102 アルティマ王国の来客*
昼下がりのアルティマ王国。
奥の壁に備え付けられたステンドグラスから、極彩色の光が透け落ちる頃。
室内には、バトラーとメイドたちが扉から出て行く音だけがさわさわと響いている。大応接室の大扉が閉まれば、歩くもののなくなった空間には静寂が訪れた。
「……いい天気じゃのう」
呟いたのはこの大邸宅の当主、ロスベルト・ディスフォールだ。
背もたれの大きい椅子に腰かけるも、小柄な体が埋もれている。
濃い藍色の装束は、大崩壊前の日本にあった甚平と呼ばれる着物だ。違和感なく着こなした老人は、どこまでも自然体で隙だらけだった。
「陛下におかれましては、ますますご健勝のご様子。なによりにございます」
大テーブルを挟んで向かいに座った壮年の男が、ロスベルトの独り言に応えた。
男はスーツの背中を儀礼的に折り、挨拶を続ける。
「この度は急な訪問にも関わらず、会見をご承諾くださいまして……」
「お前さんも懲りない男じゃのう。そういう前口上は不要じゃと言うとろうが。これで何度目じゃ?」
話を遮ったロスベルトの言葉に、男は猛禽のような目を細めた。
「お言葉ですが、私には大統領補佐官としての立場がございますので」
「ならば迅速にその職務を果たしてもらおうか。今日の用件を聞こう」
すべてをすっ飛ばして先を促された男は、内心ため息を吐きながらも首肯する。
ローラシアからアルティマへ、なにかあれば使いにやらされるのは、このランゴールの役目だった。
食えない老人の相手は精神を削る。ランゴール本人も早々に使いっ走りの職務をまっとうして、この国から脱出したいと考えている。
「ローラシアとしての正式な依頼です。ゴンドワナのとある組織を消していただきたく、お願いに参りました」
「なんじゃ、わしはまたてっきり通行料の交渉か、お前さんとこの人形兵を返せという話かと思ったんじゃが」
「それはまた別件でお話したいことです」
「その別件に関して交渉の余地はないのう。話を戻そう。とある組織とは?」
ばっさりと切り捨てると、ロスベルトは尋ねた。
「――中央神殿附属の、国立研究所です。研究施設自体を破壊した上で、こちらのリストにある主要研究員18名及び顧問1名を抹殺。重要な研究資料は持ち帰っていただきたい。依頼額はそちらの言い値でかまいません」
「……お前さんとこのボスはいよいよ正気を失ったかのう。喧嘩を仕掛けるにしても笑えん場所じゃ――」
眠そうな目で答えたロスベルトが言い終わらないうちに、パン! と場に手の打ち鳴らされる音が響いた。
「国の機関を丸ごと潰しにいくってことは、戦争か! 大国同士、派手な戦になりそうだな!!」
「クレフ、お前はだまっとれ」
愉快に叫んだ屈強な大男を、ロスベルトはとなりから一喝した。
座るのは同じ椅子だというのに、こちらは背もたれがまったく見えない長身だ。
薄手のシャツがはち切れそうな肉体は、栄養が脳に行かず、すべて筋肉に行っているから作り出されるものだとロスベルトは思っている。
男の名はクレフティヒ・ディスフォール。
ロスベルトの義理の息子であり、ルシフェルたちの父親でもある。
2メートルをゆうに越す巨軀に、子どもたちから「暑苦しい」と称される顔は、戦に向かう闘神にも見えて精悍だった。
「裏事情など知ったことではない、と言いたいところじゃが……ゴンドワナと何があった?」
尋ねるロスベルトに、ランゴールが答える。
「私の口からご説明できることではございませんので」
「お前さんの口が話さねば誰が答えるんじゃ。今すぐローラシア大統領邸に乗り込んで、本人に直接吐かせてきても良いのじゃぞ?」
ランゴールはそれが冗談やただの脅しでないことを、連絡パイプとしての付き合いで嫌と言うほど知っている。
アルティマの住人は自由すぎるのだ、根本的に。
「……現祭司長のもと、長年の研究が実を結んだという情報を入手しました。これを看過できない重大な脅威と考えるため、いたしかたなく排除できるものから排除しておこうかと」
「回りくどい。もっと端的に話さんか」
「こちらの秘薬にも、関連のある話です」
「長寿薬のことか?」
「はい……不老不死のことです」
ロスベルトはわずかに眉をあげた。
「うちの薬はちょいと老いを緩やかにするだけで、不死になどなりはせんよ」
「存じております。いただいた薬のおかげで、何人も死にましたし」
「副作用について説明したにも関わらず、欲しいと言ったのはそっちじゃろう。あれはもともと、アルティマ王家専用の劇物じゃ」
「存じております。長寿薬はあくまで毒薬。しかし今回ゴンドワナが手に入れた技術は、どうやらそれなりに研究成果のあった産物のようで……」
「それが、不老不死を生み出す薬じゃと?」
「薬とは限りませんが。不老不死を可能にする、なんらかの技術を得たようです」
「……ふむ……」
「不死の力を持った魔女が、背景にいるという話もあるのですが――」
ぴくりと頬をあげたロスベルトの反応を、ランゴールは見逃さない。
それを表には出さずに、平坦な口調で続けた。
「ゴンドワナはこの技術を使って、不死の軍を作り上げようとしているようです」
「なるほど……それが『重大な脅威』というわけか」
「我が国でもこの噂が徐々に広まっておりまして。闇ではビジネスチャンスだと、歓迎できない動きも多く……不死に関わることならなんでも買うという程度には、情報もかき集められているようです」
「それはまた珍妙な混乱ぶりじゃな」
「出来ることなら、明るみに出る前に抑えたいのです。請けていただけますか」
「すぐに回答できる問題ではなさそうじゃのう……」
ロスベルトはあごを撫でると、大儀そうに肩を落とした。
「いつでも即断即決のロスベルト様が保留されるとは」
「わしの独断で判断不可能なこともある。クレフ、セレーネはどこにおる?」
ロスベルトが尋ねると、となりに座ったクレフティヒが、くんくんと鼻を動かした。
五感が人の比ではなく発達した彼にとって、慣れた人間の匂いをたどることは容易だ。
「温室だな。御母殿と一緒だ」
「連れてきてくれ」
「分かった、親父殿」
勢いよく立ち上がると、クレフティヒは窓を開け放った。
「せめて扉から出て行かんか……」
「このほうが近道だからな!」
艶のある黒髪は、言い終わる頃にはもう窓の外に消えていた。
ロスベルトは軽くため息を吐いて、ランゴールに向き直る。
「馬鹿が騒がしくてすまんの。少し待ってくれるか」
「かしこまりました」
「しかし不老不死とは……どう得たのかのぅ……」
大崩壊の折、絶対神テトラグラマトンは人間が死に絶えることのないよう、決して死なない不死の力を授けたという。
神話上の話だが、テトラ教徒たちは不老不死の存在を信じ、長年研究を続けてきた。
(大きすぎる力は天秤の均衡を乱す、か……さて、どうする)
本当にゴンドワナがそんなものを手にしたのなら。
アルティマも高みの見物というわけにはいかないだろう。
大きな歴史の歯車が、抗いがたく回っている。
ロスベルトの耳には、そんな音が聞こえた気がした。
しかし登場人物の多い物語だ……。
相関図とか書いたら恐ろしくカオスなことになりそう。




