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100/175

100 怖くない

 自分になにができるかと考えて、最善が分からないことなんてザラにある。

 良いか悪いかで物事を考えると行き詰まるし、どうすれば正しいかなんて誰にも分からない。

 それに俺は、そういうことを論じられるような人間じゃない。


 エヴァにとって頼れる存在でなかったとしても、俺は迷わずに自分のやりたいことをやるだけだ。

 不死をなくす方法があるのなら、探してもいい。

 でも見つけた先で、エヴァを死なせるのはダメだ。それだけは本人がどんなに望んだって、叶えてやらない。

 俺が嫌だから。


 流動剤のおかげで、エヴァの魔力は勢いを増しているようにみえた。流れを良くする効果を狙ってのことだから、これでいいんだろうが……。

 当の本人は膝の上で手を握りしめたまま固い表情だ。変わらず魔力を閉じ込めようとしている。

 わずかでも不安を取り除きたくて、細い肩に手を置いた。


「エヴァ、大丈夫だから、少し力抜けよ」


「……っ」


 不安に揺れる、夕焼け色の瞳と目が合った。

 エヴァの目は普段はもっと澄んだ赤だ。オレンジがかったこの赤になるときは、よくないことを考えているときだと、最近気づいた。


 リアムの家で医者が流動剤を使ったときの、エヴァの動揺を思い出す。

 心の問題で魔力を外に出せないと思い込んでいたくらいだ。その思いは、強迫観念に近いのかもしれない。


「アクセラレータが外にもれても、それ自体は大したことじゃない。普段通りにしていて大丈夫だ。俺がいるだろ」


「……どこから来る自信なのよ、それは」


「自信の出所なんてどこでもいい。俺が大丈夫だって言ってるんだから、お前も大丈夫だって思ってればいいんだ」


 胸を張って説得力のない理由を口にすれば、エヴァは「なにそれ。馬鹿みたい」と言ってまた視線を落とした。

 痛そうなくらい握りしめていた手が緩んだのを見て、少しだけホッとする。


「姉さん、本当に任せていいのか」


 あとは、澱とやらを溶かすだけ。

 尋ねると、姉さんはパチリとウィンクしてみせた。


「ええ、任せてちょうだい。フェルの健康のためだもの。ここでしてもいいけど……さっき程度には脱がせたいから、別の部屋がいいかしら」


「ふたりだけでするのか……? それ、嫌なんだけど」


「心配しないでも痛いことはしないわよ。これはあくまで治療。マスター、どこか一部屋貸してくださらない?」


「ああ、じゃあそっちの部屋使って。楽器が置いてあるけど、座るとこはあるから」


 マスターの厚意に甘えて、奥の部屋を借りることにした。

 思ったよりも広い部屋で、一番奥に黒いグランドピアノやドラムセット、壁際にいくつかの楽器や機械が置かれていた。

 音楽スタジオってやつか。こういうとこはじめて入った。


「ほら、フェルは出て待ってなさい」


 もの珍しくて眺めていたら、姉さんに背中を押されて追い出された。

 向こうを向いているエヴァの表情は見えない。

 扉を閉める直前、姉さんが「これ忘れてたわ」と、薄いシートを押しつけてきた。シュガー兄さんが手配したらしい、セントラルの地図だ。


「絶対、乱暴なことするなよ」


「しないわよ、安心して待ってなさい」


 その笑顔が怖いんだよ……。

 重たい音を立てて扉が閉まった。

 心配で扉の前に立っていたが、中の音は聞こえてこない。落ち着かない様子の俺を見て、マスターが苦笑いした。


「ルシファー君、そこ、防音室だから聞こえにくいんだよ」


「そういうことは早く言ってくれ……」


 べったり扉に張りついたら、かすかに声がした。

 なんかエヴァ、嫌がってないか??


「おい! 本当に大丈夫なんだろうな?!」


 ガンガン、と扉を叩いてみる。

 わずかな間のあと、エヴァが叫び返してきた。


「ルシファー! 入ってきたら、絶対許さないから……!」


「――だそうよ。フェルはおとなしく待ってなさい」


 ふたりの声に脱力する。なにやってんだろ……。

 仕方なくカウンターに座って待つことにした。

 マスターが出してくれた果実ジュースの黄色い液体を、ストローでぐるぐるかき混ぜて気を紛らわす。

 めちゃめちゃ時間の経つのが遅い。


 しばらくそうしていたら、エヴァたちよりも先にセオが出て来た。

 マスターが振り向いて声をかける。


「気分はどうだい?」


「スッキリした。頭のもやが晴れたようで爽快だ」


「……うん、そうか」


 短いやり取りでふたりは黙ると、セオはカウンターから出てきて俺のとなりに座った。

 チップを取ったらしいところは、長めの後ろ髪に隠れて見えない。

 ぱっと見はなにも変わっていないように見えるが……


「連れはどうした?」


「え? ああ、エヴァは今、あそこだ」


「防音室?」


「ルシファー君のお姉さんが来てるんだよ。治療中なんだ」


 俺の代わりにマスターが答えた。


「君の身内が……治療中? どうしてまた」


「姉さんのことは気にしないでくれ。治療はこれを届けに来たついでだから」


 セントラルの地図を指でつまんで持ち上げる。

 セオはそれを受け取ると、真剣な顔で眺めた。指で拡大したり縮小したりしながら、内容を確かめている。


「ずいぶんと詳細に書かれているな……だがドームの中へはどうやって入るんだ。東西南北の門は憲兵がいて無理じゃないのか」


「正面から穏便に通してもらうのが一番だけど、さすがにドームは無理かなぁ。俺、VIPな偽造身分証あるから、大抵のとこは入れるんだ」


「偽造身分証、か……俺はないな」


 そんな話をしていたら、防音室の扉が開いた。

 出てきたのは姉さんだけ。俺は椅子から立ち上がって、そちらに向かった。


「エヴァは? 澱ってのは取れたのか??」


「ええ、きれいさっぱりいただいたわ。さ、魔力供給いってらっしゃい」


 ドン、と押されて部屋の中へ入る。

 エヴァは壁際のソファーにぐったりと倒れていた。


「エヴァ……?!」


「大げさね、生きてるから大丈夫よ。ああ……どのみちなにしても死なないんだったわね、ふふ」


 そんな声とともに、ガチャリと背後で扉が閉められる。

 仰向けに横になったまま動かないエヴァに駆け寄って、傍らに膝をついた。


「エヴァ、大丈夫か? ひどいことされなかったか?!」


「……ルシ、ファー……?」


 姉さんめ、わざと剥いたままにしていったな。

 目をそらし気味に、着ていたパーカーを脱いで上半身にかけてやった。


「気分どうだ? 魔力、動かせるようになったか?」


「……はやく……ないと」


「え? なんだ? 聞こえない」


 聞き取ろうと顔を近づけたら、伸びてきた2本の腕が俺の頭を抱え込んだ。

 引き寄せられるまま、ぽすんと白銀の髪に頬が埋もれる。

 瞬間。むせかえるような甘い香りが広がった。

 我慢していたはずの空腹が、耐えがたい乾きに変わる。


「ちょっ……待て……!」


 吸血鬼が獲物に牙を立てるときって、こんな気持ちなのかもしれない。

 欲に負けて吸い寄せられるように。

 目の前の白い首に噛みついただけじゃ、俺の空腹は満たされないと分かっていても。抗えない衝動に突き動かされそうになる。


(新手の拷問かよ?!)


「エヴァ、離してくれ……!」


 焦って離れようとしたら「ダメよ」と細い腕に力がこめられた。

 普段俺が触れようとすると、叩くか逃げるかするくせに。


「ルシファー……」


 なにしてくれんだ、お前は――?


「大丈夫。怖くないわ……」


 自分に言い聞かせる言葉のあと、膨れあがった白い光に飲み込まれた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 祝100話おめでとうございます(*^ω^)ノ 相変わらずお姉様のキャラが怖くて良い感じです(笑) でもシュガー兄ちゃんカワユソス(ノω・、)<強く生きろ。 まさかここでブラの指摘をされるな…
[良い点] 『きれいさっぱりいただいた』ってお姉様、脱がせて一体どんな治療を……(*/□\*)ドキドキ。 そして新手の拷問な状況にまたニヤニヤしちゃいました。 実際色気の欠片もないのに……脳が誤変換…
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