142 千鳥亭の招かれざる客#
from a viewpoint of ビリー(千鳥亭マスター)
夜の支度を終えたところで、今更ながらに思い出した。
セオは今日、ここで夕食をとらないことを。
「いかん、ぼーっとしてるなぁ……年かなぁ」
いつものくせで余分に漬けこんでいた鳥肉を1枚、保存袋に入れて冷凍庫に放り込む。
セオは昨日、アルティマに向かったはずだ。
新しく知り合った友人たちと一緒に。
誰と話していても淡泊であまり感情を見せないセオだが、彼らといるときは違って見えた。
自分を出してつきあえる人間というのは得がたいものだ。
このところ色々あったけれど、あの3人がセオの良い友人になってくれればいいと思う。
気がかりなこともあった。
エヴァちゃんのことだ。
『死なない人間が死ぬ方法……不死をなくす方法を、知りたい――』
真剣な顔でそう言われたときは、返す言葉に困った。
自戒のようなものだが、僕のような魔力のない人間が魔法医を名乗るには、通常の3倍の知識を持たなければいけないと思っている。
不勉強なつもりは決してないが、よりにもよって不死だなんて。明らかに未知のジャンルだ。
そんな質問を口にした事情を聞いてみると、彼女は信じられないことを話してくれた。
自分は不老不死の魔女だが、事情があってそれをなくす方法を探していると。
『私はお母様から不死を受け継いだの。受け継げるものなら、なくすための方法があるはずよ。小さなことでもいいの。知っていることがあったら教えてくれないかしら』
そう懇願されたものの、僕に答えられることはなかった。
不死をなくしてどうするんだい? と逆に尋ねたら、彼女は明確に答えるのを避けた。
その理由は、おそらく――。
「こんにちはー」
突然、店の扉が開かれた。
支度中の看板はかけてあったはずなのに。
「……あら、小さなお店」
「いい匂い」
開いた扉のすき間からは、ふたりの女の子が現れた。
そっくりな顔立ちからして、双子か。この辺りでは見たことがない。予想外の客だった。
「これは……ずいぶんと可愛らしいお客さんだなぁ。いらっしゃいませ」
夕方のこの時刻に小さな子どもとは。11番街にそぐわない可憐さに面食らう。
身なりもいい。一体どこの子だろう。
「せっかく来てもらったところ悪いけれど、実はまだ開店前なんだよね」
お父さんかお母さんは? そう続けようとしたら、双子は首を横に振った。
「お客じゃないわ」
「ここ、千鳥亭でしょう?」
同じような声で交互に話す双子は、ここを目指して来たようだ。
「ああ、そうだよ」
「「あなたがマスター?」」
同時に聞かれて、困惑しながら「そうだけど……」と返す。
「そのメガネ、素敵ね」
「ええ、とっても素敵」
「あ、ありがとう……?」
唐突なほめ言葉に、ますます訪問の意図が分からなくなる。
店内を見回しながら、双子は言った。
「フェル兄さん、いないの?」
「ホテルにいなかったの。チェックアウトしたって」
「フェル兄さん……?」
「ルシフェルよ、ルシフェル・ディスフォール。私はデリア」
「私はフォリア」
「ああ……もしかして、ルシファー君の妹さんかな?」
言われてみれば、どことなく彼と同じ雰囲気が漂っている。
「「そうよ」」
「ルシファー君は、昨日アルティマに戻ったと思うんだけど」
「えっ、まさか入れ違い?」
「すれ違い?」
「そういうことになるのかなぁ」
「フェル兄さんに会えると思ったのに……」
「会えると思ったのに」
なんとなく泣きそうな気配を察して、あわててカウンターから出ると手近な椅子を引いた。
「家に帰ったんだから、すぐにまた会えるよ。大丈夫大丈夫。ほら、せっかく来てくれたんだから、なにか温かい飲みものでもどうかな?」
双子はお互いの顔を見合わせると、のそのそと椅子によじ登った。
アスカちゃんと同じくらいか、それより小さいな。まさかここまでふたりで来たのだろうか。
「いただくわ」
「おすすめはなにかしら?」
一人前のレディーのつもりか、すました言葉がなんとも微笑ましい。
ルシファー君といい、こんなにかわいい子たちが暗殺一家の子どもだなんて、信じられないな。
「グロースのホットミルクがおいしいよ」
「グロースの……ミルク?」
「家畜の牛に似た大型の魔獣だよ。濃くて甘いミルクがとれるんだ」
グロースは狩猟対象の食肉魔獣で、広く大陸に分布している。
オスは狂暴だがメスはおとなしい性質だ。科学国の農場でもメスだけが少数飼育されていた。
「じゃあ、それをいただくわ」
「承知しましたレディー、少々お待ちを」
ミルクを温めて、持ちやすいよう小さめのマグカップに注ぐ。
蜂蜜を加えてテーブルに運べば、双子はアッシュグレーの瞳をキラキラさせて手に取った。
一口飲んで、「おいしい」と呟く。
「グロースからミルクがとれるの、知らなかった」
「メスもやっぱり胃が6個ある?」
「そこはきっと変わらない。変わるとすれば、生殖器? デリア、今度はメスを解剖してみよう」
「わかった」
機嫌は直ったようだが、今の会話はなにかがおかしい。
マグカップを手に微笑む愛らしい顔と、セリフがちぐはぐだ。
そのとき、コツコツ、と扉がノックされた。
また開店前の客だろうか。
「どうぞ」と声をかけると、ゆっくりと開いた扉から男が現れた。
大きめのハウチング帽で顔が見えにくいが、30代前半だろうか。
丁寧に会釈した男は身なりこそ整っていたが、背筋が寒くなるような雰囲気を漂わせていた。
それは死体安置所の中に足を踏み入れたときの、あの底冷えのする感覚に似ていた。
「お邪魔します。営業時間外に申し訳ありません」
「いえ……かまいませんよ。もう開けるところでしたから」
目が合った瞬間、なんとも言えない感情に心が揺さぶられた。
不快感、に似ているようで違う。
親近感からは程遠く、見覚えもないのにどこかで会ったと感じる。
よく知っているような、誰かに似ているような、不思議な感覚だった。
「そちらの子どもたちがご迷惑をおかけしました」
男はなにを考えているか分からない顔で、そう謝罪した。
この子たちの保護者か。
「あ……ああ、いいえ、少し驚いただけで、困ったことはなにもありませんよ」
「親切な方がマスターで助かりました」
男はそう言って微笑むと、双子のほうを向いた。
「……ふたりとも、私を巻くとはいい度胸ですね」
双子は縮こまった。
上目遣いでマグカップを抱える様が、猛獣ににらまれた小動物のようだ。
男は軽くため息をつくと、僕を振り返った。
「この子たちの兄がこちらにお世話になっていると聞いたのですが……」
「ああ、ルシファー君でしたら昨日自宅に帰ったはずです。入れ違いになってしまったようですね」
「そうでしたか、それは残念です」
感情のこもらない声で言いながら、男は双子の前に立った。
きっと怒られるんだろうなぁ、そう思って少しだけ助け船を出すことにした。
「あの、良かったら一休みされていきませんか?」
「ああ、すみません。でしたら温かい珈琲をいただけますか」
「分かりました。少しお待ちください」
男は双子と同じテーブルに音もなく座った。
「ふたりとも、私になにか言うことは?」
「「ごめんなさい……」」
「なにかあったらどうするんです? ここに来るまでなにもなかったとは言わせませんよ」
説教を耳の端で聞きながら、珈琲のお湯を沸かす。
男の心配は当然だろう。ブラックマーケットでは誘拐も日常茶飯事。
こんなに小さな子たちが、よくここまでたどり着いたものだ。
「知らない人についていっちゃダメだってことくらい、知ってる」
「声かけられてもついていかなかった」
可愛らしい反論だったが、やはり危険な目に遭うところだったのだろう。
無事で本当に良かった。
「ここに来るまでに転がっていた男たちは君たちの仕業でしょう? お母上の知らないところで勝手な狩りは禁止だと言ったはずです」
……なにか、僕の認識とは違う言葉が聞こえなかったか。
「でもちゃんと聞いたわ」
「そうよ。すぐに死ぬのがいいか、死ぬほど痛いのがいいか」
「死ぬのは嫌だなあ、って笑うから、死ぬほど痛いほうにしてあげたの」
「私たち悪くない」
弁解の方向性がおかしい。
やはり暗殺一家。そういうことなんだな……深く追求しないようにしよう。
「それより先生、私こういうところはじめて」
「私も。大人ってみんなこういうところでお酒を飲むんでしょ?」
「そうですね」
「「先生も来たことある?」」
「こちらにお邪魔するのは、はじめてですよ」
「でもね、フェル兄さんいないんだって」
「だからもう帰りましょう?」
「それは『行きたかったテーマパークにも行けたし、気はすんだ』ということでしょうか?」
「「そうよ」」
兄捜しにかこつけて、科学国のテーマパークを満喫しに来たのか……
子どもらしくて何より。
僕は淹れ立ての珈琲をトレイにのせて、カウンターを出た。
「当店のブレンドです」と、男の前に静かに置く。
「ありがとうございます。いい香りですね」
「先生、聞いてるの?」
「それ飲んだら帰るわ」
「そう急かさずとも……もう暗くなりますし、明日でもいいのでは」
「いやよ、フェル兄さんのいるおうちに帰る」
「今から帰るわ。チャーター便取って」
「それは少しむずかしいかと……」
「「むずかしくても帰るわ! フェル兄さんに会いたい!!」」
息ぴったりに叫んだ双子に、男は肩を落とした。
付き添いのようだが家族ではなさそうだ。お守り役も大変だなぁ。
「仕方ありませんね。手配しましょう」
「本当?」
「ありがとう先生、好きよ」
途端にニコニコ笑顔を浮かべると、双子はマグカップの残りを飲み干し、おかわりを要求した。
男はゆったりと珈琲を飲みながら、店の中を眺めている。
「かわいらしい子どもが相手では、敵いませんね」
カップにミルクをつぎ足しながら世間話を振ると、男は穏やかに微笑んだ。
「全くです。マスターにもお子さんが?」
「いえ、僕は家族がいないもので」
「そうですか」
「このくらいのお子さんがいらっしゃるんですか?」
マスターにも、と言われたので話の流れで聞き返したら、妙な空白のあと「ええ、息子がひとり」と答えた。
「もう成人していますが、ずっと会っていないので元気にしているかどうか」
「お若く見えるのに、成人した息子さんが?」
「これでも40を超えていますよ。おそらく、あなたと変わりない年です」
「ええ? それはうらやましいなぁ」
どう見ても、男の容姿は30代前半だ。
男は軽く笑うと、カップの中の珈琲を揺らした。
「子どもの扱いに慣れているように見えたもので、マスターにもお子さんがおありだと思ったのですが」
「ああ……血は繋がってませんが、息子のような子がいますよ。すっかり大人の顔をするようになって、こんなに小さかった頃が嘘みたいですけどね」
世間話を続けると、男はわずかに唇の端をあげた。
「血の繋がりなど、親子である上で意味のないものです」
そこだけ感情が灯ったかのような、自嘲気味のセリフに違和感を覚えた。
息子と会っていないと言うし、なにか事情があるのか。
奇妙な客は珈琲を飲み干すと、きちんと支払いをしてくれた。
去り際にはじめて帽子を取ったら、帽子の中に隠されていた長い髪がさらりと落ちた。
ストレートの、薄い灰茶の髪には見覚えがある。
いつも近くにいる大切な存在と同じ、ひどく珍しい色で――。
誰と同じ色なのか、理解した瞬間に心がいびつな音を立てた。
「……そう、いえば、お名前を、伺っていませんでした」
乾いてきたのどにつばを飲み込んで、尋ねた。
男は底冷えのするような笑顔で答えた。
「死神です、ただの」
その名がふさわしい気がするのは、この男の背後に見えるたくさんの死の気配のせいだろうか。
「ご冗談を……」
「そう呼ばれている、というだけの話です。ルシフェルに私がここに来たことを伝える必要もありません」
「いや、しかし」
「一度、あなたと言葉を交わしてみたかったんです。お会いできて良かった」
「……え?」
「美味しい珈琲をごちそうさまでした」
そう言い残して男は店の出口をくぐった。
四肢が凍り付いたように動かず、息が苦しい。
(そんな、まさか……)
ずっと会っていない、成人した息子がひとり。
血の繋がりに、意味がないって――。
「ま……待っ――」
このまま帰らせてはいけない。確かめなくては。
閉まった扉を押して、外に飛び出した。
短い階段を駆け上がり、通りを見回す。
だが男の姿も双子の姿も、すでにどこにも見えなかった。




