014 少年の家
「今日は長い時間手伝ってくれてありがとう。おかげで助かったよ」
日に焼けた人のいい笑顔を向けながら、少年は畑から採ってきた野菜をジャブジャブ洗っている。
夕方になって作業が終わった頃、今日の宿はないと言ったら「泊まっていきなよ」と家に連れ込まれたのだ。
「大したことはできないけど、もう野宿は大分冷える時期だから」
これはいわゆる厚意というヤツなんだろう。そう思ったからおとなしく誘いを受けた。
民家の中にも興味があったし、急ぐ旅でもなかったし。
別にマイナス20度くらいまでなら、Tシャツでいたところで問題ないんだけどな、俺は。
それはおそらく「普通」ではないので、口にはしなかった。
少年の家の中は、カザンが持っている本で見た日本の様式に似ていた。
引き戸の玄関を入ってすぐ「土間」という広い作業場がある。煮炊きするかまども水場もそこにあって、畑で採れた野菜を洗って調理するらしい。
奥は一段高くなっていて、靴を脱いで入るようになっていた。
部屋は木張りの床で、中心に毛皮っぽいカーペットが敷いてある。ベッドもソファーもない。
隣室は引き戸で区切られていて、カザンの部屋と同じ「畳敷き」だった。
水場の蛇口からは止まらない水が流れ出ている。裏に流れる小川から引き込んでいるらしい。
農作業で汚れた手を洗ったが、爪の間に入った泥がなかなか落ちてくれなくて顔をしかめた。
「綺麗な手だなぁ。本当に農作業とかしたことないんだね」
綺麗な手か。
俺にはそぐわない褒め言葉だろう。
これが血にまみれた手だと知っても、少年は同じように言うだろうか。
俺の横で野菜の水を切っている少年の手は、年からすると大人みたいにゴツゴツした感じがして、指にはマメができていた。
カザンにあるような、刀を持つ人間にあるマメとは種類が違う。農作業でできるものなんだろう。
「ずっと座ってたから、腰痛いんじゃない?」
「大丈夫だ。これでも鍛えてるから」
「ああ、分かる。いい体してるよね」
土間のかまどには火が焚かれている。
もうすっかり暗くなった部屋の中には、灯りらしい灯りがひとつしかない。
それも科学国ではあまり見ない、旧式のランタンだ。
料理をするためにすぐ手元に持ってこられた、頼りなげな灯りが揺れる。
「灯りはこれだけなのか?」
「前は天井にも魔道具のもうちょっと大きいのがあったんだ。壊れちゃって」
「買い換えないのか?」
「天井用の大きいライトは高いからね。これが壊れたらさすがに買い換えるけど、今はまだ足りてる。こんなランタン、ゴンドワナじゃほとんど見ないだろう? ずい分昔に父さんが科学国から買ってきた利器だよ。使ってるのバレると教会が色々うるさいから、大きな声じゃ言えないんだ」
「うるさい?」
「だって科学の利器だよ。テトラ教では認められてないから、信者じゃなくてもここじゃ色々嫌味言われるんだ」
少年の説明に、本で得た知識を思い出す。
テトラ教の信者は信仰による魔力を最上として、科学の力に頼らない。いくつか例外もあるらしいが、利器は使わないことが原則だ。
ローラシアでは科学の力以外も使えるものは使おうという意識が浸透していて、魔法を使った道具の類いはそれなりに見るのに、こちらはかなり頑ならしい。
「君は? 都市部から来たって言ったけど、テトラ教の信者……じゃないよね?」
「え? 分かるのか?」
「グレザリオを身につけていないから」
「ああ……」
「大丈夫だよ、ぼくも神様を信じてないわけじゃないけど、信者じゃないからね」
何が大丈夫、なのかはよく分からなかったが。
グレザリオと呼ばれる星の紋章の存在は知っていた。俺は「テトラ教の信者はグレザリオを身につけている」という内容を、自分の脳にインプットする。
外の世界は本の知識では分からないことも多そうだ。
「魔力持ちで信者じゃないと肩身せまいよね。都心部にいたら余計だろう?」
そういうものか、と思いながら俺は「そうだな」と答えておいた。
「あ」
ゆでたホウレンソウをザルにあげながら、少年が思い出したように呟いた。
「そう言えばまだ名前聞いてなかった。ぼくはリアム、14だ」
「俺はルシ……」
本名を名乗りそうになって、すんでのところで言い留まる。
俺の名前は背中の黒い翼を見て、神話の堕天使からとったらしい。ルキフェル、ルシファー、そう呼ぶこともあると、ばあちゃんが言っていたのをとっさに思い出した。
「ルシファー。14……だ」
ディスフォールの名を知ればおびえられる可能性が高い。黙っておいたほうがいいだろう。
20歳と実年齢を言ったところで、誰が信じるわけもないしな。
「ルシファーか、綺麗な名前だね」
その言葉が、ちくり、と胸を刺した。
こういう毒気のない人間に嘘をつくって、気分のいいものじゃないんだな。
「ルシファーはどうしてここに来たの? これからどこに行くつもり?」
「あー……ちょっと親と喧嘩して、気晴らしに観光で出て来たんだ。少ししたらゴンドワナに戻るつもり」
半分は本当で、半分はまた嘘だ。
「家出みたいなもんかー。思い切ったことするね」
「家族がみんなうるさいんだ、やりたいこともろくにできなくって、いい加減腹立ってさ。衝動的に飛び出てきた」
「そっか。やりたいことって?」
「え?」
「何がやりたかったの?」
その問いに、俺は少し考えてから背中に背負ったままのショルダーバッグを下ろした。
中から、カードの入った箱を取り出す。
「これ」
「何それ」
「カードゲーム。リアム、やったことある?」
「知らないなぁ……」
科学国のものだからだろうか。
確かにこの家の中を見る限り、科学や娯楽は欠片も見つけられそうにない。
「あとで見せてよ。夕飯食べたら」
「いいよ」
静かな夜だった。
家の中には俺たちの話す声しかなくて、音楽もなければ執事が歩き回る音もない。時折、外で生き物の気配がするだけで。
「タイリクタヌキとか、イタチじゃないかな」
リアムは家の周りによく出ると言った。
「魔物は出ないのか?」
この家の造りだと、強力な魔物に襲われたらひとたまりもないんじゃないか。
科学国のように防衛体制が整っているわけでも、ドームの中のわけでもない。
自然が近すぎるように感じた。
「たまに出るよ。でもそんなに強力なのはいないんだ。コングール山の魔力に惹かれてみんなあそこに集まってるからね。里に下りてくることはまずないから、心配しないで」
俺が怖がっていると思ったらしい。
リアムはそんな説明をしてくれた。
「コングール山て、キエルゴとつながってる、あれか?」
「そうそう、ゴンドワナに向かってのびてる山、分かるだろ?」
「ああ、知ってるけど……そうか、ここはコングール山のふもとなんだな」
「うん。都心部に行くのにはコングール山の端を越えていくと一番近いんだけど、その帰り道はオススメしないよ。今言った理由で」
魔物がたくさん出る魔力を帯びた山。
キエルゴ自体がそういう山だから俺にはなんてことないが、確かに普通に考えて好んで通るヤツはいないだろうな。
「……帰るときは、普通に平原を回って帰るよ」
「そうだね、それがいいよ」
その日の食卓には肉がなかった。
麦ご飯に、野菜を卵でとじたものをかけるどんぶり飯。
それはいいとして、育ち盛りにこれでは絶対に足りない、という量だったので、リアムには残っていたシリアルバーをあげた。
「砂糖みたいに甘いね。こんなの食べたことないや」
目を丸くして食べる少年にも、これが寝具なのかと首をひねるような床に直接置かれた薄い布団にも、文化の違いを感じた。
アルティマとも違う。ローラシアとも違う。
ゴンドワナの人間はみんなこんな暮らしをしているんだろうか。
夕食後、慣れてきたつつましやかな灯りの下、俺とリアムはひざを突き合わせてカードゲームの説明書を読み込んだ。
はじめて人と一緒に並べたカードは、ひとりで眺めていたのとは全然違って見えて。
その穏やかな時間は、俺にとって味わったことのない楽しい一時になった。




