126 母さんの見えない思惑
母さんの部屋の近くまで来て、気配で分かった。
中に、エヴァがいる。
「なんで……」
俺の部屋で待たせていたはずなのに。
考えることが多すぎて、エヴァの気配を追うことすら忘れていた自分に腹が立った。
足早に扉に近付いて、前に控えるメイドを下がらせるとドアノブに手をかけた。
「セレーネさんなら、私を、殺せる……?」
扉の向こうから聞こえたエヴァの声に、手を止めた。
「――ええ」
答えた母さんの声に、心拍数が上がる。
「……なら、私を――」
エヴァが先を続ける前に、扉を引き開けた。
一歩踏み込むと、向かい合って座るふたりに鋭い視線を投げた。
「――なんの、話だよ」
「ルシファー……」
エヴァが驚いて腰を浮かしたのを、母さんが手で制して座らせる。
話を邪魔されたとでもいうような挙動にイラッとした。
「なに、俺の許可なく勝手に連れてきてんだよ」
久しぶりに顔を見た母さんに、非難の声を投げた。
俺をなだめようと思ったのか、エヴァは「違うわルシファー、私が」となにかを言おうとして、また母さんに止められた。
俺を見て、母さんはいつものように微笑む。
「あなたの許可など必要ないでしょう。彼女は今、私のお客よ」
「は? 誰が誰の客だよ」
「そんなことより、ただいまの一言もないのね。親不孝もほどほどにしてくれないと、本気で悲しいわ」
まともに取り合う気がない母さんに、苛立ちがつのる。
いつもそうやって俺の言葉をまともに聞きもしないで、はぐらかすばかり……
以前なら仕方ないと気にしなかったような、ひとつひとつのことが流せなかった。
怒りも、葛藤も、全部の感情が濃くてめまいがする。
「親不孝で結構だよ……俺のいないところで、エヴァに妙な話しないでくれ」
「妙じゃないわ、大事な話よ」
「母さんにとって大事な話なんて、どうでもいい」
言葉を遮ると、声を荒げた。
「エヴァになにを言ったんだよ? 不死をなくして、殺してやれると? 俺はそんなくだらないことを聞きに帰ってきたんじゃない……!」
「あらフェル……あなたこの子の不死をなくすために協力してるんじゃなかったかしら?」
「っそれは」
「協力する姿勢がただのポーズだったとしても、徹底しないと。矛盾した行動は信頼を失うわよ?」
「……そんなこと、母さんに言われたくない。それに俺はちゃんと言ってある。不死をなくす方法を探してもいいけど、エヴァを死なせる手伝いはしないって」
母さんは「屁理屈をこねるところはまだまだ子どもね」と、ため息を吐いた。
「いずれは一国を背負うつもりで育ててきたのに、突然飛び出して行って知らない場所で死にかけたあげく、使い魔になったですって? どれだけ家族に心配かければ気がすむのかしら……」
無表情に冷気を漂わせた声に、返す言葉を失った。
そうだ、母さんの望みは俺が立派な暗殺者になって、アルティマを維持していくこと。誰かの使い魔になるなんて、とんでもない話だろう。
俺を使い魔でなくす方法がエヴァの死だと言うのなら。
母さんがエヴァの命を消そうと思うのは、当然のことで――。
母さんの指が、エヴァの白銀の頭をなでる。
自分の手の中にあることを、俺に見せつけるように。
やっぱり、嘘なのか。
俺を自由にさせてやろうなんて話は、全部嘘で……本当は、エヴァを――
「ふっ」
突然、母さんが小さく吹いた。
「ふ、ふふふっ、ああ……いけない。我慢できなかったわ」
「な、なにがおかしいんだよ?」
「ごめんなさい、あなたがあんまり一生懸命だから、ちょっと意地悪してみたくなったのよ」
「……は?」
「家出したことも使い魔になったことも、別に怒っていないわ。ましてやこの子をどうこうしようとも思ってないから、安心なさい」
母さんはそう言ってエヴァの頭をなでた。
マジかよ……。ドッと肩の力が抜けた。
「セレーネさん」
ためらいがちに母さんの手をはずすと、エヴァが言った。
「私の不死をなくす方法を、教えて」
ひどく真剣な声で。
「エヴァ、待てよ――」
「ルシファーは黙ってて。私が聞きたいことよ」
にらまれて、仕方なく唇を噛む。
「お願い、私が死ねる方法を教えてほしいの。そうすれば――」
「――ごめんなさい、断るわ」
母さんはにこやかに断った。
エヴァは納得がいかないらしい。
それはそうだろう、はじめて見つけた不死に関わる情報だ。
「どうして……? 私は天秤の均衡を脅かす存在なんでしょう? それにルシファーだって……私がいなくならないと使い魔のままよ?」
「かまわないわ。私はかわいい息子に恨まれたくはないの」
「母さん……」
あまりにも嘘くさい理由。
また冗談だろうか。笑う気にもなれない。
「その顔はなにかしら? フェル」
「俺に恨まれたくないとか、嘘だろ。本当はなに考えてるんだよ?」
この母は、いつもここではないどこかから世界を見ている。
たかが息子への私情ひとつで、変えたり決めたりするような人間じゃない。
「ふふ……そうね、あなたの言うとおりよ。ただ、今はこの子の力が必要なだけ」
「エヴァを利用する気なのか?」
「いいえ、すべては運命の運ぶままに。私は見届けるまでよ」
「……私はっ!」
エヴァが耐えかねたように立ち上がった。
「私はもうずっと、不死をなくす方法を探してきたの! 一刻も早くアクセラレータをこの世界から消さなければいけないって、あなたなら分かるでしょう……?! この力は存在しちゃいけないのよ……だから……!」
必死に訴えるエヴァを、母さんは無表情に眺めていた。
「あなたに逃げる権利はあると思うわ。でも、ジュリアがなにを思ってあなたを不死にしたか……それすら理解せずに終わらせようとするのは、少し彼女が気の毒かしら」
「……っ」
「なんにせよ、今は不死の秘密を教える気はないわ。いずれ時が来たら教えてあげましょう」
「どうして……? 私になにをさせたいの?」
「私があなたに望むことは、誰にも殺されない強い力をフェルに与えること。それだけよ」
俺を、強くするためだっていうのか。
力を得るためだったら使い魔になったことも許容できるってことか。
家業のために……?
それは、なにか違う気がした。
「……いつ、教えてくれるの?」
「すべてが終わったら、とだけ」
ふたりはそれきり沈黙した。
沸騰しそうな感情を押さえこんだエヴァの顔。
本当に悔しいのが分かっても、俺はひとまず安堵してしまった。
母さんがなにを企んでようと、エヴァから不死をなくすことには賛成できない。まだ、そのときじゃない。
「エヴァ……もういいだろ。行こう」
うつむいたままのエヴァの手を取って引いた。
力なく、一歩踏み出した。
「フェル、あなたなにか聞きたいことがあって来たのじゃなくて?」
母さんが呼び止める。
「山ほどあるけど、もうあとでいい。そろそろシュガー兄さんも起きただろうし、一度青の間に戻る」
「そう、それじゃ夕食の席でまた会いましょう」
「……」
俺はそれには答えずに、部屋を出た。
みんながいるところで聞きたいことなんて、なにもないと分かっているくせに。
まぁいい、今はエヴァを少し落ち着かせよう。
気のせいか、つないだエヴァの手が俺より冷たい。
思わず強く握りそうになってしまって、思いとどまると手を離す。
「……あれ?」
見下ろした細い手首に、うっすらと指の痕が残っていた。
「なに?」
「これ……まさか俺がさっきつけた……?」
「えっ?」
エヴァが自分の手首を持ち上げて、あざのように残る痕を見た。
「さっき部屋で、俺が強く握りすぎたから……」
「そんなわけ……その程度で今まで残るわけないわ」
「でも、指の形に見える」
「……言われてみれば」
じわじわと自己嫌悪が襲う。
「本当ごめん……力入れたつもりなかったのに……痛くないか?」
「別に大丈夫よ。でも……気にするポイントはそこじゃない気が」
そう言ってエヴァは考え込むような表情をみせた。
確かに、痕がつくほど握ってしまったのだとしても、今まで残っているのはおかしい。
不死の能力ならこの程度のあざ、とっくに消えているはずだ。
「傷じゃなくてただの汚れなのかも。お風呂に入れば取れるかもしれないし、気にしないで」
なんだか曖昧に呟いたエヴァに「そうか……」とだけ返した。
それならいいんだが。
またふたりで歩き出す。黙って俺のあとをついてくるエヴァが、ぽつりと言った。
「私、あきらめないから……」
なにが、とは聞かなかった。分かりきっている。
「やっと見つけたのよ。どこを探しても、誰も教えてくれなかったことを……」
「……ああ」
「ルシファー、私にもう一度、セレーネさんと話をする機会をちょうだい」
「……母さんは時がきたらって言ってた。あの人がそう言うからには、そのときが来ないと無理だ」
振り返らず、歩きながら答えた。
「今すぐに不死のことを聞けなくても、他の話もしたいの。頂点の魔女の話とか、アクセラレータのこととか……お願い、協力して」
そう言われれば、俺に答えられることなんてひとつしかない。
「……分かった。そう言っておく。確かに母さんなら、アクセラレータのことも分かるかもしれないもんな」
背中越しにエヴァがホッと息をついたのが分かった。
俺は心穏やかではいられなかったけれど。
青の間にたどり着いたら、中には誰もいなかった。
姉さんたちがシュガー兄さんの研究室に行ったと聞いて、俺たちもそっちに向かうことにした。
更新が遅くなって……(以下略)
お詫びに余裕のある今日明日にでも、もう一話更新します(TT)
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10分の1の確率で、ルシファーとエヴァの絵が出るオマケつき(い、いらねーって言わないで)




