101 本当の魔力供給
じわりと肌を通して染み込んできた魔力に、エヴァがしようとしていることを理解した。
――魔力供給だ。
自分から奪うのとは少し違う。
流れ込む魔力を受け入れるだけで隅々にまで浸透していく、熱いくらいの白く透明な光。
(ヤバい……これ、溺れる……)
包まれてただよう浮遊感に、上下が分からなくなりそうだった。
なにもかもがどうでもよくなる心地よさが、思考のすべてを押し流していく。
拒絶できるはずもなく、細い腕に抱かれたまま瞼を閉じた――。
どれぐらいそうしていたのか……
首の後ろに回されていた手が、力を失ってするりと落ちたので目が覚めた。
温かい肌の上で、2、3度瞬きしてから我に返る。
「……エヴァ?」
すーすーと穏やかな寝息が答えた。
これは、気を失っちまったのか……寝ちまったのか、どっちだ。
そっと頭を起こしてみる。
目の前にある顔色はそこまで悪くない。ひとまずは大丈夫そうだ。
俺のほうはといえば、魔力が溢れそうなほど満ち足りていた。
汗ばんだ額に手をやって、自分の身に起きたことを反芻してみる。
「~~っマジかよ……」
火照りのひかない顔を手のひらでおおうと、うめいた。
「なんだこれ……使い魔システム、怖ぇ……」
魔力供給の恐ろしさを身をもって知った。これは魔獣も服従するよな。
要するに、使い魔って魔女の魔力中毒患者にされるんだ。そういうことだろう。
前回、自分で無理矢理奪い取ったときもなんかおかしいと思ったが、今回はっきりした。
魔女の魔力には、強烈な依存性がある。
「俺、お前がいないともうダメな気がするぞ……どうしてくれんだ」
ぐったりした気分で肩からずれていたパーカーを掛け直してやったら、エヴァが「ルシ、ファー……」とうわごとに俺を呼んだ。どきり、と心臓が鳴った。
瞼を閉じたままのエヴァの顔から、目が離せない。
「? ……これも……魔力供給の影響なのか?」
なんだ。エヴァがすごく可愛く見える。
いや、エヴァはもともと可愛いけど。いつも以上になんか……。
頭を振って、自分の頬をバシバシ叩いた。
落ち着け俺。これ以上見てると、なんかヤバい気がする。
エヴァを寝かせたまま、そっとその場を離れた。
ふわふわした気分で防音室を出て、視界に飛び込んできたものに一気に目が冷めた。
カウンターに座るセオの横に、姉さんがべったり張り付いている。
こちらを振り向いたセオは、疲れ切った表情で言った。
「ルシファー、なんとかしてくれないか……」
ああ、良かった。正気だな。
恥ずかしい姉でごめん……。
「姉さん、だからそういうのやめろって……」
誘惑の魔女の名に恥じない行動様式。
目につく男すべて洗脳しないと気がすまないんじゃないか。たまに本気で思う。
「あら、だって気に入ったんだもの」
涼しい顔で言ってのけた姉さんは、セオを解放する気はなさそうだ。
「能力使わずにいてくれたのはいいけど、気の毒だから放してやってくれ」
「失礼ね、こんな美女に好かれて役得って言ってくれる? それにちゃんと誘惑してみたわよ――」
でも、と姉さんは続けた。
「この人、誘惑の魔法が効かないのよ」
「は?」
「あの子から魔力いただいたおかげで今絶好調なんだけど、全然効かないのよね。驚いたわ」
血の相性とかで、誘惑の魔法が効かない人間もいるらしいけれど、ごく珍しいケースだ。俺の知る限り、家族以外で耐性があるのはローガン先生くらいなのに。
姉さんの誘惑が効かないなんて。セオ、筋金入りの真面目かよ。
「ねえフェル、この人若いのに妙に堅物君なのね。私になびかない男なんて最高。お持ち帰りしていい?」
「そいつはこれから俺と出かけるからダメだ」
「ケチねぇ。じゃあ姉さんもついていこうかしら」
「いや、できれば帰って欲しいんだけど……」
トラブルの予感しかしない。
大体姉さんが突然来て、ここが原型を保ってること自体が奇跡だ。
母さんに釘を刺されてたにせよ、よく機嫌が直ったよな……
そんな俺の心を読んだかのように、姉さんは「冷たいこと言わないの。もう怒ってないわよ」と言った。
「色々あってむしゃくしゃしてたけど、可愛い弟にも再会出来たし、美味しい魔力といい男にも出会えたし、私ご機嫌よ?」
「美味しいって……」
澱を溶かすって、やっぱりエヴァの魔力喰ったのか。
「ふふ、あの子を認めたわけじゃないけれど、まれに見る美人なところは合格ね。最高に美味しい素材なのも、ひとまず良かったんじゃない? フェル」
「なにが良かったんだよ……」
「あら、赤くなっちゃってかわいい」
「なってない」
そうだよな、姉さんは魔力供給がどんなものか知ってるもんな。
なんだか頭痛がしてきた。本当に帰って欲しい。
「ねえあなたはつき合ってる子、いないの?」
セオのあごを横から撫でながら、姉さんが尋ねる。
「君に話さなければいけない理由がないな」
その手をすすっと避けると、セオは渋面を作った。
「姉さん、あきらめろよ。セオは幼女が好きなんだから」
俺が助け船を出すと、セオはもっと渋い顔になった。
「どいつもこいつも、思考が不純すぎやしないか?」
「セオが純粋過ぎるんじゃないかなぁ」
横からマスターが食器を拭きながら言った。
姉さんが「あら、詳しく聞きたいわ?」とキラキラしながら尋ねる。
「うちのお客さんには花街の子も多いんだけど、遊びに誘われても絶対に行かないんだよね」
「女遊びしないの? こんなにいい男なのに。もったいない」
「もったいないよね」
「マスター……」
なんか孤立無援だな、セオ。気の毒だけど頑張れ。
姉さんはなおもセオにベタベタしながら、実力行使らしい。
「あなたのこともっと知りたいわ。もうつき合っちゃいましょう、私たち」
「初対面の男に平気でそういうことを言うもんじゃない」
「あら、私だって相手は選ぶわよ? あなたの顔、とっても好きよ」
「俺の首から上が好きなら、切り取って持ち帰るか? 君も暗殺者なんだろう?」
暗殺者、というところにトゲを感じて俺はどきりとしたけれど。
姉さんはなんてことなさそうに、ふふ、と笑った。
「安心して。首から下もちゃんと好きよ?」
「……なんでもいいが、ルシファー。俺はいつでも出れるぞ。どうする?」
セオはなんとも言えない顔で姉さんを無視すると、俺に向かって言った。
「え? ああ。俺もいつ行ってもいいんだけど……エヴァを置いてくの心配なんだよな」
「フェルの白い小鳥ちゃんには、ノワールを貸してあげましょうか?」
ノワールは姉さんの使い魔だ。
デスクロウという魔鳥の一種で、大きさがある程度自由になる。確かにあいつなら建物内に入るのも容易だが……
「化けガラスか……あいつ大丈夫なのか?」
俺の知る限り、もっとも性格の悪い使い魔の姿を思い浮かべる。
「当たり前でしょう。護衛役としては今一番うってつけよ」
「姉さんがいてくれれば、それでもいい気がするけど」
「あら、ダメよ。私この人を落とすって決めたんだもの。首を縦に振るまでついていくわよ」
本当に災難だな、セオ。
姉さんがこんな風に、ひとりにしつこいところははじめて見た気がする。あきらめてくれ。
心の中でそう思っておく。
「マスター、エヴァなんだけど……預かってもらったら迷惑かな?」
「かまわないよ。澱を強引に溶かしたのと、魔力供給で疲れて寝てるんだろう? 起きてきたら夜かもしれないから、食事も任されとくよ」
「恩に着る。帰ってきたらちゃんと料金支払うからな。あと、殺したいヤツがいたら言ってくれ。マスターだったら個人的にタダで請け負うよ」
「……気持ちだけもらっておくよ」
複雑な笑顔のマスターから姉さんに視線を戻すと、いつの間にかその肩に小さな黒い塊が乗っていた。もしかして最初からいたのか。
小鳥サイズだけど、形はカラス。金色に光る目つきが悪すぎる。
「ノワール、いいこと? 白い小鳥ちゃんを食べちゃダメ。こっちのおじさまもね。でもこの人たちに危害を加えようとする奴らは、食べちゃっていいわよ」
黒い頭を爪先で撫でられながら、ノワールは『クヮ』と小さく鳴いた。
カラスは元々腐肉食だが、デスクロウはがっつり狩りをする魔鳥だ。
どれだけ小さなサイズになったとしても、こいつの残虐性は変わらないんだろうな……。
「早く行こう。アスカが心配だ」
「ああ」
俺とセオが立ち上がると、姉さんは当たり前のようについてきた。
マスターがセオに声をかける。
「セオ、無事に帰ってくるんだよ」
「分かってる、大丈夫だ。ちゃんとアスカを連れて戻る」
そうして俺たちは午後の曇り空の下、ドームへ向かった。




