113 誤解されたくなくて
「ルシファーさん……?」
突き当たりの部屋から顔をのぞかせたアスカが、俺の顔を見て目を丸くした。
軽く手をあげて返す。
「よおアスカ。そうか……お前も寝ないもんな」
「どうしたんですか、こんな時間に。エヴァさんは?」
「セオと同じこと聞くなよ。邪魔して悪い。すぐ帰るから」
「セオさんが招いたのなら、私が邪魔に思うことはありませんが……なにかあったんですか?」
「……いや、別に」
まるで逃げ出すように飛び出てきてしまったのを話すのは恥ずかしい。
言葉をにごすと、アスカは心配そうな顔になった。
「エヴァさんと喧嘩でもしました?」
「してねえよ」
喧嘩のほうがまだ良かったかもしれない。
こんな、訳の分からない一方的なイライラ……みっともねえ。
殺風景な部屋に通されて、低いテーブルの椅子に座るよう促された。
「それで? マスターになにを話したかったんだ?」
自分も向かいに腰を下ろしながらセオが言った。
俺はなにをマスターに聞いて欲しかったんだろう。
なんでかエヴァにイライラしてることについてと、あとは……魔力供給について、か。
「いや……大したことじゃなくて……魔力供給をやめる方法とか、しないですむ方法とか、あれば聞きたかったんだ」
「そうか、そういう内容なら俺には答えられないな」
「だよな」
「だが魔力供給というのは大事なものなんだろう? なぜやめる方法を聞きたかったんだ?」
分からない顔のセオに、なんと話していいのか。
そもそも俺自身にも、どうしてそんなことを聞きたいのかよく分からなかった。
魔力供給が嫌だから? いや、違うな。
俺が嫌なのは、魔力供給そのものじゃなくて……
「俺さ……本当はエヴァの魔力なんていらないんだ。他の誰がどれだけ欲しかろうと、俺はいらない。強くなるなら自力で強くなるから、エヴァの能力も別に欲しくない。だから魔力供給しないですむならそうしたいっていうか……ああいう、依存性は余計だっていうか……」
開いた口からは、とりとめもない説明がこぼれた。
「……その……ごめん、なんかまとまんねー」
「その説明だけじゃ全部は理解出来ないが、やめたい理由があるならエヴァ本人に言うべきだろう。ルシファーはエヴァになにが言いたいんだ?」
先を促す口調でセオが尋ねた。
俺が、エヴァに言いたいこと。
「……エヴァにちゃんと分かってて欲しい、かな。俺は別に魔力が欲しいからあいつといるわけじゃなくて、契約とか、そんなのなくたって護ってやるつもりあるし、一緒にいたいからいるだけなんだ」
「ああ」
「それなのに……需要と供給っていうか、利害関係っていうか……そういうのがあるの余計だなって思ったら、すごく嫌で。あいつと一緒にいる理由をそんな風に思われたら、うまく言えないけど、すげぇ嫌だ……そんなんもう友達じゃないと思うんだ」
「……ああ、そうだな」
ちゃんと聞いている、というように相づちを打つセオがありがたかった。
こんな風にただ吐き出して聞いてもらえるだけでも、気が楽になるんだってはじめて知った。
「エヴァにさ、『必要だから一緒にいる』ようなこと何度か言われて、イラついてるだけなんだ。悪い。こんな話されたって、セオも訳分かんないよな」
「いや、分かる……と思う。というか、エヴァは友達なのか……?」
「一応俺はそう思ってるんだけど。俺たち、ちょっと変な関係だから。最初から歪んじまってるのかもなぁ……」
「いや、そうじゃなくて。ルシファーは、エヴァが友達でいいのか?」
「どういうことだ?」
聞き返すと、何故だかセオは困った顔になってしまった。
横からアスカが「ルシファーさん」と口を挟んでくる。
「たとえばですよ。エヴァさんに仲の良い友達がたくさんいて、ルシファーさんもその中のひとりだったとしたら、それでもいいですか?」
「えっ? エヴァに他の友達? マジで??」
「たとえばの話ですよ。どうです?」
考えてみた。
エヴァにとって俺は、たくさんいる友達の中の、ひとり。
「……どうだろう……嫌、かもしれない」
「じゃあ、その中のひとりとエヴァさんがすごく仲良くなって、エヴァさんを独り占めしてたらどうしますか?」
「そいつ瞬殺だな」
即答だ。超絶気にくわん。
「そこまではっきりしてるのに……ルシファーさん、何歳でしたっけ?」
「ハタチ」
「絶対嘘ですよね。20年も生きてきて、そういう人の気持ちが分からないんですか?」
ちょっと待て。
なんで俺は、見た目幼女のヒューマノイドに人の気持ちが分からないのかとか問われてるんだ。
「ほっとけ。お前なにが言いたいんだよ」
俺はこのイライラの原因もよく分からないのに、これ以上意味不明なことを増やすな。そう思ったら、アスカは仕方なさそうに「分からないようなので進言さしあげますけど」と続けた。
「愛を疑われるのは辛いですよね、って言ってるんです」
「……は?」
まったく分からない返答に、呆けた声がもれた。
今なにか、なじみのない単語が出てこなかったか。
俺たちを見ていたセオが、軽くため息を吐いた。
「エヴァに、利害関係があるから一緒にいると思われたくないんだろう?」
「……ああ、うん」
「エヴァさんのことが好きだから一緒にいたいのに、そこを誤解されたくないんですよね?」
アスカが身を乗り出し気味に尋ねた。
「うん? そりゃ好きか嫌いかって聞かれたら好きだけど……?」
「ルシファーさん? そろそろ分かりましょう……?」
今度はアスカが盛大なため息を吐いた。
なんだこいつ、呼吸なんかしてねえくせにため息はうまいな。
というかちょっと頭を冷やしたくて、マスターに相談したくて出てきただけなのに。
ふたりして残念なものを見るような目で俺を見るのはやめろ。
「喧嘩したんじゃなくて良かったですけど……セオさんの言うとおり、それはエヴァさん本人に言うことじゃないですか。こんなところにいてどうするんです? いいですか。ルシファーさんは胸に手を置いて、自分の気持ちをよく考えてみてください。最初から思ってましたが、少し……いえ、大分人の気持ちの汲み方について、感覚がおかしいですよ」
ヒューマノイドに言われたくない一言だ。
さすがにカチンときた。
「黙って聞いてりゃ言いたい放題……お前みたいなチビになにが分かるってんだよ??」
「私は人の感情を一通り学びました。心の機微に関することも億単位の人数で記憶しています。少なくともルシファーさんよりは知識が豊富かと」
「億単位……なんだ、その無駄知識」
「無駄じゃありません。ルシファーさんこそ、もうちょっと人の心を学んでください。とてもじゃないですけど、ハタチの人の情緒とは思えません」
悔しいが、そこを指摘されても仕方がない。俺の精神は長寿薬の影響で確かに幼い。
でも最近は戦闘に関係のない周りのこととか、自分以外の人間にも目が向いて、少し視野が広がったように感じていた。
それに以前の俺だったらこんな風にエヴァに……ひとりの人間にどう思われようと、イライラすることなんて絶対なかった。
そこまで考えて、気が付いた。
「……待てよ」
「はい?」
「この間から違和感があったんだが……もしかして、長寿薬の影響が弱まってるのか……?」
確か、ばあちゃんもそんなことを言ってなかったか。
長寿薬の影響が切れて、俺の中の精神が実年齢に近いものになってきているのだとしたら……
「長寿薬? なんですか、それは」
「肉体の劣化を防ぐ薬だ。服用すると成長も老化もあまりしなくなるんだが……副作用で精神が幼くなったり、感情が鈍くなったりするんだ」
「薬ですか……それでその見た目なんですね」
「ああ」
漠然と感じていた心の変化は、長寿薬の効果が切れてきたせいに違いない。
体が成長できなくても、心のほうは毒が抜けたら成長できるのか。
もう一度落ち着いて、セオとアスカに言われたことを考えてみた。
「……そっか、俺、エヴァに誤解されたくなかったのか……?」
だからイライラしてた?
誤解……って、なにが誤解なんだっけ?
「なんでそこで首をひねるんですか。ハタチなんでしょう? まさか今までに好きになった女性がひとりもいないとか言わないですよね?」
「お前の発言、俺よりセオにダメージ与えてないか?」
口元を押さえて横を向いてしまったセオを見て、一応教えておいてやる。
アスカは泳いだ目でそれを確認すると、小さく咳払いした。
「……し、質問を変えます。女性に好きだって言われたこと、ないんですか?」
「たぶんあるな」
「じゃあ分かるでしょう、好かれる気持ち。好きになる気持ち」
「正直、さっぱり分からん」
「……ポンコツですね」
「機械に言われたくない」
俺とアスカが言い合っていると、今度はセオが「まぁ、少し自分で考えてみたらどうだ」と、横から口を挟んできた。
「どんな形だろうと、大切に想ってるのならそれは愛情だろう。そこのところを誤解して欲しくないのなら、やはり直接言ってみるんだな。言葉にして伝えなければ分からないこともある」
「……そっか」
「ときにエヴァにここに来ることは言ってないんだろう? 寝ているのか? 起きていたら心配しているんじゃないのか」
「え、あっ……」
つい飛び出て来てしまったが、そうだ、エヴァをひとりにしてしまってる。
驚いた顔してたし、変に思ったよな。
さすがにもう寝ただろうが……急に心配になってきた。
「そうだよな……帰る」
俺は立ち上がると、窓を指さした。
「こっから出て行っていいか?」
「かまわないが……靴は忘れるなよ」
「そうだった。サンキューな、セオ」
また明日、と言い残すと、部屋にひとつしかない窓を引き上げた。
足をかけたところで、ふと思いとどまる。
言われっぱなしで悔しい気もするが……背後を振り返った。
「アスカ」
「はい?」
「良かったな、ここにいられて。あと、サンキュ」
きょとんとしたあとに、アスカは笑った。その顔に満足して、俺は外に飛び出した。
同時に広げた翼で、大きく上昇する。
「愛情……か」
さっきまであった原因不明のイライラは、もう胸のどこにもなかった。




