125 頂点の魔女#
from a viewpoint of エヴァ
頂点。
人の口から、その名を久しぶりに聞いた。
一握りの強大な力を持った、特別な存在。
13人の魔女が集う、お母様の作った村につけられた名前。
知っている人など、ごくわずかだ。
「もしかして、ルシファーのお母さま……?」
目の前の女性を見て思い当たるのは、その人以外になかった。
「ええ、セレーネ・ディスフォールよ」
窓際に立った女性は、ゆるやかに肯定した。
「あなたはエヴァね?」
問い返されて、こくりとうなずく。
ルシファーと同じ色の不思議な瞳だ。
全てを見通すような深さ……見ていると吸い込まれそうになる。
「外は寒いわ。温かいお茶を用意しているから、どうぞ入って」
誘われて、部屋の中に足を踏み入れた。
暖かい空間に入ってホッとする。
自分の体がひどく冷えていることに、はじめて気がついた。
ルシファーの部屋と違って、建物と同じ雰囲気の部屋だった。
華やかな柄が多く使われているのに、うるさくなく落ち着いた色合い。
やわらかい曲線デザインの家具には、繊細な植物の彫刻が施されている。
調度品の詳しいことなんてなにも分からなくても、女性的な風格を感じる空間だった。
椅子をすすめられて、ティーテーブルの側に腰を下ろす。
ルシファーのお母さん、セレーネさんは手ずから温かいお茶をカップに注いでくれた。
「あの、今の魔獣は……どうして私をここへ……?」
セレーネさんは向かいに座ってから答えた。
「あれはシロ、私の使い魔よ」
「あの大きな牙雷獣が、使い魔?」
「ええ。あなた、屋敷から出たでしょう? 領土内に無断で入り込んだ人間を始末するのがシロの役目だから、気配を察知したのね」
「始末――」
じゃあ、どうして私は攻撃されなかったのかしら。
疑問が顔に出ていたのか、セレーネさんは笑った。
「あなた、フェルと魔力が繋がっているでしょう? シロはあの子が好きだから、匂いで分かるのよ」
「あ……」
「それにあなた自身が牙雷獣に好かれやすい匂いのようね。とても香りに敏感な魔獣だから」
「そう、だったのね……」
食べられなかったのは、私の中にルシファーを感じたからだったのか。
それにしても、あれが使い魔。あんなサイズの魔獣を使役するのって、どれだけ魔力が必要なのかしら。
おばあさんのワイバーンといい、ルシファーの家族は本当に規格外なのね。
「冷めないうちにどうぞ」
優雅な手つきでお茶をすすめられる。
きれいな茶器には琥珀色の液体が光っていた。
「ありがとう、ございます」
なんとなく緊張して丁寧なお礼を口にすると、カップを手に取った。
「……エヴァ、あなた敬語を使うの?」
「え?」
「私たち頂点の魔女は、自分より上の存在がないでしょう? 敬う相手などいないはずよ。ジュリアはあなたにそう教えてこなかったの?」
確かに、私は敬語を使うことを教えられてこなかった。
自分より年上だからとか、地位のある人だからという理由で敬うことを知ったのは、外に出てしばらくしてからのことだ。
何度か咎められた経験から、今は自分より年上の人に敬称をつけるくらいはできるようになったけれど。
まさかそれを指摘されるなんて。
まるで、お母様が「そんな必要はない」と言っているみたい。
「……私のお母様を、知っているの?」
この人は自然に、もうずっと聞いていなかった母の名前を口にした。
年は30代半ばといったところだけど、ルシファーの見た目を思えば身内の年齢もあてにはならない。
もしかすると、お母様と知り合いなのかもしれない。
「ええ、私があなたくらいの年に会ったことがあるわ。もう70年ほど前になるわね」
やっぱり。
「私が産まれる前?」
「そうよ。あなたが産まれることをジュリアに教えたのは、私だから」
「えっ?」
「あなたが生き残る日と場所を、ジュリアに教えたのは私なの」
第3の力が誕生することは、物心ついた頃から分かっていたのだと、セレーネさんは言った。
「私の二つ名は『先見の魔女』。未来が視えるのよ」
「未来が……」
生き残る日。
それは私が産まれてすぐにあった、町全体で起こった大火災の日。
森林に囲まれた町は、1日で見る影もなく焼け落ちたという。
「じゃあ、私を助けてくれたのは……」
確か、お母様が言っていた。知り合いに聞いて私が生まれた町に行き、私を拾ったのだと。
お母様に教えてくれたのはこの人だったの?
私を助けるために?
「いいえ」
セレーネさんは静かに首を振った。
「あなたを生かすと決めたのはジュリアよ。私があなたの元に向かえば、まず間違いなく殺すほうを選択していたでしょう」
「……私が、危険だから?」
「ええ、とても」
「それなら、どうしてお母様は私を生かしたの?」
「それはあなたの母にしか分からないこと」
そう言って、セレーネさんはじっと私を見つめた。
「でも同じ頂点の魔女として、なによりも母として、彼女の気持ちは分かる気がするわ」
小柄で線の細い体。穏やかそうな顔の造り。
この人とお母様は全然似ていない。
それなのに、ふっと笑ったその顔に、お母様の面影を見た気がした。
「愛されて、育ったのね――」
後悔しているとも、良かったとも言わずに。
セレーネさんは分かったように呟いた。
「頂点の魔女は、必要なときに神が作るのよ。私はこの世で2番目に生まれた頂点の魔女。あなたは3番目。ジュリアは……永い生を生きることに疲れたのかもしれない。彼女は大崩壊のときからずっと、ひとりで天秤を支えてきたから……」
「大崩壊のときから? お母様が……?」
お母様の年齢を知らなかったとはいえ、それほどまでに年を取っているとは思っていなかった。
「彼女は絶対神が初めて作った、ザナドゥーヤの魔女。人が滅びることのないように、監視する役を与えられた不死の魔女だった。彼女の死後、本来なら私が不死を受け継ぐべきだったのでしょうけれど……」
セレーネさんはそこで一度言葉を切ると、「でも不死になると子は産めないから、あなたが継いでくれて良かった」と続けた。
ルシファーには兄弟がたくさんいる。
彼女が不死を受け継いでいたら、ルシファーも生まれなかった?
そう考えると、忌々しい不死の力を受け継いだのが自分で、良かったとはじめて思えた。
「あなたは天秤……中庸の力を知っているかしら?」
「……いいえ」
「中庸の力とは、理屈では説明が不可能な、世界の根源ともいえる働きのこと。私たちはそれをただ『天秤』と呼んでいるわ。大きく天秤が振れれば、反対に戻ろうとする力が働く。均衡を保つために、この世にはそういう摂理が働いているの」
セレーネさんの説明で、思い出したことがあった。
お母様の言葉だ。
『世界の均衡は、保たれなければいけない……それを維持するのが力を持つ魔女のつとめ』
そうだ、お母様も確かに『天秤』のことを口にしていた。
セレーネさんは説明を続けた。
「天秤は放っておいても均衡を保つ。でも、人は大きく天秤を傾けてはならない。私たち頂点の魔女は、天秤を大きく傾けないために存在している」
セレーネさんが話してくれたことは、お母様の言っていたことと同じだった。
神が作った頂点の魔女。
世界の均衡を保つために存在する、不死の魔女。
ふと、思い当たった。
この人は、なんのために私と話をしているのだろう。
敵意や殺意は感じられない。歓迎されているような気さえする。
でも、不死を受け継ぐのは私ではなくて、この人だったというのなら。
天秤を傾けないために最善な方法は、今でも変わらないのじゃないだろうか。
それなら、私を……殺すために呼んだの?
「もしかして……不死をなくす方法を、知ってる……?」
セレーネさんは、黙って私を見ていた。
「セレーネさんなら、私を、殺せる……?」
のどの奥から、絞り出すように尋ねた。
答えは、もう分かっている気がした。
「――ええ」
波立たない声で、セレーネさんは肯定した。
この人は、不死をなくす方法を……知っている……!
「……なら、私を――」
先を続ける前に、部屋の扉が乱暴に開かれた。
「――なんの、話だよ」
扉から姿を現したのは、ルシファーだった。




