143 潜入決行
研究所の正門にはじいちゃんとカザンが向かっている。
俺と父さんは、警備兵が守る裏門のすぐ側にまで近づいていた。
午前0時ぴったりだ。
無言で時計を見せた次の瞬間、飛び出した父さんが警備兵を地面にねじ伏せていた。今の俺が目で追うのも難しい疾さに内心呆れる。
「相変わらず化け物だなぁ……」
父さんは生来の運動神経と五感の鋭さが人並外れている。
母さんと結婚してからは更に、ばあちゃんに魔改造されてきた肉体だ。生身のスペックでは人類最強だと思う。
ちなみに兄弟の中でもっともその体質を受け継いでいるのが俺だ。
だが性格は似ていない。断じて。
「フェル、来い」
父さんが手を上げて俺を呼んだ。
科学国と違って監視カメラのようなものはないが、代わるシステムは魔法国にもある。今頃じいちゃんたちが警備室を制圧しているだろうが……一応周囲を警戒しながら門前に出て行った。
「これを見てみろ」
地面にのびた男は、すでに事切れていた。
だがおかしい。父さんは絞め落としたように見えたのに、その背中には小型のハンターナイフが突き立っている。
「……死んでた?」
「魔法で生きているように見せかけて立たされていたんだな。どうりで生気のないヤツだと思った」
父さんが指した門横の小扉は、わずかに開いていた。
俺たちの前に誰かが侵入したということか。
「まぁ誰がいようがすべて始末すればいい話だ! 行くぞフェル!」
「いや、とりあえずじいちゃんたちに連絡をとっ……」
止める間もなく、父さんは門を跳び越え、建物の入口に向かってしまった。
予定ではこの警備兵を拘束して、魔力認証システムを解除するはずだったのに。
「父さんっ、予定と違うだろ!」
すぐに後を追うと、先に警備室が制圧できたか確認しようと提案した。
生きた関係者がいなければ入口は開かない。一度じいちゃんたちに知らせたほうがいい。
「まどろっこしいことを言うな。親父殿とカザンだぞ、制圧などとうに終わってるに決まってる。俺たちは俺たちで進むまでだ」
「進むって、どうやってここ開けるつもりだよ?」
聞く前から嫌な予感はしていた。
そして予想通り、父さんは目の前の分厚い特殊ガラスに拳を打ち込んだ。
ミシミシッと亀裂が入った透明な板は、土砂降りの雨のような破壊音とともに、すべて砕け散ると地面に落ちた。
ためらいがなさすぎて、いっそ清々しい。
「開けるのは簡単だ!」
「じいちゃんがなるべく隠密にって言ってなかったか……」
いや、はじめる前から無駄だと分かっていた。
この父と一緒で、隠密行動なんてできるわけがない。
「はぁ……もう仕方ないからさっさと全部済まそう」
「おおよ!」
「声大きいって」
今の音でも誰かが確認に来る気配はない。
風通しの良くなった入口をくぐった。目の前の防火扉を押し開け、進む。
最低限の灯りが点けられた1階の廊下は薄暗く、まっすぐに建物の奥まで続いている。ところどころに分岐した廊下が見えた。
そして、今度は俺にも分かった。
「……焦げ臭いな……魔法か」
鼻をつく刺激臭と、慣れた血の臭いだ。
「やはり大量に死んでいるようだな」
先に侵入した何者かの仕業か。
ポツポツと廊下に落ちる、大きな麻袋……ではなく、人間だったもの。
一番近い死体に近付いて確認してみる。
背中の傷は大型の刃物によるものだ。すぐとなりの死体は焼け焦げていた。
「研究員の祭司たちだよな。殺されてから時間が経ってないみたいだ」
「犯人はまだ建物内にいるかもしれんな。よく分からんが、出会ったらまとめて始末しよう」
「よく分からないうちから始末しちゃダメだろ」
ここは国の最高機関のひとつだ。
侵入して研究員を殺害するリスクは、個人には負えないだろう。
組織がらみのなにかだとして……少なくとも誰が、何の目的でしたのか、確認しないと。
『――フェル、聞こえるか』
片耳に仕込んだ通信機に、カザンの声が聞こえてくる。
「カザン兄さん、そっちは?」
『警備室だ』
警備室は正門の正面玄関をくぐって、すぐ右側の部屋だ。
廊下の奥に目をこらして、大体の位置を把握する。
『制圧するまでもなく3人死んでいる。先客がいるようだな』
「こっちもだよ」
『お前、警備室のモニタを動かせるか? 爺さんが映像記録を見たいそうだ』
「俺があれこれ試すより、シュガー兄さんに聞いた方が早いと思うよ」
『そうか……だが先客が誰かも分からないこの状況だ。どう動くかも決めたいからひとまずこっちに……』
「兄さん」
『なんだ』
「父さんが行っちゃった」
近くの部屋を開けて確認していると思ったら、少し目を離した隙に階段を上っていってしまったらしい。
『あの、馬鹿親父が……』
「もう言っても仕方ないから、俺と父さんで3階まで見てくるよ」
『分かった。様子だけ探ったら戻ってこい』
「様子見だけですむかな……」
『……敵がいても全員殺させるな。なにがあったのか分からなくなる』
「最善を尽くすけど、期待しないで」
通信を一旦切ると、廊下の途中に見える階段に足をかけた。おそらくここを上っていっただろう父のあとを追う。
本当に、なんて世話の焼ける親なんだ……
2階にたどり着いて、周囲の気配を窺う。
静かだ。人の放つ魔力を探知しても、誰も見つけられなかった。無人……いや、生存者はいないということか。
父さんはどこにいても存在がデカすぎて、視覚的に丸分かりなんだが。
「父さん、先に行くなよ。カザン兄さんが怒ってるぞ」
廊下の真ん中に立つ父に走り寄ると、小声で伝えた。
「うーむ、戦闘の跡がこの辺りから激しくなってるな」
父さんの言うとおり、2階からは明らかな戦闘の名残が見てとれた。
割れたガラス、照明。倒れた扉。壁に走る斬撃の痕……複数人で争ったのは一目瞭然だった。
天井の血しぶきから落ちた血だまりは、まだ固まっていない。
本当につい今しがた、ここで殺し合いがあったということだ。
倒れている死体に近付いて仰向けに転がす。
研究員じゃない。銀の軽鎧……神殿の兵士か?
「分かったぞ!」
唐突に父さんが叫んだ。
「え? なにが?」
「皆殺しにしたい奴らが俺たちの他にもいるなんて、こいつらよほど恨みを買っていたんだな!」
うん、期待はしてなかった。
「恨みがあるかどうかは今重要じゃないけど、ターゲットとの照合は必要だよな」
この死体すべて、ネームプレートや顔からリストと照らし合わせなくてはならないだろう。
手間が増えたのか、省けたのか分からないが……これだけの祭司たちを倒したのなら、相手もかなりの手練れだということだ。油断はできない。
ひとまず2階の人間すべてが死んでいることを確認してから、父さんと3階へ向かった。
廊下の様子は2階と同じような状況だった。不死に関わる研究をしていたのは、3B6の部屋だと聞いている。
昼間に確認した建物内の地図を思い出し、その部屋を探した。
「ここだ」
本当なら魔力認証が必要なはずの部屋の扉は半分開いていて、死体の足が挟まっていた。
少しずらして扉を開けると、中に入る。部屋の灯りは消えていた。
床の中心にはひときわ目立つ大きな魔法陣が描かれていた。
窓から差し込む月明かりに照らされて、薄明るく発光している。
壁一面に並んだガラス張りのケース。
中にはどす黒い液体の入ったタンクや、ばあちゃんがよく使っている魔法素材のようなものが見える。
そして書棚に入っていただろう資料は、そのほとんどが床に投げられていた。なにを探していたのか分からないが、部屋はすでに荒らされたあとだった。
「フェル、これはなにに使うヤツだ?」
父さんが床の魔法陣を足で指した。
「分からない……ここに生成の方式が入ってるから、合成かな……すっげぇ複雑」
ローガン先生なら解読できそうだが、俺の知識では無理だ。
なにを優先したらいいか考えて、胸の内ポケットから小さなカプセルを取り出した。
上のボタンを押すと、黒いカプセルから羽根が飛び出す。小さい羽音を立てて手のひらから飛び立った。
浮遊する虫型ドローンを見ながら、耳に仕込んだ通信機の座標を切り替える。
「シュガー兄さん、聞こえる?」
『――フェルか。ま、まさか、もう終わった、のか? 早すぎ、ないか?』
すぐにアルティマにいるシュルガットが応答した。
「終わったっていうか、まだなんにもしてないっていうか……ちょっと予定が狂って。カザン兄さんから連絡ない?」
『来てない、ぞ』
「じゃあこれからあるかも。今ベルゼブブを飛ばしたんだ。ターゲットの死亡照合と資料捜索、頼めないか?」
『ま、待ってろ。切り替える……接続いいぞ……それで、ここは、どこだ?』
「例の研究室、3B6の部屋」
先客のことをふくめ、ここに来てからのことを簡単に話した。ついでにベルゼブブが入れるように、各部屋の扉を開け放っていることも説明する。
ターゲットの照合は遠隔でもできるから、そっちはシュルガットに任せよう。
俺たちは先客が誰なのかを調べる必要がある。
『例の、研究資料は、床のこれか?』
「そうみたいだな。棚のファイルは全部落ちてる。重要資料は残ってないかも」
『青い表紙に、黒い鳥が書かれた、薄いファイル……机の端に、ないか?」
「机の端?」
妙に的確な指示をもらって確認すると、机の横に落ちている青いファイルを見つけた。
表紙には黒い鳥のマーク。
「これかな?」
『ああ、たぶん……じいちゃんが、それだけ回収すれば、いいって、言ってた』
「は? たったこれだけ?」
『ああ』
中身を見てもよく分からないが、本当にこれっぽっちでいいのか。
国家予算分の報酬もらってるのに、ローラシアに文句言われそうだ。
『今、回収用ドローンを、そっちに回す。机の上に置いておけ』
「分かった。じゃあ俺らは先客が誰かを確認しにいくよ。まだどっかにいる可能性も十分あるから」
『そう、だな』
「じいちゃんたちと合流するから、いったん切るよ」
『分かった』
通信が切れた。
父さんを促して、ひとまず1階に降りることにする。
「しかしこれだけの戦闘があって、待機している間に気づかなかったのはなぜだ?」
階段を下りながら、父さんが首を傾げた。
確かに俺たちは1時間くらい前からこの近くに来ていた。
父さんだったら戦闘の音や臭いが分からないわけがないのに、かなり直前までそれに気づかなかった。
「なんだったか、こういうの……ほら、広域なんとかいう……」
「あ、広域遮蔽魔法?」
「そうそう、それだ」
「そうだなぁ、それかも。父さんにしては奇跡的に的確な推測だ」
「それはほめてるのか?」
その問いには答えずに笑顔を返しておく。
遮蔽魔法か。間違いないだろう。建物全体に遮蔽魔法をかけるのは大がかりだが、中のことが分からないようにすることは可能だ。
ますます組織的ななにかが動いてるってことだな。
1階の警備室にたどり着くと、じいちゃんとカザンが苦い顔で待っていた。
映像記録が物理的に破壊されていて、閲覧できない状態だったらしい。敵の姿は確認できなかった。
「映像石が核から破壊されとって回収できん。内部の犯行かもしれんな」
ここのシステムをよく分かっている人間の仕業だろうと、じいちゃんは言った。
「確認できた死体は18人だったよ。夜間の当番だった研究員たちが片っ端から殺された感じだな」
「ターゲットとの照合が必要じゃな」
「あ、それならシュガー兄さんに頼んで、今ベルゼブブが飛んでる」
「そうか……ではわしらは獲物を横取りした奴らと、残りのターゲットを捜すとするか」
じいちゃんは気だるそうに言った。




