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第六章 闇の審判 5

『ヴィア・ドロローサ』の駒と化し、『ファイヤー・ブリンガー』の能力を付随された、赤い少女アンサーは暴走し始めていた。


 …………。


 ニアスは頭を抱えて蹲る。

 化け物だ。……。


「るん、るん、るん、るん、るるるんっ。ううぅぅうううぅ」

 赤い少女の顔面は醜く膨れ上がり、肥大化していっている。

 アンサーの肉体は、泥との混合だ。

 何となくだが、ニアスは敵の能力を理解し始めていた。

 こいつは、土や灰などを操作する奴なんじゃないだろうか。それから、炎も扱える。何だか分からないけど。とてもヤバイ。……。

 ニアスは心の底から思う。

 何、こいつ。気持ち悪い。…………。

 全身にジンマシンのような物が、ぷつりぷつりと生まれる。生理的な嫌悪感。

 頭だけが巨大化した赤い少女は、ビルを食べ始めていた。

 住民達の悲鳴が上がる。

 ぺきぃぺきぃ、と。住民達が食われ始める。

 醜く膨れ上がった頭部の表面に、ぷつりぷつり、と沢山の顔が浮かび上がる。

 それは、全て赤い少女アンサーの顔だった。顔達はみな、揃って歌い始める。

 人間の声とは思えない声で、歌う。

 そして、顔達は徐々に腐っていき、赤い血を垂れ流し始める。

 そして、その血は炎上していき。一気に爆裂を引き起こし始める。

 悪夢だ。

 悪夢が巻き起こっている。……。

 ニアスは頭を抱えていた。

 どうすればいいのか分からない。

 こいつには、ニアスの能力が何も通じない。


 彼女は、ほぼ半泣き状態になっていた。



「何?」


 キマイラは大型のナイフを、ジュハイの頭に刺し込もうとする寸前だった。

 窓の方を向く。

 周りで、二人に近付けずにいた他の住民達も、窓の方を向いた。

 遠くで、巨大な醜い顔の怪物が暴れ回っている。

 キマイラは確かに、聴いていた。

 これは……。この声は。……。


 キマイラは、咄嗟に。ナイフを投げ捨てて、服の中に手を入れる。そして。

 無数の針を取り出した。

 その針の何本かを、自らの頭に刺し込んでいく。


「貴方達。もういいわ。また、今度ね」

 そう言って、キマイラは。

 工場の壁を蹴る。その反動で、全力疾走した。

 


 ニアスの隠れている建物も、怪物によって食い潰されていく。


 がしゃり、ぐしゃりと。大きな歯が建物を飲み込んでいた。

 また、小さな少女の顔が無数に現れて、それがどろどろと溶け落ちていく。

 ニアスは完全に怯えていた。

 そして、震えながら。誰かに向かって、叫んでいた。

 怪物は動きを止める。

 そして、自らの両手の指をぐしゃりぐしゃりと食い始めた。そして、えへっ、えへっ、と笑い続ける。

 辺り一面に、炎が広がっていく。

 ニアスは段々、死を覚悟し始めていた。

 自分は、何も達せられない。

 このまま、死ぬ。かつて、仲間だった者の手によって、殺される。

 怪物の顔は、ニアスの下に迫っていた。

 小さな首が伸びてくる。

 それは、小さな少女の顔だ。少女の口が開かれて変形していき、口の中から、また顔が生まれていく。それが繰り返される。ぐしゃり、ぐしゃりと。怪物の全身から、手足が生えてくる。

 それは、一斉にニアスに掴み掛かろうとしていた。

 ニアスはもう、泣いていた。

 こんな奴に殺されるのだけは、本当に嫌だった。


 死ぬ。

 死ぬ。

 死ぬ。

 怪物は口の中から、沢山の舌を伸ばす。怪物の周りを、舌と舌が巻き付いていって、怪物を包み込むように、一つの樹木のようになっていく。あるいは、巨大な桃色の花のように。沢山の赤い唾液が滴り落ちていく。怪物は、ニアスを、どうやって殺そうか吟味しているみたいだった。

「あはっ、あはっ、あへへっ。うちゅ、うちゅ、うしゅしゅ、るん、るん。えええっ、ええん。ええん。しゅる、しゅる、うしゅうしゅ、うしゅしゅしゅしゅしゅ、るん、るん」

 怪物は、楽しそうに沢山の首達で、唱和していた。無数の眼球から、血を流す。無数の首にある髪の毛が伸び続ける。沢山の腕達が、ニアスの周囲を取り囲み続ける。

 爆裂音がした。

 怪物の全身が、揺れる。嘔吐物を大量に吐き出していた。

「大丈夫?」

 羊の角を生やした女は立っていた。

 そして、右手から何かを取り出す。

 パシィ、と盛大な音が鳴る。

 それが、怪物の全身を駆け巡る。

 気が付くと。

 ニアスは、女に掴まれている。

「大丈夫だった?」

 女はにっこりと笑う。

「えっ。あっ、あなた。キマイラ」

 キマイラは、赤い怪物の方を向く。

「一緒に逃げるわよ」

 にっこりと、邪気の無い笑みを浮かべている。

「えっ。ええっ?」

 怪物は、口元から鬼火のような炎を吹き始める。

 キマイラは指をくるくる、回す。

 すると、気流が操作されていき、炎が怪物の下へと逆流していく。

 怪物は焼け爛れながら、炎を更に撒き散らしていく。


 怪物は。全身から放電を始める。スタンガンの電流を反射させて、辺りに撒き散らしている。その後、生えた首同士がお互いを喰い始めた。べたべた、と赤黒い粘液を全身から垂らし始めている。赤黒い蛆のような蟲も産み落としていく。よく見ると、内臓の一部のように見えた。ぷつり、ぷつり、と蜂の巣のようなものが全身に生まれていく。ありとあらゆる生理的嫌悪感を催すものによって、怪物は構築されていた。


 二人は怪物から、ひたむきに逃げ続ける。

「何、何で助けてくれるの?」

「えっ。何って」

 キマイラは当たり前の事として、言う。

「何って。だって、仲間でしょ?」

 キマイラはニアスを抱きかかえる。

 そして、そのまま全力で怪物の下から逃げる。

 うわあ。……。

 格好いいなあ、と。ニアスは思わず、キマイラを見直した。

 そして気付く。

 彼女は、ただただ周囲を省みず、走り続けている。

「アーティのライト・ブリンガー。……」

「ああ。空間を迷宮にしていく能力ね。頭に刺した針の一本で防いでいる。レイアのエタン・ローズと違って、概念、認識そのものに踏み込むものじゃなくて。光の屈折現象で網膜に影響を与えて、視覚情報を操作するものだから。話は簡単で、視覚自体を今、脳を弄って操作しているから」

 そう言って、キマイラはあっさりと。アーティの能力を破っている事を話す。

 走っている間も。

 赤い化け物は、足を巨大化させて、追い付いてこようとする。

 キマイラはその間も、空中にスタンガンを向けて。空気に電流を流し込んで、赤い怪物の全身に電気を走らせていた。

「大して効かないわねえ」

 赤い怪物からの追撃として、炎の吐息が向けられる。

 キマイラは指先を回転させ続けて、気流を操作し、此方に火炎が届かないように仕向ける。

 彼女はそのまま、アーティのいる場所へと向かっていた。

「ケルベロスの能力は聞いているわ。彼ならば、おそらくは……」

 彼女は赤い怪物の方を向く。

 フラッシュバックの攻撃、あれをどうすればいいのか分からない。

 本当に、やっかいな敵だ。

「私の能力じゃ。ああいう人体を幾ら壊されても平気でいられるタイプは、正直、厳しいのよね。デス・ウィングの時もそうだったけども」



 アーティとケルベロスは、また熱心に話し合っていた。


 二人共、明確な思想の違いが分かってくる。しかし。

 妥協点を探し続けていた。

 その時だった。

 対話の時間が終わりを告げる。

 建造物が破壊されていく。

 ニアスとキマイラの二人が現れる。

「あっ。ケルベロス。……キマイラ、連れてきた……」

「ケルベロス。後は頼んだわよ」

 そう言って。

 キマイラとニアスは、ケルベロスの背後に隠れるように立つ。

「はあ? 何だ?」

 アーティは渋面のまま、三名を見ていた。

「本当に、何事ですか」

 キマイラは、何かを遠くへと飛ばした。

 どうやら。水鉄砲のようだった。

 怪物は悲鳴を上げて。

 ぐしゅぐしゅ、と身体中の顔の歯が抜け落ちていき、鼻が溶けていき、髪の毛が抜け落ちていき、首がくるくる捻じ曲がっていく。その後、顔面が収束されていき、赤子とも老婆の啜り泣きとも言えるような奇怪な音声を発しながら、また、変形を繰り返し始めた。

 そして、顔の一つが大きく口を開き、耳まで裂けた口から何かが発射される。

 何かが、アーティの背中に命中する。

「な。一体、何事です……? ……?」

 アーティの全身が、一気に膨れ上がっていく。

 サーキュレーションの爆破の攻撃だ。

「ケルベロス。防御しろっ!」

 キマイラは叫んだ。

 ケルベロスは言われて。『アケローン』を発動させる。

 彼は地面に手を置いた。

 地中から。

 巨大な刃が生まれて。

 三名に盾を作った。

 アーティの肉体が、爆裂していく。

 そして、肉体が四散して。

 近くにいた、家畜達に命中する。

 次々と、家畜達が爆裂していく。

 ケルベロスは、すぐにキマイラに言われて、三人を囲むように剣の盾を作っていたのだった。

 巨大な赤い怪物は、すぐ目の前へと迫っていた。

「ケルベロス、あれ。どうにか出来ない?」

 キマイラは彼に訊ねる。

「分かった。やってみる」

 既に、彼は状況を飲み込んでいた。

 とにかく。目の前にいる化け物は倒すべき敵だ。何としてでもだ。

 彼は地面に再び、手を置く。彼の掌の中から、刃物が生まれている。

 まるで、ミキサーのようになって。

 ケルベロスのアケローンの刃は、辺り一面にある地面の岩盤を砕いていく。

 周囲が、流砂のようになっていく。

 怪物は。

 流砂に飲み込まれていく。

 深く、深く。沈んでいく。

「フェンリルとかだったら、抜け出されるんだよなあ。この攻撃。……。こいつは、飛べるのか?」

「多分、飛べない」

 キマイラは眉間に皺を寄せていた。

「じゃあ。このまま、地中深くに埋めてしまおう」

 流砂の中。アケローンの刃が、赤い怪物を切り刻んでいく。その傷が再生していくのを見て、ケルベロスは。この敵を、生きたまま埋葬する事に決めた。

 ケルベロスは地面に手を置いて、刃を操作し続ける。

 空中から、刃のようなものの幻影が生まれて、彼の全身を刻もうとする。彼は自身の骨格を変形させて、それらの全てを弾き飛ばした。


「這い出てこないかしら?」

 キマイラは不安そうに言った。

「どうなるか知らんが。……なるべく深く埋めてみる」



 アンサーは、深く深く沈んでいく。


 真っ赤な灼熱が見えた。

 赤い。

 赤い。

 綺麗だ。とても綺麗。

 彼女は、赤が好き。赤色が好き。真っ赤。世界中を赤で埋め尽くしたい。

 赤い色が好き。

 炎が彼女の全身を焼いていく。

 彼女はそれを増やそうとする。ますます、彼女の全身は焼け爛れていった。

 宝石のような赤。それは。

 マグマだった。

 彼女はマグマにサーキュレーションを送り続ける。ますます、攻撃が跳ね返るように、自分自身の身体を焼いていった。攻撃の反射は、全て彼女自身へと跳ね返ってくる。ああ、赤い色と一緒に溶けていくんだと思った。

 肉体が灰へと返っていく。元の暗闇の中へと。


 此処は温かいな、と思った。



 ビル全体が爆破炎上していく。


 気付くと。

 フェンリルは、カイリを見失っていた。

 時間が、まるで消し飛んでしまったみたいな感覚。

 間違いが無いのは。

 確かに、カイリが。フェンリルを退けて、窓の外へと飛び出していったという事。

 ビルの振動と衝撃によって、時間が消し飛んでしまったような感覚に陥って。その只中で、カイリを逃がしてしまった事になる。

 そして。

 気付くと。

 レイアが目の前に立っていた。

「ロータス……。始末に負えないわ」

 憎憎しげに彼女は言う。

 フェンリルは、ビルの破壊の衝撃によって、カイリを逃した事を知る。

 気付くと。

 空間把握の能力が使えるようになっていた。

 どうやら、アーティのライト・ブリンガーが無くなったらしい。

 異空間が消滅している。

「ロータスは、まだこの近くにいる。一緒に倒しにいくか?」

「言うまでもないわね。奴は絶対に殺す」

 二人は手を取り合う。

 そして。

 フェンリルは、瞬間移動した。

 ロータスの下へと。



 カイリはロータスを抱きかかえていた。

 カイリの背中には、大きな翼が生えている。


「お怪我はありませんか?」

「大丈夫よ。あなたは?」

「大丈夫です」

 二人は、別のビルの屋上にいた。

 お互い。寄り添うように、立っている。

 そして、カイリは険のある眼で、周囲を見ていた。

 黒白の男女。

 二人は、同じビルの上に立っている。


「もう止めてくれ、って言っても。無駄なんだよな?」

「ああ、無駄だな」

「そう、無理ね」

 二人は冷然と。屹然と言う。

 一切、妥協しそうにない。


「じゃあ、せめて。戦いの場所を変えられないかな。住民に迷惑を掛けたくない」

「実はオレもそれを望んでいる。頼む」


 その点に関しては、両方の意見は一致していた。

 カイリは翼を広げる。

 レイアは荊の蔓を、彼の翼に巻き付けた。

 カイリはロータスを、再び抱きかかえる。


 四人は、クラスタを離れていく。

 遠くに。


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