117 暗殺一家の居住地
昔はもっと高い山脈があったらしいが、今はキエルゴ山が世界最高峰。
だんだんと近付いてくる白い山肌に、えぐれた一本の道が見えてきた。
キエルゴはその標高と気候から、アルティマのすぐ上に森林限界がある。
山稜付近には岩石地帯が広がっていて、道はとにかく険しい。普通の人間にとって山越えは命がけだ。
冬の時季は山全体が雪に覆われているので、なおのこと。
さらに言えば、山中には魔物がうようよいる。
だから大国を行き来しようと思う人間は、必然的に道の開けたアルティマを通ることになる。
「見えてきたぞ、もうすぐだ」
声をかけると、エヴァがフードからもそもそと顔を出した。
ついでにぴょこりと、白い牙雷獣も顔を出す。
「雪の中に緑があるの、不思議ね」
奇妙な風景だが、アルティマの領地には冬でも雪がない。
そして草や木が葉を落とさずに生えている。
「ばあちゃんの魔法だよ。キエルゴの地熱を利用して領地の雪を融かしてるんだ」
凍結することもなく普通に車が通れるので、高い通行料を払っても利用する人間は多い。
屋敷が遠目に見えるようになると、背後からアスカが言った。
「あれは大崩壊前の、歴史的建造物じゃないですか?」
「え、分かるのか?」
うちの家は大崩壊前のイギリスという国にあった、貴族の城をモデルにしている。
贅を尽くした造りで有名だったらしい。
「ばあちゃんの趣味でさ、外観はかなりこだわって建てたらしいぞ」
「知らなかった……こんな場所だって知っていたのなら、もっと前に……」
「なに?」
「いえ……こんなに当時を正確に再現したヴィクトリア式庭園ははじめて見ました。素晴らしいですね」
「この距離からすげぇ視力だな。あと、うちの庭見てそんな感想言ったの、お前がはじめてだ」
大崩壊前のものを細かく再現したところで、分かる人間なんていない。
アルティマでは旧時代のものをよく理解して取り入れているが、他の国の人間には大崩壊前の知識があまりないのだ。
見る間に近付いてくる屋敷を見て、エヴァも言った。
「この間通ったときは遠目にちょっと見ただけでよく分からなかったけれど、建物もお庭も本当にきれいね」
そう言われれば悪い気はしない。エヴァがよく見れるように、少し手前でクロを止めてやる。
「あの後ろにある建物は何?」
「あれは温室だ。ばあちゃんの薬草園の一部」
「すごい……けど、これがひとつの国だって言われてもピンとこないわね」
「世界最小の未承認国家だからなー」
上空から見えるこの範囲がアルティマの領土だが、近隣の小国から比べてもはるかに小さい。
国民と呼べるような人口もなく、暗殺が国の事業という特殊さ。
加えて国際的な国家承認なぞくそ食らえ、というばあちゃんのポリシーに則って、うちは独立国と言っていっていいのかどうか分からないあやふやな国だ。
「だが本当に、闇家業の人間の住まいとは思えないな……」
顔色の悪いセオまで意外そうだ。
「はじめて見たヤツは大体そう言うな。でもうち、オープンでクリーンな暗殺がウリだから」
「意味が分からないが……」
「うん、実は俺も分かんねー」
興味深そうに周囲を観察しているアスカが、また尋ねてきた。
「こうして上から見ると、ずいぶんと道が広いですね」
「でかい軍の車も通れるように、建国当初ばあちゃんが焼き払ったらしいぞ」
「お屋敷の横……防風林の外側に続いているのが、ローラシアとゴンドワナをつなぐ唯一の道ですね」
「そうだよ、あそこの通検門で入国と出国の許可を同時に手続きするんだ」
「有名なアルティマの通行料ですね。私も通ったことがありますけど……あの道からお屋敷は見えないですよね?」
「ああ、普通の通行人は庭園内には入れないし見えないようになってる。無断で敷地内通ろうとするヤツも後を絶たないんだけどなー」
「私たちも入国するのに手続きが必要ですか?」
「いや、いらねーって。客だろ、一応。もう降りるか」
クロを降下させると、庭園の先にある道の真ん中に降り立った。
ばあちゃんは庭の植木や花を荒らすと、すげぇ怒る。だからクロは絶対に庭園の中には降りない。
通検門のほうにはパラパラと通行客が見えた。
とくに代わり映えのない、いつものアルティマの風景――。
「……ルシファー?」
地面にエヴァを立たせた後、黙っていたら声をかけられた。
ここを出て行こうとしたときのことが思い出されて、知らず険しい顔をしていたらしい。
家出したときは、帰ってくるつもりなんてさらさらなかったのに。
「大丈夫?」と聞かれて、幼獣を胸に抱えたエヴァに向き直る。
そうだ、しっかりしなきゃ。俺には、物騒な家族からエヴァを守るというミッションがある。
「ん、平気だ。あーくそ、帰ってきちまったって思ってた」
「家出したんだものね」
「俺の希望を聞いてくれない家族なんて、縁切ってやろうと思ってたからな」
生きている限り、縁が切れることなんてないとどこかで分かっていた。
それでもあのとき飛び出たのは、俺にとって精一杯の抵抗で、最善の選択だった。
気遣わしげなエヴァの顔を、まじまじと眺めてみる。
その結果得られたものが、これだったのなら。
俺の抵抗には意味があったと思っていいだろう。
「ルシファーには、お兄さんとお姉さんと……妹がいるんだったかしら?」
「あと一番上に兄さんがもうひとりいるよ。本当は、兄さん3人だったんだけど」
「3人?」
「死んじゃったんだ。俺が生まれる前に」
「……そうなの」
「そんな顔しなくていいぞ。俺は会ったこともないし、悲しいと思ったこともない」
エヴァの頭をくしゃっとひとつ撫でたところで、庭園に続く鉄の大門が内側から開かれた。
黒のタキシードを着込んだ長身の男が、その間から進み出てくる。白い手袋をはめた手を胸の前にそえると、優雅な礼で俺たちを迎えた。
「おかえりなさいませ、ルシフェル様」
「アッサム」
久しぶり。と声をかけると、男は背筋を伸ばして笑顔を浮かべた。
これは……説教がくるな。先日も電話で、体調に変わりは無いかとかどこにいるのかとかちゃんと食べてるのかとか、細々お小言を食らったばかりだ。
俺が生まれるずっと前からこの家を支えている執事のアッサムは、360度どこから見ても人間だが、人間じゃない。変化がうまい半獣だ。
半獣人特有の赤みがかった褐色の肌と緑色の瞳は、彼の持つ生来の色。
使用人最強のハンターであり、ディスフォール家の家政を一手に引き受ける有能な執事でもある。
「ご無事で何よりでした――」
身構えていたのに、しんみりと言われて拍子抜けした。
てっきり出て行ったことを怒られると思ったのに。
「ええと……心配かけてごめん。でも俺、帰ってきたわけじゃなくて、もう家にいるつもりはないんだ」
一時帰宅のつもりなのに、嘘をつくわけにはいかない。
そう付け足しておくと、アッサムは小さくうなずいた。
「今はお元気なお姿が見られただけで十分です」
「そ、そうか」
「お客様がご一緒と聞いて、お待ちしておりました。皆さま、遠いところようこそおいでくださいました。主に代わって歓迎申し上げます。お茶をご用意しておりますので、どうぞこのままお進み下さい」
エヴァたちに完璧な執事スマイルを披露すると、アッサムは先頭に立って歩き出した。
小走りに隣に寄って、小声で尋ねる。
「……アッサム、母さんは?」
怒ってるか? ヤバいか?
という副音声は正確に伝わったようだ。
「あとで、お部屋に来るようにとだけ」
「うぇ……分かった」
1週間反省房行きを覚悟しておくべきか……
やっぱり今からでもエヴァを連れて逃げるか……
いや、セオたちを置いて行くのもまずいよなぁ。何より本の無事を見届けないと。
そんな俺の考えを読んだように、アッサムは静かに微笑んだ。
「大丈夫ですよ。奥様はお帰りを心待ちにしてはおりましたが、ご立腹ではございません」
「なら、いいんだけどさ……」
「今はルシフェル様の好きにさせよ、というのが奥様のお考えでして、大旦那様も大奥様もそれにご同意されております」
「……謎だな」
確かにじいちゃんも『好きにするがよい』と言っていたが……丸ごと信じるには腑に落ちなさすぎる。
あのウルトラ過保護に俺を子ども扱いする母さんが、そんなことを言うなんてありえない。
素直な感想を述べると、アッサムは「深いお考えがあるのでしょう」とだけ言った。
冬の間も咲く花と緑を横目に、庭園を通って屋敷の玄関をくぐる。
(久しぶりに帰ってきたな……)
それでも家を出てから1か月くらいか。
あまりにも色々なことがありすぎて、もっと長い時間が流れたように思う。
ディスフォール家には応接室が4つある。
部屋の調度品が統一して色分けされていることから、それぞれを青の間、赤の間、緑の間、黄の間と呼んでいた。
今日は青の間を使うらしい。部屋に通されたエヴァたちは、椅子に座った。物珍しそうに青い調度品を眺めている。
控えているメイドたちによって手早くお茶が煎れられていくのを眺めながら、早く部屋に行きたいと思う。
「フェル、おかえりなさい!」
バーンとけたたましく部屋の扉が開けられて、姉さんが飛び込んできた。
「帰ってきたくなかった」
「もぅ、そこはいつもみたいに『ただいま、姉さん』でいいのよ」
熱烈なおかえりの挨拶を食らって、差し出された頬に仕方なくただいまのキスを返す。
ニコニコしながら「早かったじゃない。えらいわ、ちゃんとみんなも連れてきたのね」と人の頭を撫で回す手が妙にうっとうしい。
俺じゃなくてアスカが早く行きたいって言ったんだよ。
「ダーリン!」
姉さんは俺の頭を放すと、今度はセオに向かって突進していった。
抱き付かれて椅子から転がり落ちそうになったセオが、なんとか転倒せずにこらえる。
となりのアスカは呆然とそれを見ていた。
「こんなに早く来てもらえるとは思ってなかったわ。うれしい……!」
「姉さん、セオの首折れるぞ」
忠告だけしておく。マジやめてやれ。
「ロシベルさん、セオさんを離してください……」
アスカの声が低い。
こいつ、セオのことになると短気だよな。
「う、うるさいよ、姉さんは……お、落ち着いて挨拶も、できやひない……」
オドオドしたどもり声で、シュガー兄さんが入ってきたことに気付く。
気配を消すことだけはうまいんだよなぁ……基本存在感ないから。
ひょろりとした細い兄を振り返った。
「シュガー兄さん、俺の本、無事だろうな?」
「フェル……」
開口一番尋ねると、相変わらず血色の悪い顔でにらまれた。そのままフンと鼻を鳴らして、姉さんを止めるアスカに向き直る。
俺はガン無視かよ。
「……きみが、アスカ?」
兄さんの言葉に、アスカは動きを止めた。
真意を探るように、その目をのぞき込む。
「はい……ルシファーさんの、お兄様ですか……?」
「……ああ、そう。そうだ……あ、会えてうれしいよ、ア、アルテミス、E-type。JPN001……」
たどたどしくつづられた機械名に、アスカは目を瞠った。
更新待っていただいてありがとうございます!
夏休みに向けて、書き溜め頑張らねば……




