137 ゴンドワナふたたび
肌を刺すような空気を切って、はるか上空を飛んでいく。
くすんだ雲の下にはゴンドワナの地。
地上から発見されにくい曇天だが、高度はかなり上げていた。
もっと上空のデス・ゾーンまで昇らされたことを思い出せば、はるかにマシだが……ここまで来ると、さすがの俺も寒さを感じる。
氷点下20度は下回っているだろう。その上この速度だ。体感温度がヤバい。
「さみぃ……」
「バカモノ、年寄りのほうがもっと寒いわい」
愚痴をこぼしたら即座に怒られた。
じいちゃんは保温魔法使ってるくせに……ちなみに俺は使えない。完全生身だ。
「じゃあなんで草履なんか履いてくるんだよ」
「靴など履いたら動きにくいじゃろ」
意味分からねぇ。これだから年寄りは……。
ゴンドワナの首都はまだ先だ。
戻ってきたいと思っていたが、仕事でくることになるとは想定外だ。
あれだけ反発した家業にも、前ほどの忌避感はなくなっていた。母さんたちがアホみたいに俺を鍛えて、自由を与えなかった理由が分かったからだ。
仕事したいかしたくないか、って聞かれたら間違いなくしたくはないが。
「友達とやらは会っていかなくて良かったのか?」
うね雲の切れ目から地上を見下ろしながら、じいちゃんが言った。
ゴンドワナに向かうと言われて、一番に思い出したのはリアムのことだった。
ピゲール村は首都までの通り道だし、少し顔を見ていく程度は容易だった。
でも俺はそうしなかった。
「先生がなにを考えてるか分からないうちは、接触しないほうがいいだろ」
家族がリアムに危害を加える気はないと分かったところで、先生のあの警告が消えたわけじゃない。
今はまだ会えない。リアムの安全が保障されないうちは。
だからあいつに必要なものを、顔も見ずに置いてきた。とってつけたような理由とともに。
「ローガンがどうあれ、暗殺者の友達になりたい者はおらん」
「リアムは他のやつとは違うんだ」
「人などみな同じじゃ。最後には己がかわいい。甘いことを考えれば足をすくわれるのは自分じゃぞ」
「……そうじゃないヤツだって、いるよ」
「……なんとも甘いことを吐くようになったもんじゃ……若さかのう……」
吹き付ける風の冷たさに目を細めて、はじめてできた友達の人の良い笑顔を思い出す。リアムに足をすくわれるなんて、考えられない。
俺みたいな人間でも警戒心を解いてしまうような、お人好しだからな。
(友達か……)
エヴァは、俺をどう思ってるんだろう。
やっぱり友達とは思ってないんだろうか。
かといって、使い魔として見てるわけでもないし。
運命共同体以上に考えたくない、というのが正しいのかもしれないな……。
まぁ、エヴァと本当に打ち解けた仲になろうと思ったら、道のりは遠いよな。
エヴァのことを思い出したら、昔の話をしてくれたときの、痛みを噛み殺すような顔が浮かんだ。
研究所に捕まっていたという話だったが……あれはもしかすると、今向かっている国立研究所のことなのかもしれない。
小一時間ほど飛んだだろうか。
俺は耐えかねて声をあげた。
「じいちゃんっ、そろそろ休もう? 顔痛くて耳ちぎれそう!」
「情けないことを言うでない」
「じゃあ高度落としてくれよ。それじゃなきゃ俺にも保温魔法かけて!」
「頑張れ」
「くそジジイ……」
「なんか言ったかの?」
「いーえっ!」
俺は魔力に頼らずほぼ物理で飛んでいるので、それなりに体力も消耗する。
あとどれだけ飛ぶのか、考えるのも嫌になってきた。
結局休みなく飛び続けて歯の根もあわなくなった頃、ようやくゴンドワナ首都のラムハーンに到着した。
「フェル、唇が……というより顔が紫じゃぞ」
「誰の、せいだ、よ……」
地上が暖かい。
0度でも暖かく感じるってなんだよ。
「さて……先に行ったカザンたちと落ち合うとするか」
降りた場所はうっそうとした森の中だった。
緑化事業が盛んなゴンドワナには、こういった原生林が点在しているらしい。首都の端のくせに無駄に広い森だ。
俺が動けるようになるまで待つつもりなのか、じいちゃんは地図を広げて眺めている。
「あー、聞こえるか? わしじゃ」
ついでに耳の中に仕込んだ通信機で、アルティマと連絡を取っている。
通話先はシュルガットだろう。
「ラムハーンに着いたからの。これから合流するわい。カザンたちの現在地はどこじゃ?」
脱力して確認事項を聞いていたら、体温が戻ってきた。
不死の回復力が働いてるんだろうか。鏡を見なくとも血色が良くなっていくのが分かる。
じいちゃんが通話を終えて振り返った。
「フェル、カザンたちの居場所が分かったぞ。下調べが終わって昨日の夜から待機してるそうじゃ。もうひとっ走りというところじゃな」
「了解……ひとつ聞きたいんだけど、カザン兄さんはともかく父さんを先に行かせたのはなんで? 目立つしうるさいしひとりで突っ込んでいきそうだし、いいことないじゃん」
「単純に戦力の問題じゃ。首都にひとりで潜入させるのはカザンとて危ない。まぁ、苦労するのはカザンだけじゃ。問題ないじゃろう」
下見の任務をこなしながら、あの父のおもりをしなきゃいけないとは……
気の毒な兄だ。
「フェル、お前は魔法との戦闘経験がほとんどないじゃろう」
「え、しこたま叩き込まれたよな?」
「家族以外との実戦経験の話じゃ。今回の場所は国立研究所じゃ、科学国とは訳が違う。いくら不死になったとはいえ、敵と相性が悪いと思ったら深追いせずに引くことも頭に入れておけ」
「大丈夫だって。さっさと片付けようぜ。なんならじいちゃんが建物ごとバラバラにしちゃえば早いんじゃねーの?」
「研究資料も持ち帰れと言われておるから、建物ごと叩きつぶす訳にもいかんのじゃ。侵入して色々やらねばならん」
「なんだそれ、面倒くせぇなぁ。報酬、ふんだくってやった?」
「年間の国家予算分程度にはな」
ゴンドワナが完成させたという、不死の軍の研究。
ローラシアが今もっとも欲しがっている情報だ。
本当にそんなものがあるのなら、俺だって知りたい。
エヴァの不死をなくす方法については母さんがなにか知っているようだが、それとは関係なくテトラ教の研究所は無視できない存在だ。
(テトラ教が……もう白銀の巫女を追っていないという確証はないからな)
昔エヴァを捕らえていたことのあるテトラ教が、不死の軍を作り上げたのだとしたら。エヴァに関係がないとは言い切れない。
もし国立研究所がエヴァにとって危険な存在なら、これを機会に排除しておくべきだろう。そのためなら家業を手伝うことになんら抵抗はない。
ふと、セオに言われたことが頭をよぎった。
「なぁ、じいちゃん」
「なんじゃ」
「俺たちの仕事って、必要悪なのかな」
「……藪から棒になんじゃ」
「いや、セオに言われたんだけど、そうなのかなって思って」
「わしらがどんな悪かじゃと? 他人の評価などなんでもよいわ。お前は人殺しに必要不要の判断がいると思うのか?」
「いや……思わねーけど」
「大義名分などいらん。わしらはこれが仕事じゃ。農業や工業となんら変わりはない。そういう意味で世に必要というのなら、必要なのじゃろう」
じいちゃんの言葉は納得できても、俺の欲しい答えとは少し違う気がした。
暗殺行為を正当化する気はない。それは確かだ。
世にとって善か悪かと聞かれれば、俺たちは間違いなく後者。
だが正義なんて立ち位置で変わる。
正しい人殺しなんてない。
俺はそれを知っている。
それでも必要悪という言葉がどこかしっくりきたんだ。
贖罪が欲しかったわけじゃなくても、そのままの俺たちの存在を認めてもらえた気がして、うれしかったのかもしれない。
(やっぱり俺、ちょっと変わったよな――)
「行くぞ、遅れずに着いてこい」
草履の跡を残して跳躍したじいちゃんを追って、俺も走り出した。




