128 壊れた半身#
from a viewpoint of セオドア
次男、シュルガットの研究室は、屋敷の端にあるらしい。
さきほど俺たちを呼びに来たメイドが、先頭を歩いて行く。
(なにか、おかしい……)
先ほどからそこそこの距離を歩いているのに、廊下の終わりが見えない。
いや、見えているのに近付いてこない。
外から見た建物の規模を考えれば、ここまで長い廊下などあるわけがなかった。
「魔法、の一種でしょうか……」
アスカが前を歩くロシベルに問いかけた。
ロシベルが歩きながら振り向く。
「そんなとこかしら。研究室にたどり着くには少し遠回りが必要なの。もう少しで着くから心配しないで」
暗殺一家の住む屋敷らしく、何かしらの仕掛けがあるようだ。
見た目通り、美しいだけの建物だとは思わないほうがいいということか。
もう100メートルほど歩いたところで、メイドが言った。
『シュルガット様もすぐにいらっしゃいます。お先にお入りください』
メイドが開けた金属の扉から部屋の中に入った。一瞬目を疑って、吹き抜けの天井を見上げる。
科学国の体育館……ほどではないが、そんな見た目のやたら広い空間だ。
扉一枚を隔てて、あまりにも世界が違う。無機質な床と天井は、この屋敷の外観や内装と異質すぎて戸惑った。
研究室、といえば確かにこういうものなのだろうが……
高い壁に並ぶ棚。何台も連なった四角いコンピュータ。用途のわからない装置の数々。
アスカの家の地下にも、似たような機械があったことを思い出す。
ヒューマノイドの作りかけだろうか。骨格のような金属や頭部が、ガラス張りのケースに並ぶ様は決して良い眺めとはいえなかった。
「――お、お待たせ……」
ほどなくして、さきほどの次男が部屋に入ってきた。
どもりのある喋り方は、ルシファーと似ても似つかない。
顔立ちはどこか似ていて整ってはいるが、痩せていて青白く、やはり兄弟とは思えなかった。
「さ、さっそくだけど、確認ひたいことが、あ、あるんだ……あ、アスカ、ちょっとだけ、いいかな……」
妙なパイプやコネクタが接続された背もたれ付きの椅子を示して、シュルガットが手招きする。
アスカはちらと俺を見上げると「大丈夫です」と笑って、歩いて行った。
そんなに心配が顔に出ていただろうか。
「現在の、君の状態を、その、確認ひたいんだ……なにもひなくて、いいから……す、少しだけ、ここに座ってくれない、かな……?」
アスカはぐるりと椅子の周りを回ってから、シュルガットに向き直った。
「システム解析……ベンチマークですか? なんのためでしょう? 単なる好奇心でしたらお断りします」
「いや、好奇心ももちろん、あ、あるけど……それ以上に、色々確認ひたくて……」
「ですから、なんの確認でしょうか。私はまだ、なんの説明も受けていません」
毅然と突っぱねられているのに、それでもシュルガットはうれしそうだ。
コクコクとうなずくと「そ、そうだよね……説明が先だな……」と言いながら、壁の棚を開けてゴソゴソとなにかを取り出した。
分厚い、一冊のファイルだ。
「ちょ、ちょっと重たいよ。だ、大丈夫?」
「あなたの筋力で持てるのなら、私には問題ない重量です」
一線を引くように淡々と答えると、アスカはファイルを受け取った。
パラリとめくって、「これは……」と呟くと、黙り込んだ。
そのまま、読んでいるとは思えないスピードでページをめくっていく。
後ろからのぞきこんでみたが、機械回路の図や数式、専門用語ばかりが並んでいて、俺にはさっぱり分からない。
ただ、アスカの表情を見る限り、言葉を失うほど衝撃的なものなのだということは分かった。
「……シュルガットさん、これは、あなたが……?」
信じられない、といった顔でアスカはファイルを差しだした。
受け取りながら、シュルガットは「っそ、そうだよ」と言った。
「……アルテが、お、教えてくれたことを元に、ぼ、僕なりに、色々発展させて、ここまでにひた。で、でもこれは、もうご、5年も前の構想だから。今は、もっとすごいよ……ど、どうだろう? 気に入った?」
「これが実現するのなら、素晴らしいです。コアの圧縮と周波数の増幅……スタタイトとの連携は昔もありましたが、今はもう一機も宇宙に浮かんでいませんから」
ふたりは、およそふたりにしか分からないだろうことを話し始めた。
アルテというヒューマノイドの話はどこへ行ったのだろう……アスカはもう、理解しているようにも見えたが……。
「そ、それでさ、アスカ」
専門用語の質疑応答が続き、俺とロシベルまでもが入り込めないでいると、シュルガットが居住まいを正して言った。
「うん、君の解析は、やっぱり、あ、あとにひよう。先に……会わせたい。き、来てくれる、かな」
「はい」
ふたつ返事でうなずいたアスカに違和感を覚えた。
この短時間で、信用に足る男だと判断したというのか。
シュルガットが部屋の奥にあるスイッチを操作すると、なにもなかった壁にいきなり大きな穴があいた。
壁の中に、四角い空間が見える。
「の、乗って」
メイドとシュルガットが先に進んで、俺たちを呼んだ。
ロシベルは黙ったまま入っていく。俺とアスカもそれに従った。
空気の抜ける音とともに、扉が閉まる。
ふわりと体の浮く、覚えのある感覚があった。下降しているようだ。
ポーン、となにかの合図のような音が響くと、ふたたび扉が開いた。
やはりエレベーターだったようで、目の前の景色はさきほどと違ったものだった。
吹き抜けの大空間は消え失せて、ただの暗闇が広がっている。
だがすぐに、目の前の両側に光が浮き上がった。
そのまま一気に電気が点灯する。奥に続く長い廊下が照らし出された。
「さ、さあ、こっちだよ」
シュルガットのあとに続く。左右に頑丈な金属の扉が並ぶ廊下を進んでいくと、シュルガットは一番奥の扉に手のひらをあてた。
一瞬、壁全体に光の筋が走る。空気の抜ける音とともに、扉が横に開いた。
同時に部屋に灯りがともる。
「……あぁ」
となりから、かすかにもれた震え声。
アスカが今にも泣きそうな顔で、部屋に飛び込んだ。
「アルテ……!」
透明なケースの中に横たわる、成人女性のヒューマノイド。
アスカは走り寄ると、ヒューマノイドがのせられている台座に触れた。
「アルテ……こんなところにいたのね……」
ケースに額を押し付けると、アスカはずるずるとしゃがみ込みながら、その横顔をのぞき込んだ。
あれが、アルテ……アスカの半身か。
淡い茶色の長い髪。端正な顔立ちはアスカと似通ったものを感じた。
見たところどこも破損はしていない。目を閉じてはいるが、今にも動き出しそうだ。
俺は前に立つシュルガットに尋ねた。
「彼女は、壊れているのか……?」
半泣きで鼻をすすっていたシュルガットは、ふるふると首を横に振った。
「ど、どこも壊れて、ない。完璧に直ひた……」
「じゃあなぜ、動かさずにああしているんだ?」
「動かひたかったさ……直ひたあと、すぐにでも……」
「それならどうして……」
シュルガットは自嘲気味に笑った。
「――起動、できなかったんだ……」
「できなかった……?」
技術的に無理だった、ということか?
じゃあ完璧に直したというのは……一体どういう……
「再起動すると……初期状態に戻ってしまうからですね」
ケースの中を見ていたアスカが、ゆっくり立ち上がって振り返った。
初期状態とは、どういうことだろう。
「ごめん。ど、どうひても……できな、かった……んだ」
シュルガットはアスカの言葉を聞いて、力が抜けたようにその場にしゃがみこんだ。
膝をついた姿勢で、視線の先のアスカを見上げる。
「アルテがまた、う、動けるように、なって、アルティマを助けて、くれれば、それでいい……そう、思えなかった……。ぼ、僕のことを、アルティマのことを、忘れてしまったら、どれだけ、形を整えたって、彼女はもう、アルテじゃない……から……」
システムの大部分に再構築が必要なほど、アルテの体は損傷が激しかったとシュルガットは説明した。
大元の記憶装置は無傷だったため、なんとか元の体をベースに外装を整え、必要なパーツはすべて新しくした。
あとはデバイスの情報をすべてアップデートし、起動するだけ。
だがこの状態からその操作を行うと、記憶メモリがリセットされてしまう。
だから動かせなかったと、シュルガットは頭を下げた。
「アルテを直したとき、そのまま動かせばもっと早く、君を見つけられていたかもしれないのに……僕は、自分の都合のために無駄な時間を使ったんだ! 20年も……!」
だんだんと早口になっていくシュルガットを、アスカは静かに見下ろした。
「私は……探してたんです。長い間……本当に長い間、もうダメかと思いながら」
シュルガットは両手のひらと額が床につくほど、頭を下げた。
「……すまない。本当に……アルテから受けた恩を、仇で返したようになってしまって……僕は……本当に……!」
「あなたが、ずっとアルテを守ってくれていたんですね」
「許してもらえるとは……え?」
「ありがとうございます、シュルガットさん」
アスカはシュルガットの手を取ると、立つように言った。
ふらりと立ち上がった痩せた顔は、後悔の涙でひどいものだった。
そんなシュルガットを見て、アスカは穏やかに笑った。
「あなたが謝罪することなんて、なにもありません。本当は、アルテのことはほとんど諦めていたんです……こうして見つけることができたのが嘘みたいです。シュルガットさん、本当にありがとうございます」
「アスカ……」
シュルガットが鼻をすすると、横からメイドがハンカチで顔をふいた。
いたれりつくせりだな……。
「シュルガットさん、教えていただけますか」
シュルガットの手を握ったまま、アスカは言った。
「当時のアルテに、なにがあったのかを」
その目をしっかりと見つめ返すと、シュルガットはうなずいた。




