116 アルティマへ
待ち合わせの午後2時。
11番街と10番街の境にあるでかい公園で、俺とエヴァは向こうからやってくるふたりを見ていた。
アスカの足は応急処置したとかで、動かないものの適当にくっつけたらしい。見た目だけは人間の足になっていた。
「それで、車に代わる移動手段て言うのは、結局なんなんですか?」
顔を合わせるなり、アスカが尋ねてきた。
俺がまたセオをひどい目にあわせるとでも思ってるんだろうか。
「こんな場所からなにかに乗ると言われても、不安しかないですよ」
疑惑の目とセリフから、やはりそうらしい。
周りは木と土の道しかない森林公園だ。
この場所はわりと開けていて、たまに人も通る。
ここしか選ぶ場所がなかったことは、俺にとっても不本意なんだが。
「別に俺が抱えて飛んだりはしないから安心しろって」
「抱えなくても、それにくくりつけてぶら下げる、とか言わないですよね?」
アスカが指さしたのは、俺が抱えている巨大な鞍だ。
馬用とは違う。大型乗用魔獣に使う、ちょっと特殊なヤツ。
「そうか、そういう手もあったか」
「そうか、じゃありませんよ。そんな選択肢はいりません。セオさんには、もっと普通の移動手段を希望します」
「だから運ぶのは俺じゃねーって」
「ワン」
足下から白いフワフワしたのが相づちを打った。
こいつがシロくらいでかかったら、みんな乗れたんだけどな。
「じゃあ、なにに乗るんですか?」
答えを聞くまで納得しない様子のアスカを見て、エヴァまでも俺にしぶい顔を見せた。
「本当に、ここからなにに乗るつもりなの?」
「ん? エヴァは知ってるだろ? もうとっくに呼んであるから、今上空に待機してるぞ」
「え? 私知らないわよ? 待機って……?」
「ふたりとも来たことだし、降りてくるように呼ぶか」
俺は胸元のチェーンを掴んで、黒いアクセサリーを引っ張り出した。
小さい角笛の細いほうを口にくわえて、魔力を吹き込む。
「……っな、なんの音?」
「ルシファー? なんだそれは……?」
エヴァとセオのふたりが、耳を押さえて顔をしかめた。
可聴域を超えて鳴り響いた、飛竜の角笛の音色。
魔力のない人間には感知できないものだ。
「――ワイバーンフルートっていうんだ」
俺がなにを呼んだかに気付いたエヴァが、「あっ」と小さく声をあげた。
「ルシファー、乗り物ってまさか……」
「そのまさかだよ。魔力の塊みたいなもんだから、また特殊憲兵が来そうで呼ぶの気が引けたんだけど、他に手段もないし、なにしろ俺より速いから」
「あれって、乗り物だったの……?」
「乗り物としても優秀だぞ? 本当に困ったときに使えって言われてたから、ばあちゃんには怒られるかもだけど……」
そう言い終わらないうちに、太陽の光が遮られた。
上空から一陣の風が吹き下りてくる。
「ほら、来たぞ――」
視線のすぐ先。その巨体に見合わない静かさで、黒く艶やかなウロコが土の上に舞い降りた。
鋭い爪の並んだ2本の足が大地を掴むと、金色の目が俺をとらえる。
そこに存在するだけで威圧感がすごい。
「よぉ、クロ」
一応声をかけると、愛想のないワイバーンは虫けらを見るような目で俺をにらんだ。相変わらず性格が悪い。
あたりに舞う土埃でみんなが顔を覆っている間に、俺は黒い背中によじ登って手早く鞍を締めた。
ずり落ちないことを確認してから、ひょいと飛び降りる。
「よし、セオ、アスカを前に抱えて鞍に乗ってくれ。エヴァは俺と一緒に首の後ろに乗るぞ」
どうやら予想外だったらしい。
セオは絶句して、黒光りするワイバーンを見上げていた。
「ルシファー……これは一体、なんだ……?」
「え? ワイバーン知らねーの?」
「知識として知ってはいるが……まさか、乗るのか……? これに……?」
「ああ、怖がらないで大丈夫。いつもはクソ凶暴なヤツだけど、今はばあちゃんから借りたこれがあるから喰われたりしないって」
「ルシファーさん……? あまりフォローになってない上、この乗り物は普通の人に刺激が強すぎます」
冷静に突っ込んできたアスカに向き直って、「俺が運ぶよりいいだろ」と口をとがらす。
エヴァはエヴァで見るのは2度目のはずなのに、引きつった顔をしていた。
「本当に乗るのね……この子に」
「ああ。おいセオ、早く乗ってくれよ。適当に足かけていいからよじ登って、そこについてる命綱つけるの忘れないようにな」
「……他に選択肢はなかったのか」
「俺が用意出来る4人乗りで、これが一番速いんだって。嫌ならセオはこなくてもいいんだからな」
「……分かった。乗ればいいんだろう」
低い声で了承すると、セオはアスカを先に鞍に乗せて、自分も後ろによじ登った。
そんな意を決したような顔で挑まなくてはいけないことなんだろうか……まぁ、科学国の人間はワイバーンなんか見ることないから仕方ないのか。
散歩の途中らしい、通りすがりのじいさんがこちらを見るなり悲鳴をあげて逃げていった。
やばい、騒ぎになる。人が来る前に逃げよう。
「よし、エヴァ。俺たちも……」
抱え上げようと肩に手を置いたら、エヴァは身をよじってするりと逃げた。
「……おい。俺たちは鞍ないんだから、俺がエヴァを抱えて乗る以外に手段ないんだけど」
「え、あ……そ、そうよね」
うろたえた風のエヴァは、ちらとクロの上のふたりを見た。ああ、人目があるからためらってるのかな。
それをおいても今朝からよそよそしさがいつもの3割増しくらいなんだが。
もう一度手を伸ばして腕に抱え上げたら、体を強ばらせた。
なんだか悪いことをしている気になるなぁ……。
クロに飛び乗って「チビ、来い」と見上げている幼獣を呼ぶ。身軽な牙雷獣は一飛びでクロの首に着地すると、エヴァの上にもそもそと乗った。
俺は着ていたでかいコートを脱ぐと、エヴァと白い塊をくるんだ。
「片手でしか支えられないから、エヴァも俺に掴まっててくれ」
声をかけると、エヴァは「わ、分かったわ」と答えた。なぜだか少し間があって、そろそろとしがみつかれる。
エヴァは色が白いから、ちょっと赤くなってもよく分かるんだよなぁ。
いい加減慣れろよな……と思ったものの、首筋まで赤くなった困り顔を見たら心臓が妙なリズムを打った。
(ん……? なんか、俺まで恥ずかしい気がしてきたぞ……)
抱きしめるのに抵抗はないが、抱き付かれている状態を意識したら妙にくすぐったい。
これは「好き」を自覚してしまったせいなんだろうか。
首を振って動揺を払うと、竜の首の付け根にある、肩盤竜骨と呼ばれる突起を握った。
「クロ、アルティマに戻ってくれ」
黒いワイバーンが大きく翼を広げた。
首が上を向いたのは一瞬。
ひと羽ばたきで、巨体は一直線に、真上に向かって飛び出していった。
打ち上げロケットのような発進は、生身の人間には負担がすごかったようで。
十分な高度まで上がって水平飛行をはじめたら、アスカから「最初に説明してください!」と猛烈な抗議が飛んできた。
へーへー、と適当に聞き流す。
セオは……一応意識はあるみたいだな。
「エヴァ、寒くないか?」
「だ、大丈夫……」
肩口にエヴァの頭があるから、横を向けば顔と顔が触れそうだ。
これはもしかすると、日頃のスキンシップ不足を取り戻すチャンスか。
今までならそんな風に考えられたはずだった。
でも――。
「……」
エヴァは姉さんと違ってあまり肉付きのいいほうじゃない。筋肉もない。
自分とは違いすぎる華奢な柔らかさを、そういうもんだ、くらいにしか思っていなかった俺はどこへいったんだろう。
「……3.1415926535897932384626433……」
思わず呟いた数字に、エヴァがきょとんとした目で見上げてきた。
「え? 今なんて言ったの?」
「いや……ただの円周率」
「なにそれ。どうしたの? 急に」
「別のことに気を散らそうかと思って」
「? ……変な人ね」
俺もそう思う。
ただ、背中に回された腕には意識を集中しないようにしようと思った。
「ルシファーさん」
背後から呼ばれて振り返る。
顔色の悪いセオに抱えられたアスカが、「これ、どうなってるんですか?」と尋ねてきた。
「ものすごいスピードで飛んでることは分かるんですけど、風の抵抗がなさ過ぎませんか?」
「ああ、ワイバーンは飛翔するとき、自分の周りに空気の層を作るんだよ。自分にくっついてるものにも同じような作用が働くらしい。基本快適だろ? こいつのスピードで飛ぶと、普通なら息できないからな」
見る間に遠ざかった街並みをおいて、クロはなおも速度を上げていく。
「空気の層……エアアンブレラと同じ原理かしら」
「エアアンブレラ? なんだそれ」
「空気の層でできた傘ですよ。傘を持たなくても、体の周りに空気層を作ることで、雨が当たらないようにするんです」
「へえ、そんなもんがあるのか」
「はい、私が作りました」
作ったのかよ。
「すげえ発明なのかもしれないけど、なんで傘?」
「……片手を潰さなくても、携帯できる傘が欲しかったんです」
「ふーん、面白いな。今度見せてくれよ」
「……機会があれば」
答えたアスカは、どこか寂しそうに笑った。
仕事のスケジュール調整をミスりまして。趣味の執筆時間がとれない!
というわけで、来週は休載とさせていただきます! 申し訳ねぇ~!!




