013 ゴンドワナの隅で
上空を抜ける風は心地よかった。
俺の翼はじいちゃんよりも、飛ぶ鳥よりも速い。
高度を上げながら地上を見下ろせば、アルティマへ向かっていくでかい魔道車の一団が見えた。
ゴンドワナから来て、ローラシア方面に抜ける商人たちだろう。
少し考えて、魔道車が来た方角へ進路を定めた。
谷を抜けて上昇するにつれ、気温は低くなっていく。開放感からかそれも心地よかった。
キエルゴの山頂付近にはもうかなりの積雪が見てとれる。じきにふもとにも雪が降りることだろう。
一度だけ後ろを振り返った。はじめて自身の意思で飛び出た家は、もう後方に見えない。
(……これでいい)
速度を上げて飛び続けること小一時間ほど。
山向こうの平野に巨大な都市が見えはじめた。
魔法国家、ゴンドワナ。
人口も土地面積も、ローラシアよりは小さいけれど、世界で一番でかい魔法都市だ。
俺は記憶にある限り、キエルゴ山脈のこちら側には来たことがない。
いつも仕事はローラシア側を任されていた。
ゴンドワナの民たちが崇拝する6大神がひとり、闇の神クラミツハの背には俺と同じ黒い大翼がある。
光の神アマテラスにも、絶対神テトラグラマトンにも、純白の翼がある。
体の一部が獣化した人間もいるにはいるが、翼を持つ人間てのはいない。
俺の翼はテトラ教の信者たちにとって大いに騒がれる可能性があって、隠密行動に向かないというのが、家族たちの意見だった。
だが、そんなことはもうどうでもいい。
俺は仕事で来てるんじゃないんだから。
外の世界を自由に見てみたい。
普通に暮らしている人間が何をしているのか、知りたい。
そしてできれば……友達が欲しい。
重たい何かが、息を詰まらせた。
大丈夫。ターゲットでなければ、きっと、友達だってできる。
自分にそう言い聞かせた。
「どこに降りればいいのか……悩むな」
ゴンドワナのことなら知識として知っている。地理や文化、歴史は本で読んだ。
科学国家に住む魔力なしの人間と違って、ここに住むのはほとんどが魔力を持つ人間だ。
彼らに有害な外気を遮断するための、ドームやシェルター、スーツは必要ない。
大崩壊後の環境に適応し、進化した人たち。
俺と同じように肌をさらし、浄化しない水を飲み、解毒しない食物を口にすることができる。
ゴンドワナの国は上空から一望できないくらいには大きかった。
山のこちら側にある、都市のはずれには田畑が目立つ。民家もまばらにあった。
はるか遠くに目をこらせば、国の中心部分だろうか。白く輝く丸い屋根が見えた。横にも縦にもひときわ大きな建物だ。
「あれが、テトラ教の神殿か……?」
国の最高位である、祭司長の住む聖地。
たくさんの祭司や巫女が働いていると聞く。
かなり上空とはいえ、都市の上まで飛んで行くと誰かに見られる心配があった。
出来れば静かに観光したい。面倒になりそうなことは避けたほうがいいだろう。
俺は街から遠く離れた農村の近く、人気のなさそうな場所を狙って降りることにした。
翼を縮めると、重力を利用して一気に降下する。
ぶわり、と土煙が舞い、地面に足がついたところで翼をたたんだ。
風で乱れた前髪を整えると、周りを見回して「さて……」とひとり呟く。
ここからどうするかは全く考えていなかった。
とりあえず、都市部に向けて歩いてみるかな……
すぐ側には井戸があって、木造の簡素な厩舎らしきものもある。
俺は小さい木造の建物と納屋の間を通ると、道らしきところに踏み出た。
舗装されていないが広い道だった。向こうには今時期に育つ葉野菜の畑が広がっている。
「おおー……」
自給自足をしないアルティマでは見ない風景だ……ローラシアもドーム内や地下で野菜を栽培していることがほとんどだから、日の下で育つ野菜畑は写真でしか見たことがないものだった。
「はー、すげーなぁ。これ全部同じ野菜なのかー」
食べ物と認識した瞬間、腹の虫が鳴った。
当たり前か、3日間食ってないし。
「腹ごしらえするか……」
畑の周りは少し傾斜した土手になっていた。
俺はそこに腰掛けて、ショルダーバッグからシリアルの袋を取りだした。
長いシリアルバーをかじりながら、しばらくの間珍しい風景を堪能する。
「やべぇ、なんか気持ちいー……」
一本食べ終わったところで、大きく伸びをすると後ろに転がった。
と、先ほど通過してきた民家の方で板戸をすり開く音が聞こえてきた。
誰か出て来たらしい。
少しのけぞって音のしたほうを確認すると、短い赤茶の髪に黒目の少年が驚いたように足を止めたのが見えた。
「え……? だ、大丈夫?!」
少年はそう言うなり駆け寄ってくると、抱えていたカゴを横に置いてオロオロと俺を見下ろした。
「どこが悪いの? 水持ってこようか??」
「え……? ああ……」
慌てた様子に、はたと思い当たった。俺、倒れてると思われてる。
逆さまに見上げた状態から上半身を起こして、服についた草をはらった。
「いや、どこも悪くない。ちょっと休憩してただけだ」
「ええ? なんだ……びっくりした……」
少年はほっと息をつくと、そばかすのできた顔に人なつっこい笑みを浮かべた。
「こんなところで寝てるんだもん。行き倒れかと思ったよ」
「あー……驚かせて悪かったな」
この程度のことで見も知らぬ人間の心配ができるとは。
不思議な感覚だ。そして家族以外と言葉をかわすことなんてほとんどない俺に、こういう会話は新鮮に感じる。
人の良さそうな少年は痩せているけれど筋肉がしっかりついていて、肉体労働者なのが分かった。
「君、旅人……にしては軽装すぎるね。どこから来たの?」
「あ……ええと。ゴンドワナ、から」
「ここもまだゴンドワナだよ。都心部からそんな格好で歩いて来たの? 半日はかかる距離なのに……もうちょっと装備整えてこないと危ないよ。この辺りには泊まれるところないから」
「そっか、うん。今度から気を付ける」
当たり障りのないことを答えようと、たどたどしく返す俺を不審がるでもなく、少年はもう一度「そうしたほうがいいよ」と笑いかけた。
少年は横のカゴを取りあげると土手を降りていく。
観察していたら、座り込んで足下の草を抜き出した。抜いてはカゴに入れ、少し移動してはまた草を抜いてカゴに入れ……
俺は少しの間、その作業を眺めていた。
「なあ」
だんだんと距離が離れていくので、俺は大きめの声を投げた。
「なに?」
「それ、何してんだ? 食べるのか?」
野菜ではない草をカゴに入れているのは何のためか。
「雑草を抜いてるんだよ」
「雑草?」
「全部抜かなくてもいいんだけどね、野菜の生長をジャマしそうなところにいる、困った種類のだけ抜くんだ」
「え? この畑、全部のか?」
「そうだよ」
当たり前のように返されて、数回瞬きしてからもう一度畑の全体を眺めてみた。
科学国のサッカー場くらいありそうな面積だ。冗談だろう?
「もちろん、毎日、何日かに分けて見回るんだよ。ぼくひとりじゃ一日では無理さ」
「ひとり……お前、家族は?」
「いないよ、父さんは出稼ぎに行ったきり帰ってこないし、母さんは病で死んだ」
そういいながら手を動かす少年に興味が湧いた。
14、5歳ってところだろうか。
ひとりで、ここで農家をやっているってことなんだな。
「なあ」
「なに?」
「そうやって野菜の世話してるの、楽しいか?」
「ええ?」
手を止めて顔を上げると、少年は困ったように笑った。
「変なこと聞くなぁ。生きていくためにやってるんだよ? でも、野菜が元気だとうれしいから……やっぱり楽しいのかなぁ」
辛いことも多いけどね、と付け足して、少年はまた手を動かし始めた。
「ふーん……」
俺はちょっとだけ考えて、上着を脱ぐとバサリと地面に落とした。
土手を降りて、少年の側まで歩いて行く。
「俺にも教えて」
「え?」
「雑草の抜き方」
変な顔で俺を見上げると、少年は「そんなに楽しそうに見える?」と肩をすくめた。
「楽しそうっていうか……やったことないから、やってみたいんだ」
「ああ、君いいとこの子みたいだもんね。農作業なんか縁ないのかー……」
泥のついた手でカゴをよけると、少年は俺の足下にあるシュッと立った草を指さした。
「それ、そういう長くて勢いのある草だけ抜いてくれる?」
「これか?」
「そう、逆にこっちの地面にへばりつくように生えてるのは野菜のジャマをしないから抜かなくていいよ」
「へー」
「まぁ今は気温が低いから、どのみち雑草もそんなに勢いよく育たないけどね。ここら辺はホウレンソウで、あっちはシュンギク、その向こうの畑にはダイコンがあるよ」
「はあ……」
ぱっと見は全部同じに見えるけれど、違う種類らしい。
土に触ることもまずないので、純粋に面白いと思った。
本で読むのと、実際にやるのではまた違うな、と思いながら。
俺は少年のとなりにしゃがみ込んで、もくもくと雑草を抜いていった。
家族と離れ、ゴンドワナの田舎にたどり着いた主人公。
一章の主要登場人物と遭遇です。次話は火曜日か水曜日に更新予定です。




