132 天秤を見守る場所#
from a viewpoint of エヴァ
※前話から少しだけ時間軸が遡ります
気まずくなったのか、ルシファーは逃げるように食堂を出て行った。
セオも行ってしまったから、取り残された私はひとり。
大きなテーブルを挟んで、ルシファーの家族と向かい合っている。
(これで家族とのわだかまりがなくなればいいけれど)
こうしてひとつずつ誤解や間違いをなくしていけば、彼も家出したいなんて思わなくなるだろう。
ちゃんとここで幸せになれる。
だから早く、私は消えなくちゃ。
ルシファーは優しいから、私が死なずにすむ方法を考えてくれるって言ったけれど……
(私は全部、終わりにしたいの)
ルシファーと行動するようになって、笑うことが増えた。
ふとした瞬間に、死んだ人たちのことを忘れかけて、笑っている自分がいる。
楽しい? うれしい?
そんなこと思う資格もないくせに。
時間の助けを借りて、傷を癒やそうとしている自分にゾッとする。
(あのとき……一緒に死んでと言われたのに)
死ねなかった私は、あの世まで行って親友に謝らなければいけない。
たとえ許してもらえなくても。
セレーネさんが知っている不死の情報。
今一番、可能性があるのはそれだ。なんとしても、アルティマ滞在中に聞き出さなくちゃ。
ななめ向かいのロシベルさんが、私を見て笑った。
「小鳥ちゃん、また顔が怖いわよ。食後のお茶はいかが?」
「……ええ、いただきます」
「ここにいる間、たくさん食べてもっとお肉つけてね……って、そういえばあなた、成長しないんだったわね」
「ええ」
60年近く眠っていただけだからあまり実感ないけど、ロシベルさんより私のほうが年上なのよね……
「考えてみればフェルもあのままなのねぇ。いつまでも可愛いなんて最高だけれど、本人は不本意でしょうね」
不老不死になったと知ったとき、やたら身長を気にしていたルシファーを思い出した。
そうね、不本意でしょうね。切実に大きくなりたいって言ってたもの。
家出なんてしなければ私の使い魔になることもなかったはずなのに……かわいそうな人。
「そういえば、明日の話は聞いてる?」
「あ……ルシファーがお仕事に出かけるって話?」
「ベル」
答えたら、セレーネさんがやんわりと口を挟んだ。
そのまま小さく首を横に振る。
「その話はしないのよ。フェルが教えて欲しくないそうだから」
「あらそうなの? でも母さん、なにも教えないで連れて行くのもひどくない?」
「『エヴァは絶対にここに置いていく』そうよ。人殺しの現場には連れて行きたくないのですって」
思わず膝の上の手を握りしめた。
人殺しの現場。
アルティマではそれが普通だって、頭では分かっている。
分かっていても、そんな普通を当たり前の顔で聞くことには抵抗があった。
だって、この家がそうじゃなかったら、もっと自由になれたかもしれない人がいるから――。
「どうして、暗殺なの……?」
ぽつりと、口をついて出た問い。
聞きたかったことを全部後回しにしても、それが聞きたいと思った。
「どういう意味かしら?」
セレーネさんが聞き返す。
「なんでアルティマ王国は、暗殺を仕事にしてるの……? 国としてやることなんて、他にもたくさんあるのに。選べる職業が生まれたときから暗殺しかないなんて、そんなの……」
「あの子がかわいそう?」
問いかけるセレーネさんの瞳は波立たない。きれいな紺碧はルシファーとよく似ている。
これが人殺しの目と言われても、混乱してしまうほどに。
「……だって、ルシファーは家の仕事より本が好きだって言ってたわ」
「そうね、あの子がそういう子だってことは私が一番よく知ってるわ」
「なら、やりたいことやらせてあげれば良かったんじゃないの? 家出なんてする前に、もっと話を聞いてあげてたら……」
アルテのことだって、亡くなったお兄さんのことだって、最初からちゃんと説明してあげてれば良かったんだわ。
家族の中で自分だけが知らない重要なことがあるなんて……悲しいもの。
私が、15歳になるまで周りから隠されていたように。
「質問に答えるわね」
その先を聞く必要がないと言うように、セレーネさんは言った。
「この国を暗殺国家と呼ばれるようにしたのは、それが私たちにとって望ましい環境だったからよ」
「望ましいですって?」
「そう。元より世界最強の魔女夫婦が作った国。破壊は必然でしょう」
そんな必然は知らない。
私は負けずに言い返した。
「そんなことないわ。強い力を持っているならなおのこと、他にもできることがあるはずよ」
「確かにそうね……でもやはり、アルティマにはこれが最適な形よ」
「……どうして?」
「ここはあなたの育った、ザナドゥーヤの村と同じなの」
アルティマがザナドゥーヤの村と、同じ。
セレーネさんの言うことをすぐに理解するのはむずかしかった。
「私たちは、人殺しの集団であると都合がいいの」
アルティマの人間がどこで誰を殺そうと、なにを画策しようと当たり前のこと。
さらに世界の深い場所に流れる情報を入手するには、深淵に住むのが一番。
暗殺事業はお金になるし、理に適っているのだとセレーネさんは言った。
「ここは天秤を見守るためにある国……ジュリアと、そこに集った魔女たちがそうだったように」
「……ザナドゥーヤの村と……同じ……?」
科学の力と魔法の力。
大きな力がどちらかに傾いてしまわないよう、釣り合いをとるために。ザナドゥーヤの魔女たちは、いつもどこかで私には分からないような仕事をしていた。
お母様の作ったあの村と、このアルティマが同じ役割だというのなら。
「ルシファーは……そのことを知っているの?」
「知らないわ。教えていないから」
「っそうやってなんでも隠すから、家出なんてするんだわ」
「そうね……でもあの子はあなたに会って、はじめて生きる意味を見つけたはずよ」
「……え?」
なぞかけのような言葉だった。
重要なことを聞いたようで、話をすり替えられただけのような。
「だから、息子をよろしく頼むわね」
なにが「だから」なのか分からず、もう一度「え?」と口の中でつぶやいた。
「科学国にも魔法国にも居づらいなら、ひとまずここにいなさい。ここは住人も設備も頑丈よ。アクセラレータの影響は気にしなくていいわ。今はゆっくり考えなさい、これから自分がなにを為すべきなのかを」
私が為すべきことなんて。
不死をなくして、アクセラレータをこの世からなくす。それだけだわ。
それ以上に考えることなんて、なにもない。
「――エヴァ、と言ったね」
違うところから声をかけられて視線を移した。
ルシファーの祖母……確か名前は、トルコさん。外見は小柄で清楚なおばあさんにしか見えないのに。
まとう空気は強烈で重かった。目が合うと存在感に気圧される。
やわらかい雰囲気のセレーネさんとはまた違った、風格を感じる魔女だった。
「花は好きかい?」
唐突な問いに、こくりとうなずく。
「ええ……好きだわ」
「なら明日にでも温室を見せてあげようじゃないかい。見頃の花があるさね」
「こんな冬なのに?」
「ああ、温室は冬でも暖かいからね。アルティマの中でもフェルが一番好きな場所さ。お前さんもきっと気に入るよ」
「……ありがとう、トルコさん」
「そんな他人行儀な呼び方はやめとくれ。ばあちゃん、でいいよ」
他人行儀って。他人なのだけど……
私が困っていると、ロシベルさんが「せっかちねぇ」と横から笑った。
「お婆さま、そんな風では余計に警戒されるのじゃなくて?」
「アタシはね、まどろっこしいことが嫌いなんだよ。ベルくらい図々しい子だったら話も早いが、そういう女はフェルの好みじゃない気がするしねぇ」
「あら、フェルの好みはお婆さまよりも私のほうが詳しいわよ」
「連れてきた嫁を見れば好みなんて一目瞭然さね」
嫁。指をさされているからには私のことよね……?
この間からルシファーが「違う」と言ってるのを誰も聞いていないようね。こうやっていつも話を聞かない人たちなのかしら。
ここはひとつ自分が訂正しておかなくちゃ、と思い、口を開いた。
「あの、トルコさん、嫁じゃないのだけど」
「ば・あ・ちゃ・ん、だよ」
逆に訂正される。
「じゃ、じゃあ、おばあさま……」
「ベルと一緒かい……まぁいいさね。で、まだ嫁じゃないって言いたいのかい?」
「そうじゃなくて、ルシファーとは運命共同体なだけで、嫁になる予定はないわ」
そう言ったら「え、なんだい、まさかフェルは片想いかい?」とか、「押しが足りないんじゃないかしら。教育し直さないと」とか、「ベル、ほどほどになさい」とか、家族だけで雑談がはじまってしまった。
一家の長であるはずのロスベルトさんは、気配を殺してお茶をすすっている。
この女性陣の中に入っていく、ルシファーのお嫁さんてすごく大変なんだろうな……。
誰だか分からないけど、同情するわ。
「とにかくね」
黙ってお茶を飲んでいたら、トルコさんがこちらに向き直った。
まだ私のことも視界に入っていたのね。
「小さくてもいい。まずは居心地がいいと感じる場所を見つけな」
「はい?」
「お前さんが不幸そうだと、うちのかわいい孫まで顔が暗くなるさね」
「あ……」
「美人は度胸と愛嬌だよ。覚えときな」
ロシベルさんが「お婆さまに愛嬌?」と笑い転げていたけれど、私はなんとなく笑えなかった。




