130 家族の後悔
夕食の席に、父さんとカザンはいなかった。
事前調査のため、すでにゴンドワナに入っているらしい。
アスカとシュルガットも作業中だとかで、姿が見えない。
そんなわけで、どこか落ち着かない顔のセオとエヴァだけが、ディスフォール家の食卓に招かれていた。
家族と一緒にとる食事は久しぶりだ。
変わらぬ肉中心の料理に、マスターの魚料理を思い出す。
マスターレシピ集とかないのかな。うちの料理人にもああいう料理を覚えて欲しい。
運ばれる料理を口に運びながら、一番饒舌なのは姉さんだ。
絡みやすい客ふたりに、とりとめもない話題を振っている。
「一番近いお店なら飛んですぐよ。近いうち一緒に行きましょうね?」
「あ、ええ……でも私は特に、服は必要ないから……」
買い物に誘われて困るエヴァを助けるため、俺は「そういえばさ」と話を切り出した。
「結局、アスカの半身とかいうヒューマノイドのことを、俺だけが知らなかった理由はなんなんだよ?」
この場で言い出すとは思わなかったのか、姉さんが意外そうな顔で俺から母さんに視線を移す。
「フェルに話したくなかった、という理由が一番大きいわね」
母さんは口元をナフキンでぬぐいながら、姉さんと同じ説明を返した。
「だから、話したくなかった理由を聞いてるんだよ」
「そうね……どこから話したらいいかしら。昔話になるけれど」
「なんでもいいから、納得のいく説明をしてくれ」
母さんは俺の顔を見て、ひとつ息をつくと話し出した。
「アルテを拾った頃……まだローラシアとゴンドワナはひどく仲が悪くて。科学と魔法の間で争いが絶えない頃だったわ」
母さんは科学国で、魔女と間違われて捕まっていたアルテを助けたらしい。
そのあとすぐに戦渦のまっただ中から連れ出して、ゴンドワナに向かったそうだ。
じいちゃんとばあちゃん、母さんは、そのときに人と同じように話せるヒューマノイドの存在を知った。
「アルテを助けたことで、うちにも科学が必要だと思ったの。それで、本体が捜しにくるまで彼女を保護するかわりに、力になってもらうことにしたのよ」
「で、アルテの力を借りてアルティマを作った?」
「ええ、大国間の不可侵条約が結ばれたあと、ようやく停戦になったでしょう。でも私たちは、ローラシアにもゴンドワナにも属したくなかった。それで自分たちだけの国を作ったのよ」
「懐かしいのう」
じいちゃんがお茶をすすりながら相づちをうつ。
「しばらく他の国はうるさかったさね。完全に黙らせるのに苦労したよ」
ばあちゃんも口を挟む。
その話なら俺も知ってる。アルティマ建国時、この小さな国を潰そうと、ローラシアもゴンドワナも攻撃を仕掛けてきたと。
何年かはそんな状態が続いたらしい。
だがキエルゴは当時、今ほど道が整備されていなかった。攻め込んでくるには立地が悪い。
なによりじいちゃんとばあちゃんは規格外の化け物だ。大国がアルティマを攻め落とそうとするたびに逆に叩きのめされ、軍隊はダメージを受けた。
さらにばあちゃんたちはいつでも、要人から殺しに行ったらしい。
「奴らが喧嘩を売る相手を間違えたと理解できるように、指揮者から殺るのが基本さね」
「愚か者どもを掃討せずとも、頭を始末すればそこで終わるからのぅ」
ほのぼの話す老人ふたりを、セオはなんとも言えない顔で見ている。
食事がまずくなりそうな話題だったかなぁ。
我が身がかわいい要人たちは、次第にアルティマを恐れるようになっていった。
じきにふたつの大国はアルティマから手を引いた。キエルゴ山を越えやすくした貢献という名目で、求められるまま通行料も支払うようにもなった。
ひとつの国としてその地位を認めなくとも、握りつぶすこともできない。
目の上のたんこぶのような存在に、アルティマはなってみせたわけだ。
「アルテは本当によく私たちを助けてくれたわ。特に、弱かったシュルガットの面倒を見てくれて……そのあとはウィングの面倒も任せていたの」
予想していなかった名前を出して、母さんは言葉を切った。
ウィング。
その名が家族の間で会話に上ることは滅多にない。
俺が生まれる前に死んだ、3番目の兄の名だ。
「……どうしてここで、死んだ人間の名前が出てくるんだ?」
違和感と同時に、その人物についても俺はほとんど知らないことに気づいた。
なにかつながりがあるのか。
「死んだウィングにも……翼があったのよ」
母さんの言葉を聞いて、食べる手を完全に止めた。
はじめて聞く話だった。
「あなたによく似た子だったわ。でも、翼は飛べるほど大きなものではなくて。なにより、片翼だったの」
「片翼……? どうして……」
「なり損ないよ」
「なりそこ……なんだって?」
「なり損ない。絶対神はそう言ってたわ」
母さんの能力は未来を視ることができる。
さらに神の声を聞くことができるというのは、家族なら誰でも知っている事実。
死んだ兄について、なにか啓示があったということだ。
「シュルガット以上にとても弱い子だった。だから私たちはあの子を大事に育てたのよ。とても大事に……愚かにもね」
シュルガットは小さい頃から体が弱く、魔法らしい魔法も使えなかった。
それでも庇護されるだけの存在であることを良しとはせずに、科学の力を身につけた。
ウィングはそれすらもできないほど、病弱だったと聞いている。
「弱くて優しい、天使のような子だったわ……」
母さんたちはウィングを、暗殺一家に生まれた子どもとして鍛えることはしなかった。
長くは生きないだろう、いつ死んでしまうかと、ただみんな一様に、手を差し伸べて育てていたらしい。
俺からすれば信じられない話だった。
そんなに大切にされていたのに、死んでしまったのか。
「ウィングは……病気で死んだんだよな……?」
確か、俺が聞いていた話では、死因は病死だったはずだ。
「いいえ」
母さんは首を横に振った。
「殺されたのよ。あなたが生まれる少し前に。テトラ教に目をつけられて……攫われたの」
翼の生えた人間など、どこにもいなかったから。
神の姿に似た人間は、テトラ教にとって格好の標的だったろう。
色んな悪条件が重なって、ウィングは攫われてしまったと、母さんは当時のことを振り返り話した。
「アルティマの領地内から攫われるなんて、嘘だろ……?」
シロや庭師が巡回するこの国で、誰にも気づかれずに人を攫うなんて不可能だ。
「今ならむずかしいでしょうね。でも、当時は今ほど使用人もいなかった。あの頃の私たちは、アルティマに喧嘩を売る無謀な人間がいるとも思っていなかったのよ。ましてや、テトラ教の祭司風情が……潜り込んで、あの子を連れ去るなんて」
「……それで、どうしたんだ」
「アルテだけが気づいて追ったけれど、手遅れだったわ」
遠距離を瞬時に移動する魔道具を使って、ウィングは連れ去られたらしい。
止めようとそこに飛び込んだアルテは、戦闘系のヒューマノイドじゃなかった。
じいちゃんや父さんがゴンドワナまで追いかけて見つけたときには、無残に破壊されていたという。
体の弱いウィングもその傍らで、すでに息をしていなかったそうだ。
「私たちは、あの子に生き残る術をなにも教えなかったのよ」
波立たない表情の下から伝わってくる、母さんの感情がらしくないと感じる。
後悔と、怒りと、怯え――。
生まれながらにして核に異常を持ち、魔力はあっても魔法を使えない障害持ち。
体が弱くて、みんなに庇護されながら育った存在。
それが死んだ、俺のひとつ上の兄。
殺伐としたことの多いこの家の中で、愛されていたのだろう。
食卓を見回せば、じいちゃんも、ばあちゃんも、姉さんも同じ顔をしていた。
当時のことは、そんなにみんなの傷になっているのか……。
「生まれつき弱いやつを鍛えるなんて、無理だろ……」
どうしたって、長く生きられなかったかもしれないやつを。
弁護するつもりじゃなくても、そんな言葉がもれた。
「そうね。弱者は淘汰されるものよ」
母さんが言った。
本当にそう思っている口ぶりで。
「あれはもう、仕方のないことだった……でも、あなたは違うでしょう?」
「俺……?」
「あなたはなり損ないじゃないから」
どういう意味だろう。
片翼じゃなくて、病弱でもないから……?
(ああ……そうか)
今の母さんたちの顔を見て、はじめて分かったことがあった。
必要以上に俺をゴンドワナに近づけなかったのも。
人前で翼を見せるなと言っていたのも。
「私たちは翼を持ったあなたが生まれたとき、もう間違えないと誓ったのよ」
俺を子ども扱いして、言うことを聞かせようと思っていたのじゃなくて。
母さんたちは、怖かったんだ。
俺が、ウィングと同じようになるのが。
「……俺は、ウィングじゃないよ」
ぽつりとこぼした。
「分かってるわ。それでも重なってしまうものよ」
この背の黒い翼を見るたびに。
護れなかった命を思い出すのだろう。
そうして俺以外のみんなが、俺をテトラ教から遠ざけてきた。
「……俺にアルテのことを教えなかったのは、そのせいなのか」
「そうね。あなたは小さい頃からなんでも知りたがる子だったから。アルテが壊れた原因について、追求されればウィングのことを話さなければいけなくなる。色々……憂鬱だったのよ」
「憂鬱だからって、隠すことないだろ」
「……ごめんなさいね。私はどうしてもあなたを強い人間に育てなきゃいけなかったの」
「長寿薬に変なものまで混ぜても、か」
迷いなく敵を殺せるように。
優しさではなく、冷酷さをもった人間にするため――。
「ええ」
「家業のために?」
「いいえ」
母さんは答えた。
「世界のためよ――」




