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123 ばあちゃんと俺

「なんだい、嫁はどうしたんだい?」


 温室に踏み込んだ一歩目で、ばあちゃんの抗議めいた声が飛んできた。

 視線の先にある作業台には、今日もカラフルな毒草が並んでいる。

 金属のツタ模様の椅子に座ったばあちゃんは、作業台の向こうから俺を見ていた。あからさまにがっかりした顔だ。


「第一声がそれかよ……」


「当たり前さね。フェル、お前たかがローラシアから帰ってくる足にクロを使うとは、いい度胸じゃないかい」


「あー……『本当に必要』だったんだよねー」


 やばい、と思いながら言い訳する。

 ばあちゃんは、自分の力だけでどうにもならないとき、本当に困ったときに使えと、ワイバーンフルートを渡してくれたんだ。

 いい方法だとは思ったんだが、他にも手段があったのに、乗り物として使うのはまずかった。


 ばあちゃんは目の前まで歩いて行く間、無言で俺を見ていた。圧がすごい。

 俺はワイバーンフルートを首から外すと、両手で差しだして頭を下げた。


「……ごめんなさい」


 本格的に怒られる前に非を認めて謝ってしまおう。

 ばあちゃんは怒らせると、マジで怖い。


「……ふん、まぁいいさね」


 ぐい、と手を押し返される。


「それはまだお前が持っておいで」


「え? いいの?」


「どのみち明日はゴンドワナだろう? もうくだらないことに使うんじゃないよ」


「分かった、ありがとう」


 ばあちゃんは「アタシは本当にお前に甘いねぇ」とブツブツ言った。


「それで、嫁はどこだい?」


「嫁じゃねえ」


 ばあちゃんの興味は最初からそこに集中している。

 エヴァをここに連れて来なくて正解だ。

 不老不死の魔女なんて、なにされるか分かったもんじゃない。


「老い先短い年寄りの楽しみを奪うんじゃないよ」


「ばあちゃんは俺より長生きするよ」


「はっ、美女ってのはね、太く短く生きるって決まってるんだよ」


「あー、そう……」


 いつものばあちゃんだ。

 なんだか笑いがこみあげてくる。

 気が緩んだ俺は、向かいのベンチに腰を下ろした。


「何作ってんの?」


「長寿薬のベースさね。そっちの皿のは、焼けただれるから触るんじゃないよ」


 白い皿に入った、どろりとした黒い液体。

 強い酸の一種か。


 俺は少し考えて、無造作に手を伸ばすと指を1本突っ込んだ。

 途端、じゅうっと煙が上がって皮膚の焦げた臭いが広がる。


「フェル?! お前、何を……!」


 ばあちゃんは即座に俺の腕を掴んで引っ張ると、シュウシュウと煙を上げる指に眉をしかめた。

 指からたれた液体が、作業台に落ちてまた煙を上げる。


「ばあちゃん」


 再生していく皮膚を、険しい顔で見ているばあちゃんに言った。


「俺、不老不死になったんだ」


「……もう知ってるさね。いちいち見せなくてもいいだろうに」


「なぁ……長寿薬って、なんのために飲むんだ?」


 聞きたかったことを聞いた。


 長寿薬は肉体の老化と成長を阻害する薬。

 だが完全に止まるわけでもなく、実際には緩やかに成長し、老化もしている。

 肉体を鍛えることもできるし、もちろん不老不死ではない。


 強くなるため。寿命を延ばすため。

 長寿薬の意味については色々聞いてきた気がするが。


 実際に不老不死になってみて思った。長寿薬は不老というには中途半端で、デメリットが大きい。

 肉体の老化を抑える作用には飲む価値があると言えそうだが、副作用は激烈だ。

 一度の服用で、丸1日は動けなくなるほどの苦痛が伴う。

 普通の人間は飲めばまず即死。家族の間でもシュルガットは飲めないし、妹たちは年齢的にまだ服用していない。


 いくら俺たちが毒に強くても、飲み続ければ肉体のどこかが蝕まれていくのは間違いない。

 これまで平気だった副作用が、次ではさらに強く出る可能性だってある。

 リスクを冒しても飲む理由は、寿命を数十年単位で伸ばせる、それだけなのか。


「……美しさを保つため、かねぇ」


 ばあちゃんは本気で答える気はないらしい。

 そらっとぼけた返答を受けて、俺は質問を変えることにした。


「じゃあ、薬の効果が切れたら、副作用ってどうなるんだ?」


「そりゃ、なくなるさね」


「うまく言えねーんだけど、俺、今さ、家を出る前と違うんだ……色んなことがどうでもよくない。感情が濃いっていうか……振り回されて、疲れる。これからもっとこんな感じになってくのか?」


「フェル……この長寿薬はね、あくまでベースだ。飲む人間に合わせてここからブレンドするんだよ。お前が飲んでいるのは、うちで最も強毒なやつで副作用も一番強い」


 ばあちゃんは作業台の上のメモ帳をペラペラとめくると、『ルシフェル』と書かれたところをトントン、と指で叩いた。

 材料の一覧と、分量などが走り書きされている。


「お前の長寿薬の効果はもうほとんど切れてるだろう。反動で少し情緒不安定になる頃かねぇ……あまり色々考えなさんな」


「情緒不安定? 俺がか?」


「お前用の薬には、精神を安定させるアイゼンの実が入っているからね。分かりやすく言えば、感情を鈍くするような作用さね」


「は?」


「言っただろう? 長寿薬には精神が幼くなる副作用があるって。あれはホントはね、副作用じゃなくて、意図したものなんだ」


 感情を鈍くする作用。

 なんのために、そんな――いや、それより……


「それ……まさか、俺の薬だけに入ってるのか?」


 思い当たったことに、愕然とした。

 意図的に、精神作用のある薬を飲まされていた、ってことか?


「お前はね、性根が暗殺者に向いてないのさ。人殺しの職業ってのはね、色々考えたらいけないんだよ。まぁ……今回家出した経緯を聞くと、薬程度ではもうどうにもならなかったようだけどね」


「なんで……? 俺を、暗殺者にするためか? なにも考えずに人を殺せるように――」


 そんなの聞くまでもないことだ。

 ずっと前から。

 それこそ長寿薬を飲み始めた12歳の頃から、そう言われてきた。

 強くなれと。立派な暗殺者になれと。


 向かいに座ったばあちゃんは右手を伸ばすと、俺の手を取って指先を確認した。

 完全に元に戻った指を見て、軽くため息を吐く。


「ばあちゃん! 答えてくれよ……!」


「お前は小さい頃から『なんで』ばっかりだね」


 ばあちゃんは腰を浮かすと、俺の額に触れた。

 薬で紫に染まった指先が、ひやりとする。


「だから……そのままじゃ、苦しむと思ったんだよ」


 くしゃりと、前髪をかきあげて撫でられる。

 無造作な愛情のこもった手。


「……許しとくれ」


 頭の上に置かれた手が、重い。

 なにに対しての謝罪なのか。


「……わかんねえ」


 正直な戸惑いを口にすると、ばあちゃんはくしゃくしゃと頭を撫で回してから手を離した。

 椅子に座り直して、ふっと笑う。


「お前は神にも等しい力を得た。もう長寿薬は不要さね」


「っだから、わかんねえよ、なん――」


 言いかけて、また「なんで」を言おうとしたことに気づく。

 確かに、俺は疑問に思うことがあるたびにその言葉を口にしていた気がする。


「地頭が良すぎると、生きにくいこともあるのさ。お前は小さい頃から物事の因果関係を知りたがる子だった。何に対しても本質を解き明かそうとするところがあって、正直手を焼いたさね。それに物事の善悪や生死に対しては極端に敏感だった。普通の家に生まれれば『繊細で聡い優しい子』。それで良かったろう……だけどね、フェル。うちはお前のそんな性質を、そのまま伸ばすわけにはいかなかったんだ」


 ばあちゃんの言うことは、分かるようで分からない。

 俺の長寿薬にだけ、精神に作用する薬が入っていたとして。

 それが俺があれこれと考えてしまうことに対しての対策だったというのなら。

 家業のために必要だったというのなら。

 ばあちゃんが謝ることなんて、ないはずなのに――。


「……納得、できないよ、それじゃ」


「今はそれでいい。ひとまず飲み込みな。他にアタシに聞きたいことはあるかい?」


 話の終わりを匂わせる言い方だった。

 誰もかれもが、俺になにかを隠しているのか。

 不愉快、とは違った。ただモヤモヤする。


 なにか理由がある。その理由を知りたい。

 姉さんも、じいちゃんもばあちゃんも答えてくれない。

 なら、誰に聞けばいいかは分かりきっている。


「ひとつだけ聞きたい。不死って……なくせるのか」


「不死の魔女は、先天性のものではなく、引き継がれると聞いている。仕組み(カラクリ)はあるだろう。それが分かればあるいは……といったところかね」


「……そうか」


「フェル、セレーネにはもう会ったかい?」


「いや」


「ならお前が足を向けなきゃいけないのは、ここじゃないだろう。お前が出ていってから、ずい分と気をもんで過ごしていたさね。早く顔を見せておあげ」


「……分かった」


 ばあちゃんも、答えを教えてくれる人を示している。

 俺は静かにベンチを立った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 フェル君の薬には、精神作用が(;O;) そうか。昔から知りたがり屋だったんですね。……確かに、それで大きくなると善悪とか殺す殺さないに疑問が湧いて、精神的負担が大きいん…
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