110 目的地はアルティマ?
姉さんが黒い化けガラスと一緒に夜空に消えて。
それを見送った俺たちは、互いに顔を見合わせた。
「アルティマには、もしかして……汎用AIがいるんですか?」
セオに抱えられたアスカが、俺に尋ねた。
「姉さんの話か……俺も分かんないんだよな。アルティマにいるヒューマノイドは2体だけで、兄さんの助手なんだ」
シュルガットの研究室にいつもいる、有能なヒューマノイドたちを思い出す。
俺に対してはほとんど無表情だが、主人には従順でよく笑っている。あいつらも汎用AIなんだろうか。
「私のように会話が成り立つヒューマノイドでしょうか」
「いや、アスカとは違うよなぁ。見た目はどっちも若い女で、メイド系のヒューマノイドよりは臨機応変に動いてるけど……お前みたく好き勝手もの言うわけじゃないぞ」
「……その2体のどちらかが、私の探しているヒューマノイドかと思ったんですが」
「探してる? それが姉さんの言う、アスカの”欲しいもの”か」
「はい。なぜルシファーさんのお姉さんがあんなことを言ったのか分かりませんが……思い当たる節がそれくらいなものですから」
そう言って、アスカは考え込んだ。
視線を下に落とすと、ぽつりと言う。
「少し……私の話をしてもいいでしょうか」
その質問は俺に向けたものじゃないと思えた。
目線で促すと、セオは「ああ」と答えた。
「聞かせてくれ、少しと言わず、全部でもかまわない」
アスカは笑うと、遠いところを見る目で言った。
「ありがとうございます。でも私が作られてから今日までの話をするのは、時間的に無理ですね」
「そんなに長くなるのか」
「信じていただけないかもしれませんが、私が作られたのは、大崩壊前のことなんです」
「……なんだって?」
「大崩壊前? 嘘だろ?」
セオと俺がほとんど同時に言うと、アスカは「本当です」と自分の手のひらを見つめた。
「この体は何度もレストアや交換を繰り返していますが、アスカと呼ばれる私の本体は、大崩壊前の日本というところで作られました。今はもう、海の底に沈んでしまった国ですが」
大崩壊。それはもう、200年以上前のことだ。
当時の世界の姿はまばらな情報で伝わっているものの、その時代を正確に把握している者はいない。
それでも俺は一応、日本を知ってる。兄が日本文化が好きなオタクだからだ。
「大崩壊前の日本なら俺も知ってるぞ。アレだろ、ニンジャの国。アジアの島国だよな」
「ええ、昔は今よりももっとたくさんの国がありました。日本はその中でも小さな国でしたが、データサイエンスやロボットテクノロジーでは最先端の技術を有していたんです。私を作った人も、そんな研究者のひとりでした」
「アスカの産みの親か」
セオの問いにうなずくと、アスカはそれきり大崩壊前のことには触れず、あとのことについて話し出した。
地球規模の地殻変動が起こり、日本を出たアスカは一番人の集まる都市に向かったらしい。
それからしばらくした頃、自身のデータ容量や物資が不足して『器』を変えざるを得なくなったと説明した。
「新しい体はなんとか手に入ったのですが、スペックが不十分で。私は仕方なく自身をふたつに分けたんです」
「分けたって、どうやって」
「器を2体用意して、蓄積したデータを分割しました。いずれ高性能な器が用意出来たら、そこでまた統合しようと思っていたんです。でも……」
もう1体とは、色々あって離ればなれになってしまったとアスカは言った。
そして、それからずっと半身を探しているのだと。
「もう1体は汎用AIとしては不完全なんです。ただ、普通の自動制御よりは有能ですし、身体能力も高いはずです」
「それなんだけどさ、なんでお前、機械なのに感情があるんだ?」
「それは……私にも分かりません。これが、本当に感情と呼ばれるものなのかどうかも」
言葉を濁すとアスカは続けた。
「私を作った研究者は、私に”人の助けになる”ように言いました。その上で、自らも守らなければいけないと。私は、ただそれに沿って行動しているだけです」
機械は目的や目標がなければ動かないと、シュルガットが言っていたのを思い出した。
たとえばオセロ。ルールは「自分の使う色で盤面を埋め尽くす」ことだ。そのために、どんな手段をとったらいいかをAIに教え込む。
AIは膨大なデータを元に、瞬時に次の手を考え、確実に勝利につながる答えを導き出す。
そういう分かりやすい目標の前で、機械は人間よりもはるかに有能だ。
ただアスカがいう”人の助けになる”という目標は、かなり漠然としたものに思えた。
「シュガー兄さんのヒューマノイドのどっちかが、アスカの半身なのか……?」
「現存しているとすれば、体はレストアされているでしょう。見た目では判別がつかない可能性もあります。ただ、私たちは互いを見つけられるようにしてありますから、近くに行けば分かるはずです」
「そうか……でもお前、アルティマに行ったらなにされるかわかんねーから、確認しに行くのはすすめられないなあ。俺がこの間捕まえた特殊憲兵みたく、バラバラにはなりたくないだろ?」
「特殊憲兵……? 特殊憲兵が、アルティマにいるんですか……?」
「俺とじいちゃんが壊しちまったから、もう動いてないけどな」
アスカは腕を伸ばすと、突然がしっと俺の服を掴んだ。
「……行きます」
「ん?」
「行きます、アルティマに」
「アスカ」
セオが心配げに呼んだが、振り向かずアスカは続けた。
「その代わり、私にも特殊憲兵に触れる機会をください。情報が欲しいんです」
「えーと……俺じゃ約束はできねーけど、頼んでやることはでき――」
「お願いします」
食い気味に言われて、ちょっとひるんだ。
特殊憲兵がそんなに重要なのか。
「じゃあ、それがお前の"欲しいもの"だったのかな」
「……分かりません。でもどのみち私を連れて行かないと、ルシファーさんはお姉さんにおしおきされちゃうんですよね?」
「おしおきはともかくとして、俺の本も危ねえし、まぁ……一旦は戻るつもりだけど。セオはそれでいいのか?」
「良くないが、止められる気もしないな」
なにかを悟った表情で言うと、セオは「俺もついて行こう」と言った。
「マジかよ。アスカとエヴァだけだったら抱えて飛べるかと思ったけど……3人もいたら移動手段どうすんだよ」
「抱えて飛ぶとはどういうことだ」
「ああ……そっか。お前たち飛べないからピンとこないもんな」
説明するより見せたほうが早い。
辺りに人気もなかったので、俺はバサリと背に大翼を広げた。
「こういうことだよ」
「……羽?」
「ルシファーさんて、やっぱり魔物だったんですか?」
「人間だ」
やっぱりってなんだよ。
アスカは「はじめて見ました。本物ですか?」なんて言いながら手を伸ばして撫でてきた。
「やめろ、見せもんじゃねーぞ」
「変わった方だとは思ってましたが……あらためて不思議な方ですね」
セオは無言だった。
なんだ、人を珍獣みたいな目で見やがって。
「ちょうどいい。暗いしそんなに人目につかないだろ。飛んで帰るか」
抱えていた幼獣をシャツの下に突っ込むと、腕を伸ばした。
セオからアスカを取りあげて、小脇に抱えこむ。
「ルシファー? アスカをどうする気だ。抱えるならもっと大事に扱え」
「十分大事に扱ってるだろ」
「どこがだ。今すぐアルティマに行くわけじゃないだろう。アスカは俺が連れていくから……」
「それだと飛べないだろ」
そのままセオに腕を伸ばすと、俺より身長の高い腰に手を回した。
「おい、ちょっと待て。なにをする気だ?」
「これが一番早く帰れるんだよ」
エヴァを連れて飛ぶときはなるべくゆっくり上昇するように心がけているが、こいつらは平気だろう。
地面を蹴ると、素早く上空まで上昇した。
両側からかすれた悲鳴のような抗議が聞こえたが、無視だ。
早くエヴァのところに戻りたい。
「……あっちか」
千鳥亭の場所を探さずとも、エヴァの気配を辿れば迷うこともなかった。便利だな、使い魔。
急ぎ目に飛んでいると、アスカが叫んだ。
「ルシファーさん! セオさんを落とさないで下さいよ?! もっとちゃんと抱えてください!!」
「うるせーなぁ、俺よりでかいヤツなんて本当は抱えたくないんだからな?」
「……なんでもいいから、降ろしてくれ……歩いて帰ったほうがマシだ……」
セオ、顔が青いな。
もしかして高いところ嫌いなのか。
さほど時間もかからずブラックマーケットの上空にたどり着いた。千鳥亭が入っている建物は屋根が赤くて目立っている。
目掛けて急降下すると、最後だけふわりと着地した。
「とうちゃーく」
セオだけ降ろすと、アスカもジタバタ暴れて降りようとした。
「セオさん! 大丈夫ですか?! ルシファーさん、あんなスピードで飛ぶなんてひどいです! 生身の人間になんてことするんですか!」
「こら、暴れんな。お前は歩けないだろ。あとな、俺も生身の人間だ」
「そんな規格外に頑丈な生身、認めませんよ!!」
こいつ、セオのことになるとうるさいな……
暴れすぎて落ちそうになるのを横抱きに抱え直して、うずくまっているセオに「肩貸そうか?」と声をかける。
「……遠慮する……抱えられての飛行も、金輪際遠慮する……」
うつむいたセオからは、グロッキーな声が返ってきた。




