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140 大魔女の温室#

from a viewpoint of エヴァ


※前話から半日ほど時間軸が遡ります。

強制ショッピングのあとのお話を2話に分割してます。

 午後3時。ペコーさんに連れられて温室へ向かった。

 お屋敷を挟んで、庭園の反対側にある半円のグラスハウスだ。

 空から眺めたとき、頂点に透明な魔法陣が見えた。温室自体が強大な魔法装置なのかもしれない。


 入口をくぐると、むっとした湿度と他よりも高い温度が私を迎えた。

 ひょろっと高い植物や、石敷の道端に咲く花々。

 進む小径には緑が溢れ、明るい天井からは透明な光が落ちてくる。

 フワフワした白い虫が飛び交う間に、水の流れる音がした。


「大奥様、お嬢さまをお連れしました」


 床が白い大理石に変わって、周囲が開けたところにトルコさんはいた。

 不思議な形をしたフラスコが並ぶ木棚。置かれた器具で作業場だと分かる。

 広い机を前に座っていたトルコさんは、私を見ると「ああ、来たかい」と腰をあげた。少し離れたティーテーブルへと誘ってくれる。


「座りな。紅茶は好きかい?」


「ええ」


 控えていたメイドさんが、涼しげなグラスをテーブルに並べていく。

 お茶の支度が調うと、トルコさんは「あとはいいから下がりな」と手を振った。

 ペコーさんたちは丁寧に礼をすると、温室から出て行った。


「アタシの一番好きなアイスブレンドさね。ここの室温によく合う」


「いただきます」


 すすめられて、よく冷えたグラスを手に取った。

 一口飲めば爽やかな香りが広がった。香りが豊かなのにクセのない紅茶だ。


「おいしいわ」


「アタシはお茶も薬も配合には妥協しないからね」


 今日のトルコさんは、プラム色の上品なワンピースを着ている。ゆったりと床まで流れ落ち、ふわりと広がる形が女性らしくて優雅だ。お屋敷の雰囲気にとても似合うと思う。

 ロシベルさんの服とは全く違うし、ルシファーのカジュアルさとも違う。この家の人たちって、家族で服の好みがバラバラなのね。

 そんなとりとめもないことを考えながら、お茶をいただいた。


「この温室はね、アタシの魔力とキエルゴの地熱を利用してるから冬でも暖かいのさ。気に入ったかい?」


「ええ、季節を忘れてしまいそう。見たことのない植物がいっぱいね。すごくきれいだわ」


「あくまで薬草園だがね。気に入ったなら好きなときに見て回るといい。毒花も多いから、美しくても触るんじゃないよ」


 ディスフォール家で一番強いのは、このトルコさんらしい。

 火焔魔法なら世界最強。大国も恐れる『紅蓮の魔女』。

 もともと魔女は長生きだけど、どう見ても60代。とうに百歳を超えているとは思えない。


「お前さんとはこうして話をしてみたかった。ずっとね」


 長い時間を振り返るような目で、トルコさんは言った。

 今日はどうして私をここに誘ってくれたのかしら……


「第3の力」


 唐突に言われて、お茶を飲む手を止めた。

 真っ直ぐにその目を見返す。


「アクセラレータは、負担かい?」


 意図の分からない問い。

 どう答えればいいのかしら。少しの警戒心が湧き上がる。


「そう構えなくてもいいさね、利用しようってんじゃない。うちのセレーネもそうだが、唯一無二の資質を持つ頂点の魔女ってヤツは、どうにも生きづらいもんだからね」


 セレーネさんも……生きづらい?

 恵まれた環境で、幸せに暮らしているように見えるのに。


「資質って、能力のこと?」


「そうさ、お前さんの場合はその第3の力のことさね」


 ぴたりと私の胸のあたり、核を指すとトルコさんは続けた。


「第3の力はアタシら魔女の持つ魔力と似ていて本質は異なるもの。扱いづらいまま、扱おうともせずに今日まで生きてきたんだろう? 負担になって当然さ」


「……アクセラレータは、人の手に余る力よ。うまく扱いたいなんて思わないわ」


 アクセラレータが外に漏れ出さないよう、閉じ込めておきたいとは思っている。

 でもそれは、扱いたいのとは違う。


「早く消してしまいたいの、全部」


 ザナドゥーヤの村から出てしまった私は、そうすることでしか過ちを正せない。

 それが最善だということも、よく分かっていた。

 トルコさんはあからさまに深いため息を吐いてみせた。


「悲観的にものを考えるのはクセなのかい? 戦争が始まったわけでもないだろうに」


「いいえ、お母様はアクセラレータが大国に知られれば戦争になると言ったわ」


 一昔前に大国同士が争いをやめたのは、戦力が均衡していたからだ。

 ゴンドワナもローラシアも、確実な勝機があれば間違いなく相手を支配下におこうと思うだろう。


 はじまらせてはいけないのだ。

 支配できる手段があると、知られる前になかったことにしたい。


「バカだね、アクセラレータや不死が存在することを、少なくともゴンドワナは承知さ」


「え……?」


「テトラ教の祭司長も神託を聞くことができるからね」


「なんのこと? 神託って?」


「絶対神のお告げってやつさ」


 私が生まれる前。ゴンドワナのある小さな街に「救済にも破滅にも成り得る第3の力」を落とすと、神様は告げたらしい。祭司長はその神託を、神具を通して聞いたのだそうだ。

 そしてセレーネさんは祭司長と違って、神具なしでも神の声を聞くことのできる唯一の人なのだとトルコさんは言った。


「テトラ教がなぜアルビノを探しているか、知っているかい?」


「純白が神聖な色だと……言われてるからでしょう」


「それは建前さ。神託が告げた第3の力の持ち主は、真に黒さを持たない女子だと伝えられてたんだよ」


 真に黒さを持たない……完全なアルビノってことだろうか。


「当時の祭司長は死んだが、神託は受け継がれる。神殿の上のほうの連中はね、第3の力を得るためにアルビノの少女を探していたんだよ」


 トルコさんの説明を、どこかぼんやりとした頭で聞いていた。

 アクセラレータが、不死が、現実に存在するとゴンドワナは知っている……?

 次々に与えられる情報に、思考がついていかない。


「じゃあ白銀の巫女って、完全なアルビノの女の子を指すものじゃなくて……」


「そのまんま、お前さんのことだよ。大体アルビノが神聖なら白銀の神官だっていいわけだろう? なんで巫女に限るんだい?」


「あ……」


「祭司長たちは第3の力を手にしたい、だが公にはしたくない。だから『神聖なアルビノを集める』なんて理由をつけて、お前さんを捜していたのさ」


「でも、研究所にいた間、アクセラレータについてはなにも聞かれなかったわ」


 あの頃に抜かれた血や髪がなにに使われたのか、つき合わされた実験にどんな意味があったのか、私は知らない。

 でも、アクセラレータを使えと言われたことはなかった。


「派閥争いってやつでね。当時は穏健派の力のほうが強かった。『第3の力を利用してはいけない、神の領域を侵してはいけない』。白銀の巫女はあくまでも保護している、それが穏健派の考え方さ。だが強行派は違う。『第3の力は神が授けてくれた力、存分に利用しよう』ってね」


「利用……私を?」


「そうさ。内部で意見が対立していたから、お前さんを捕らえたあとも強行派は思い切ったことができないでいた。それだけさ」


 トルコさんの話はすべてが腑に落ちた。

 アルビノ個体は大半が生け贄か薬の材料になる。でも私は丁重に生かされて調べ続けられていた。

 最初から私に利用価値があると知っていたからだったのね。


 テトラ教の祭司長は第3の力のことを知っていた。

 だからお母様は、誰であろうと私の存在を知られるわけにいかなかったんだわ……。


「私……本当に、なにも知らなかったのね……」


 情けない。

 もしあそこから逃げていなかったら、今頃世界はどうなっていたんだろう。

 ゴンドワナは私を使って、ローラシアを攻撃していた?

 想像しただけで背筋が寒くなった。


「知らされてなかったんだ、仕方ないさね」


「じゃあ、不死は? 不死のことも研究所では触れられなかったわ」


「お前さんが不死だってことは、後から分かったのさ。咎人の石をつけてくれた高位祭司がいただろう? あれがかぎつけられて、神殿も知ったさね」


「そう、だったのね……」


 そうなるかもしれないことは予想していた。だからそれ自体は不思議ではないけれど。

 トルコさんは一体どこまで知ってるんだろう。

 私も、いいえ、誰も知り得ないようなことをどうして……


「なんでそんなことを知ってるんだ? って顔だね」


「え、ええ……」


「セレーネの神託だけじゃないよ。アルティマの諜報網を舐めてもらっちゃ困る。ゴンドワナの中枢には知り合いもいるさね。色んなことを統合して、お前さんという人物にまつわることを調べたのさ」


 じゃあ、トルコさんは全部、私のことを知っていて……

 いつからなんだろう、それを知っていたのは。

 私がここに来てから?

 それとも、来るずっと前から?


 私の疑問を察したように、トルコさんは言った。


「お前さんの存在を知ったのは大分前だよ。まぁ……まさか今になって、孫が嫁として連れ帰ってくるとは思ってなかったさ。さすがのアタシも驚いたさね」


 トルコさんは「長生きはしてみるもんだ」とカラカラ笑った。

 私は笑えるような心境じゃないのだけど。


「ことの経緯はね、セレーネに聞いたんだよ。アタシは『説明してあげて』と頼まれただけさね」


「セレーネさんが、私に……?」


「自分が話すと、うっかり不死の秘密まで話してしまいそうだから、ってね」


 セレーネさんは私に不死のことを話してくれない。

 でもそれは、悪意があってのことではないと思えた。

 私が知ってもいいとセレーネさんが判断するのは、いつのことなんだろう。


「セレーネはお前さんに逃げる権利があると言っていたが……逃げてばかりでどうする?」


 ふいの質問だった。

 最初から、それを聞くために私を呼び出したのかもしれないと思うような。


「不死も、第3の力も、驚異には違いないさ。だがなぜお前さんは生まれた?」


 私に分かるはずもない答えを、トルコさんはあえて尋ねる。


「お前さんの母親は、なぜ不死を与えてまでお前さんを生かしたんだい?」


「……知らないわ」


 私が生まれたのは、神様の過ち。

 私を生かしたのは、お母様の過ち。

 そうとしか思えない。


「逃げるんじゃないよ。それじゃ誰も幸せにならない」


 容赦ない声だった。


「はじまってしまったからには、終わらせなきゃいけないのさ」


「なにを……?」


「お前さんの力にまつわる、すべてのことを」


 トルコさんはそう言うと、椅子から立ち上がった。


「ついてきな」


「え?」


「アクセラレータを制御する気があるんなら、扱い方を教えてやるさね」


「……制御?」


「そのままじゃ困るだろう。悪用されたくないならなおのこと、使い方を覚えなって言ってるんだ」


 予想していなかった提案に、すぐに返す言葉が見つからなくて。

 歩いて行くトルコさんを追うかどうか、迷っている自分がいた。

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