108 あなたの欲しいもの
アスカの答えを聞いて、ほっとした。
このふたりを見ていてもやもやしていた理由も、やっと分かった。
アスカはやっぱり、エヴァに似てるんだ。
性格は違っていても、欲しいものを欲しいと、好きなものを好きと言えないエヴァにアスカは似ている。
だから重ねて考えてしまって、なんとかしてやりたくなるんだろう。
機械だと分かっていても。
ふと、ゴンドワナで尋ねたときに「側にいて欲しい」と言ったエヴァの顔を思い出した。あれは可愛いかったよなぁ……。
たまに確かめたくなって「俺と一緒にいたいよな?」と聞いてみるが、「別に」とか「どっちでも」とかいう答えが返ってくる。
魔力供給のことが分かってからは「だって必要でしょう」なんて返しまで追加された始末だ。
素直じゃないだけだと分かっていても、少しモヤッとする。
エヴァは普段俺への当たりが強いからか、素直になったときの可愛さの度合いがヤバい。
あれをもう一度見たいと思う俺がそもそもいけないのか……。
セオも白状したアスカに処理落ちればいいと思ったのに、「それが聞けただけで今は充分だ」と小さい体を抱きしめただけだった。
くそ、大人の対応かよ。
なんだか悔しい。
俺のとなりに座る姉さんはしれっとした顔でそれを眺めたまま、俺に「ところで」と話を振ってきた。
「フェル、その子連れて帰るんでしょ? ダーリンの所有物にしていいの?」
もっともな疑問だな。
「それなんだけど、シュガー兄さんにはあきらめてもらうしかないよなぁ」
「あなた、本を人質に取られてたんじゃなかったかしら? いいの?」
「……よくないな。一度脅しに家帰ろうかな……こいつも山に返したいし」
膝に丸まっている白い毛皮をわしゃわしゃと撫で回す。
うれしそうに目を細める幼獣は本当にかわいい。
「フェル、なんだか変わったわねぇ……本のためならダーリンを亡き者にしても連れて帰るかと思ったけれど」
姉さんに言われて気づいた。
そうだよな。少し前の俺なら、目的のために迷いなく他を犠牲にしただろう。
誰かを殺すのが気持ち良かったわけじゃないが、必要だと思えば誰でも殺れた。
そういう風に慣れて、殺すことには鈍感で。
でも、今はそれ以外のことを優先している自分がいる。
「あれ……? 言われてみれば、俺、なんか変だな」
なんだろう、この違和感は。
「外に出て視野が広くなったのかしらね? でも他人に情けなんて持たないでね。あなた根が優しいから心配だわ」
「たぶん、心配の方向性が特殊だよな、うちって」
家業柄、仕方ないんだろうが。
うちの常識は外の非常識。その逆もまた然り。外に出たことで、いっそう分かってきた。
「姉さんには悪いけど、暗殺家業はやめたんだ。俺が誰を心配しようが気にかけようが問題ないから、放っておいてくれよな」
「……へぇ? あなた本気でアルティマを出る気? それでどうするの?」
「俺はやりたいことやって、普通に友達作って、常識ある一般人として生きてくんだよ」
「普通……一般……? ちょ、なに言ってるの、フェルったら」
姉さんはおかしくてたまらないという風に笑い出した。
ブチ切れるかと思ったけど、怒られないところも逆に怖い。
ひとしきり笑うと、姉さんは目元をぬぐいながら俺の頭を撫でた。
「あぁ……もう、あんまり笑わせないで、フェル。それでね、残念なお知らせよ」
「は? なに?」
「私はその子をアルティマに連れて行くわよ。どんな手段を使ってもね」
アスカを指さしてさらりと言う。
笑っていない目を見れば、本気のセリフだということは分かった。
「……なんで? 姉さんは別に、ヒューマノイドなんてどうでもいいだろ?」
「ヒューマノイド自体はどうでもいいけれど、その子に興味があるの。シュルガットが自分で出てこようとするほど、欲しがってる子だもの」
「シュガー兄さんが自分で……? え、マジか。あの引きこもりが」
「でもね、今すぐには連れて行かないわ。私の予想が合っていれば、どうせその子は自分の意思で来るだろうから」
不敵な笑みを浮かべると、姉さんはアスカに向き直った。
なんだ、何の話だ。
「ねえ、かわいいお人形さん? アルティマに来なさいな。その足も直してあげられるし、それ以上にあなたの欲しいものが手に入るわよ」
「……欲しいもの、ですか?」
警戒した声色で、アスカが返す。
「ええ、私には分かるのよ。賢い汎用AIさん?」
アスカがわずかに目を瞠った。
セオはアスカを抱え直すと「ルシファー」と俺を呼んだ。
「君がアスカを捜していた理由は、それなのか? その、連れて帰るというのは、アルティマにか?」
「ああ……言ってなかったな。うちのマッドサイエンティストがアスカを欲しがってるんだよ。珍しいヒューマノイドなんだろ、お前って。大体なんなんだ? 汎用AIって?」
尋ねると、アスカの代わりに姉さんが答えた。
「今の科学国のヒューマノイドはね、憲兵から子守用まですべて特化型なのよ。ひとつの機能に特化して動いている自動制御。でも、汎用型っていうのは人と同じように学習して成長する、自律制御なの」
「自動と自律……? なんかよく分かんねえな」
「フェルに分からなくても、この子には分かるわ。それで充分。ね? アルティマに来たくなったでしょう?」
アスカはにこりともしないで、姉さんを見ていた。
真意を探っているのか、なにか思い当たることがあるのか。
「アルティマ王国のことなら知っていますが、行きたいと思ったことはありません。私の欲しいものって、なんですか?」
「ふふ、いやあね、もう分かるでしょう? それに正解は来てからのお楽しみよ」
ゆっくりと車が停車したことで、皆が黙った。
3番街を抜けて、サブドームからも出たらしい。後ろの幌があげられて「降りてください」と声がかけられる。
外に出たらだだっ広い運動場みたいなところだった。国の所有地か。
すっかり夜になっていた。
セオは相変わらずアスカを抱えて、俺は幼獣を抱えて。
輸送してくれた車を見送ったところで、姉さんが言った。
「さて……と。私は母さんたちに報告することができたから、一足先に帰るわね。フェルは後からちゃんとその子を連れて帰ってくるのよ」
「は? なに勝手に決めてんだよ」
「だってあなたの仕事でしょう? 拒否権があると思わないで。連れて来なかったらおしおきよ」
殺気の混ざった笑顔にげんなりする。
どのみち俺だけは帰らないと、本が危ないか……と考えて、さらに気が重くなった。
「待ってくれ」
歩き出した姉さんを、セオが引き留めた。
「あらダーリン、私と別れ難いのね? うれしいわ……なんてね。クレームが言いたいのよね? でも残念。その子がアルティマに来るのはもう決定し……」
「怪我は、大丈夫なのか?」
遮って口にした言葉に、姉さんは目を丸くして「はい?」と返した。
「さっきの、怪我は大丈夫かと聞いてるんだ」
「やだ、ダーリン。私の心配してくれるの? 愛の告白と思っていいかしら?」
「はぐらかさないでくれ。俺をかばって負った怪我なら心配して当然だ。礼と謝罪くらいさせてもらえないか」
「なら、お礼は次に会ったときにお願い。今日のところは帰るから」
「アスカを……今すぐに連れて帰ることも出来るんだろう、君は」
セオの言葉に、姉さんが黙った。
確かに、アスカが欲しいなら拘束して連れ帰ればいい話だ。
姉さんがそうしないのは……俺の仕事だからなのか?
セオはそう思っていないようだ。迷う口調で続けた。
「俺は……暗殺を生業にする人間をよく思っていない。だが君たちが根っからの悪人だとも思えない……」
そう言ったセオを見ながら考えた。
人生で、家族以外の人間に面と向かって一番言われた言葉はなんだろう。
「人殺し」とか「助けてくれ」とか。あるいは「死ね」とかだろうか。
少なくとも俺の記憶に「悪人だと思えない」なんてセリフは存在しなかった。
それは姉さんもそうだろう。赤い口端を皮肉の形に歪めた。
「ダーリンの言う"根っからの悪人"の定義がどこにあるのか分からないけれど、私たちが"良い人"の類いじゃないことは確かねぇ。買いかぶるとあとでがっかりするから、訂正しておいてあげる」
「だが君は、俺をかばった」
「私の都合よ。気にしないで」
ばっさりと切り捨てると、少し考えた様子で姉さんは続けた。
「うちにはすごく優秀なお医者さまがいるの。治すのと壊すのが得意な妹もね。だから、心配いらないわ」
「そうか……分かった」
納得したのかどうか分からなかったが、セオはそう言うと厳しい顔を作った。
「だが……アスカは、連れて行かれたら困る」
話を変えたセオに、姉さんはふふ、と笑って返した。
「別に取って食おうってことじゃないのよ? ちゃんと丁重にお迎えするわ」
「扱いだけの問題じゃない」
「ダーリンにとってこの子はとても大事なんでしょうけれど、私たちにとっても大事なのよ。だから、譲れないわ。ごめんなさいね」
「それはどういう――」
そのとき、バサバサッと大きな羽音が降ってきた。
風が舞い上がったあと、姉さんのすぐ後ろには車大の黒いシルエットが佇んでいた。
「あっ……ノワール! お前、エヴァのところにいたんじゃないのか?!」
巨大なカラス。姉さんの使い魔だ。
エヴァの護衛で置いてきたはずなのに……
俺を見て、姉さんは軽くため息を吐いた。
「もうじきにつくからいいでしょ、心配性になっちゃって嫌あね。誰に似たのかしら……」
「考えるまでもなく母さんと姉さんだろ?!」
「ふふ、そうね。それじゃフェル、お家で待ってるから早く帰ってきてね」
そう言うと、姉さんはノワールの背に掴まって空に浮かび上がった。
セオを落とすまで帰らないとか言ってたくせに、結局一方的に言うだけ言って、帰るのか。自由すぎる。
嵐みたいな姉は去り際、セオに向かって辺りに花が飛びそうな投げキッスを送った。
「ダーリン、またすぐに会いましょうね」
あきらめてはいないのか……
セオを見ると、やっぱりげんなりした顔をしていた。




