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第七章 断絶された境界。分かり合えない答え。 1

 どれくらいの距離を移動したのだろうか。

 レイアはカイリの翼と、フェンリルの背中に荊の蔓を巻き付けていた。


 …………。


 地平線。

 広がっている境界。

 沈みゆく太陽。

 夕焼け。

 クラスタに来て、二日程、経過するのか。

 もうじき、夜がやってくる。

 カイリがフェンリルと、カフェテラスで対話して以来。一時間程しか経過していない。

 そこは。

 荒野だった。沢山の廃墟ばかりが続いている。

 遠くには、海が見えた。

 誰もいない無人の場所。

 まるで、人間が滅んだ世界だった。

「いいか。オレはカイリを倒す。お前は」

「言うまでもないわね」



「どうしても分かり合えないのかしら?」

「言うまでも無いな」

 レイアの代わりに、フェンリルの方が答えた。

 砂塵が舞っている。

 果てしない空漠が広がっていた。

 真っ黒な女に。巨大な白い翼を生やした男。

 それと対峙して佇む、黒白の男女。

 風が吹きぬける。


 ヴィア・ドロローサ。

 エタン・ローズ。

 既に、お互いに仕掛け合っていた。


 ロータスは、きっと仕方無かったのだろう。本当は彼女を説得したい。もし、分かち合えるのならば、共に世界を救済する為の解答を探し続けられたのかも、と。今もなお。しかし、戦う事がレイアの解答ならば。仕方無いのだとも。

 一面の廃墟に。呪詛の曼荼羅が生まれていく。

 それを起点にして。

 攻撃が生まれる。

 カイリは炎を生み出して、ロータスを守っていた。

 彼は、彼自身でさえも。自分の能力の全貌は分からない。しかし、大切なものを守りたい、それだけだ。

「この辺りは。核兵器実験場になっていて」

 彼女はとても、強く。強く、悲しみを込めて。言う。

「多くの罪無き者達が、死んだわ。よく、カイリに此処に連れてきて貰った」

 彼女は深く、俯いた。

 ヴィア・ドロローサにより。

 過去の時間を遡って。

 兵器による攻撃が、引き戻されていく。しかし、能力の性質上、時間の経過が必要だった。それまでに、カイリはロータスを守らなければならない。

 此処では、沢山の人間が死んだ。

 核兵器による実験だけではなく。ありとあらゆる兵器による人体実験が、此処では行われていた。

「ねえ。あなた、レイアって言うんでしょう? 何故、あなたはそんなに強さを求めるの? 強さは暴力なの、人を支配に導く。それはおぞましいまでに世界中の人間を苦しめてきた存在」

「黙れ」

 彼女は冷然と言った。

「私は強くなる。誰にも何処にも、届かないように。無限に永遠に、誰からも触れられたくない。私は誰かの為に戦っているわけじゃない。何かの為に戦っているわけじゃない。あのウォーター・ハウス……彼も。私の思考の環に入ってきて」

「ねえ。あなたが欲しいものって何かな?」

「永遠の孤独。永遠の不可知」

 彼女は断言した。

 ロータスには、本当に理解出来ないものだった。いや、ひょっとしたら、誰にも理解出来ないものなのかもしれない。

「貴方ごとき。ブラッド・フォースよりも。デス・ウィングよりも。メビウス・リングよりも。ずっとずっと。そう、あのウォーター・ハウスよりもね。弱い。私が意識する程度の相手ではない。彼らはとても強く、この世界を破壊しようとしたし。あるいは、守ろうなどとしていた。私は貴方のような者を倒す。私自身の為に」

 二人は、一切、分かり合えない存在なのだろう。


「そう、わたしは弱いのよ。ヴィア・ドロローサが無ければ。ただ、暗闇に閉ざされて死んでいくだけだった。弱さはこの世界の支配の強さに対抗出来ると思っている。闇に閉ざされて、誰にも理解されないまま、死んでしまった人々の声を呼び起こさなければならない。その先にあるものは、まだ分からないけれども。わたしは、ただ願いがあって。その為に、神の世界を欲している」


「メビウス・リング、ルルイエと会えなくて残念ね。もっとも、奴らは神であっても、只の神の模造品でしかなかったけれども」

 くっくっ、とレイアは嘲る。

 そしては、あはははっ、と哄笑した。


「確かに。この世界に神の世界はあるわ。メビウス、ルルイエが教えてくれた。あのアサイラムの自由に死を。とやらも。この世界の外側。私のエタン・ローズの先には、神の世界を破壊出来る『亡びの光』という力が存在する。お互いにとって残念ね? 貴方は神でなくて。貴方が神であるのならば、私は『亡びの光』で簡単に葬れたというのに。そう、私は神を終わらせる力を持っている。貴方が欲するような力など、私は持ってなどいない」

 ロータスはそれを聞いて笑う。笑っていた。


「そう。やっぱり、この世界には神の世界があるのね。外の世界が。人間全体を救済出来る可能性が。それを聞いて、とても嬉しい。やっぱり、あなたに会えてよかった」

 噛み合わない会話。

 分かち合えない、目的。


「神の世界に行ったのよね? どのような場所だったのかしら?」

「無限の宇宙。無限の可能世界。これは貴方が嬉しいものなんでしょう?」

 ロータスは、ぱあっと明るくなる。


「貴方は私と戦え。貴方が暴力を欲さなくとも、貴方は暴力を顕現出来る。それはもうどうしようもない事実よ。貴方の存在によって、傷付く者がいる。どうしようもない事実ね」


「悲しいな」

 ロータスは、涙を流していた。

 その境界は、どこまでも分かち合えない。


 世界に、暗闇が灯されていくかのようだった。

 ロータスは痛んでいる、自らの力を暴力に向けざるを得ない事実。目の前の少女が、自らの欲した世界に行けながらも。それさえも嘲弄している事実。そして、世界中の苦しむ者、苦しみ死んでいった者達の為に。ただ……。

「戦いましょう、ロータスさま」

 翼の青年が言った。

「俺達は、彼らへの敬意の為に戦うんだ。それも、全力で。フェンリル、そうなんだろう?」

「ありがとう、オレ達の我侭に付き合ってくれて」

「悲しいわ、きっと別の形で会えたのなら」

「そんなものは無いな。いいか、オレはお前らを殺しに来た。お前らは戦え、お前らの思想と目的の為に。全力で戦え。お前らの弱さとやらの肯定の為に。世界を守る為に、オレ達はきっと、世界を破壊する。お前らにとっての邪悪さの顕現だ。お前らはオレ達を殺す事によって、お前らに救済の道が開かれる。そうなんだろう、きっと」

 フェンリルが言った。

 絶対に、此方の意志を押し通さなければならない、と思った。

 四人はしばらく、無言になる。

 そして、戦いは始まった。

 境界線が引かれるかのように。

 大気が揺れて。

 大地が爆裂していく。

 暗黒の焔が、大気を焼いていく。

 レイアは。

 両手に黒い蓮を纏っていた。

 カイリが動く。

 荒野にファイヤー・ブリンガーの力が行き渡り。

 巨大な翼が地面から、生え出してくる。それが、レイアの下へと向かった。レイアは構わず、翼を破壊し続ける。そして、カイリの頭へと拳を向ける。ロータスの攻撃により、沢山の弾丸の照射が引き戻されて、彼女へと打ち込まれる。全て、リュミエールに巻き込まれたロータスは、認識外にいるレイアに攻撃を届ける事が出来ない。

 レイアは拳を振り翳す。カイリはロータスの頭を翼で防御する。しかし。レイアはそのまま、拳を振るフリをして。風を食い破るかのような音のする回し蹴りを、カイリの腹に叩き込んでいた。カイリの全身が浮く。ロータスが、カイリと自分以外の方角へ向けて。小型ミサイルの攻撃を引き戻して、辺り一面を焼いていく。

 爆裂に次ぐ、爆裂。

 ヴィア・ドロローサの攻撃を、全力で使って。レイアを核兵器の攻撃で倒したい。しかし、問題は。それを何らかの手段で、防がれると。しばらく、また引き戻すのにタイムラグが生じる。その前に、小回りの効く攻撃で牽制し続けている。

 光の海原。

 辺り一面が火の海へと変わっていく。

 過去の犠牲者達の悲鳴も引き戻されて、辺り一面に戦慄いていた。

 悲しみ、苦しみ。痛み。それらが混沌となって、渦巻いている。

 夕日が海へと沈んでいく。もうじき夜。

 それらは一つの映像となって、渾然一体に一面の景色に溶けていた。

 燃え上がる沢山の犠牲者達。炎によって肉体を焼かれ続ける人々が、姿を現す。

 荊の道により、生み出された過去の映像の記録。

 土の下に埋もれ、記憶の底に埋もれていった人々の歴史。

 爆撃が。一面に降下していく。

 カイリは、ただひたむきに。ロータスを守り続ける。

 カイリの顔面に。勢いの良い蹴りが叩き込まれる。

 フェンリルは。

 カイリだけを狙っていた。彼を彼女から引き離す為に。


 二対二ではなく。

 一対一を、レイアもフェンリルも望んでいた。


 何度も。何度も。

 カイリは顔面を蹴られ続ける、そしてロータスから距離を離されて、吹っ飛ばされていく。全身が跳ね上がる。翼を広げる。翼を二つとも、両断されていた。

 容赦の無い蹴りが。カイリの全身に撃ち込まれ続ける。

 カイリが抵抗しようにも、抵抗の意志さえ奪おうとする。無情な攻撃の連続。

 ロータスは。

 何度も、自身の能力で。周囲をガードし続けるが。

 方陣の隙間を縫うように。

 光の粒が。ロータスの髪をかすめていく。

 お互いに一歩も引いていない。

 それぞれ、譲れないものがあるから。意志の剣を持つ。

 炎が一面に、渦を巻いていく。巨大な火柱が膨れ上がり、竜のように猛る。

 人間を焼き焦がしていくもの。生命であり死であるもの。

 一面を光が舞う。巨大な光が。

 余りにも強過ぎる光は。闇だろう。世界全体を、光の深淵が覆っていくかのようだった。

 そして。周囲が膨大な熱を帯びていく。

 それは、およそ現代における科学兵器で。一番、人の命を奪える力。闇の中より繰り返される、どうしようもない邪悪さの収束。軽く何十万もの命を奪った死そのもの。人間が創り出したもので、もっともおぞましいものの一つ。

 巨大な紫煙。

 茸雲が、登っていく。それは、髑髏のようにも見えた。

 ロータスは使わざるを得なかった。全力の攻撃を。

 辺り一面、数十キロに爆撃が及んでいく。

 暗黒なまでの、光芒が、一面へと広がっていく。

 廃墟の中、残った崩れかけの建物も次々と吹き飛ばしていく。

 全身が黒ずみながら、焼け爛れていく者達の影が。沢山、見えた。彼らは叫んでいる、皮膚が焦げ、肉が溶けていく苦痛に対して。熱い、と叫ぶ。

 ロータスの全身は、ファイヤー・ブリンガーの膜によって。熱気が防がれている。

 そして更に。

 灰によって作られた巨大な壁が、ロータスの周りを纏っていく。カイリはフェンリルとの戦いではなく。ただひたすらに、ロータスを守る事のみに集中していた。それを知っていて、フェンリルは歯噛みする。彼は、核攻撃から逃れられる場所に飛んでいた。

 噛み合わない意志。

 みんな、自らの持つ何かを守る為に。戦っていた。

 負けられない。

 それぞれ。

 レイアは地面を刳り貫いて、地中へと。

 フェンリルは、誰も視ていないが為に。“何処でも無い空間”へと飛んで、核の攻撃を避けていた。

 しばらくして、二人共。再び、彼らの前に立つ。

 二人は、すぐに動いた。

 何度も。何度も。

 フェンリルの蹴りが、カイリの全身に再び、打ち込まれる。

 どんどん、ロータスから引き離されていく。

 レイアは。

 ロータスの周囲の壁を殴って、刳り貫いていく。

 ロータスは破壊されていくファイヤー・ブリンガーの壁を見て。咄嗟に、再び、爆撃を召還していた。

 周囲を、焼夷弾の雨が焼いていく。

 ロータスの首の辺りに。

 荊の蔓が巻き付いていた。

 絞首刑のような蔓だ。

 そのまま、ロータスの全身が地面へと倒される。

 首を蔓が締め付けていく。


「貴方は。やっぱり。殴って、殺す」


 レイアは飛び上がって。倒れているロータスの下へと拳を振り下ろしていた。閃光。

 ミサイルの爆撃が、一面に飛び駆っていく。悲鳴。嗚咽。残響する涙。叫び声。殺されていった人々の戦慄。それはメロディーとなっている。歌のようだった。啜り泣き。沢山の顔達が現れては消える。此処は強制収容所だったのだろうか。繰り返される悲しみ。苦痛。絶望。死んでいった存在の叫び声。彼らは光を求めていた。暗闇の中に閉ざされた者達。まるで、生贄の羊のようだ。神に奉げられた供物のよう。

 痛みが、世界を焼いていく。

 世界中の悲しみが、此の地に集まってきた。

 ロータスが集めている。

 断頭台によって首を落とされる人々。生きながらにして火刑台に上げられる人々。毒殺される者達。虐げられる人々。あらゆる拷問器具に掛けられる人々。飢餓により残飯を貪る人々、人肉を貪る人々。銃殺刑に処される子供達。ガス室に押し込められた死体。それぞれが、時間も場所も飛び越えて。悲鳴となって、引き戻されていく。誰にも理解されずに、暗闇の中、孤独に死ぬ少女。沢山の腕が、蛆が這い回る傷口を剥き出しにして、空に手を伸ばす。延々と反復していく、歴史。終わらない苦痛の数々。救われない者達の声音。無限に反復していく、苦痛。地獄の景色。曼荼羅を描く。呪詛の言葉達。

 レイアは、全ての悲劇の只中で。

 ただただ、笑っていた。

 全ての歴史を嘲笑していた。

 レイアはもう、人間では無い。

 歴史の環の中から、抜け出したい。そればかりを願っている。

 ただ独り。ただただ独り。

 闇に塗られていく。膨大な光の中で。ただただ。

 その行き着く先が、何処にあるのか。分からずとも。あるいは、その行為こそが、永遠でさえあるのか。未来など、分からずに。

 あらゆる時間。あらゆる空間において。

 人々は、様々な苦しみを背負う。

 様々な苦悩に焼かれ続ける。拷問の苦しみ。生きる苦しみ。それが購われない。天国も地獄も、死後において何も無く。悪人、加害者は裁かれない。しかしまた、加害者でさえも被害者であるという事実。無限に反復していく、絶望の円環。

 誰も、誰もその円環を救えない。

 人間は、何故、生まれてきたのだろう。かと。思わずには、いられない。光景。

 しかし、それでも。レイアは一切を遮断するかのように。

 ロータスを倒すべく、向かっていく。

 黒い。黒い雨が降り注ぐ。

 大気が腐っていく。

 皮膚が裂け、肉が腐った者達が歩いている。亡霊。まるで、地獄の亡者のよう。彼らの罪は何なのだろうか。分からない。しかし、苦しむものは存在する。六道輪廻を描いた宗教画のような景色。地獄の世界。永劫に回帰していく、苦痛の歴史。

 彼らは生きたかったのだろう。違う人生もあったのかもしれない。幸せな、人生。世界中が、搾取し、搾取されていくという構造。人間の環。抜け出せない。悪意の氾濫、蔓延。

 どうしようもない。もう、どうしようもない。

 ロータスは召還出来る。忘れ去られ、風化させられていく人々の声を。

 彼らは、ある意味で言えば、正義の為に死んだ。道徳の為にも死んだ。他の者達の為にも死んだ。彼らは誰かの為に死んだ。犠牲になった。彼らは赦せるのだろうか、未来に繋がった人々を。代わりに生きた人々を。代わりに幸福を得た人々を。彼らは、他の者達の為に苦しみ死んだとも言える。底無しの暗黒。弱さ。彼らは誰かの為に殺された。奪われたのだ。フェンリルならば、きっと赦さないだろう。自分自身の生き方、生を奪った者達を。決して赦さず。亡霊となったならば、憎悪し、敵視し、怨嗟し続けるだろう。

 監獄の奥深くでさえ、強制収容所でさえ、食べ物を奪い合い、希望を奪い合い、押し退けて人々は生きた。強さを求め続けた人々。弱き者は闇の中へと沈んでいく。

 再び。

 辺り一面が。

 閃光によって、覆われていく。巨大な爆音。

 核兵器程ではないが。巨大な爆弾。

 暗黒が渦を巻いているかのようだった。

 カイリは立ち上がる。

 再び、フェンリルと激突する。

 お互いに、何かを言っていた。しかし、爆音によって何も聞こえない。

 フェンリルは。

 カイリの脇腹を、勢いよく、剣で、切り裂いていた。

 カイリが、思わず、意識を失いそうになる。

 そのまま。

 フェンリルは、カイリの顎を蹴り上げる。そして、頭蓋も打ち付ける。カイリがダメージを負えば負う程、ますます、カイリは不屈の意志を持って。自身の能力で、ロータスの周りに壁を作り出していた。カイリはフェンリルとまるで戦う気が無い。目的が違う。だから、斬られながらも、蹴られながらも、彼に見向きもしなかった。

 フェンリルは、それが悔しい。徐々に。はらわたが煮えくり返っていく。

 自分が置き去りにされているような感覚。

 そして。

 ロータスの全力の攻撃。

 それが、再びやってきた。

 彼女の掌の中に、闇が収束されていくかのようだった。

 全世界の闇が集まっていくかのようだった。

 もう一度の核攻撃。

 今度は、命中させなければならない。

 ロータスは、全身を緩める。

 しかし。

 レイアは。

 ロータスの眼の前にいた。

 リュミエールを解除して。彼女の前に姿を現す。

 そして、黒い蓮の拳を振り上げて。

 彼女の顔面を撃ち抜こうとする。ロータスは。攻撃を放っていた。

 爆発。

 引き戻された。核のエネルギーが、収束していく。

 それは。

 黒い光を纏う、蓮の中へと飲み込まれていく。消滅していく。ロータスは驚愕の眼で、それを眺めていた。最強の攻撃。それが、砕かれていく。反動で、ロータスは吹き飛ばされていく。

 レイアは。

 自身の修羅蓮華の光が消えた事に気付く。そのまま、勢いも失っていた。

 彼女は。

 ロータスの。

 腹を。

 撃ち抜いていた。

 修羅蓮華の黒白の光はもう、無かった。

 勢いを失った、拳の殴打。

 レイアは。

 彼女自身が、一番、驚嘆していた。

 ロータスの肉体。レイアの攻撃の勢いは、もう殆ど殺されていた。しかし、それでも。彼女の拳は。ロータスの腹を刳り貫いたのだった。

 余りにも。余りにも、彼女の肉体は脆過ぎた。まるで、紙屑のように。

 レイアは、拳を引き戻す。ロータスは。既に、意識を失っていた。そのまま。

 彼女は、地面に倒れる。

 沈黙。

 静寂。

 ヴィア・ドロローサによって引き戻された、過去の亡霊達が消えていく。

 まるで、何も無かったかのように。そこにいた、確かな気配は、全て非現実のものであったかのように。闇に、闇に戻っていく。

 歴史の闇の中へと、……戻っていく。また、忘れ去られていく。

 カイリは。

 レイアに襲い掛かっていた。

 自身の能力で持てる、全力の攻撃を使って、炎を纏った翼の剣を彼女へと向けていた。

 レイアは動かない。

 カイリは。

 フェンリルの全身を使った蹴りを撃ち込まれて。地面に深く、昏倒する。力が入らない。相当な打撃を全身に入れられていた。……お前はオレが相手だろう、と言わんばかりの。忌々しさに満ちた、攻撃。

 そのまま、時間が流れ続ける。

 フェンリルは憎憎しげにカイリを見ていた。

「ふん」

 レイアは冷ややかに、カイリを見下ろしていた。

 フェンリルは、服の埃を払っている。

 そして、自らの髪の乱れを直した。

 ロータスの意識は、闇の中へと沈んでいく。

 勝負は終わっていた。

 しばらくして、カイリが立ち上がり。ロータスの下へと駆け寄る。

 レイアもフェンリルも。そんな彼の行動を黙殺していた。

 もう。終わったのだから。……。

 カイリは、ロータスを背負う。

 そして、二人に言った。

「もう。いいでしょう? 俺達の事は、そっとして置いて。欲しい……」

 答えは歴然としていた。

「ああ」

 フェンリルは言う。

 レイアも無言で頷いた。

 遠くに見える。海は暗く、深い。

 カイリは、自身の能力によって。彼女の腹の傷を塞いでいく。

「ロータスさま。……死なないで下さい。もし、旅立たれるのでしたら。俺で良ければ、ご一緒に。……」

 あなたには、アニマがいるでしょう。……カイリはそう言われたような気がした。

 ロータスは傷を塞がれても、なお。意識を取り戻さない。

 灰が空を舞っていた。

「行くわよ」

 レイアがつまらなそうな顔をする。

 フェンリルは無言で頷く。


 世界の景色が美しい。

 既に夕日は沈んでいた。

 一面は星月夜だ。

 



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