにぎやかだ。
人の話し声と、食器の鳴る音。酒と煙の臭い。
男たちの少しイントネーションの違う言葉も、地味な服装も、メニューの料理名も。なにもかもが珍しかった。
「ご注文のラガンベふたつね」
どかん、と目の前にジョッキが置かれる。濃い緑色の液体が揺れた。
この辺りの特産らしいが、鼻を近づけただけでキツい酒だと分かる。
嗅ぎ慣れない香りに顔をしかめると、前に座るカザンが言った。
「お子様はジュースのほうが良かったろう」
「誰がお子様だ。名物だって書いてあるから頼んだのに……うぇ、俺この変な酸味無理。残り兄さん飲んで」
「頼んだものは自分で飲め」
「本気で嫌だ……鼻つまんで一気していい?」
「好きにしろ。アルコールの毒性など、どのみち無意味だろう」
酒もジュースも俺にとってはほとんど変わりがない飲み物だ。
アルコールの毒性なんて、どれだけ摂取しても効かない。だからこそ、飲み物は味で選びたいのに。
はずれのメニューを引いた気分で飲み干し、口直しに料理へ手を伸ばした。
良かった、こっちの唐揚げはいける。
「これなんの肉だろ、ゴンドワナの肉うまいな」
「科学国で培養された人工肉は味気ないからな」
思えばお守り役としてつけられた兄と外食、という不思議な図だ。
ふたりでこんな店に入ることも滅多にない。
カザンは忍者装束が目立ちすぎるので、覆面を取ってローブを着ていた。
それでもカタギじゃない感がにじみ出ているし、俺は見た目飲酒する年齢じゃないし、はっきり言ってこのテーブルは浮いている。
まぁ出来上がってる人間ばかりだから、大して気に留められないだろうが……
姉さんしかり、うちの家族は見た目が潜入捜査にまったく向かないと思う。
「……神の領域が……」
「それでイグナーツ様が……」
重なる話し声に混ざって、気になる名前が聞こえてきた。
少し離れたテーブルに座る、5人の男たち。体格からして肉体労働系だろう。
俺はカザンのほうを向いたまま、聞き耳を立てた。
「それじゃ、聖下は本当にイグナーツ様を罷免される気なのか?」
「謹慎ももう2週間だろう? このままお役御免てうわさだ」
「バスティン様の影響下にある、このノルディスクで謹慎とは……聖下も分かりやすいことをされる」
俺が会わなくてはいけない人物が話題のようだ。
話の内容は途中からだったが、イグナーツという穏健派の長がなにかやらかしてクビになりそう、ということは分かった。
「穏健派はこれで終わりだな……」
「バスティン様と対立した以上、未来はなかったってことだ」
「結局、神の領域にこだわりすぎたのがいけなかったな」
話題は別のことに変わって、男たちはまた楽しそうに馬鹿笑いをはじめる。
もうちょっと聞きたかったなぁ。
「……バスティンは強行派の司卿だ。内乱の話だな」
カザンが呟いた。
皿に載っていた固い豆を咀嚼しながら「神の領域ってなんだ?」と聞き返す。
「魔法行使の制限に関わるルールだったはずだ」
「あ、あれかな。生命を人の手で創り出したり操作したりするなってヤツ」
「ああ、確かそれだ」
テトラ教に関する資料は一通り読んだはずなのに、興味がなさ過ぎてあまり覚えてない。もう少し勉強しとくんだった。
「こんばんはぁ」
周囲の会話に耳をそばだて食事を続けていたら、テーブルのとなりに立った若い女が3人、声をかけてきた。
「お兄さん、見ない顔ね。新しく入った採掘の人?」
「やだ、いい男じゃない」
「こっちは弟さん?」
笑顔を振りまく女たちは、品定めするような目でカザンを見ている。
姉さんに負けず劣らず、首から胸にかけて露出の多い服だ。銀のグレザリオが揺れていることから、テトラ教徒なのは間違いないみたいだが……
「え、ちょっと。この子すっごい美形じゃない?」
俺の顔をのぞき込んだ女が、となりの女をバシバシ叩いた。
こういうテンション、苦手なんだよなぁ……
「ウソかわいい! 超好みなんだけど」
「お兄さんも素敵だけど、君もよくイケメンって言われるでしょ?」
「うん、言われる」
素っ気なく返すと女たちは「きゃあ」と黄色い声をあげた。
「謙遜しないところがますますかわいい!」
「こんな時間にこんなとこに来て、いけない子ね」
「私たち今日はお客がなくてヒマなのよ。良かったら少し遊んでかない?」
目線で階段の上を指して、女は俺の腕を取った。
あー、そういう系の職業の人たちか……
だがなにかがおかしい。エヴァの話だと、テトラ教徒ってのはつつましやかで異性同士が手をつなぐのも破廉恥行為だったはずだ。
「今からなら格安料金」
「ね、どう?」
「……こういうのって、敬虔なテトラ教徒的にはアウトなんじゃないの?」
素朴な疑問で尋ねてみると、女たちは顔を見合わせてから声をあげて笑った。
「やだ、うちのおばあちゃんみたいなこと言って」
「ノルディスクはこれも商売として認められてるのよ。合法合法」
マジか。
エヴァの認識ってもしかしてウン十年前で止まってる?
俺はその事実にややショックを受けながらも納得した。
「ねぇ、行こうよ。上でも飲み食いできるし」
「サービスするから」
「ええと、悪いけど……」
「――いくらだ」
やんわり断ろうとしたら、向かいからカザンが衝撃の一言を発した。
俺が硬直している横で、女が片手をパーの形にして「これでどう?」と振ってみせる。
「いいだろう」
「誰がいい?」
「3人ともだ」
「ちょ、カザン兄さん」
なに言ってんだコイツ。
俺の動揺をよそに、兄はさっさと立って階段を上っていく。
その横と後ろから女ふたりがきゃあきゃあついていった。
「ぼくもいらっしゃい」
ひとり残っていた女に引っ張られて、俺も引きずられるように階段を上った。
冗談だろ?
「兄さん! ちょっと待て――」
「フェル、そこの椅子を持ってこい」
追いついて止めようとしたら、カザンはあごで廊下に置いてあった椅子を指した。
「はあ?」
「早くしろ」
仕方なくそこにあった椅子をふたつ両脇に抱えて、奥の部屋に入った兄のあとを追う。
パチリと灯りが点いた。
装飾らしい物はなにもなく、隅に粗末なベッドとベンチがあるだけの部屋――。
ベンチの前に椅子を置くと、カザンは「お前たちはそこに座れ」と言った。
女たちは顔を見合わせて、それでも言われたとおり椅子とベンチに腰かけた。
「金はこれでいいか」
カザンが女のひとりに現金を渡す。
女は札を数えながら目を輝かせた。
「多いくらいよ、ありがとう」
「俺たちのことは普通に客を取ったことにしておけ」
女から視線を外すと、カザンは俺に向かって言った。
「少し休む。俺には話しかけるな」
「え」
「聞きたいことを聞いたら追い出せ。化粧臭くて気分が悪い」
それだけ言うと、カザンは奥のベッドに転がって背を向けた。
……その態度で気分が悪くなったのはこの人たちじゃ……3日間ろくに寝てないみたいだから無理もないが。
(そうか、焦った)
話を聞くために連れてきたんだよな。
危うく兄の貞操観念について盛大な誤解をするところだった。
女たちはみんな微妙な顔をしていた。状況が飲み込めていないらしい。
「えーっと……そういうわけで、少し俺の話につき合ってくれるとうれしいんだけど……」
ベンチの空いたスペースに腰かけて、おそるおそる切り出す。女たちはガタガタと椅子を鳴らして距離を詰めてきた。
「なんでも聞いて」
「むしろなんでもしてあげる」
「本当に綺麗な顔ねぇ。うらやましいわぁ」
近い近い近い。
今ドキのテトラ教女子、怖い。
同じ日陰商売同士、この人たちの職業を悪く言うつもりはないが。
獲物を狩る目で近付いて来る子は遠慮したい。
俺は髪が白くて目が赤い、ちょっとしたことで赤くなってうろたえるくらいの子がいいんだ。
(エヴァ、ちゃんと寝てるかな……)
アルティマは心配ないだろうが、思い出す度に気になる。
はぁ、とひとつため息をついた。早く全部終わらせて帰りたい。
絡みついてくる腕を押し戻すと、俺は聞きたかったことをひとつずつ質問していった。
まず、穏健派と強行派の対立について。
「昔から仲は悪かったけど、ここ半年くらいで悪化したのよねぇ」
「そうそう、聖下が病気になったあたりからよ」
「聖下がバスティン様をあからさまに支持し始めたのも、そのくらいよね」
「そいつ、強行派の司卿だっけ? 嫌われもんなの?」
「まさか。ノルディスクはバスティン様後援の街よ」
「とても立派な方よ。鋼業を支援くださってるし、居住区の隅に被災者たちの仮住まいも与えてくださってるの」
「まぁあれは、うちらにとってはどうでもいいけどね」
3人はバスティンに対して好意的のようだ。
「被災者って?」
「ほら、2年くらい前に研究所の事故で毒の流出があったじゃない。あれで逃げてきた人たちよ」
「当時は1000人くらいいたわよねぇ」
「被災した街は穏健派が多かったから、ここは住みづらかったと思うわよ」
「そうね、いくらバスティン様が助けてくださったと言ってもね」
「だからかみんな出て行っちゃって、今ではだいぶ減ったわ」
路頭に迷うところだった被災者たちを、ノルディスクが全面的に受け入れて救済したらしい。少しずつあちこちに転出していって、今では200人くらいが残っているだけという。
強行派というから、司卿は過激でヤな感じの人間かと勝手に思っていたが。
福祉にも力を入れてるとは、意外だったな。
「あ、そういえば、これがなにか分かるか?」
例の小箱を懐から出すと、3人の前で開けて見せた。
ワクワクする顔が、木の実を確認した瞬間に曇る。
「なぁに? 宝石かと思ったわ」
「変な実じゃない。がっかりー」
「これがなんなの?」
それぞれに感想を述べる。
「いや、ちょっと預かり物で。分からないならいいんだ」
返答は予想通りだったので、小箱は元通りしまった。
ゴンドワナで当たり前に見られるものではないってことだな……うっすらと嫌いじゃない魔力の匂いがするから、魔道具なんだろうけど。
それとなく尋ねた研究所襲撃の件も、3人は知らないようだった。
それからイグナーツについて、もう少しくわしい話を聞いた。
謹慎しているホテルの場所。
イグナーツの兵が、バスティン側に寝返った話とか。
祭司長が「派閥争いはよくないから、司卿はひとりだけでいい」なんて言い出したこととか。
「一箇所に権力持たせたらそれこそよくないだろう。頭大丈夫なのか祭司長」
「そういうことは思っても口にしないのよ」
「侮辱罪で連れてかれるわよ?」
政治や街の様子なんかについても女たちはよく知っていた。
おかげで今のゴンドワナに関して色々情報を得ることができた。
一通り聞きたいことは聞けたので、礼を言って「もう帰っていいよ」と解散宣言したが、女たちはなかなか出て行かない。
「えー、夜はまだまだこれからなのにー」
「もうちょっといいじゃない」
「話が終わりなら別の部屋に……」
「行かない! おつかれ!」
なんとなく危機を感じて、最終的に部屋から押し出した。
これがテトラ教の現状だって知ったら、エヴァはどう思うだろう。
ベッドに転がるカザンの睡眠を邪魔しないように、俺も固い木のベンチに座って足を投げ出した。
ひとつ息をついて、自分の魔力の状態を確認する。
(移動や戦闘で多少消費したが……疲労を感じるほどじゃない)
魔力持ちは息をするにも魔力を使う。
どの程度を消費するかは人によって違っていて、魔力量が多いヤツは生命維持に使う量も多くなる。
普通なら睡眠を取ったり食べたりすることで回復するが、今の俺は減っていく一方だ。これは使い魔システムの一番不便なところだよなぁ。
今のところ、体内の魔力はまだ十分ある。
なにもしなければ、しばらくは供給しなくても問題なさそうだ。
(あー、でもエヴァに会いたいなあ)
それほど離れていないのに、無性にそんな気持ちになる。
もう、本当に早く終わらせて帰ろう。
体力と魔力を温存するために、俺も少しだけ眠ることにした。
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