121 頼りたくなくて#
from a viewpoint of エヴァ
はじめて降り立ったアルティマの地。
庭園の門をくぐって、お屋敷まで伸びるまっすぐな道に入ると、左右対称に広がる緑に目を奪われた。
暗殺を生業としている国だなんて、ブラックマーケットみたいなところかと思っていたのに。
アルティマはルシファーの言っていた通り、暗くも汚くもなかった。
素直に景色をほめると、「冬は花がほとんどないんだ。春のほうがもっときれいだぞ」とルシファーは説明してくれた。
じゃあ春の景色も見てみたい、と言いかけて。そんな未来のことを口にしようとした自分に驚いた。
今は山のふもとまで雪が積もっているのに、アルティマの領土内には雪がない。降っても積もることはないという。
これがキエルゴの山中だということを忘れてしまいそう。
近付いて見上げたお屋敷は、いくつものとんがり屋根が特徴的だった。小さい頃絵本で読んだお城みたい。
窓や柱にほどこされた彫刻は、私の知っている家の造りとはまったく別物で、建物自体がなにかの芸術作品のようだった。
邸内に入れば、外見と同じく豪華な装飾が私たちを迎えた。
カーペット敷きの廊下も、青い家具ばかり置いてある部屋も、見たことがないものばかり。
不思議なものがいっぱいある。
ここがルシファーの育った家なのね……。
本の無事を確認したいルシファーとふたりで、みんながいる青い部屋を出た。
途中で幼獣を庭師さんに預けて、1階の廊下を進む。長い廊下だ。
ルシファーが「ここだ」と言って、重そうな取っ手を引いた。
友達の部屋を訪れるなんて、ずっと昔の……ライラ以来だ。
少し緊張する。
部屋の奥で、大きな窓を磨いていたメイドさんが振り返るのが見えた。
「……っぼっちゃま?!」
メイドさんが声を上げて走り寄ってくるのを見たら、私はなんとなく扉の後ろに隠れてしまった。
「あぁ……本当に坊ちゃまですね?! いつお帰りに……!」
「ついさっき。ただいまペコー」
ルシファーはバツが悪そうに頬をかいている。
「事前に言ってくださればお出迎えしましたのに……よくご無事で……突然出て行かれて、なかなかお帰りならず……本当に心配したんですよ……!!」
メイドさんは涙声だ。
さっきの執事さんといい、どれだけあちこちに心配かけてたんだろうこの人は。
「なにも泣くことないだろ? 悪かったよ、黙って出て行ったりして……」
ルシファーは困り果てた声で謝ると、自分より少し背の高いメイドさんを抱き寄せた。
なぜだか胸がきゅっと苦しくなった。
「……?」
ルシファーが異性に対して距離感のおかしい人だってことは、百も承知だわ。
家族でも使用人でも、近しい人にはいつもこんな感じなんだって分かってる。
今更なはずのことに……なんで変な気持ちになるのかしら……。
あやすようにポンポンと背中を叩かれて、メイドさんは落ち着いてきたらしい。
「俺がいない間も部屋きれいにしててくれたんだな」
「もちろんです! 坊ちゃまのお部屋をお守りするのは私の務め。あ、でもすみません……帰られたら笑顔でお出迎えしようと思ってましたのに……」
「それはもういいって。とりあえずさ、友達も連れてきてるから部屋入ってもいいかな?」
「はい、それはもちろん……え? ともだち……ですか?」
「ああ、エヴァ」
呼ばれて、扉の後ろからそっと歩み出る。
私と目が合うと、長い栗色の髪を一本で縛ったメイドさんは、ぽかんと口を開けた。
「坊ちゃまの……お友達……?」
「こんにちは」
メイドさんはハッと我に返った表情のあと、深々と頭を下げた。
「まぁ……まぁまぁ……ご挨拶いただきまして、ありがとうございます。坊ちゃま付きのメイドで、ペコーと申します。取り乱しましてお恥ずかしいところを……大変失礼いたしました」
「いえ、こちらこそなんだか邪魔をしてしまって、ごめんなさい」
「邪魔だなんて、とんでもございません!」
力いっぱい言うと、メイドさんはほわんとした顔で私を眺めた。
な、なにかしら。妙にキラキラした目で見られてるけど……
「ペコ-、そういうわけだから……」
「はい! お茶をお持ちいたしますか?」
「いや、今飲んできたからいい」
「かしこまりました。では控えておりますね、ご用の際はお呼びくださいませ」
ペコー、と名乗ったメイドさんはきれいな礼をすると顔を上げて、まじまじと私たちを眺めた。
「ああ、なんて理想的な推しカプ……いえ、目の保養でしょう……」
「ペコーって時々意味わかんないこと言うよな……絶対シュガー兄さんの影響だろ……」
「申し訳ありません。興奮のあまり心の声が……御前、失礼いたします」
笑顔でもう一度会釈すると、ペコーさんは扉を閉めて出て行った。
「使用人に、好かれてるのね」
ぽつりと、そんな感想がもれる。
「あー、ペコーはまた特別かなぁ。まぁ、姉さんみたいなもんだよ」
姉さん、か……そうなんだ。
ルシファーはキョロキョロとあたりを見回した。
私もあらためて部屋の中を眺めてみる。
「図書館……よね、ここ」
天井に埋め込まれた、シンプルな四角い照明を見上げて呟いた。
さきほどの青の部屋と違って、シックだけれど華美でない、科学国のホテルに似た部屋だ。
直接日の当たらない壁には、床から天井まで伸びる巨大な本棚が埋め込まれている。すごい数の本……100冊とかいう単位じゃない。
部屋は吹き抜けになっていて少なくとも2階分以上の高さがあるから、下から見上げるとその冊数に圧倒された。
壁の2面は完全に本棚じゃない。あの一番上のは一体どうやって取るのかしら。
「読書が趣味にしても……すごい数だわ」
「一応増えっぱなしでもないんだけど。紙の本は場所取るんだよな。あー、見たところ全部無事そうで良かったー」
「あの上にあるのはどうやって出し入れするの?」
「ん? ジャンプして取るか、飛んで取るか……あとはこうしてる」
一瞬ルシファーの腕が伸びたように見えた。
錯覚じゃない。黒い腕はロープみたいにすうっと上っていって、一番上の棚から重たそうな本を取り出した。
本を掴んだままの手が降りてくる。ルシファーの肩の辺りから伸びているけど……。
実体のない影でできたような、真っ黒くて細長い腕。
「な、なにそれ?」
「闇魔法だよ。影手っていうんだ。重たいものは動かせないけど便利だぞ」
ふと、なにかに思い当たったようにルシファーは上を見上げた。
なんだろう。
「もしかして……」
そう呟いたかと思うと、突然ルシファーの背中から何本もの黒い腕が飛び出した。
すごい速さであちこちの場所に伸びていくと、本棚に張り付く。
「なにしてるの?」
「やっべぇ。やっぱりすごい数操れるようになってる」
「数?」
「前までは2本同時が限界だったんだ。なんだこれ気持ち悪ぃ。何本でも出るぞ」
ははは、と声を上げて笑うと、ルシファーは魔法を解いた。
黒いロープみたいな無数の腕が、一瞬でかき消える。
「姉さんもここまでの数は出せないな。エヴァの力ってマジすげえ」
「ルシファーはそう言えば……他にどんな魔法が使えるの」
今まで改まって聞いたことはなかったけれど、ルシファーの魔法って私のアクセラレータがなくてもすごいんじゃないかしら。
「闇魔法はこんな程度だ。他人から生気吸い取るのは姉さんのが得意だし。基本は生体を灰化させるのが得意だな。氷魔法は絶対零度まで下げれるぞ。逆に氷を水化するのは苦手」
「へえ……」
「エヴァの力は、周りにあるものの能力をなんでも加速させちゃうんだよな?」
アクセラレータは科学の力も魔法の力も加速させる能力。
それは間違いない。
でも私の能力はもうひとつある。
「そうね。でも、それだけでもないわ」
「え? まだなんかあるのか?」
「……ちょっと試してみる?」
「試せるのか?」
「……たぶん。咎人の石がなくなってから使ったことないし、私も自分の意思で使えるかどうか確認しておきたいわ」
不死をなくす方法が分かるまでは、なるべく能力を制御できるようにしておきたい。
アクセラレータは私の意思とは無関係に漏れ出ているけれど、届く範囲や効力は自分でもなんとなく分かっている。
そしてもうひとつの能力を使うには、原則として対象に触れることが必要だ。
「手を出してくれる?」
「ん」
両手を出されたので、ちょっと迷ってから片方の指先だけを握った。
「試しに、なにか魔法を使ってみて」
「今か?」
「ええ」
「分かった。じゃあさっきの影手を……」
少しのあと、ルシファーは「ん?」と言った。
妙な顔をして、首を傾げる。
「……あれ? なんか、魔力が仕事しないんだが……」
もうひとつの能力は、これだ。
消えろ、と。スイッチを切る要領で、念じるだけ――。
「そうよ、そこにある魔力を無効化できる能力なの」
「無効化? そういえばそんなこと聞いたような……アクセラレータとまったく逆じゃんか」
「たぶん、アクセラレータと力の根源は同じなんだと思う。機械にも使えるから、その気になればなんでも止められるわ」
「……そ、か」
お母様のような頂点の魔女が張った護壁も、なかったことにしてしまえる強い能力だ。
加速化の力と無効化の力。
どちらがより恐ろしいのか、私には分からない。
ひとつだけ分かるのは、どちらも間違いなく危険なものだということ。
この世に、あってはならないもの――。
握っていた手を離そうとしたら、逆に握り返された。
いつの間にか下に落ちていた視線を上げると、心配そうな顔のルシファーが私を見ていた。
「大丈夫だ」
「……え?」
「ただの確認だろ、こんなの。なにも起きないよ」
意識せずにひどい顔をしていたらしい。
はっとして、表情を取り繕った。
「不死のことも、アクセラレータのこともなんとかなるよ。ばあちゃんや母さんに聞いたらなにか分かるかもしれないし、あきらめるには早すぎるだろ。すぐそうやって不安になるな」
あきらめる?
なにを?
もとから、なにも期待なんてしていない。
「……不安になんて、なってないわ」
「なってるよ」
「っ放っておいてよ……! 私がなにを思おうと、どうでもいいじゃない」
いちいち、人の弱いところばかり見つけて指摘してこないで。
「よくない。もっと頼れ、俺を」
意味が分からなかった。
もうすでに、十分過ぎるほど頼っているのに。
このままじゃいけないと思うくらいには。
「もう頼りすぎなくらい、頼ってるわ。今だって――」
「違う、お前は俺を頼ろうと思ってない」
遮られて、続く言葉を飲み込んだ。
握られた手が、少し痛い。
「いつも俺がやりたいようにやってるだけだろ。お前はそれに反対しないだけで、そういうのは頼るのとは違う。金の話とか力の話じゃなくて、もっと心の問題を言ってるんだ」
反論できる言葉を持たなかった。
行き先も、やることも。ルシファーの提案に従ってきた。
助かることが多いのは事実だけど、でも、それは頼りたくて頼っているのとは、違う――。
「だって……本当は、頼りたくないのよ……」
ぽつりと、本音が出た。
これ以上、ルシファーに依存したくない。
従魔の契約さえなければ、私たちはすぐに離れたほうがいい。
それが本心だった。
「……本気かよ」
消え入りそうな声で、ルシファーが言った。




