111 少しずつ変わっていくなにか
千鳥亭のドアを開けると、シャツの中に収納していた幼獣がぴょこんと飛び出した。ふさふさした尻尾が店内に駆け込んでいく。
「あ、おい」
幼獣はカウンターに座っているエヴァの足下に走り寄ると、クンクンと匂いを嗅ぐ仕草をみせた。
エヴァは戸惑ったようにそれを見下ろしてから、視線を上げた。
俺を見た瞬間、安堵の表情に不安げな色が混ざる。
「エヴァ?」
なにかあったのか、と問いかける前に、
「ルシファー君、おかえり。セオは?」
カウンターの中から、落ち着かない様子のマスターが声をかけてきた。
「ただいま。セオならここにいるよ、心配ない」
後ろを指さすと、重たげな様子でセオが入ってきた。セオの腕に掴まって、ヒョコヒョコと自分で歩いてきたアスカは、マスターとエヴァを見ると気まずそうに頭を下げた。
「アスカちゃん……良かった。セオは? 怪我でもしたか?」
顔色の悪いセオを見て、マスターがカウンターから出てくる。
セオは苦笑いで「いや」と否定した。
「どこもなんともない。これはちょっと……乗り物に酔っただけだ」
誰が乗り物だよ。
「ならいいけど……みんな無事に帰ってきてくれてホッとしたよ」
目元を緩めたマスターに、セオが「ああ」と返す。
「約束通り、連れて帰って来た」
「正直ね、寿命が縮む思いだったよ。ルシファー君のお姉さんは……帰ったのかい?」
「ああ、全部話す」
マスターとセオが話し出した横を抜けて、エヴァの足下の幼獣を拾い上げた。
見下ろした顔はもう、平然としている。
さっきの不安げな感じはなんだったんだろう。
「ただいま、遅くなっちまった」
「おかえりなさい」
姉さんや妹たちならここでおかえりのキスが降ってくるところだが、当然エヴァがそんなことをするわけがない。それを求めちゃいけないことも、ちゃんと理解した……つもりだ。
「もう1回言って」
「え?」
「ただいま」
「……おかえりなさい」
うれしいんだけど、やっぱりスキンシップが足りない。
ギュッとするぐらいなら……許されないんだろうなぁ。
物足りなく思っていたら、腕の中の幼獣がするりとエヴァの膝に移動した。
そのまま肩に足をかけて、尻尾をブンブン振りながら白い頬を舐めた。
「あっ、こら!」
なんでいきなり懐いてるんだ。
エヴァはくすぐったそうに目を細めると「この子どうしたの?」と幼獣を抱え直して撫ではじめた。ずるい。
「拾ったんだ。山に返してやろうと思って」
「魔獣よね? ツノがあるわ、かわいい」
「牙雷獣の子どもだよ。雷と魔力を食う魔獣で……あ、そうか。牙雷獣って確か、魔力の多い魔女が好きなんだった」
牙雷獣は成長に魔力が必要な魔獣だ。必然的に、魔力をたくさん分け与えてくれる魔女の使い魔になることが多い。
魔力を与えすぎると、母さんのシロみたくとんでもない大きさの魔獣に成長するわけだ。
でも姉さんにはこんな感じじゃなかったけどなぁ。好みの問題なのか?
「現金なヤツだな-。連れてきてやった俺よりエヴァがいいのかよ、コイツ」
「魔女が好きなのね? あなたの拾い主、私に懐くのが嫌みたい」
仕方なさそうに笑われて、少し考えてみた。
「確かに……ちょっと嫌かも」
「馬鹿ね、取ったりしないわよ」
いや違うそうじゃない。
そのチビをエヴァに取られるなんて、別に思ってないし。
俺が気にくわないのは、そいつが膝に乗って撫でられてることで。
「……エヴァの使い魔、こいつのほうが良かったんじゃねえか?」
「なにそんな不機嫌な顔してるのよ……ほら、返すからすねないの」
差し出された幼獣と目が合った。抱えるエヴァと、抱えられる幼獣。
なんだこの白ふわコンビ。
「……反則な取り合わせだろ」
かわいさに耐えかねて幼獣ごとエヴァをギュッと抱きしめたら、すごい勢いで押し返された。
「なんでそうなるのよ?!」
そうなるだろう。むしろそうならないほうがおかしい。
距離感がおかしいと怒られた上に俺は引きはがされたが、幼獣はしっかり細い腕の中だ。
くそ、やっぱりずるい。
留守中なにもなかったかと聞いてみたが、エヴァは「なにもなかった」の一点張りで。さっきの不安そうな顔の理由を聞き出すことは、とうとうできなかった。
マスターが温かいお茶を出してくれて、みんな座るとそれからしばらくそこで話をした。
アスカがヒューマノイドで、大崩壊前から存在していること。科学国の影でずっと「人の助けになる」ために働いていたこと。
詳しくは話せないらしいが、どうしても確かめなくてはいけないことのために特殊憲兵を調べる必要があることなど、マスターやエヴァにも情報を共有した。
セオがチップをとったことを伝えたら、アスカはひどく動揺した。
すぐに殺されることはなくなったから、もっと詳しいことを話してくれていい、というセオの意見を退けると、困った顔で「時機が来たらお話しします」とだけ言った。
「じゃあ、結局みんなでルシファー君の家へ……アルティマに行くことになったってことなんだね」
マスターの言葉にうなずくと、セオは続けた。
「それで、マスターの車を借りたいんだが……」
「待て待て。俺は車嫌だぞ。さっき久しぶりに乗って思ったけど、遅すぎる。あんなんで移動したくない」
俺が反対意見を述べると、セオは眉間にしわを寄せた。
「俺はもう二度と、君には抱えられないからな」
「悪かったって。今度はもうちょっとマシな空の旅を約束するから」
「空は結構だ。地面を移動したい」
「地面を移動するなら俺より速い車を用意しろよ」
平行線のまま言い合う俺たちを、マスターはニコニコしながら眺めている。
「ふたりとも仲良くなっちゃって。友達ができて良かったね、セオ」
「「は?」」
俺とセオの声が重なった。
「節穴なのか、マスターの目は」
「友達? 俺とセオが?」
ピンとこない。
むしろ合わなさそうだという気しかしない。
「うん、それで車じゃなければどういう手段で移動するつもりなの? ルシファー君は」
マスターの問いに正直に答えると、またセオがうるさそうな気がした。
よし、にごして答えよう。
「空を移動する乗り物で行くよ。俺が手配する。素手でセオを運ぶつもりはないから安心してくれ」
「……本当か?」
「ああ、さすがに3人は抱えていけないし、空からならアルティマまで2時間もかからないよ」
「……分かった。とにかくルシファーに運ばれるのだけは断るからな」
「俺も俺より身長の高いヤツを運ぶのは嫌だ」
俺とセオを見ていたマスターは、やはりニコニコしている。
だから違うって。
「アスカが保管してある荷物を取りに行きたいと言っているし、俺も片付けなければいけない仕事が少しある。出発は明日の午後以降でかまわないか?」
「いいよ、いつでも。数日以内に行けば問題ないし……」
「いいえ、早く行きたいです。明日にしましょう」
横から割り込んだアスカの一言で、明日の午後出発することが決まった。
待ち合わせ場所は、10番街はずれの国立公園にしようというところまで話が決まって。
マスターが出してくれた軽食をみんなで平らげた。
帰り際に思い出したことがあって、店の入口を出るところでアスカを振り返った。
「そういえばさ、お前、結局ドームになにしに行ったの?」
「なんですか、唐突に」
「だってうやむやになって聞いてなかったから。気になるじゃんか」
「……調べることがあったんです。今のところ、それ以上話すメリットが見当たらないので黙秘させていただきます」
「ヤな言い方するなぁ……今の、セオに向かってもう1回言ってみろよ」
「ヤな言い方はルシファーさんのほうでは?」
「あー、はいはい。いいですよ黙秘で別に。でもさ、セオにはなるべく話してやれよ。かわいそうだから」
じゃあな、と手を振ってエヴァと店を出た。
閉まりかけた店のドアがもう一度開いて、背後からマスターが顔を出す。
「ルシファー君」
「なに?」
「ありがとうね」
「……いや? 俺別になにもしてないけど」
「してくれたよ。またランチ食べにおいで。ごちそうするから」
「ああ……うん」
今度こそ階段を上がると、店内に戻っていったマスターの声が聞こえてきた。
「セオ、送らなくていいの? 子どもだけじゃここら辺は歩くのも危ないって言ってたくせに」
「ルシファーなら心配いらない」
ぶっきらぼうな返事が聞こえた。
俺の強さが少しは分かったみたいだな。よしよし。
(ありがとう、か……)
まだ、感謝の言葉がなれなくて落ち着かない。
エヴァの横顔を眺めてから、薄明るい科学国の夜空を見上げた。




