114 好きのかたち
途中からルシ→セオに視点切り替えあり。
恋とか愛とか、そういう言葉があることくらい知っている。
本で読んだことだってある。でもそのどれもが、よく分からない内容だった。
たったひとりのために、悩んだり、喜んだり、自分でも訳が分からなくなるくらいその人のことしか考えられなくなるなんて。まったくピンとこなかった。
――少し前までは。
部屋に戻ると明かりはついたままで。
先ほど置き去りにしたソファーにもたれかかって、エヴァは寝ていた。
突然出て行ったことを謝りたかったのに、これは明日の朝かな。
そう思いながら横に立って、人形のように整った白い顔を見つめた。
テトラ教のやつらに神聖視されるほどの、白いアルビノの体。
その身ひとつで世界の天秤を傾ける、第三の力を有した頂点の魔女。
それでも、俺にとっては普通にひとりの女の子だ。
護ってやらなくちゃ壊れてしまう。俺とは違う、かよわい存在。
傷つけてないだろうか。
嫌われてないだろうか。
こんな俺を、まだ友達だと言ってくれるだろうか。
そんな風に臆病になるのは、いつだってエヴァの前だけで。
誰よりも近くで声を聞いていたいのも。
くだらない理由をつけて触れたくなるのも。
友達だから、じゃないのだとしたら。
「エヴァ」
閉じた瞳と視線は交わらない。かすかな寝息が応えた。
同じ高さにしゃがみ込んで、そのまぶたにささやく。
「好きだ」
それ以外に、向かう感情を表す言葉を知らない。
今まで知らなかった「好き」のかたち。
口に出してみたら、すとんとなにかが収まった気がした。
そうか、そうだよ。なんでこんな簡単なことが分からなかったんだろう。
「ずっと、大事にする。壊さないし、壊させない」
たぶん、はじめて会ったあのときから。
誰よりもエヴァを好きになる予感があった。
ひとすくい、指にからめた白銀の髪を持ち上げる。
そっと祈るように口づけた。
「……好きだ」
主従でもなくて、友達でもなくて、ずっと側にいられる関係でいたいと言ったら……エヴァは困るんだろうな。
だからもう少しだけ、このままで。
このよく分からない関係のままで。
誰よりも大切にするから。
自分を大切にしないお前の分まで、俺が大切にするから――。
いつか、生きてて良かったって……言ってほしい。
窮屈なソファーにもたれているのが気になって、そっと細い体を持ち上げた。
ベッドまで運ぶと静かに横たえて、ブランケットをかける。
明かりを消すと、ベッドの下に座り込んで寝顔を眺めた。
こうして見ているだけで胸のどこかが熱を持って、じんわりうれしい。
笑ってくれるともっとうれしいから、少しでも笑わせてやりたい。
変な気持ちだ……これが誰かを特別に好きになるってことなのか。
改めて考えてみれば、家族や友達に向かう気持ちとは違うみたいだ。
アルティマにいると、似たような年の異性と接する機会は少ない。それでも女の子に好きだと言われたことがないわけじゃない。
そのときの俺にはまるで意味が分からなかったが、こういうことなんだな。
そこまで考えて、ひとりの女の子の顔が思い浮かんだ。
「そういやあいつ、しばらく顔見てないな……」
色々考えながらよく眠っているエヴァを見ていたら、俺まで眠くなってきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
from a viewpoint of セオドア
ルシファーが窓から飛び出ていって、黒い翼があっという間に夜空の向こうに溶けてしまってから。
がしゃりと窓を下ろしたアスカが、俺を振り返った。
「……マスターさんは、大丈夫そうでしたか?」
マスターは強い人だが、色々あった今日はさすがに疲労が隠せないようだった。俺は「少し店の片付けを手伝ってくる」と、アスカをここに置いて千鳥亭に戻ったのだが。
そこでルシファーを連れて帰ってくることになるとは思っていなかった。
「ああ、明日は出発前にまた顔を出しに行こうと思ってる。俺にとって家族のような人だからな。なるべく心配はかけたくない」
「はい」
「アスカは……アルティマ王国のディスフォール一家を知っているか?」
俺の向けた問いに、アスカはこくりとうなずいた。
「一般的なことしか分かりませんが……暗殺を生業とした未承認小国家で、ルシファーさんの祖父母の代で建国しています。暗殺の依頼主は国の機関から富豪の個人まで幅広いようですが、政治は王族による独裁で大国との貿易もそれなりに活発です。生産性のある国ではないので、国の収益は主に入国の際の通行料と、暗殺の依頼料ではないでしょうか。依頼は100%の成功率を誇る代わり、法外な金額が必要なようですから」
「暗殺者っていうのは……あんなものなんだろうか。確かにルシファーには俺からすると想像もつかないような力があるんだろう。だが、話していると少し変わったただの少年というか……それなりに普通に見えてしまう」
「ええ、不思議な人です。あまり怖いとは感じません」
「家名を聞いて最初は嫌悪しかけたが、少し見方が変わってしまって困る……」
そう素直に口にすると、アスカはくすりと笑った。
片足でひょこひょこと歩いてきて、俺のとなりの椅子にすとんと座る。
「セオさんは、暗殺者がお嫌いなんですね」
それは今日、本人にも言われたセリフ。
「暗殺者が好きな人間のほうがおかしいと思うんだが……」
「ええ、全くです。私も人を助けるために作られましたから、人を壊すのには賛成できません」
「そうだな……」
「誰も暗殺者になりたいとは思わないですよね。でも生まれは選べませんから」
アスカの一言に、どきりとした。
望んで人殺しの一家に生まれてきたのではないだろう。
ルシファーは言っていた。やりたいことをやるために、暗殺家業はやめたと。
「偏見を持って人を見るのは、本質が見えなくなるか……」
「そうですね」
「だが、人殺しは人殺しだろう」
「ええ、ですからこれから先なにを見ても、セオさんはご自分の感覚を信じてればいいんじゃないでしょうか」
「……そうだな。どんな人間かは、話して知ることにしよう。俺はもう、ヒューマノイドが不快な存在でないということも知っているしな」
「それは……」
アスカはなにかを続けようとして、口を閉じた。
「アスカ」
「はい」
「知らなかったこととはいえ、ヒューマノイドが好きでないなどと言ってすまなかった」
「いえっ! セオさんが謝ることなんてありません!」
アスカは力一杯そう言ったが、俺は首を横に振った。
それもヒューマノイドをひとくくりにしていた、俺の偏見だったということだ。自分の視野の狭さが恥ずかしい。
「いや、改めて言わせてくれ。君は俺にあきらめかけていたことを思い出させてくれた。これを機に、機械へのくだらない偏見は捨てたい」
「セオさん……」
ありがとうございます、とうれしそうに答えたのを見て、自然その頭へ手が伸びる。人と変わらない質感の茶色い髪を撫で、言うべき事を口にした。
「アスカ。君がなにをしにドームへ行ったのか……君の家はなぜ焼かれなければいけなかったのか。憲兵に追われていた理由はなにか。そろそろ教えてくれないか」
わずかに沈黙して俺を見つめたアスカは「はい」と小さく答えた。
「11番街のこのあたりには固定カメラもほとんどないですし、ドローンも巡回してきません。ルシファーさんが思いもよらない方法で運んでくださったおかげで、私の現在地は知られていないと思うんです。だから、少し安心して話せます」
「君はまだ憲兵らに追われているのか?」
「おそらくは……私を捜していると思います」
歯切れの悪いアスカに、質問を重ねる。
「君の敵は本当にローラシア国家なのか? 大統領補佐官はアスカを見ても特に反応を示さなかったようだが……」
「私は国家中枢の要人を全て記憶していますが、彼らは私を知らないでしょう。憲兵も国家も、敵ではないんです。私に接触したがっているのは、ローラシアを動かしている存在ですが、人間ではありませんから」
「……なに?」
「……すみません。もう少し時間をもらえますか。今の私ではなにをどこまで話したら安全なのか、その範囲が分かりかねるんです。でも、もし、アルティマに私の半身がいるのなら……」
そこで一度言葉を切ると、アスカは俺の目を見て言った。
「そのときは、すべてをお話しできると思います」
知性を帯びた真っ直ぐな瞳に、俺はうなずく以外の選択肢を持たなかった。




