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010 反省房ともうひとりの兄

 目が覚めた時は、地下の反省房の中だった。

 ここに入るのは久しぶりだ。

 脳震盪を起こしたせいでめまいはしたが、意識を失う前よりはいくぶんか気持ちが落ち着いていた。


「……っくそ。手加減なしに殴りやがって……」


 体を起こそうとしたところで、後ろ手に銀の手枷(てかせ)がかけられているのに気がついた。

 婆ちゃん特製で俺専用。退魔の道具として知られる聖なる手枷は、俺からすればただの呪わしい拘束具にすぎない。


 魔力のある人間は、自分の得意とする属性がある。

 生まれつき闇の属性が強い俺は、対の力である聖なる魔道具に弱い。これを使われると、力も魔力もうまく出せなくなる。

 家族はこんな風に俺の弱点を知り尽くしているから、暴れたところで抵抗は無駄だった。


 幼少期からペインスタディという名の拷問を受けてきた。

 肉体を強化するための服薬は日常だった。

 人体をいかに効率的に損傷させるかの学習は、医学的なことにまで及んだ。

 俺のほとんどの時間は暗殺術を学ぶことに費やされた。


 それでも、家族に愛情らしきものはあった。

 その形は一般的な「普通」とは違っているだけで……信頼や愛情と呼ばれるものは、俺と家族の間に確かにある。

 それが分かっていたから、今日までこうして自分の役割を果たそうとしてきた。


(気付かなければ良かった……とは、思わないな)


 生まれた瞬間から義務づけられていた仕事に、意味を見出せないだなんて。


 大人になれば全てを自由にできると思っていた。

 なにもできないまま死ぬことを、深く考えていなかった。


 死なずともここで生きて、ゆくゆくは俺がアルティマを動かしていくのか?

 それは俺が選んだことなのか?


 思い浮かぶのは、自分への問いばかり。

 胸の奥に生まれたもう消せない叫びが、俺に「このままでいいのか」と訴えかける。



 地下だから当然だが、この部屋には窓がなかった。

 照明もうっすらと暗く、人ひとりが手足を伸ばして寝転がれないくらい狭い。

 部屋の形は六角形で、天井も低い。設備と言えば壁際のトイレだけ。


 小さい頃から何かあるたびにここにぶち込まれてきた。

 普通の精神なら、ものの半日滞在するだけで出してくれと叫びだすだろう独房。


 考えることが多すぎる今日は、この場所がちょうどよく思えた。

 目を閉じると、ターゲットだった少年の顔と、魔物柄のカードと、向けられた銃口が思い出される。

 胸の奥から勝手に湧いて出てくる、鬱々とした感情が途切れることを知らない。


(考える余地はあったはずだ……今までにも)


 俺は善人じゃないし、ましてや神でもない。

 殺していいか悪いかの結論なんて、出せるわけがない。


 それよりもっと自分勝手なレベルで考えるのなら、本当は本を読んでいるほうが暗殺よりも好きだとか。

 強くなることよりも、知略を尽くすカードゲームに興味があるとか。

 俺はそういうことを、もっと考えなくちゃいけなかったんだ。


 思考そのものを放棄していたのに、気付いただけのこと。

 それは家族のせいじゃない。俺自身の問題だ。


 床に座り込んだままの状態で、長い時間が過ぎていった。


 朝が来たのだろう。執事が食事を運んできたが、扉についているシャッターから差し出された流動食には手をつけない。

 ただ座っているだけの俺の姿は、監視モニターで確認出来るはずだ。

 根比べ、になるのだろうか。


 その状態でおそらく3日目。思ったよりも早かった。

 二番目の兄のシュルガットが、扉の向こうから声をかけてきた。


「よおフェル、い、生きてるか?」


 そのどもり声に、わずかに視線をあげる。

 シャッターから見える兄の目を睨んだ。


「の、飲まず食わずだって? 相変わらずの、化け物だな。父さんと母さんは今日も明日もで、出かけていないから、様子を見て来いって言われたんだよ」


「……そう」


「また様子見に来るのも、面倒だから、もう出てこいよ。少しは、反省()たろ?」


「……した」


「だよな、な」


 俺の答えに満足そうな声を返すと、シュルガットはガチャガチャと施錠を解きはじめた。

 まもなく、ギィ、と音を立てて小さい扉が開く。


「ほら、出てこいよ。もういい、から」


「……」


 言われるまま、俺はふらりと立って扉をくぐった。

 反省房の前には無機質な造りの拷問室がある。


 最初にここに入ったのはいつだったか。

 確か、あれは6歳になってすぐ。

 来たばかりの家庭教師の先生が、指を潰していく「一番持ち運びやすい拷問具」を教えてくれたときだった。

 爪の付け根が押しつぶされていく痛みとともに、よく覚えている。


「痛いのは、生きてるって証拠なんだよな……」


「あ? なんか、言ったか?」


 俺の呟きに背後のシュルガットが反応したが「いや何も」とだけ答える。

 はずされた手枷が壁のフックにかけられた。あごで示されて、拷問室を出る。


 階段を上がって、3日ぶりの日の光を感じながら廊下を歩いた。


「さすがに、腹、減ったろ?」


「……うん」


「馬鹿なことひたよな。ターゲットを、殺さずに、雑談ひてたんだって? ば、ばあちゃんも大分怖い顔ひてたぞ」


 日頃は部屋にこもりきりの、青白いひょろっとした兄がかすれた声で笑う。

 2番目の兄のシュルガットは体が弱く、長寿薬を飲めないから、見た目は実年齢と同じ20代後半くらいだ。


 目の下にはいつもクマがあって、歯が全部無い。総入れ歯だ。

 ハタチぐらいの頃に、ばあちゃんに飲まされた薬の副作用で全部の歯がなくなったからか、「し」の発音が聞きづらく「ひ」に聞こえる。

 どもることが多いのは、それとは関係ないかもしれないが。


 そして家族の中で、唯一魔力に乏しい"出来そこない"。

 その分、科学に関しては家族一詳しくて、情報収集や利器の開発はこの兄が一手に引き受けていた。


「父さんと母さんは、いないの?」


「ローラひアに出かけてるよ。急ぎの依頼があったらひくて、と、父さんは仕事。か、母さんはショッピング。帰ってきたらちゃ、ちゃんと謝れよ。俺にまで怒りが飛び火ひたら、困る」


「じいちゃんは?」


「クロが、なんか仕留めたとかで、か、確認に行ったよ。そのまま、散歩ひてくるってさ」


「……そっか」


「まずこっちか。食事は、もうできてるから、面倒かけさせんなよ、な」


 そう言ってダイニングルームに入ろうとした兄を無視して、俺は自分の部屋に向かった。

 気付いたシュルガットが、引き返してあとをついてくる。


「フェル? 食わないの、か? 水、は?」


「うん……」


 怪訝な顔でついてくるシュルガットが、俺に続いて部屋に入ってくる。

 俺はひとまず今着ているものを全部脱ぎ捨ててベッドに放り出すと、新しい服に着替えた。

 ついで、かかっていたワンショルダーのバッグに、財布と食べかけのシリアルバーの袋を詰め込んだ。


 サイドテーブルを見て、少し考えたのちに本を2冊と、カードゲームを手にとって押し込む。


「シュガー兄さん、小遣い現金でちょうだい」


「はあ……? や、やらねえよ。金なんて、何するんだよ? 行商人が来るのは、2日後だぞ?」


「そっか、じゃあいいや。俺も少しは持ってるし」


 俺はそばにあったウォーターボトルを取りあげて開封すると、中身を一気に飲み干した。

 考えた先になにやら思い当たったようで、シュルガットは「おい」と低い声を出した。


「フェル……お前、どこか、行く気、なのか?」


「うん」


「まさか、今から、出て行く気なのか?」


「うん」


「ど、どこ行く気だ? だ、誰も許可、ひてないぞ。母さんも、じいちゃんも、いない」


「うん。許可はいらない。俺は、俺の意思でここを出て行くから」


「なに、言って……」


 カジュアルな厚手パーカーに袖を通して、バッグを背負った俺の前にシュルガットは立ちふさがった。


「そんなこと、許されないに、決まってる、だろ?」


 手には捕縛専用の魔道具が握られていた。最初から持っていたのだろう。

 魔力が乏しい兄でも使える拘束具。


 シュルガットが捕縛銃のトリガーに、指をかけた。

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