146 資料棟
男から意味不明な木の実入り小箱を受け取ったあと。
研究所の敷地内を一回りしてみると、あちこちで戦闘に出くわした。
夜襲とはいえ、ここの研究員たちは魔法が使える。ほとんどが剣士らしい侵入者側は苦戦しているようだ。
小箱を託した男の仲間だと思うと、侵入者側は積極的に殺したくなかった。
迷った末、戦いに集中しているターゲットを影から狙い、仕留めて逃亡する、を繰り返すことにした。
(宿舎付近が一番騒がしいな。じいちゃんとカザンは建物内か……)
3人目のターゲットを狩ると、見える範囲に標的はいなくなった。
カザンには先に戻れと言われたが、もちろん従う気はない。俺はそのまま資料棟に向かった。
入口では建物に入ろうとする侵入者と、それを止めようとする研究員たちの間で魔法合戦が繰り広げられている。
上から進入できるかもしれない。翼を広げると5階部分の屋上に飛んだ。
屋上にふたり、下の連中を攻撃している研究員たちがいた。
こちらに気づかないのをいいことに、こっそり背後から建物内に侵入する。
「うわ、広いな……」
ひとつの階が、俺の部屋の5倍はありそうな資料庫だ。
膨大な資料を前に途方に暮れた。
科学国の検索システムのようなものがあるはずだ。廊下を歩いて回ると、部屋の扉に『管理室』の札を見つけた。
古そうな扉に手をかける。鍵はかかっておらず、簡単に開いた。
部屋の真ん中に、なぜか白い小さな池があった。
「……?」
よく見れば池じゃない。水を張った装飾の美しい器に、頭ほどもある水晶球が浮いている。
近付くと水晶球は薄く発光した。
『――なにをお探しですか?』
直接頭に響く声が聞こえてくる。
こいつが魔法国の検索システムなのか……?
「不死の軍の資料を探してるんだ」
『そちらは管理者以上の権限がないと、閲覧が不可能な資料です。他になにをお探しですか?』
「じゃあ、不老不死について」
『そちらは管理者以上の権限がないと、閲覧が不可能な資料です。他になにをお探しですか?』
「……機械と変わんねーなぁ……」
このままではラチが明かないが、膨大な資料を片っ端から探すわけにもいかない。少し考えて、次のキーワードを口にした。
「白銀の巫女の資料を探してる」
『「白銀の巫女」は、資料の8割が閲覧不可能です。研究員の権限で、一部の資料の閲覧が可能です』
「閲覧可能なものの、場所を教えてくれ」
ブウゥン、と振動音が鳴り、水晶球の上に館内の画像が映し出される。
『お探しの「白銀の巫女」に関する資料は、4階東フロア、A28にあります』
画像の一点が、赤く表示される。
「分かった。あと、閲覧不可能な資料っていうのは、どこに保管されてるんだ?」
『重要文書、機密文書などの資料は、すべて5階の禁書庫に納められています。閲覧には管理者以上の権限が必要です』
「禁書庫……」
不死と関係がなくても入ってみたい響きだな。
ひとまず、4階の東フロアに研究員なら誰でも読めるらしい「白銀の巫女」の資料を取りに行くことにした。足早に階段を下りる。
たどり着いた資料棚には『3つの神具と神宝』と書かれていた。
「白銀、白銀……どれだよ」
どれも背表紙で区別がつかない。
神具じゃないから神宝なんだろうという予想だけで、当該の棚を漁る。
上から順に何冊も表紙をめくり、白銀の巫女の項目が少しでも載っているページに目を走らせた。
「アルビノの単純個体との識別? くだらねぇなぁ……」
黒色色素のないアルビノの血液や体の一部を使って、薬を生成する方法などが記されている。
他にも儀式に使用する際の注意事項やら。取扱い説明書やら。
読んでいて気分が悪くなった。
「じいちゃんの言うとおり、全部灰になっちまえ」
資料をすべて床に投げ出し、俺は5階に戻った。
単なる神話ではなく、不死は実在する。テトラ教はその確信があったのだろう。
おそらく、白銀の巫女が不死だと気づいていたんじゃないか。だから、不死の軍なんて発想が出てきたんじゃないか?
俺はそう考えていた。だが白銀の巫女の資料に、不死のことは載っていなかった。
やはり禁書庫を探るしかないか。
(テトラ教がもし、エヴァを今も追ってるのだとしたら……)
アクセラレータのことも含め、どこまでエヴァの能力を把握しているのか突き止めたい。
それはエヴァの安全のために必要な確認だった。
少し見回せば、水晶球に尋ねなくても禁書庫の位置は分かった。
フロアの一角に、厳重にロックされた魔力認証システムがある。父さんのように拳で壊そうとしても弾かれてしまった。物理攻撃はダメだな……
俺は水晶球のところに戻った。
「おい、お前がこの資料棟の管理者で間違いないか?」
水晶球はほわっと発光すると答えた。
『いいえ、私は管理者ではありません。管理者に従う魔道具です』
「じゃあ禁書庫の魔力認証とお前は関係ないのか?」
『資料棟すべての認証システムは、私が統一管理しています。なにをお探しですか?』
「探しものは、閲覧不可能なところにあって困ってる」
『管理者以上の権限をお持ちの方と同伴で、禁書庫に入ることが可能です。なにをお探し――』
最後まで聞かずに、手を伸ばすと水晶球を掴んだ。
ビリッと妙な痺れが指先から駆け上がる。
「お前が壊れたら、認証システムもなくなるよな?」
『アラート10により、警戒警報を発令します。この警報は、脅威が取りのぞかれるまで続きます』
けたたましい高周波が、水晶球から発せられた。
魔力をこめて力任せに握りつぶすと、水晶球は砕け散った。
頭の中に鳴り響く不快な警報音は、止まらない。
「うるせえ……!」
耳を塞いでも無駄だ。
頭蓋を直接叩くような甲高い音が鳴り続ける。
禁書庫に走って、ガラス張りの認証システムに側の椅子を投げつけた。
割れたガラスの音よりも、頭に響く高周波がうるさい。
床に散乱したガラス片の上を走り、禁書庫の扉を開ける。二重ロックされている二番目の扉は、錠前を爪で切り裂いた。
禁書庫に入ると勝手に灯りが点いた。
古くさい紙とインクの臭い。変色した紙の束。鍵のかかった分厚い本が無造作に積まれた机。
閉じ込められた空気は淀んでいて、なんともいえない不快な感じがした。
手早く棚を確認して回って『不老不死』の背表紙を発見する。
「え、ありすぎだろ……」
分厚い大判の資料が、ゆうに30冊以上はあった。
中身は実験記録のようなものがほとんどだ。ということは一番最後のナンバリングが最新か。引き出して表紙をめくると、1ページ目に研究棟で見た魔法陣が描かれていた。
「これが一番有用ってことで、いいよな?」
それだけ抱えて禁書庫を出た。
少し歩いたところで、向かってくる人の気配を感じた。
「あそこに誰かいるぞ!」
「貴様、どこから入った?!」
階段から下りてくるのは、さきほど屋上にいた研究員たちだった。
「見つかっちまったか……」
この薄暗さでは俺の顔まで確認できないだろう。殺さずに逃げるなら今のうちだ。
走り出そうとしたところで、足元に激震が走った。
(なんの揺れだ?)
はるか下から爆発音が聞こえてくる。慣れた魔力の気配を感じた。
「そうか、じいちゃんが火焔玉を使ったんだ……」
ターゲットを狩るのが終わって、建物の破壊に移ったようだ。
資料棟全体が揺さぶられる衝撃に耐えきれず、研究員ふたりは階段から転がり落ちた。
俺はその隙に、手近な窓に体ごと突っ込んで外に飛び出た。
ここは5階。同じ5階建ての宿舎との境だ。
眼下ではまだ戦いの真っ最中。資料棟の足元には燃えさかる炎が見えた。
ガラスを突き破って出たことで、その場の大勢が俺を見上げる。
「あ、やべ……」
月明かりを背負って、どの程度まで俺の姿が確認できるか分からない。
だがこの翼は誤魔化しようがないだろう。
かなりの人数に見られた。じいちゃんに怒られる。
(全員殺す――?)
その選択肢が頭をよぎった。
何人いるだろう。地面に見える生存者は少なくない数だ。
それでも今の俺の氷魔法なら一掃できる。
(……んんんん……)
「やっぱり嫌だ」
ばあちゃんや姉さんじゃあるまいし、無差別大量虐殺とかガラじゃない。
あの中にターゲットがいないのなら尚更だ。
一瞬悩んだだけで結論は出た。最速でその場から逃げ出すことにした。
何人生き残るか知らないが、俺のことは錯覚だとでも思ってくれ。
そこからはカザンに言われたとおり、研究所を離れた。
父さんが待機している場所まで一飛びで戻る。広域遮蔽魔法の領域内から出れば、うそのように音は消えてなくなった。
あの耳障りな高周波も収まってホッとする。
「父さん――」
意外にも父さんはおとなしく同じ場所で待っていた。誰も出てきてないのか。
降りてきた俺を見上げて、うれしそうに腕を伸ばしてくる。
「フェル! 帰ったか!!」
「ストップ! ハグ禁止!!」
両手を広げた父さんから、全力で空に逃げ返った。
タッチアンドゴーかよ。
「はははは、そんなところに逃げても無駄だぞ、俺なら一跳びで届く高さだ」
「冗談じゃないって! 止めてくれる人間もいないんだから、マジでやめてくれ!」
「分かった分かった、降りてこい」
あの水晶球のせいで、まだ耳鳴りがする。
痛む頭にうんざりしながら地面に降りた。
「親父殿たちはまだ中か?」
「うん、俺だけ先に戻れって」
「そうか、じゃあ父さんと留守番だな……おっと」
「どうしたの?」
「アルティマから通信だ。俺宛てに珍しいな……あーあー、クレフティヒだ。そちらさんは?」
『……父さん?! 僕に決まってるじゃないか!』
「僕、なんてヤツは知らないなあ。合い言葉は?」
『合い言葉なんて決めてないだろ! そこに兄さんたちは? いないの?!』
「耳元で叫ぶなよ、声の大きいヤツだなぁ」
「父さんには言われたくないと思うよ……」
シュルガットからの連絡だということは分かった。
だがどうして一番話の通じない父さんに?
『じいちゃんも兄さんも、フェルも繋がらないんだ!』
「え?」
もれ聞いた言葉で、思わず耳に手をやる。
試しに通信機の座標をアルティマに合わせようとしたら、ノイズが走ってつながらない。
耳から通信機を引き抜く。
「くそっ……あの水晶球の仕業か。父さん、シュガー兄さんに言って。通信機壊れたみたい」
「なに? 親父殿たちのもか?」
「ああ、たぶん」
水晶球の高周波には、こういう作用があったのか。
懐に入れていた映像記録具も起動しなくなっていた。手持ちの道具は全部ダメだな。
「フェル、お前に代われだそうだ」
父さんが自分の耳から抜いた通信機を俺に渡す。
受け取って「代わったよ」と応答すると、シュルガットが『遅い!』と叫んだ。
『そっちは終わったのか?』
「まだ終わってない。資料棟も火ぃついたし、もうじきだと思うけど。なに? なんか急ぎの用?」
シュルガットがどもらず饒舌なのは、あまりいい傾向じゃない。
『少しまずいことになってる』
「うん、なにが?」
『科学国の方角……おそらくローラシアから、攻撃を受けてる』
「……は?」
想定外な説明に、俺はその場で固まった。




