119 疎外感
アルティマの建国に、アスカの半身が関わっている。
こんな形で、知らなかった話を知る予定はなかった。
アスカが珍しいヒューマノイドで、アルティマの科学に利があるから連れて来いと言ったのだろうと。そんな風に考えていたのに。
「姉さん……どうして今まで、そのことを俺に話さなかったんだ?」
話の続きはシュルガットが起きてからにしよう、と言われたが、納得できるか。
「話す必要がなかったからよ」
姉さんは無表情に答えた。
「必要がなかった? 建国の話なら耳にタコができるほど聞かされてきた。それなのにヒューマノイドの話が出てこなかったのは、意図的に隠してたからじゃないのか?」
「そうね……みんな、あなたに話したくなかったのは事実だわ」
「なんで俺だけ?!」
「アルテの話をするなら、それにまつわることを説明しないではいられないからよ」
当たり前のように告げられた理由は、疑問を増やすだけだった。
「私たちがあなたに黙っていたかったのは、建国のことでも、ヒューマノイドのことでもないわ」
そう言った姉さんの目は、俺を通してなにか違うものを見ていた。
哀しそうに、なにかを……。
居心地の悪さから、さらに問いを重ねた。
「俺になにを隠してるんだよ?」
「それはあとで母さんから聞きなさい」
「シュガー兄さんや母さんに丸投げしないで、今、姉さんが全部話せばいいだろ……?!」
「馬鹿ね、そういうわけにもいかないのよ。聞き分けなさい」
ぴしゃりと言われて黙り込んだ。
知らないことがあって、しかもそれが隠されていたと分かれば気分は良くない。
一度は自分から捨てようとした家のくせに、仲間はずれの気分になるのは虫が良すぎるだろうか。
それに俺が一人前として扱ってもらえないのなんて、元からだ。
だが、前まではそんなことも大して気にならなかった。
感情が鈍かった。「そういうものだ」と自分に言い聞かせていた。
俺の望みは通らないのが普通で。
しつこく問い詰めたり、理不尽を追求することに労力を使うなら、ひとりで本を読んでいるほうがずっと良かった。
(今は……違う)
もやが晴れたみたいにクリアになった頭が、俺に思考を放棄することを許さなかった。
なぜ。どうして。
俺の前には疑問がいくつもある。
(ひとつずつ、片付けていくしかないか……)
頭の中で呟いて、無理矢理気持ちを切り替えた。
アスカのこととは関係なく、俺には他にも重要な用事があったからだ。
この際、ヒューマノイドのことは後回しだ。他を優先しよう。
「分かった……それは母さんに聞くよ。でもその前に、先生に会いに行ってくる」
ローガン先生に会うこと。
ここに帰ってきた以上、それは最重要事項ともいえる。
俺にとってはじめての友達の、人のいい笑顔が思い出される。
どんな理由があろうと、先生がリアムの記憶を操作したことは許せることじゃなかった。
家族が敵ではないと分かった今、ゴンドワナでしたことを先生の口から説明させるつもりだった。
席を立とうとした俺を、姉さんは「待ちなさい」と止めた。
「先生ならお出かけ中よ。デリアとフォリアを連れて、今朝ローラシアへ行ったわ。入れ違いだったみたいね」
「は……? 入れ違いってどういうことだよ?」
「さあ? 用事までは知らないわ。デリアたちはあなたに会いたくて無理矢理ついていったみたいね」
「あいつら……マジかよ、なんで止めなかったんだ」
「私もあとから知ったのよ」
そんなんありか。
こっちは戦闘も視野に入れていたのに、不在だなんて。
「今は先生に会わないほうがいいわ、あなたは」
姉さんの忠告めいた言葉は、波立った神経をさらにいらつかせた。
俺が先生に会う事情を知った上で言っているのだろう。
「なんでだよ」
「血を見ずにはいられないからよ。死ぬのは先生でしょうけど、それは困るの」
姉さんの本質は、目に映る男をすべて跪かせる「誘惑の魔女」。
男という生きものは都合の良い道具で、自分の望みを叶える手段だと言う。
だが俺は、この姉にとってそうではない種類の男がいることを知っている。
「……殺すつもりはないよ」
「そうでしょうね、でも失った記憶を戻す唯一の方法が、先生の死だと言ったら?」
その方法については考えたこともあった。
確信はなかったが、そうなのじゃないかと思っていた。
でもだからといって、実行できるかどうかといえば……
(ここを出て行く前の俺なら、殺れただろうか……)
先生がターゲットだったとしたら。目的のため、何も考えず殺せと。
その行動原理のもとに、殺れたのかもしれない。
「書き換えた記憶を保持している先生を消してしまえば、記憶を操作された人たちは元に戻るわ」
「俺は……先生を殺すつもりはないって言ってるだろ」
「今そのつもりがなくても、そうなる可能性は高いわ。人を怒らせるの得意でしょう、あの人」
「俺は真意を聞きたいだけだ。なぜリアムの記憶を操作したのか、俺をあんな風に脅したのか――」
「先生にとってあなたは特別なのよ」
意味ありげに言うと、姉さんはセオに視線を移した。
「ねぇダーリン、特別なものは大切よね? なにを捨てても守りたくなるでしょう?」
「……そうだな」
なぜ俺に聞く、という顔で。
セオはアスカをちらと見ると、答えた。
「そういうことよ、フェル」
「その説明じゃ分かんねぇ」
「そのうちに、本人から聞くといいわ。そのうちにね」
話はおしまい、と言われて小さく舌打ちする。
先生のことになると姉さんは一歩も引かないから、なにか知っていたとしても教えてもらえないだろう。
アスカのことといい、先生のことといい、俺には分からないことだらけだ。
腹立たしい――。
今日帰ってきた目的にはもうひとつ、重要なことがある。それはすぐにすむだろう。
俺は今度こそ、ガタンと席を立った。
「エヴァ」
「……なに?」
「一緒に来てくれ。ここにお前を置いて行きたくない」
「どこに行くの?」
「俺の部屋」
本が無事なことを確認しなければ。
もし1冊でもワームに喰われてたら、シュルガットへの報復案件だ。
「セオとアスカは適当に待っててくれ。あんまりヒマだったら屋敷内見て回っててもいいぞ」
「……分かった」
セオと短い言葉を交わし、エヴァの椅子を引いて立たせると、その手を握って足早にテーブルを回った。
メイドの開けたドアから出る直前で、姉さんを振り返る。
「シュガー兄さんが起きたら教えて」
「分かったわ。ごゆっくり」
姉さんがヒラヒラと手を振った。
苦い顔でその場を去ろうと思ったら、「あ、フェル」と呼び止められた。
振り向くと、姉さんがふくんだ笑顔を浮かべた。
「呼びに行くのは2時間後くらいでいいかしら?」
「は? いや、本の確認なんてすぐ終わるし、兄さんが起きたら呼んでくれればいいよ」
姉さんは俺を残念なもののように見ると、これ見よがしにため息を吐いた。
「なに言ってるのフェル。せっかく気を利かしてあげてるのに……未来の嫁を自分の部屋に初招待なんて、これ以上ないおいしいイベントよ?」
「なに言ってるの、は姉さんのほうだろ……嫁じゃねーって何度言わせんだ。見当違いな気の回し方すんな」
「姉さんはそんなに意気地のない男に育てた覚えはなくてよ?!」
「意気地とかの問題じゃねえ! エヴァにあんま変なこと吹き込むな!」
昨日から人をからかいやがって……
エヴァの手を引くと、それ以上何も言わずに青の間から廊下に出た。
きょとんとした顔のエヴァと目が合って、なんとなくそらしてしまった。
こんな調子で俺もエヴァも、姉さんにずっと遊ばれそうな気がする。
そう思うとなんだか頭痛がした。
エヴァの足元には相変わらずちょこちょこと白い幼獣がついてくる。
そうだ、こいつを山に返すって仕事もあったんだった。
「全部さっさと片付けてやる……」
「え、なに?」
「アルティマでの用事。もう今すぐ出ていきたい気分だ」
「そんなこと言って……久しぶりに帰ってきた家でしょう?」
「色々腹立つ。もう建国のこともヒューマノイドのこともどうでもよくなってきた。本の無事を確認したら、ばあちゃんとこに顔出して、帰る」
「帰るって……ここがあなたの家でしょう?」
聞き分けのない子どもを見るような目で、エヴァはため息を吐いた。




