144 命の軽い場所
ローラシアからの依頼は、ターゲット19名を始末し、不死の軍に関する資料を持ち帰ること。
ついでに研究施設を使えなくすること、だった。
殺された研究員たちの中にターゲットを3名確認できたが、今は深夜。残りは宿舎に戻って休んでいるはずだ。
今出てきた研究棟から少し離れた先には、実験棟、資料棟、宿舎が見える。
「やはりのぅ……」
隣接する3棟すべてを見下ろせる山肌から、じいちゃんが呟いた。
一度研究所の敷地内から出て、計画の練り直し中だ。
「こりゃ予定外じゃわい」
残る3棟に、現在進行形で大規模な遮蔽魔法が展開されているのは確認できた。
目には見えない壁だが、注視すれば魔力や音が遮断されていることが分かる。
おそらく、少し前まで研究棟もその範囲内だったのだろう。
外から見える静かな景色も、目くらましの可能性が高い。
一歩踏み込めばそこは敵だらけということも考えられる。
計画を立て直すため、じいちゃんとカザンは立体地図を見ていた。
ふたりとも、この事態は想定していなかったようだ。
「まだ戦闘中の可能性があるな。好都合とみるか、厄介になったとみるか……」
カザンが言った。
ここは山間にあって住宅街からは距離があるものの、派手な戦闘をするわけにはいかない。だからターゲットを全部始末するまでは、できる限り静かに動く予定だった。
「人との対面は最小限に抑え、ターゲットだけ消していく、というのはもう不可能じゃな」
遮蔽魔法の中では、どれだけ暴れても外部に音はもれない。
それ自体は俺たちにとっても好都合。だが寝ていて無防備だったはずのターゲットは、完全に戦闘態勢でいるだろう。
侵入者と出くわせば、そちらも始末する必要がある。
「あーあ、省エネモードで資料探ってターゲットだけ始末して、さっさと帰る予定だったのに……」
俺がぼやくとじいちゃんは「予定は未定じゃ」と答えた。
「目的は分からんが、横から仕事を邪魔されるのはいただけんのう」
「どうすんの? 突っ込む?」
父さんを指して言うと、じいちゃんとカザンはあからさまに嫌な顔をした。
「無論だ! 突っ込もう!」
「クレフは黙っとれ」
父さんを一喝すると、じいちゃんは宿舎の地図を指で示した。
「これが夜襲だとすれば、中の混乱ぶりは予想できる。そこに乗じて殲滅じゃな」
「夜襲が成功するのを見守るって方法は?」
もう誰だか分からない奴らに研究員の虐殺だけ任せて、あとでターゲット死亡だけ確認すりゃいいんじゃ。
そう言うと、じいちゃんは首を横に振った。
「暗殺者として、人任せに狩りを見守るなどあり得ん」
「なんの責任感だよ……」
「職業ポリシーじゃ。研究棟の資料を荒らされた件も気にくわん。侵入者側の目的が資料の奪取ならば、生きて研究所から出すな」
「ええ? 面倒くせえ……資料のひとつやふたつ盗まれたっていいじゃんか、じいちゃんの欲しかったファイルは手に入れたんだろ?」
「それとこれとは話が別じゃ。すべて灰にするという契約なんじゃ」
「ランゴールがそうしてくれって?」
尋ねると、じいちゃんはわずかに黙った。
「……また二手に分かれるぞ。カザン、お前はフェルと実験棟へ行け。上の階から確認してこい」
進入方向を指示すると、じいちゃんは宿舎を指さした。
俺の質問には答える気がないらしい。
「出会った敵は確実に消してから宿舎へ来い。わしは先に行く」
「資料棟はどうするんだよ?」
「ターゲットをすべて始末したのち、わしが燃やす。トルコから火焔玉を預かっとる」
宿舎ならともかく、資料棟を燃やしてしまっていいんだろうか。
ローラシアに渡さなきゃいけない資料って、本当はそっちにあるんじゃないのか?
話を終わらせようとするじいちゃんを止めた。
「マジで資料棟燃やしちまうの? ローラシアに渡す研究資料、本当にあれだけでいいのか?」
正直なところを言えば、俺だって調べたいことがあるのに早々に燃やすのは勘弁してほしい。
「いいんじゃ」
「なんかずいぶんと適当だなー」
「資料という名の体裁が整えばよい。ここの研究は科学国に渡ってもほとんど害にしかならん。すべて灰にしてやるのが世のため人のためじゃ」
「世のため人のためねぇ……」
ものすごく嘘くせぇ。
物騒な国家機密レベルの研究内容をローラシアに渡すと、アルティマ的にも困る、ってことなんだろうか。
ただ――。
「国立研究所は、今日で店終いじゃ」
いつもより容赦のない、じいちゃんの横顔が気にかかった。
「わしが先に入る。カザンとフェルは後から続け。クレフ」
「おおよ!」
「お前はここで留守番じゃ。待機せよ」
「なに?! それはひどくないか!」
「お前はここから下を見て、逃走するヤツがいたら始末するんじゃ」
「それだけか?」
「それだけじゃ」
うなだれる父さんを置いて、じいちゃんはひとり遮蔽魔法の中に入っていった。
ついてこられたら邪魔、ってことかな……
じいちゃんの姿が消えるのを確認してから、俺とカザンも移動することにした。
「じゃあ父さん、行ってくるから」
「俺は暴れたりないぞ……」
「まぁ……監視も大事っていうか。仕方ないよ」
父さんには悪いが、打ち合わせ通り、俺とカザンも行動を開始した。
広域遮蔽魔法の中に足を踏み入れた瞬間、怒号が聞こえてくる。
続いて剣を交える音。爆発音。
建物のすぐ向こう側に、魔力のぶつかり合いを感じて足を止めた。
魔物と人の争いじゃない。人が人を殺すために争う音だ。
そこではじめて、俺は人間同士が大勢で戦う場に出くわしたことがないことに気づいた。
これは、あまり気持ちの良いもんじゃないな。
「派手にやっているな」
音のするほうを向いてカザンが言った。
「行くぞ」
物陰を伝いながら移動する兄を追って、実験棟に近付く。
じいちゃんと同じ風属性のカザンは浮遊魔法が得意だ。
「上るぞ」
重さを感じさせず宙に浮き上がると、カザンは建物の屋上部分に姿を消した。俺は脚力だけで壁のパイプを伝い、後を追う。
屋上には誰もいなかった。出入口はひとつ。
カザンは躊躇せずに扉を破壊すると、中に飛び込んだ。
階段を駆け下りて、2階。
壁に隠れて交戦中の研究員らしき男が3名見えた。そのうちのひとりが、こちらに気づいて声を上げる。
「おい! 新手が……!」
言い終わらないうちに、その首が飛んだ。
残るふたりも訳が分からないうちに、カザンの刀に斬り捨てられて、床に倒れる。
「顔と名札を確認しておけ」
ひとりがターゲットだった。カザンは小ぶりの刀を振って血を払うと、壁を回ろうとしてもう一度身を引いた。
目の前の廊下を赤黒い炎が通過していくのをやり過ごす。
「何人?」
「見えた限りでは、5人だな」
たった今、カザンが仕留めた男たちは研究所の人間だろう。
だとすれば、今の火焔を放ったのが侵入者か。
「研究員も侵入者もない。邪魔するヤツはすべて仕留めて下に降りる」
「了解、炎系の魔法使いは俺が」
俺たちが誰だか分かっちゃいないだろうが、攻撃してくるのなら排除するまで。
目で合図を交わすと同時に廊下へ跳び出た。ふたたび襲いかかってきた火焔は完全な戦闘魔法。容赦ない火力で人を焼き尽くすものだ。
「でも残念、相性最悪だな」
正面から氷魔法をぶつけて、相殺する。
一瞬にしてかき消えた炎の向こうに剣を持った男がふたり。それに丸腰の魔法使いが3人。
銀色の軽鎧は神官兵のようだ。どこかで見たことがある気がした。
(何者なんだ?)
侵入者の正体が分からない。
正面の炎使いが何事か叫んだ。俺目掛けて弾丸のような火のボールが放たれる。
交わすまでもない、手のひらを伸ばして受け止めた。
握りつぶすのと同時に、横から風の刃が飛んでくる。すべて交わすと最初の標的を定めた。
全員凍らせてしまえば早いが、魔力は温存したい。
一足で敵の正面に飛び込む。沈み込んで振り上げた爪先でひとりの首と胴を切り離し、反応が遅れたふたり目ものどを切り裂いた。
3人目に向き直った瞬間、その胸から長い刃先が飛び出した。
後ろに跳んで血しぶきを避ける。
背後から急所を貫いた刀が引かれると、男が崩れ落ちた。
「――下に降りるぞ」
俺の返事を待たずに、カザンは階段に向かう。
当然、倒れた5人の中にターゲットはいなかった。
ここで出会わなければ殺す必要もなかったと思い当たって、じくりと、胸に気持ち悪さが広がった。
殺らなければ殺られる命の軽い場所で、なぜ俺は立ち止まっているんだろう。
(……これが必要悪?)
ふいになにかを笑いたくなった。
こいつらにどんな人生があったかなんて、考えなかった頃に戻りたい。
そんなことを思ってしまうのは、きっとエヴァのせいだ。
「感情って、面倒くせぇな……」
吐き気に似たなにかを噛み殺して、階段を下りた。
――1階。
分かれた部屋はなく、だだっ広い物置場のようだ。
試薬の臭いもキツイことから、実験場なのだろうと察する。
戦闘の跡があったものの、誰もいない。
「やはりほとんどが宿舎にいるようだな……俺たちも爺さんのところに向かうぞ」
「外にもそれなりにいるみたいだけど」
「そっちは後だ。逃げ出せば父さんが狩るだろう。爺さんもあれで一応年寄りだ、援護がいる」
じいちゃんの心配なんて全く必要ないと思うけど。
そう思いつつも正面から外に出た。玄関前の広場は街灯が倒れているせいで暗い。
右方向から複数の足音が向かってくるのが聞こえた。
「カザン兄さん、先にじいちゃんのところに行ってくれ。俺は来たやつらを片付けてから追うよ」
敵が何人いようと、ふたりしてじいちゃんの援護に向かう必要はないだろう。
俺は侵入者をもう少し観察して、あわよくば資料棟をのぞいて……
「……大丈夫なのか?」
カザンは目を細めると、尋ねた。
「は?」
「すべて、迷いなく殺せるのか?」
弱くなった、と言われたことを思い出す。
俺がまた、前のときのようにターゲットを殺せなくなるのでは、と考えているようだ。
「一応自分の意思で来たんだし、迷惑はかけないよ」
「……なら好きにしろ。だがお前は追って来なくていい。外の奴らを片付けたら戻って父さんを見張れ」
「父さんを見張るのか? 逃走する奴らじゃなくて?」
「両方だ」
「あー、分かった」
そのほうが資料棟に入る時間ができて、俺としても好都合だ。
了承するとカザンは暗闇に溶けた。ほとんど同時に、複数の男たちが姿を現す。
全員剣を握っていることから侵入者のほうだと区別がついた。銀色の軽鎧に刻まれたグレザリオ。神官兵なのか……?
その姿は、やはりどこかで見たことがある気がした。
「いたぞ!!」
叫んだ声に振り向くと、反対方向から別の一団が現れた。
ボウガンを手にした男が6名。後ろにいるのは魔法使いだろう。身なりでここの研究員たちだと分かる。
中にひとり高位祭司らしき人物がいた。あれはターゲットだな。
(挟まれた。どうするか……)
距離は侵入者のほうが近い。
こちらから片付けるか、と向き直ろうとしたところで、先頭の男と目が合った。
「君は……」
男の顔に動揺が走った。




