104 小さな魔獣と自由すぎる姉
ローラシア中心街。ドーム中枢。
完璧な空調管理を備えた、魔力のない人間も生身で息が出来る空間。
(楽園とは、ほど遠い景色だけどな……)
殺風景な建物ばかりが整然と並び、人通りのない風景は寒々しい。そもそも、人通りがないというより、ここにいるのはほとんどがヒューマノイドだ。
運搬用のドローンが飛んでいくのを見上げて思う。アスカが優れたヒューマノイドだったとしても、この一挙手一投足がすべて監視されているような環境下に入り込むリスクは大きいだろう。
俺たちは姉さんに骨抜きにされた男のおかげで、ドームの中を歩き回れている。
巡回のヒューマノイドに会う度に「国外からの客だ」と追い払ってくれるので、今のところ戦闘もなにもないが、普通に侵入すればたちまち蜂の巣だと思った。
建物内はことさらにセキュリティが厳しくて、上級憲兵が味方でも入るのが難しい場所がいくつもあった。
これじゃアスカを捜せているのか、いないのか、微妙だ。
こうしてドーム内を歩いていれば、アスカがこちらを見つけてくれるかもしれない。俺はともかく、セオの姿を見れば血相変えて出てくるだろう。
今はそれを期待して歩いていた。
それなりに距離を歩いたところで、セオが腕の時計を見た。
「……時間を見る限り、もう外は暗いな。大手を振って歩ける状況とはいえ、警備の厳しい夜になる前にここを出た方がいいだろう。全部回れそうか?」
「そうだなぁ。次で最後だから、見つけられなかったらここにはいないと思ってあきらめるしかないかなー」
見上げたドームの天井に投影される空は、オレンジがかった赤色だ。
時間帯によって空模様も変わるが、あるのは夕焼けまで。夜は来ないと聞く。
常に明るく保たれている世界は、まるで白夜だった。
ずっとこんな場所にいたら、時間の感覚がおかしくなりそうだな。
そう思いながら首を回した視界の中に、小さい影が動いた。
影は建物のすき間から顔を出してこっちに気が付くと、さっと隠れた。
「んん……?」
あの気配は、間違いない。魔獣だ。
なんでドームの中に魔獣が……?
「ちょっとフェル、どこに行くの?」
「今あそこに、魔獣がいた」
「魔獣?」
気になって確認に行くと、姉さんたちもあとをついてきた。
建物の影をのぞきこむと、いた。
尻尾を丸めて牙をむいた、白い犬……じゃなくて。
「牙雷獣?」
長く白い毛足に額の一本角。体と同じ大きさのでかい尻尾。
目を縁取る赤いアイリングが目立つ。
母さんの使い魔、シロと同じ牙雷獣の子どもだった。
中型犬と同程度のサイズ感だが、姿形は完全に子犬。産まれて間もないように見える。
「あら本当、珍しいわね」
「どうしてこんなところに魔獣がいるんだ? しかもこんなちっこいやつが」
俺の疑問に答えたのはセオだった。
「ドーム内に魔獣の研究所があるからな。おそらく、なんらかの理由で逃げ出した検体だろう」
「ここ、そんなもんがあるのか?」
「俺がいた頃にはあった。ほら、足にバンドがついている」
セオの指さした幼獣の後ろ脚には、確かに紫色のバンドが巻き付いていた。
番号が書いてある。
「本当だ。まだ赤ん坊なのに、どこから連れてきたんだろうな」
「親の留守を狙って捕獲してきたんだろう。リスクの少ない、人に対して友好的な種類を狙って獲ってくるらしい」
「そうか……なんか嫌だなぁ、そういうの」
幼獣はシロを小さくしたみたいでコロコロしていてかわいかった。額の1本角が短すぎて笑える。
撫でようと思って手を出すと、牙をむいて威嚇してきた。
「おい、怒るなよ」
「無理もない。人間が嫌いなんだろう」
「あー、捕まえられてきたからか……」
こんなに小さいのに、研究とやらのために捕まっちまったのか。
でもここにいるってことは、逃げてきたんだよな。
「お前、自分で逃げてきたのか。賢いんだな」
俺は手を伸ばすと、有無をいわさず幼獣の首根っこを捕まえた。
白い塊は驚いて暴れたが、かまわず押さえ込んで足のバンドを切った。
離してやると足が軽くなったのか、バンドがついていた場所を見てから俺の顔を不思議そうに見上げた。
「なんか腹減ってそうだなー。牙雷獣のエサって……雷か」
「それはあくまで成獣の場合よ。子どもは他にも色々食べるんじゃないかしら」
「そうか、じゃあこれ食うかな」
ポケットに入っていたシリアルバーを出してパッケージを開けると、目の前に差し出した。
ガウッと、小さく吠えてシリアルバーに噛みついた幼獣は、びっくりしたように口を離して後ろに下がった。
「甘いだろ? 食べものだよ。ほら」
目の前に投げてやる。
よほど腹が減っていたのか、くんくんと匂いを嗅いだあと、一気に食べてしまった。
「食った食った。かわいーなー」
「もうフェル、遊んでる場合じゃないでしょう。行くわよ」
「あぁ、ごめん」
じゃあな、と手を振って元の道に戻ると、セオが怪訝な顔で俺を見ていた。
「なに?」
「いや……魔獣が好きなのか……?」
「魔獣がっていうより、牙雷獣が好きかな。うちに一匹いるんだ。かわいいよ」
「……そうか」
なにか言いたそうだけど、俺、変なことをしただろうか。
魔獣にはかわいいやつもいるんだが……科学国の人間には理解できないのかもな。
「それにしても……ドームの中って恐ろしいところかと思ってたら、意外となんにもなくて普通なんだな。このままぐるっと回って出るだけとか、小競り合いすらなくて拍子抜けだ」
思わずそう呟いたら姉さんが「あら」と意外そうに眉をあげた。
「拍子抜けだなんて、珍しいわね。いつものやる気なくさっさと帰りたいフェルはどこにいったの?」
「いや、この間ヒューマノイド相手に油断しちゃったし、もっと余裕で勝てなきゃだめだよなって思ってたからさ。まぁ、別に実戦なんてなくていいんだけど」
「へえ……?」
「もっと強くなるって、決めたからな」
姉さんは不可解なものを見る目で俺を眺めた。
「フェルが戦うことに前向きだなんて……あの白い小鳥ちゃんのせい?」
「うるさいな。なんでもいいだろ」
「へぇ、そうなの」
ニヤニヤした笑いを浮かべながら、姉さんは続けた。
「まぁせっかくドームまで入り込んで、お散歩だけして出るのももったいないわよね。あ、ちょうどいいわ」
「なにがちょうどいいって?」
「フェル、あの辺りまで行って立っててくれる?」
姉さんは広い十字路の真ん中を指さした。
車通りもない、なんてことない道路。
「なんで?」
「いいから」
意味が分からなかったが、とりあえず向かう。
言われたとおり移動すると、姉さんは上級憲兵となにか話しはじめた。
道路のすぐ向こうに、10体ほどのヒューマノイドが隊列を組んで歩いていくのを眺める。
倉庫番なのかなんなのか、あちこちにいるなぁ。
「フェルー」
笑顔の姉さんが手を振った。
……待て。なんだか不吉な予感がするんだが。
「そこのヒューマノイドたち、全部壊してもいい許可取ったわ」
「……なんだって?」
「なかなかできないわよ、対ヒューマノイドの実戦なんて。はい、3秒前~」
おい、と口の中で呟いた。
3秒前じゃねえだろ。どんだけ自由なんだよ、うちの家族。
一斉にこちらを向いたヒューマノイドたちが、同じ高さに自動小銃を構える。
銃口が向いている方向を見れば、攻撃目標は俺しかいない。
「ちょっと待て! これ、外交問題とかにならないか……?!」
ローラシア中枢に入り込んで、戦闘。
母さんたちに死ぬほど怒られそうな気がする。
「大丈夫よ。たぶん、ね?」
語尾にハートマークがつきそうなほどの笑顔で、姉さんがウインクしてみせた瞬間。
辺りに鳴り響いた発砲音のおかげで、会話は途切れた。
お待たせしてすみません。
しばらくの間、春の忙殺キャンペーン実施中です。
いつも待っていただき&読んでくださってありがとうございます(TT)




