015 身代わりの仕事
早朝。リアムが起き出す気配を感じて、俺も目を開けた。
はじめての場所で眠れるかどうか疑問だったが、思いがけず気持ち良く寝てしまった。3日間座ったままで寝ていたのも地味にこたえていたのかもしれない。
俺は自分の無防備さに呆れながら体を起こした。
「あっ、ごめん、起こしちゃった? まだ寝てていいよ」
着替えようとしていたリアムが、俺に気付いて気遣う言葉を口にする。
「……リアムは? まだ薄暗いけど、畑に出るのか?」
「家畜の世話があるんだ。そんなにかからないからルシファーは寝てて」
「いや、俺も行きたい」
「……なんとなく、そう言うんじゃないかと思ったけど」
リアムが笑って許可してくれたので、俺も布団から出て側に置いておいたシャツを取りあげた。
「ルシファーさ、寝るときいつも上半身何も着ないの?」
「え? ああ……クセなんだ。子供の頃からの」
小さい頃はよく寝ながらにして翼を出してしまうことがあった。
そのたびに上に着ているものが破けたり伸びたりするので、そのうちに着なくなってしまったのだ。
「そのシャツさ、破けてるのかと思ったら綺麗に縫われてるんだ? 元々そういう面白いデザインだったんだね」
「あー……うん」
翼を出す仕様の俺専用シャツだとは、説明しづらい。俺は言葉を濁した。
外に出るとひんやりとした空気に、白い息がもれた。
「今日は冷えるなー。ルシファー、よく寒くないね。そんな薄いシャツだけで」
「俺生まれつき寒さには強いんだ」
「ぼくはどちらかと言うと、暑いのに強いらしいよ。魔力の特性が火に偏ってるらしくて。でも力が弱すぎるから、かまどの火をつけるくらいにしか役に立たないんだけどね」
ははは、と笑ったリアムは、厩舎らしきところの板戸のかんぬきを外して、中をのぞき込んだ。
角のない大きいヤギが一頭。ニワトリが数羽、座り込んでいた藁の上から立ち上がって、辺りをウロウロし出す。
農作業もそうだが、俺は家畜の世話もしたことがない。
そう言うと「何か飼ったことないの?」とすごく意外そうに聞かれた。
「ペットはいるけど……2匹ほど」
「へえ、犬? 猫?」
「……犬、と……鳥、かな」
正確にいうのなら、牙雷獣と飛竜だけどな。
ばあちゃんと契約を交わした真っ黒いワイバーンのクロと、母さんの使い魔である牙雷獣のシロを思い出す。
2匹とも無断でアルティマ国内に入り込む人間を始末するのが仕事だから……たぶん、ペットとか呼べるようなものじゃないんだろうけど。
「犬いいね。ぼくも犬好きなんだ。かわいいよね」
うちの犬は人と雷と魔力を喰う、体長15メートルの化け犬だけどな。
ちなみにクロはもっとデカい。
「うん、俺が小さい頃からいるから、2匹ともかわいいよ」
「分かる。ぼくもこいつを飼って5年になるけど、かわいいもん」
メスヤギの頭を撫でながら、リアムが言った。
あちこちに文化の違いを感じるな。
お互いに正直な話をしたらカルチャーショックを受けるのは、明らかにリアムのほうだろうが。
水を換えて、敷きワラを掃除して、エサをやって。
ついでにニワトリの卵をとって、ヤギのミルクを絞ったところで、朝の作業が終わった。
これ毎日やるんだよな? こんな早朝から働き過ぎじゃないか。
地味だけれど面倒な作業を手際よくこなすリアムを見て、俺は素直に感心した。
家に戻って朝食の支度をしようとお湯を沸かす。
かまどにじかに置かれたケトルが沸騰したところで、ドンドン、と玄関の木戸を叩く音が響いた。
「お客か?」
「さあ……? 誰だろう、こんな朝早くに」
そう言ってリアムが「はーい」と木戸を横に引き開けた。
「ごきげんよう、リアム」
途中まで開いた木戸がバシンと押し開けられる。大きな体がリアムを押しのけて家に入ってきた。
俺はわずかに眉をひそめて、現れた大男を眺めた。
白い祭司服を灰色の腰紐でしめているが、聖職者と呼ぶには人相が悪すぎる。
胸元に揺れる、頂点が6つある星のマーク。
銀色の光を放つ、グレザリオだ。
「ザワードさん……どうしたんですか? こんな早く……」
「なに、ちょっと君に相談があってね」
そこまで言ってちらりとこちらを見た大男は、明らかに意図的に俺を無視してリアムに向き直った。
「貸した麦はあまり実らなかったと聞いたが、野菜はどうだね? 売れているかい?」
「麦はダメでしたけど、野菜はなんとか……今年は例年通りで、少しずつ市場には出せています」
「そうか、それじゃ貸した麦代の残り、今日払ってもらいたいんだがね」
「え?」
リアムから困惑した空気が伝わってきた。
「そ、そんなの無理に決まってます。あの麦代は、1年以内に採れた野菜や売ったお金で少しずつ返していけばいいってことで、お借りしたんじゃないですか」
「そうだったかい? 私がいつそんなことを? 覚えがないね……」
「いえ、本当にあなたが」
「まあそんなことはどうでもいい。今は少しまとまった金が入り用なんだ。急で悪いんだが、みんなのところを回っている最中なんだよ。君だけじゃない」
意地の悪い笑みを浮かべた大男は、白く長い袖を持ち上げて顎をひとなでした。
教会関係者とみて間違いないはずなのに、やっていることは悪徳金融の借金取りだ。
俺はリアムと大男のやり取りを黙って観察していた。
「まあ、でも無理は言いたくないからね。私の仕事をひとつ手伝ってくれたら、残りの麦代をなかったことにしてもいいんだが……」
「えっ? 本当ですか?」
「ああ、難しい仕事じゃないから君にも出来るよ。ある荷物を取りに行って欲しいんだ。行くところは少々危険な場所ではあるんだが、大勢で行くし、魔物除けの札は持たせるし、悪い話じゃないよ」
「その荷物を取りに行く仕事って……具体的にはどんな内容なんですか?」
リアムが話に食いついてきたのを確認した大男は、にやりと口端をあげた。
「コングール山の、とある洞穴に大事なものを置いてあってね。それを、私の仲間たちと取りに行って欲しい。目的のものを持って帰ってきてくれたら、麦代はなかったことにして……そうだね、それと、冬野菜の種を少し分けてあげよう」
「種を? いいんですか??」
「ああ、ただし仕事はきっちり頼むよ」
後ろでこの詐欺まがいの会話を聞いていた俺は、何だかきな臭い気配を感じた。
コングール山はキエルゴと同じで魔物がうじゃうじゃいるだろう。かまどに火を付けるくらいしかできないリアムが、そこに行くこと自体間違ってる。
「うまくいけば2日以内くらいには帰れるからね」
「え、日数がかかりますか?」
「その日中に帰ってこられる可能性もあるが、少し探さなきゃいけないから時間はかかるかもしれないな」
「家畜の世話があるので……1日以上家を空けるわけには」
「そこにもうひとりいるじゃないか。誰だか知らんが、彼に世話を頼めばいいだろう?」
そこではじめて俺に向き直ると、大男は言った。
リアムは即座に首を横に振って「彼は旅人ですから、そんなことを頼むわけにはいきません」と断った。
面白くなさそうな顔で、大男はリアムに向かって分厚い手のひらを差し出す。
「では、行かずともよいから、麦代を払ってもらおうか」
「それは……」
「リアム」
俺は立ち上がると、リアムのとなりに立って大男を見上げた。
話は大体分かった。
「いいよ、俺がやってやるよ」
「えっ? な、何言ってるのさ、君をこれ以上足止めするのは悪いよ……帰るのが遅くなれば家族が心配するよ? それにさっき、家畜の世話は自分には向かないってこぼしてたじゃないか」
ニワトリに頭に飛びかかられた時には確かにそう思ったけどな。
「でもリアム、困ってるんだろ?」
「う……でもダメだよ。君に関係のないことで迷惑はかけられない」
首を縦に振らないリアムは、自分が困っているのに本気で俺のことを優先しているように見えた。
使えるものは使えって、親から教わらなかったんだろうか。
「大丈夫だよ、俺家畜の世話はやらないから」
「え?」
「その代わり、その荷物を取りに行くって仕事、やってやるよ」
「え?!」
「……ほう?」
大男が顎をなでながら俺をジロジロ見下ろしてきた。
「まあ、君でもかまわないよ? 人数が必要だっただけだから」
「じゃあ、そういうことで」
「ルシファー!」
あわてているリアムはそっちのけで、俺は勝手に了承した。
「俺が仕事終わらせたら、リアムの借りてる金はちゃんとナシにしてやってよ」
確認のためにそう言った俺に、大男は楽しそうに笑って頷いた。
「もちろんだとも」
暗殺でないお仕事に出かけることになりました。




