141 アクセラレータの使い方#
from a viewpoint of エヴァ
考える時間をくれないトルコさんは、温室の小径に消えていこうとしている。
仕方なく私もテーブルを立った。
突然アクセラレータを制御しろと言われても、困る。
この力は消してしまうことこそが最善なのに――。
混乱した気持ちを抱えて、後を追った。
小さい背中が緑の植え込みの中にガサガサと無造作に入っていく。
慌てて同じように、道のないそこへ入り込んだ。
「……これは」
植え込みの中は円筒形の空間になっていた。天井の魔法陣がちょうど上に見える他は、ただの緑に囲まれている。
中心には地面から伸びた黒い石碑があった。
石碑には古代文字や魔法陣、不思議な数式が刻み込まれている。
「これはこの温室の核さ。生きもののように呼吸をして、温度調整するように作ってある。たまに魔力を流してメンテナンスしてやらないといけないさね」
ぽん、と石碑に手を当てるとトルコさんは軽く魔力を流したようだった。
シュゥン、と空気が収束する音がして、石碑の表面に光が走る。
見上げた透明な魔法陣が、同じように一瞬発光した。
「お前さんの力は単体じゃ意味がないだろう? アタシの補佐をしてみな。出力を調整する方法くらい教えられるさね」
「っでも……私」
「フェルがね、行く前に『魔力の扱い方をエヴァに教えてやってくれ』って言ってたんだよ」
「ルシファーが?」
「そうだよ、つべこべ言わないで早くしな」
有無を言わさない強さで言うと、トルコさんはまた石碑の上に手を置いた。
じっと私を見つめる。
「……無理よ」
自分から、アクセラレータを使うなんて。
単に魔力供給をしたり、魔力を抑える練習をするわけじゃない。
なにが起こるか分からないもの。怖い。
「恐れるんじゃないよ。制御するんだ。魔女なら誰でもできるさね」
「むやみにアクセラレータを使いたくないわ」
「逃げるなと言ってるだろう。それともお前さんは世界を滅ぼしたいのかい?」
「っそんなわけないじゃない」
「利用されるのを待っているだけじゃ、最終的にそうなるさ」
核心を突いていただけに、なにも言い返せなかった。
私は弱い。アクセラレータ以外はなにも持たない魔女だ。
咎人の石があった頃とは違う。力の制御もおぼつかないのは危険だと分かっている。
でも、やっぱりどうしても怖い。
「見たところ垂れ流しじゃないか、器に収めておくくらいできないでどうするんだい」
「収めて……おけるの?」
アクセラレータはずっと外に流れ続けているものだと思っていた。
トルコさんは「当たり前だろう?」と顔をしかめた。
「魔女なら誰でもできるに決まってるさ。あぁ、まどろっこしいねぇ、悪いようにはしないから早くしな! アタシが可愛い孫の嫁を不幸にするわけないだろう!」
「嫁じゃないって、何度言えばいいのかしら……」
「バカだね、決定事項だよ。とにかく、どう目を背けようと第3の力はお前さんの中にあるんだ、逃げるんじゃなくて向上心を持ちな」
トルコさんのその言葉で、ルシファーから言われたことが思い出された。
あれは確か、自分の心の弱さのせいで魔力供給ができないのだと思っていたときの――。
(なんにしても、さっさと消しちまえばいい的な考え方から進歩したよ)
扱えるようになろうとはじめて試みたのは、ルシファーに苦しい思いをさせたくなかったからで。
進歩なんて、望んでないけれど。
トルコさんもルシファーと同じことを言ってるのね。
「アクセラレータを制御する意味なんて、あるのかしら……」
ぽつりとこぼしたら、トルコさんは口端をあげて笑った。
「あるに決まってるだろう? いつまでもビクビクしてんじゃないよ、ほら、手!」
「トルコさん……」
「ばあちゃん、て呼べっていったろう?!」
なんだろう、この感じ。やっぱりルシファーのお婆さんだ。
強ばっていた気持ちがほぐれて、ふふっと笑いがもれた。
一呼吸置くと、そっと石碑の手の上に自分の手を重ねた。
「いいかい、アタシの魔力を感じて中心を捕らえるんだ。最初は微弱に、少しずつ強くするさね」
「……ええ」
トルコさんがふわりと魔力を流した。
燃えさかる深い紅が見える。
紅蓮の魔女と呼ばれる人の魔力は、その名のとおり美しい紅色だった。
それにあわせて、私も同じように魔力を流す。
こんな風に人の魔力を意識して、アクセラレータを使おうと思うのははじめてかもしれない。
「最初はオン、オフを意識しな。そう、そうしたら次はさじ加減を覚えるんだ……違う、広げるんじゃない、1点に集中するのさ、魔力の大元だけを見るんだよ」
「……むずかしいわ」
「肩の力を抜いて、アタシの魔力の重心を感じるんだ。っ無駄に広げるんじゃないって言ってるだろう? 不器用かい?」
温室の核は、メンテナンス用の魔力を溜めておくことができるらしい。
溜められない分はそのままキエルゴの雪を融かすエネルギーに使われるから、心配しないで力を流せと言われた。
「この程度の魔力量が、高位祭司が使う中級魔法と同じ出力かねぇ……で、これが上級魔法」
「あ、わ……」
「ほら、また重心がぶれたよ。しっかりしな」
必至で灼熱の魔力に集中していたら、トルコさんの言葉の意味が分かるようになってきた。
今までは広げるか、閉じ込めようとするかくらいしかしていなかったけれど。
魔力の中心に焦点を合わせて集中させるほうが、ずっと効率がいい。オン・オフも楽だ。
「お、いいさね。分かるようになってきたじゃないか。じゃあ、最終段階だ」
トルコさんが言った途端、今までとは桁違いの魔力が膨らんだ。
「……っ!」
「ほら、ちゃんと合わせな」
膨らんだ魔力の形に合わせて、中心を包み込もうと苦闘する。
頭では分かっていても、調節はむずかしい。
目の前に揺れる魔力の濃さと重さに、軽くめまいがした。
「……はぁ、こりゃ爽快だねぇ。今なら大国も燃やし尽くせそうだ」
「……えっ?!」
「冗談さね、いちいち動揺しなさんな」
大魔女の魔力は、今までに見たどの魔女のものよりも凄まじい。
大国が燃やし尽くせそうというのは、あながち冗談じゃないわね。
「あぁ、こりゃもう終いか……いいよ、お疲れさん」
突然、トルコさんの魔力が手の中から消えた。
光の渦をまとっていた石碑が、その瞬間に閃光を放つ。
思わず目をつぶって、数秒後。
もう一度目を開けたら、頭上の魔法陣がキラキラと輝いていた。
「きれい……」
「少しやり過ぎたかねぇ……明日は別の方法を考えないと」
明日もするの?
聞く前に、トルコさんはガサガサと石碑の茂みを出て行った。なんていうか、自由な人だわ。
私も後に続いて、元の小径に出る。
お茶を飲んでいたテーブルまで歩いて戻ると、外から「大奥様! ご報告が!」と声が聞こえてきた。
「騒がしいねぇ、なんだい?」
先ほどと同じテーブルに腰を下ろすと、昨日見かけた庭師さんが飛び込んできた。かしこまって頭を下げると、口早に報告する。
「アルティマ一帯の雪が、裾野まで融けてなくなったんですが?!」
「ああ、貯蔵しきれなかった分が溢れたね。気にしないでいいよ」
「なにをなさったんですか……」
「企業秘密さ」
トルコさんは私のほうを向いてパチリとウィンクをしてみせた。
やっぱりやり過ぎたのね……
それでもアクセラレータが魔力を増幅させる感覚は掴めた。
機械もたぶん、これと似た感じで加速できる。
漠然と「祈る」のではなく、私の意思で力を制御できれば――。
(……なにを考えてるの?)
アクセラレータを制御できたなら、誰も傷つかない?
そんなわけない。力がある限り脅威はなくならない。
あきらめきったことに希望なんて持たないわ。
それがどれだけ怖いことか、知っているから。
庭師さんがまた慌てて温室から飛び出ていくと、空からサアアッと細かい水滴が降ってきた。
見上げると、霧のような雨が天井から降り注いでいた。
心地良い。人工の雨だろうか。
「エヴァ」
呼ばれて振り向くと、トルコさんはじっと私を見ていた。
わずかな静寂が流れる。
「……雨はね、いつかは止むものさ」
ふっと目を閉じて、トルコさんは言った。
同情や慰めから出た言葉ではない。そう思える表情だった。
「突然青空が顔を出す。なにもかもが変わる瞬間てものがこの世にはあるのさ。いつか、お前の心もすべてが変わる」
迷いのない声に、戸惑う。
「……予言?」
「ははは、アタシはセレーネじゃないよ。強いて言えば年寄りの経験談さね」
トルコさんはすっと顔をあげて、落ちてくる雨を見上げた。
「雨が降らなければ、虹を見ることはできないのさ。そうだろう?」
今は暗い心も、やがて晴れて、虹が出る。
そんな日が来るのだろうか、私にも。
それを願ってはいけないと知っているのに。
どこか泣きたい気持ちで、そこに現れた小さな虹を見上げた。




