139 合流
国立研究所からほど近い、閑静な街。
と思ったのだが、実際はところどころに廃屋の立ち並ぶ、陰気なゴーストタウンだった。
首都の中心にあるにも関わらず、放置されて大分経っているように見える。
「この場所、なんで人が住んでないの?」
「一昨年前、研究所の事故で毒が流出したそうじゃ。土地が汚染されとる」
じゃあ俺たちみたいな、毒に耐性のある人間しか立ち入れないってことか。
一等地だったかもしれない場所を、もったいねえなあ。
「父さんたちはどこにいるんだろ」
「目的地の座標はこの辺のはずじゃが……」
ふいに背後でがさりと草を踏み分ける音がした。
直前まで気配はなかった。
はじかれたように振り向いたのと同時に、視界が暗くなる。
「っフェルーー!!」
屈強な2本の腕に捕らわれた肩が、ゴキッと音を立てた。
握りつぶされそうな圧迫感は姉さんの抱擁の比じゃない。
控えめに言って、死ぬ。
「元気だったか! 久しぶりだなあ、少しは背が伸びたか?!」
身長2メートル8センチの巨躯に抱きしめられた俺は、叫ぶこともできずにもがいた。
「クレフ……息子を握りつぶす気か?」
止める気があるんだかないんだか、じいちゃんがそう言ってくれたが父さんはお構いなしだ。
ヤバい、完全にホールドされている。殺らなければ俺が死ぬ勢いだろう。
「母さんに心配かけて悪い子だな! だが無事に帰ってきてくれて父さんはうれしいぞ!!」
「今無事じゃなくなるだろう、フェルを離してやれ」
後ろから父さんを引き剥がしてくれた兄に、このところ一番の感謝を捧げた。
肋骨にヒビが入った気がする……圧死するところだった。
「父さん……頼むから手加減を覚えてくれ……」
生身とは思えない魔獣並み、いや魔獣以上の身体能力を持った父は、俺の心からの訴えを笑い飛ばした。
「家出するような悪い子には、お仕置きが必要だからな!」
「お仕置きで息の根止めようとするなよ!」
「時には厳しいしつけも大事だ!」
「俺、父さんにだけはしつけられたくないからな?!」
「ふたりとも騒がしいぞ。静かにせんか」
今度はじいちゃんから後頭部にゲンコツを喰らった。
あちこち痛え……
「それでカザン、侵入ルートは決まったかの?」
じいちゃんの問いに、疲れ顔の兄は持っていた立体地図を展開した。
大きな建物が宙に浮き上がる。研究所の見取り図だ。
「例の研究チームは3階のこの部屋が拠点だが、昼間は建物内に人が多い。夜襲で人数を減らしたほうが良さそうだ。宿舎に戻って寝ている奴らは後回しでいいだろう。こことここから分かれて侵入するのがベターだな」
「セキュリティはどうなっとる?」
「入口に魔力認証がある。門番を殺さない程度に弱らせて解錠に使えば問題ない」
「そうか。目的の研究資料を手に入れたあとは、建物ごと崩してもかまわんが……なるべく隠密にひとりずつ片付けていくぞ」
「ああ、1階の警備室から順に制圧しよう」
研究施設には、本棟以外にも実験棟、資料棟と宿舎があって、合計4つの建物がある。
まず二手に分かれて研究棟へ侵入し、各部屋を制圧していくと説明された。
「夜間は半数以上のターゲットが宿舎にいる。研究棟の次は宿舎だな」
「合計何名だっけ?」
横から尋ねると、カザンはちらと俺を見た。
「19名だ。だが研究所には150名以上の研究員がいる」
「目撃者は口封じ?」
「無論、そうなる」
ここまで大規模な暗殺計画だ。証拠を残さないのなら殲滅以外ないだろう。
150名か……来る前から大勢を狩ることになるのは理解していたが、気が重い。帰ったらエヴァになにを言われるやら。
俺を見ていたカザンが、ため息交じりに口を開いた。
「フェル、やる気がないのなら家に帰れ」
覆面の間からのぞく視線が、威圧をかけてくる。
「……なんだよ、それ」
「足手まといだ」
「足手まといになんかならない。俺、強くなったし」
「どこがだ。弱くなったようにしか見えない」
「なんだって?」
カザンは拳を裏返すと「ここがな」と、手甲で俺の胸元を叩いた。
「一瞬のためらいもなく殺れないのなら、暗殺者失格だ」
「はあ? 誰がためらうって?」
「ターゲットについて思いを巡らすのは、禁忌"4"だ」
「そんなんじゃねーし。それ何度も聞いたよ、耳タコ」
俺とカザンがにらみ合っていたら、間に巨体が割り込んできた。
「お前たち、久しぶりに会ったのに兄弟喧嘩はダメだぞ! カザン、お前は兄さんだろう、カリカリするな。カルシウムが足りないんじゃないか?」
「うるさい」
カザンはうんざりした顔で父さんをにらんだ。
「フェル、お前もだ。そんなんじゃ立派な暗殺者になれないぞ!」
「なりたくないから別にいい」
父さんは暑苦しい笑顔のまま、ノーモーションで俺とカザンの後頭部を掴んだ。
このままリンゴのように握りつぶすことも可能な、ヤバい握力を感じる。
「ふたりとも、父さんの言いたいことが分からないのか?」
「「いや、別にそういうわけじゃ……」」
「じゃあ仲直りだな。ほら、お互いにごめんなさいだ!」
無理矢理頭を押し下げられて、ごめんなさいもクソもあるか。
俺とカザンは自分の意思とは無関係に、ゴリゴリ頭を突き合わせた。
「俺、たまに父さんと血が繋がってることを、本気で信じたくない瞬間がある……」
無事に解放されたあと、小声で呟いたらカザンもうなずいた。
「俺もだ」
この数日間の苦労が察せられる「俺もだ」だった。
横で見取り図を眺めていたじいちゃんが振り向いた。
「ふむ。下調べは十分なようじゃな。では今夜0時、奇襲といくか」
「了解だ!!」
「「父さんは声を小さくしてくれ」」
俺とカザンの声がハモった。
それからどういうルートで侵入して、どう3階に向かうかなど詳しいことを決めた。計画は順調のようだったが……
ひとつだけ、問題があった。
「俺は、絶対に爺さんと組む。父さんはお断りだ」
「俺だってじいちゃんと組みたい」
誰が父さんと組むかという問題だ。
カザンは頑として譲らないし、俺も心底お断りだった。
父さんと仕事に行くと本当にろくなことがない。ディスフォール家最強のトラブルメーカーなのだ。
「まぁ、カザンはこの3日間クレフといたろうし、フェルでいいじゃろう」
「えっ?!」
「お前も、久しぶりに父親と一緒にいたいじゃろう?」
1ミリも思わねえよ!
だがじいちゃんの一言で、俺は父さんと組むことが決まってしまった。
抗議も無駄に終わり。
日付が変わる頃、俺たちは国立研究所が見える高台に移動していた。
「最悪だ……」
月明かりの下、となりの父さんを見て思わず呟いたら、笑顔でバシバシ背中を叩かれた。痛ぇって。
「どうしたフェル? 父さんと仕事できるのがそんなにうれしいか?」
「今の俺を見て、なんでそんなポジティブな考えに至るのか理解しがたい」
じいちゃんとカザンは、すでに建物の反対側へ周りこんでいる。
午前0時まであと3分。
時間が来たら行動を開始する予定だった。
「ふーむ……」
研究所を眺めていた父さんが、あごを撫でながら首をひねった。
「静かだな」
「そりゃ、夜中だしね」
「静かすぎる」
「そう?」
父の野生の勘に、なにかひっかかるのだろうか。
ここに着いてから、たびたび納得いかない様子で同じことを言っていた。
「昨日の夜はこんなじゃなかったぞ……建物の中も人気がなくて変だろう?」
「俺に父さんと同じ感覚を求めないでよ。この距離から中の気配なんか分からないって」
「うーむ、それにこれはやはり変だ」
「なにが変なんだよ。はっきり言ってくれ」
「まだカザンたちも侵入していないのに、血の臭いがするぞ」
「え?」
「研究所っていうのは、どこもこんなに血なまぐさいものなのか?」
父さんの言葉に不穏な空気が漂った。俺ももう一度注意深く研究所を見下ろしてみるが、やはりよく分からない。
外も門の前に警備兵がひとり見えるだけ。
「血か……俺もよく分かんないけど、とりあえず時間だよ父さん。行こう」
裏口からでも侵入すれば状況は分かるだろう。
俺たちは音もなく移動をはじめた。




