109 幸せにはなれない#
from a viewpoint of エヴァ
どこだろう、と考えるまでもなく。いつもの夢の中だと分かった。
吸い込んだ空気さえも熱くて、体の内から燃えてしまうと思ったあの日の記憶。
繰り返す、悪夢。
助けて、と叫んでも無駄なことを知っていた。
だってみんなは死んでしまった。
私のせいで消えてしまった人たち。
後悔と、懺悔と、愛おしさがどろどろに混じり合って。
早く私もそちら側へ行かなくちゃと思う。
私こそが。
(死んで――)
きっと、みんな、それを願ってる。
(エヴァ、死んで――)
分かってる。
(お前は外に出てはいけなかった)
(珍しい色だな)
(希少な巫女――)
(利用価値があるだろう)
分かってるから、私ももう死なせて――。
声にならない声で願ったら、全身の熱が一気に引いた。
対極の温度に落とされた体が、冷えて、固まって。
凍る――。
永遠に巡りそうな寒さが、四肢を動かなくして縛る。
(全部――)
全部、私の存在がいけない。
望み通り、消えるから。
だからもうどうか、誰も死なないで――。
天を見上げても、救いの光は降りてこない。
罪人の牢獄に光なんて射すわけがない。
だから。
視界いっぱいに広がったのは、闇夜に溶ける黒い翼。
(……鳥?)
伸ばされた手を、ただ見ていた。
手の持ち主が言った。
許されないと知っていても、欲しかった言葉を。
泣きそうな気持ちでその手を取ろうとしたところで、目が覚めた――。
……見慣れない場所だった。
部屋の中に視線を泳がせたけれど、目覚めればいつも近くにいるルシファーはいない。押し寄せる不安を、のどの奥で噛み殺した。
(違う……馬鹿なことを、考えてる……)
彼を捜してはいけない。
生きていれば温かい気持ちに触れることも、優しさを向けられることもある。
でも勘違いしちゃいけない。それらはいずれ手放さなければいけないものだ。
大事にしてしまえば、いつか自分も、相手も苦しめることになる。
本当に怖いのは忘れることだ。
過去の出来事をだんだんと薄らいだものにしようとする、弱い心が怖い。
時間の力を借りて、忘れて、痛みを和らげようという方向に知らず動く心が。
現状は、なにも変わっていないのに――。
音のない部屋の中に、ひとり。
久しぶりに見た夢のせいで、ひどく心が冷えていた。
「私、ここでなにをしているのかしら……」
一刻も早く、死ぬ方法を見つけないといけないのに。
このところ当たり前になっていた、ルシファーと過ごす時間を思い出して怖くなった。魔力供給の問題がなければ、このまま逃げていたかもしれない。
(そうだわ……魔力供給……)
マスターに流動剤を打ってもらって。ルシファーのお姉さんに、咎人の石の痕を消してもらって。
魔力が動くようになった。昔みたいに。
(弟が魔力不足で倒れる前になんとかしてちょうだい。あなたの仕事でしょう?)
お姉さんにそう言われて、早く彼に魔力を渡さなきゃ、とだけ思った。
理解のないまま従魔の契約なんてしたのに、ルシファーは私を責めることすらしない。彼にも、彼の家族にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
あのあと、くらくらする頭で起き上がれずにいたら名を呼ばれた気がした。
そして――。
「……供給した、のよね……?」
うろ覚えだけど、自分にできる限りの魔力を彼に渡した気がする。
じゃあ、もうルシファーは大丈夫よね……?
薄明かりの灯る部屋の中、持ち上げた手の先に魔力が揺れるのが分かった。
ほら、動かせるようになってる。自分の意思で。
それはとても、怖いこと――。
身震いして上半身を起こしたら、パサリと肩から上着が落ちた。
ルシファーの着ていたものだ。
「……っ」
部屋には自分ひとりだったけど、慌てて胸元のボタンを留め直す。
「デリカシーなさすぎじゃないかしら、あの姉弟……」
ひとり赤くなってうめいた。
特にルシファー。私に対しての距離感とか、恥じらいのなさとか、明らかにおかしい。
でもその理由はなんとなく分かっていた。
私は彼にとってリアムと同じ「友達」。
男だからとか、女だからとか、きっと関係ないんだ。
(友達……)
胸のどこかが、ズキリとした。苦い気持ちでソファーを立った。
重たい防音室の扉を押して、部屋の外に出る。
「ああ、エヴァちゃん。目が覚めた?」
落ち着いた千鳥亭の店内。
カウンターの中からマスターが振り向いた。
「ええ、寝てしまってごめんなさい。ルシファーは……?」
「もっと寝てても良かったんだよ? ルシファー君なら大分前に出かけたよ。セオと、お姉さんと一緒に。アスカちゃんを捜しにね」
ああ、そうか。行ったのね……。
やっぱり私はお荷物だから、ここに預けていったんだわ。
「私……どれくらい眠っていたのかしら」
「かれこれ5時間くらいかなぁ……お腹は空かない?」
「大丈夫よ、ありがとう」
静かな音楽が流れる店内に、お客さんの姿はない。
でもカウンターの上に、妙なものがいた。置物かと思ったけれど違う。魔力を発してる。
「……この子、どこから来たの?」
小鳥、にしては目つきの悪い、魔鳥らしきものが一羽。
じろりとこちらを見たので、目が合った。
「ルシファー君のお姉さんの使い魔らしいよ。エヴァちゃんの護衛だって。かわいいよね」
「かわいい……そうね」
そういう雰囲気ではないけれど、シルエットだけならかわいいと言えなくもない。
「こんにちは、小さい護衛さん?」
黒い小鳥は『クェ』と鳴くとそっぽを向いた。
放っておいてくれ、という無言の圧を感じる。お姉さんの使い魔だと言うし、そっとしておいたほうが良さそう。
「顔色が良くないね。供給で魔力を消費しすぎたのかな?」
「いいえ、魔力は大丈夫……ちょっと、夢見が悪かっただけ」
「そうか、体に問題がないならこれがいいかな」
マスターの手元で、マドラーが涼しげな音を立てて回る。
カウンターの上に、薄緑色の液体が入ったグラスが置かれた。
「魔力の回復と精神の安定にいいよ。どうぞ」
「ありがとう……」
私、このところ人を頼ったり、迷惑かけたりしてばかりね……
自嘲のこもった息をついてカウンターに座ると、冷たいグラスを両手で包みこんだ。
「ルシファー君がいないのが、さみしい?」
私の顔を見てそんな風に思ったのか、マスターはふっと笑った。
「えっ……そ、そんなわけないでしょ」
「なにも否定することないのに。友達なんでしょ?」
どことなくからかうような響きを含んでいたけれど、それとは関係なくマスターの言葉にうなずくことができなかった。
「昨日は、それ以外にどう言っていいか分からなかったからよ……本当は、友達なんて呼べるような関係じゃないわ」
「ん? それはどういうこと?」
思わず口走ってしまったセリフに、マスターは首を傾げた。
「友達以上、恋人未満、とも違うのかな? お似合いだと思うけど」
「っそんなこと考えたこともないわ! 私には友達を作る資格なんてないし、ルシファーとはそのうちに従魔の契約も解消するんだから……っ」
あ、と思った。
私、余計な事ばかり言ってる。
「……従魔の契約を解消する方法は、この間教えた気がするんだけど」
「……知ってるわ」
どちらかが死ねば、契約は解消する。
「じゃあそれは、難しいよね」
「難しくても、するのよ。そういうふうに決まってるの、最初から」
意味ありげに差し向けた形になってしまったことを、少し後悔する。
マスターはやわらかな口調で「そう」と言った。
「ルシファー君たちがアスカちゃんを連れて帰ってくるまで、まだ時間があるかな」
自分の前にもマグカップを置いて、マスターは背の高い椅子に腰掛けた。
「そういえば聞きたいことがあるんだったね。僕に答えられることならなんなりと。実はちょっと落ち着かなくてね。話していると気が紛れてありがたいんだ」
本音半分、気遣い半分のセリフ。
優しい人ね。
ルシファーと会うまでは、話をしていい相手なんていなかった。
今だって、こんなに人の近くにいていいわけがない。
咎人の石がなくなって、澱もなくなって、これまで以上に魔力が外に広がるようになっている今は、特に。
そんな分かりきったことを考えながら……
(――気になることがあるんなら、話せること話して、聞きたいこと聞いてみたらどうだ?)
ルシファーの言葉を思い返して、そうしてみようか、と思ってしまう。
私は愚かだ。
「……マスター、知っていたら、教えて欲しいの」
尋ねてみて、答えが出てくるとは思えないけれど。
目的のためには、なんでも利用しなければ。
「死なない人間が死ぬ方法……不死をなくす方法を、知りたい――」




