124 アルティマの番犬#
from a viewpoint of エヴァ
すべての力を活性化し無効化する、アクセラレータ。
『お前が使うのは魔力にも科学にも影響を及ぼす、3つめの力だ』と。
15歳の誕生日にお母様に教えられてから、半世紀ほどが経った。
いつ、この災いを世界から消しされるのだろう。
ルシファーの部屋でひとり、先ほどの彼の顔を思い出す。
(なにか、いつもと違った……)
どこかで線を引いておきたい気持ちを伝えたから?
でも今朝だって同じようにひどいことを言ったのに、あんな反応じゃなかった。
いつもみたいに「俺には関係ない」と返されるかと思っていたのに。
低い声で「これからは、もっと気をつける」と言ったルシファー。
なにを気をつけるつもりなのか、聞く前に出て行ってしまった。
なにかを間違えた気がするのに、分からない。
「気にしても、仕方ないわね……」
はぁ、と小さく息をついた。
私にできるのは、一日でも早く不死をなくす方法を見つけて、消えること。
ルシファーには、彼を慕っている人たちがたくさんいる。早くそこに帰してあげなくちゃ。
ここに来て、あらためてそう思った。
手の届くところにある本たちを眺めながら、部屋の中を歩く。
棚には読みたいと思うような本が見つからなかった。
歴史、宇宙工学、自然哲学、ビジネス、実用書……
ジャンルもバラバラ。図鑑や資料が多い。
お話の本とか、もっと軽い本はないのかしら。
どこかで見たことのあるシンボルマークが目について、一冊の大きな本を棚から引っ張り出した。
「イレブンスター鉄道、路線別車両事典……」
ローラシアの乗り物だ。
大きなページをめくると、科学国で乗った黒い電車の写真が載っていた。
電気を通すレールの仕組み。車両の種類や路線図。電車関係の本が何冊もある。
そういえばローラシアに行って電車に乗ったとき、ルシファーはなにも分からない私に電気や鉄道の話をしてくれた。
詳しいなぁ、と思っていたら……全部こうやって本から学んでいたのね。
他にも色々なことを知っている彼だけど、ここにある本を全部読んで知識を得ているのだとしたら、すごいことだ。
「私にはとても覚えられないわね……」
電車に興味があるわけじゃないし。
そう思って本を棚に戻した。
ふと、掃き出し窓の外に目を向けると、小さい黒い影がとととっ、と走ってくるのが見えた。
さっきの幼獣だわ。お散歩してるのかしら。
微笑ましく見ていたら、キョロキョロしながら通り過ぎていく。
「……あら?」
白い子がいない。
それに、面倒を見ているはずの庭師さんはどうしたんだろう。
気になってそちらに向かう。押すと掃き出し窓は簡単に開いた。
バルコニーに出て、黒い幼獣が走って行ったほうを眺める。
花壇の向こうに、尻尾がゆらゆら揺れていた。
庭師さんは周りにいない。もしかして……迷子?
「ちょっと! 待って――」
呼ぶ声を気に留めず、黒い毛玉は遠ざかっていく。
迷ったけれど、見失う前に追いかけた。確か、山に入ったらすぐに他の魔獣に食べられちゃうって言ってたわ。あんまり遠くに行ったら危ない。
誰にも言わずに建物から離れてしまったけど、仕方ないわね。
戻る道の方向だけ記憶して、黒い幼獣のあとを追った。
「ねえ止まって!」
子どもなのに足が速い……息を切らしながらしばらく追いかけたけれど、追いつかない。
木と木の間を、軽やかな尻尾をふわつかせて逃げていく幼獣。遊んでもらってると勘違いしてるのかしら。なんだか楽しそうだ。
「待って……ホント、もう走れないから……」
人並み程度にしか体力のない私を、どこまで走らせる気なのか。
シャリッと足元で音が鳴って、滑りそうになったところで気づいた。
地面が半分凍っている。
(キエルゴの地熱を利用して、領地の雪を融かしてるんだ)
ルシファーの言葉を思い出した。
だからアルティマには雪が積もらないと。
足元を見ると、雪交じりの土が見えていた。周囲の木にも雪が積もっている。
ということは……アルティマの敷地内から離れてしまった……?
少し先に開けた場所があって、やはり白い雪で覆われていた。
吐く息が白い。気温も落ちている。まずいわ……早くあの子を捕まえて戻らなくちゃ。
黒い幼獣は、雪の深みにはまって足を取られた。
驚いて歩みをとめると、ぴょんぴょん跳ねている。今なら捕まえられそう。
駆け寄ろうとしたところで、大樹の幹に寄り添う金色の光に気づいた。
こちらを見据えて動かない、ふたつの光……
目だと分かった瞬間、進もうとしていた足が凍りついた。
「……っ」
瞳の周りを縁取る、赤いアイリング。
雪景色に溶ける白い体毛が、わずかに風になびいている。
大きい――幼獣とは比べものにならないくらい大きい、成獣の牙雷獣だ――。
小山のような巨軀は、静穏で強い気配を放っていた。
それは自然と一体化したハンターのものだ。
つと、その視線が黒い幼獣に落ちる。
ゾッとした。
食べるつもり……?!
「早くこっちにおいで……!」
黒い幼獣は私を振り返ってジタバタした。
体ごと雪に埋まって、抜け出せなくなってしまったらしい。
幼獣と違う立派な角を持った魔獣は、それをじっと見下ろしていた。
頭の位置は私の背丈の倍以上あった。
あまりの大きさと威圧感に足がすくむ。それでも勇気を振り絞って、幼獣のところまでにじり寄った。
魔獣の様子を窺いながら胸に抱き上げると、黒い幼獣はうれしそうにフーン、と鼻を鳴らした。
「……食べないで。まだ子どもよ」
静かにこちらを見ている目に、声に出して訴えた。
話が通じるとは思えなかったけれど、知性の宿る瞳だ。
なにか思案する様子で、魔獣はゆっくりと一歩ずつ近づいてきた。
走って逃げ切れると考えること自体が絶望的だ。どうしよう、私が食べられてる間にこの子を逃がせる?
魔獣は大きな顔を近づけてくると、私の匂いを嗅いだ。
生きた心地がしないって、きっとこういうことをいうのね。
「お、お願い。この子は食べないであげて……」
震える声で言うと、生温かいなにかが肩から頬を伝って上っていった。
なめられた。
「……!」
食べられる!
目の前に広がった真っ赤な口を見て、ぎゅっと目を閉じた。
なぶられるのは嫌だ。食べるなら、ひと思いに食べて欲しい。
口に挟み込まれた感触があった。幼獣だけでも逃がそうとしたけれど、腕が動かない。
「ま、待って……!」
まだ食べないで、と言おうと思ったら、横倒しになったまま、ぐんと視界が上がった。
木の枝が目の前にくるほど高く持ち上げられて、目が眩む。
そのまま噛み砕かれるかと思いきや、魔獣は歩き出した。
「えっ、なに……?」
抱えたままの黒い幼獣は、怯えるでもなく尻尾を振っている。
そんな場合じゃないのよ……!
「ねぇ、今のうちに早く逃げて……飛び降りて走るのよ」
状況が分からないのか、幼獣はうれしそうに私の頬をなめた。
違う。そうじゃない。
このままじゃ巣に運ばれて一緒に食べられちゃうでしょ!
大きな白い牙が並ぶ口に挟まれているのに、不思議と痛さは感じなかった。
ちょっと窮屈で身動きが取れないけれど、今のところどこにも怪我はない。
驚いたことに、白い魔獣はキエルゴの山中からアルティマの領土内に戻ってきた。
「ど、どうして……?」
躊躇することなく屋敷の前まで歩いて行くと、魔獣は後ろ脚でいきなり立ち上がった。
「きゃ……っ!」
ふわりと、いきなり体が自由になった。
強ばらせていた体の緊張が解けないまま、おそるおそる体を起こす。
どうやら、バルコニーに下ろされたらしい。
はっとして腕の中を見ると、黒い幼獣はいつのまにか抜け出していた。
「……?」
バルコニーの柵にかじりついて、大きな魔獣を見下ろした。
その白い背中に、黒い毛玉が乗ってブンブン尻尾を振っている。
信じられないことに、白い幼獣もいた。2匹でわふわふ言いながらじゃれあっている。
小さいのが自分の上で暴れているのに、魔獣は気にも留めない様子だ。
唖然として見ていると、魔獣はわずかに私のほうを振り返った。
目が合うとすぐにふい、とそらされる。白い巨体は音もなく歩いて行ってしまった。
「た、食べられるかと思った……のに……」
もしかしてあの大きな牙雷獣は、チビちゃんたちの面倒を見ていたのかしら……
「――呼ぼうと思っていたのだけれど……シロが連れてきてくれたのね」
ふいに背後からかけられた声に、心臓がはねた。
勢いよく振り向くと、目の覚めるような青のワンピースドレスをまとった女性が立っていた。
細くて小柄な、一見年齢のよく分からないきれいな女性。
バルコニーに続く窓から一歩。二歩。
こちらへ出てくると、誘うように片手をあげた。
「ようこそアルティマへ……護壁の魔女の、不死を継ぐものよ」
その挨拶は、どんなものよりも私を驚かした。
この人は、お母様を知っている……?
「あなたは……?」
美しく結い上げた銀髪の色は見慣れなかったけれど。
この瞳の色を、私は知っている――。
「はじめまして、私はあなたと同じ、頂点の魔女よ」
静かな湖面のようで、深い海のようで。
不思議な紺碧の瞳をした人は、ゆったりと私に向かって微笑んだ。
スマホ……執筆耐えがたし。
あとWiFi欲しい。




