107 家族になろう#
from a viewpoint of セオドア
現れた男と、ルシファーたちは知り合いのようだった。
どこかで見たことがあると思えば、それもそのはず。この国の大統領補佐官。実力で言えば国のナンバー2か3にあたる、要人だ。
「アルティマのおふたりがどうしてドームに……それにこの有様は? ロスベルト様はご存じのことですか?」
ボディーガードの憲兵に脇を固められていた補佐官は、手でそれを制して近付いてきた。とんだ大物が出てきてしまった。しかも面が割れている。もうただ逃げるだけではすまないだろう。
補佐官がふたりに気を取られている間に、俺はアスカの切断された足を背筋の寒くなる思いで拾った。
アスカもろとも、自分の上着で包み込んで抱き上げる。
「セオさん……」
「なにも言うな。俺たちの出る幕じゃない。ふたりに任せよう」
正直なところ、ひどく困惑していた。だが今は考え込んでいるときじゃない。全員無事にここを出ることが先決だ。
任せた、という意味で視線を送れば、ルシファーは困った顔で姉を振り返った。
姉はうすら笑いさえ浮かべて、この状況を楽しんでいるように見える。
どうやら、弟の神経のほうがいくらかマシなようだ。
「この区域に無断で立ち入ることができないのはご存じでしょう。こうなるにいたった理由を、納得のいく形でご説明いただきたい」
補佐官は厳しい顔で尋ねた。
姉の方が、まったく緊張感のない様子で答える。
「とてもくだらない理由なの。黙って入っちゃって悪かったけれど、あなたのお人形をこんな風にする予定はなかったのよ。ごめんなさいね」
「ご説明を。対応は、それから考えます」
「あら……対応だなんて。有能な補佐官様は私たちを無事に外へ送り届けるしかないでしょう? それとも、捕まえてみる?」
まだ被害を増やしたいのね、と。そんな副音声が聞こえた気がした。
好戦的に美しい笑みを浮かべる彼女を見て、補佐官はわずかにひるんだ。
苦い顔で「まったく……帰国したばかりだというのに。これだから自由の国は」と呟く。
「ともかく、こうなった理由をお話しいただきたい」
「理由ねぇ」
ちらとアスカを見て、ルシファーの姉は言葉を濁した。
どう説明するつもりなのだろう。
そのとき、ルシファーが「あ」と小さく言って、走り出した。
皆がその動きを緊張した目で追う。
逃げるつもりではないことはすぐに分かった。どこからか出てきた白い幼獣を抱き上げると、ルシファーはくしゃくしゃとその頭を撫で回した。
「良かった、巻き込んじまったんじゃないかって心配してたんだ」
先ほどの白い魔獣だった。
おとなしく抱き上げられて、腕の持ち主を見つめている。フゥン、と甘えるように鼻で鳴いたのを見て、ルシファーは少年らしい顔で笑った。
それを見て、なんともいえない感情が首をもたげる。
彼があんな風に生きものに触れるのは、俺にとって予想外だった。抱いていた暗殺者のイメージと、大分違う。
「捜しものを、していたの」
ぽつりと、ルシファーの姉が言った。
アスカのことを説明する気なのだろうか、そう思ったら、
「ランゴール様、あの幼獣を捜していたのよ。ここに迷い込んでしまって。わざわざ許可をもらうのも手間だったから、すぐに見つけて帰ろうと思ってたのよ」
そんなことを言い出した。
「幼獣を……?」
ルシファーが腕に抱えている白い毛玉を見て、補佐官は眉間にしわを寄せた。
「そんなことで、憲兵をこんな風に……?」
「攻撃されたから仕方なかったのよ。本当にごめんなさいね。破損したものについては弁償するから、今回だけは許してくださる?」
補佐官は一歩、彼女から距離をとった。
まるで毒気から逃げるように。
「……私も別にあなた方が侵略に来たとは思っていません。分かりました。もう結構です。外まで送りましょう」
頭を抱えたい事態には違いないだろうが、補佐官はそれ以上追求することはなかった。
車を手配するため指示を出す姿は、一刻も早くここから出て行ってほしいように見える。アルティマ王国の人間が、大国の要人からどんな風に思われているのか、なんとなく分かった。
俺とアスカの存在は、最後まで黙殺されていた。どこまでも視界に入れてもらえないというのも気分が悪いものだ。
「セオさん、どうして私まで……私にはまだやることがあるんです。困ります」
俺は俺で、小声でずっと抗議しているアスカを無視し続けた。
どう答えてもなにかが嘘になりそうで、発するべき言葉を探していた。
アスカがヒューマノイドだったなんて、夢にも思っていなかった。
俺が機械嫌いなのを気にしていたというのは、そういうわけだったのか……。
ヒューマノイドだと分かっても、嫌悪感の湧かない感情豊かな表情を見つめる。
信じられない。だが、現実を受け入れるしかない。
「3番街の外までお送りします。乗車中は憲兵たちの指示に従っていただけますね?」
「ええ、もちろん。ありがとう、ランゴール様。次の依頼は格安で承るわ。私宛にお願いね」
「依頼でしたら、ロスベルト様にお話してきたところです」
「あら入れ違いだったのね。じゃあ、また次の機会に」
補佐官とルシファーの姉のやり取りが終わって、大型の兵員輸送車に乗せられた。
軍の車に乗るのは久しぶりだ。後始末に追われる憲兵たちを尻目に出発する。
ガタゴトと揺れる乗り心地の良くない椅子の上で、俺は相も変わらずアスカを膝に抱いたままでいた。
「セオさん、もう本当に降ろして下さい」
そろそろ耐えられないといった様子でアスカが口を開いた。
痛みはないと分かっていても、なくなった膝から下が痛々しくて見ていられない。
(迷う必要が、あるのか……?)
腕の中にいるのは、俺がもう一度会って話したいと思っていた存在だ。
俺が捜していたのはこの子で、アスカは何も変わっていない。
変わったのは、俺の認識ひとつで……
なら、対応を変えなければいけないことなどないだろう。
「……アスカ、独り言とでも思って聞いてくれ。俺の話だ」
アスカに会ったら話そうと思っていた言葉を、口にした。
「後悔のないように生きろと、言われたことがある」
アスカは真剣な目で俺を見つめている。
これは、俺の知っている機械の目じゃない。
そう思えるから。
「母親にだ。俺が10歳のとき、病気で死んだ。本当に大切なものを、失くしてから気付くのでは遅いのだと、そう言われた。心に刻んだ、母の最期の言葉だ」
機械にこんな話をして、なんになるのだろう。
アスカに会う前の俺なら、きっとそう思っていた。
「昔、軍にいたんだ。母が死んだあと軍学校に入って、16になるまでそれなりに信念を持って従事していた。だが理想と現実は違っていて、軍人であるからこそ、目の前の誰かを助けるのが難しいこともあると思い知った。それで……掃除屋になった。ろくでもない職業だが、軍にいた頃よりは人の役に立てている実感がある」
俺がなぜこんな話をするのか、分かっていない様子でアスカは痛そうな表情を浮かべた。
「軍学校なんて、どうして……セオさんには似合わない、です」
「子どもだった。あれが正義だと思っていたんだ。強くなって、理不尽に立ち向かえそうな気がしたんだろうな。軍にいたほうが、捜し人も見つけやすいと思っていた」
「捜し人?」
「父を殺した犯人……俺の本当の父親だ。今も、捜している」
アスカがわずかに目を見開いた。
こういう反応は、心なくしてできるものじゃない。
俺が感じた優しい魂は、確かにこの子の中にある。
「母には遺伝性の持病があった。俺にもその血が流れてる。母方の病気の血と、父方の悪魔の血だ」
「そんな、言い方……」
「事実だ。俺は、自分で生命を産み出してはいけないと思っている。この呪われた血は、俺の代で終わりにしたい」
偽りのない俺のことを、この子には聞いてもらいたかった。
その上で、言いたいことがあった。
「それでも……いつもどこかで、温かい気持ちを得られる居場所を探していた。もしそんな場所を見つけられたのなら、なによりも大切にしようと……そう思っていた」
愛おしいと思えるような存在を、見つけられたのなら。
なによりも、大切にしたいと。
「俺がアスカをかまう理由は、そういう身勝手なものなんだ」
泣きそうな顔で俺を見上げてくるこの子が、機械でも人間でもなんでもいい。
「アスカ、俺と家族にならないか――」
尋ねた瞬間、小さな唇がふるえた。
「……私は、機械です」
「ああ、もう知っている」
「っご飯も食べられないし、睡眠もとらないし、家族になんてなれませんよ。それに私は特化型AIと違って、役にも立ちません。一緒にいればきっと嫌に――」
「ならない」
遮って、ためらいなく言い返した。
「ならないよ」
「……っ」
「友達でも、妹でも、娘でも、アスカが望む関係でいい。なんでもかまわないから、どこかに行ってしまわないでくれ」
「……セオさん」
「もういいだろう。人間でも機械でも、アスカはアスカだよ。俺はただ、後悔したくないんだ」
「……私は、でも」
「――いいじゃねーか」
向かいで話を聞いていたルシファーが、ふいに口を挟んできた。
「俺も半信半疑だったけど、お前はなんつーか、他のヒューマノイドと違って人間みたいだよ。セオは機械でもいいって言ってるんだし、所有者がいないんだったら、セオのものになってやりゃいいじゃねーか」
「待てルシファー、その言い方はおかしいだろう」
「言い方がどうとかよく分かんないけど、要はアスカがセオといたいかどうかって話だろ。どうなんだよ? この際お前がやらなきゃいけないこととか、迷惑がかかるとか、そういうの全部抜きで答えてやれよ。命張って、マスターともめてまでお前を捜しに来たんだぞコイツは」
またなにを言い出すのかと思えば、その口から出て来たのは俺を擁護するようなセリフだった。
「こんな幼獣だって自分の意思でここにいるじゃねーか。お前もあるんだろ、考える頭が。言ってやれよアスカ、お前はセオといたいのか、いたくないのか、どっちなんだ」
ルシファーの膝で丸まっている幼獣が、フゥン、と鳴いた。
「私、は……」
アスカは小さな手をギュッと握りしめると、小さな声で絞り出した。
「いたい、です……セオさんと……」
そんなアスカの答えを聞いて満足そうに表情を緩めたルシファーは、やはり俺の知っている暗殺者とは違っていると。
不思議に温かい気持ちで、そう思った。




