第六章 闇の審判 4
工場労働者達が集っているブロックだった。
グロウ達とはまた違うものを製造している。
彼らは主に。クラスタ内で使う、調理器具などの製造をしていた。
彼らも、アーティの思想の下に生きている。
みなで、焼肉パーティーを楽しんでいた。
工場長であるジュハイがみなを仕切っていた。
ジュハイは、眼鏡を掛けた筋骨逞しい中年男性だった。
ジュハイはワインを空ける。
そして、みなに振舞う。
此処では、畜産業なども営み、牛や豚なども育てている。
それから、ニンジンに玉葱、ピーマン。全て此処で作られたものだ。
やはり、みなで作ったものは巧い。
それは、証だからだ。労苦の証。
工場内の電灯が落ちる。
故障だろうか。
「おいおい、どうしたんだよ」
ジュハイの親友であるヌイメが構わず、焼かれた肉を箸で取る。
ふうふうっ、と熱い肉に息を吹き掛ける。
「あらあら。みなさん、お揃いで」
がしっ、と頭を掴まれて。
ヌイメは焼けた鉄板の上に、顔が近付く。
そして、舌を引き出されて。
舌が熱い鉄板の表面と接合していく。
ヌイメは悲鳴にならない、悲鳴を上げた。
舌を鉄板から離そうにも、見事なまでに融合していて、離せない。しかも、熱が舌を伝わって顔全体にも向かっていく。必死で離そうとした。
「駄目じゃない、折角のお肉が。こぼれちゃうわよ」
ちょうど、ヌイメがいる位置と間逆の場所に。
別の男が、顔を鉄板の上に打ち付けられる。
ぐちゃぐちゃと、男の顔は鉄板に、深く沈んでいく。
彼もガタガタと必死で暴れまわっていた。頭部に野菜の切れ端がアクセサリーのように、埋め込まれていた。接続部が奇妙にも肉体と溶け合っている。
そいつは、悠然と焼け爛れた鉄板の上に乗っかって、箸で肉を挟むと、口に入れる。
「美味しいわ。これ、霜降りね。貴方達、凄いわね」
奇妙な事に、女が座った場所は。焼けてない。熱くないのだろうか。
更に、鉄板がびくりともしない、簡単に外せるものなのだが。
ヌイメは必死で、鉄版から舌を引き剥がそうと、肉体を上下させる。死に物狂いだった。右足を軸にして、顎を強く上げる。
舌がぶちり、ぶちり、と千切れていく。
「さてと」
そいつは、角の生えた女だった。
ジュハイに向かって言う。
「とても単刀直入に述べるわね。ジュハイだっけ? 死んでくれない?」
女はにっこりと微笑んだ。
ジュハイは蒼ざめた顔で女を見ていた。
「貴方が死んでくれなければ。此処にいる全員と、工場と。農作物と家畜達、全部、壊すわよ?」
とても穏やかだが、本気の口調で言っていた。
「そ、それは困る……」
「あらそう」
彼女はまた、肉を箸で掴んで食べる。
とても幸福そうな笑みを浮かべていた。
「あ。そうだ、彼との約束も守れる。最高の解決法を今、思い付いた」
ぱあっ、と明るい顔になる。
「そうだ。ジュハイ。貴方、アーティ殺してくれない?」
女は優雅に、指先を男に向ける。
「そしたら、全部、解決するわ。みんな守れて。私も約束を守れて、円満に解決する。どうかしらねえ?」
誰かが飛び掛ってきた。筋骨逞しい男だった。
彼は一升瓶を叩き割って、それを武器に、キマイラに襲い掛かる。
彼女は指先を回した。
くるくる、と風が回って、男の鼻筋を通り抜ける。何故か、風が後頭部から吹き出していく。
「あら。新しいアート発見」
彼女は嗜虐的な笑みを浮かべる。
彼女は男の顔を鷲掴みする。男は必死で、彼女の腕に割れた一升瓶を突き立てるのだが、どろり、どろり、と腕が溶けていき、一升瓶が刺さらない。
「ねえ。ジュハイ。選んで。どっちがいいのかしら?」
彼女の口調は何処までも穏やかだった。
「此処にいる全員に加えて、貴方達が作った物質の全てと。貴方達の首領。ねえ、そう難しい事ではないと思うの」
男はキマイラの腹などを足蹴にする、しかし奇妙な感触が返ってくる。まるで、岩か何かを蹴っているような。
キマイラは男を掴んでいる腕とは、別の腕を振り上げる。
くるくる、と肉を焼く事によって起こった熱気が掻き混ぜられていく。
しゅうしゅう、と、辺りに熱気が回っていく。
暑い……。
「ああ、そうだ」
思い出したように言った。
「お前、何がいい?」
キマイラは先ほどから、顔を掴んでいる男に訊ねる。
「何と。混ぜられたい?」
キマイラは底無しにドス黒い声で言う。
ジュハイが溜まらず言った。
「止めろ。分かった、分かったから。なあ、どうすればいい。俺がアーティさんを殺せばいいんだろ? なあ、そうなんだろ?」
「ええっ。その通り」
キマイラは掴んでいた腕を下ろす。
男の顔には、くっきりと指で作られた窪みが出来ていた。彼の顔は変形していた。
万力で締められたというよりは、顔の骨格そのもののデザインを変えられた、といったような。
ジュハイの全身は、震えている。
彼は思わず、走り出した。
バシッ、と全身を叩き付けられるような感触に襲われる。
彼は地面に倒れていた。巧く、動けない。
キマイラは空中に向けて、スタンガンを突き出していた。
スタンガンから発せられる電流を空気に溶かして、離れたジュハイの全身に打ち込んだのだった。
「今から貴方の頭に。刃物を入れようと思うんだけれども。アーティの首、持ってきたら。抜いてあげるわ。それから、約束は守る」
彼女は本当に楽しそうな顔をしていた。
「人間の頭の中に、大きな刃物を刺し込んでも。場所によっては、人間って死なないものよ。人体って不思議でしょう? そういう事件って、結構、ニュースでも流れるわよねえ? たとえば、強盗に頭をナイフで刺されて。生きていた男の人の話だとか。ナイフは手術して取り出したらしいわよ。脳内に深々と突き刺さっているのに。別に後遺症とかも無かったらしいわよ。人体って不思議でしょう?」
そう言いながら。彼女は大振りのナイフを取り出す。
†
ケルベロスは、グロウの足元を切り崩していく。
彼の指先からは、ナイフのような爪が飛び出していた。
「急いで、休憩室に運ぼう。俺がキマイラを説得して、治させる」
グロウの足。
コンクリートと混ざって、ぐしゃぐしゃになっている。
このままだと、壊死していくだろう。
アーティは眉間に皺を寄せていた。
「私は思いますよ。やっぱり。沢山の人々が分かち合う為には、やはり、調和を破壊してくる人は追い出すなり、最悪、殺すべきだと」
アーティは苦々しそうに、強く言った。
「殺す事も認めるの?」
ニアスは訊ねる。
「仕方……無い、と思います。私だって認めたいです。それも大切な事なのだと。でも、人間は生きていかないといけない。生きていくって事は、人生があるって事です。他人の人生を壊してまで、生きるべきなのでしょうか?」
ニアスは黙った。
そして考える。
悩む。
所謂、アーティの思想とは。共産主義の思想なのだろうか。
「確かに。……でも、俺はアサイラムの者として言わせて貰うし、俺の立場がある。俺は最低な奴こそ救いたい。アサイラムにいる囚人達。何とか、この世界の役に立って欲しい。俺はその信念で生きているんだ。それは曲げるつもりは無い。妥協も出来ない」
ケルベロスはきっぱりと言った。
今度は、アーティは黙る。
ニアスは、何とか彼らの間に割って入ろうと思うが、言葉が見つからない。
そして。気付いた。
……自分を支える信念が希薄な事に。
いや、ひょっとすると。何も、無い事に。……。
「強さってのは。悪と対面する事だ、と俺は思っている。俺は強くなりたい。俺は殴り合う事や、ましてや殺し合う事なんてのは強さじゃないと思っている。話し合いで解決したい。悪人が悪人になった理由ってのはある。彼らの人生観、生き方。否定する事が悪を無くす事なのだろうか?」
アーティはそれを聞いて、溜め息を吐いた。
「難しい問題ですね。本当に」
「とにかく。俺はキマイラを探しに行く。グロウの足を治させる。それでいいか? 今回の処は。クラスタとアサイラムの協定の件は、それから考えさせてくれ」
ケルベロスは困ったような顔をする。
「ああ、それから。君の能力、解除してくれないか? クラスタ内に仕掛けているのだろう?」
「解除は出来ませんけど。貴方を対象から外す事は出来ます」
そう言って、彼は指先を突き出す。
彼の中に、光のようなものが刻印された。
「これで、ライト・ブリンガーの幻覚の影響は受けないでしょう」
「助かる」
遠くで。
轟音が響き渡る。
クラスタの何処かで、激しい戦いが行われている。
「……一体、何なんだ?」
アーティは困ったような顔をしていた。
ケルベロスは、更に困ったような顔になる。
ニアスはそんな二人のやり取りを、ただただ眺めているばかりだ。
……あたしは、本当に。どうすればいいのだろう。
そして、ふと思った。
「多分。キマイラさんは、あなたを暗殺したいと思うんですよ」
彼女は思わず、口に出していた。
男二人はむうっ、といった顔になる。
「確かに。……私を殺したいだろうね。君との約束なんて聞かずに」
「…………否定は出来ないよ」
苦々しい言葉。
思わず、彼女は言葉を発していた。
「あたしが、キマイラさん探しに行きましょうか? ケルベロスさんは、此処に残って。アーティさんの護衛をするとか、どうでしょうか?」
ニアスも、アーティによって。ライト・ブリンガーの光を受ける。
そして、ニアスはキマイラを探しに向かった。
広いクラスタ内だ。
一応、地図も渡される。
キマイラが向かうとすれば、何処だろうか。考える。
……考えても仕方が無い事が分かる。
キマイラ。
一番、何を考えているか分からない女。
一番、常識が通じなさそうな。話が通じなさそうな女。
轟音が遠くから、響いている。
見ると。
遠くで、ビルが爆裂していた。
ニアスは顔を引き攣らせていた。
もう、何が何だか分からない。……。
†
取り合えず。休憩所の辺りまで戻ってみた。
破壊の痕が続いている。此処で何らかの戦いがあったのだろうか。
周囲のビルが勢いよく抉られている。
一面に、クレーターが開いていた。
ニアスはぎょっとする。
ヴリトラの死体。
彼は完全なまでに死んでいた。何をされたらこんな死体になるのか分からないが、全身をぐしゃぐしゃに砕かれて殺されている。
ニアスは蹲る。
彼女は元々、強い人間ではない。
今にも逃げ出したくなった。しかし。
ケルベロス。……彼の顔を思い出して、何とか立ち上がる。
自分の弱さとは何なのだろうか。そもそも。
アーティ。……。
彼と一緒にいるのが何だか気持ち悪くて、口実を作って逃げ出してきてしまった。出来れば、協定が纏まらなければいいというのが、ニアスの本音だった。
キマイラを探し当てる力なんて無い。しかし、取り合えず。何もしないよりはマシだとも思った。
休憩所の中は、特に破壊された痕跡が無い。
そういえば、と思い出して。
あの赤い少女を探す。
見つからない。
確かに打ち付けた柱の辺りにもいない。いや。
……無理やり、引き千切った痕がある。
何処かに行ったのだろうか。探し当てる。
血が点々と続いていた。それを辿ってみる。
すると、鶏小屋へと続いていた。
……やっぱり。
引き毟られた羽。
鶏の骨が食い散らかされて、落ちている。
ふしゅうぅるる、ふしゅううぅう。と音がした。
近くにいる。
「アンサー。……出てきなさい」
彼女は赤い少女の名に語り掛ける。
こりこり。ぺちゃぺちゃ。くちゅくちぃ。
物を食べる音が聞こえる。
ニアスは恐る恐る、近付いた。
かつて、彼女が仕えていた何者でも無い者ルルイエ。
確か名付けたのは、彼女だったか。
ルルイエが創り出した、怪物。
一度、死に甦り。聖なる海溝にて、また死に。また生き返った少女。
生前の記憶が無く。知能が破壊されて、現世を彷徨い歩いている亡者。
ルルイエ。……何の目的も生きる意味も無いが為に、彼女達の王となってくれた者。実質、張り子でしかなかったかもしれないが、それでもルルイエは彼女達の神となって、彼女達に目的を与えてくれた。……。神が欲しかった。だから、クラスタの住民の生き方にも、何処かで共感している。
「フィア・ゾーン。……あたし、戦えるかな?」
彼女は何者でも無いルルイエを祭り上げようとした男を思い出す。
ルルイエの下に集まった者達は、神が欲しかったし。その為に行動したい、といった弱さを持っている者達だったんじゃないだろうか。彼女と妹と、あの男と。……。
ああ、やっぱり。
支えてくれる相手が欲しい。
それは、ルルイエでもフィア・ゾーンでも。フェンリルでもケルベロスでも良かった。
……人殺す覚悟はあるかって、聞いてんだ。
フィア・ゾーンの言葉。
確か、そんな言葉だったか。あるいは、戦える覚悟と言い換えてもいいかもしれない。戦う中で、何人だって殺せる覚悟とも言っていた。
結局、ニアスは彼から女として見られておらず。彼はアンサーばかり気に入っていた。彼は変態だった。変質者だったし、異常者だった。しかし。
恋心とは違うが、憧れのようなものは、確かにあった。
だから、今、強さが欲しい。戦える強さが。
ニアスは音がする方へと向かっていく。戦わなくてはならない。……。こいつの能力も覚えている。気を付ければ、何とでもなる。
くちゃり、くちゃり、と。
赤い少女は、顔中から粘液のようなものを流しながら、暴れる鶏を頭から噛み千切っていた。服装は、あの巨体の男があしらった時のままだ。赤い服。
ニアスはモーザ・ドゥーグを撃ち込もうと、身構える。
レイアには、きっと二度と勝てないだろう。何故か、ニアスを敵視し、過大評価しているみたいだが。二度と勝てないと思っている。けれども。
こいつには、勝たなくてはならない。
赤い少女の首が、ぐるぐる。ぐるぐる、と回る。
周囲を見回す。
鶏の血が点々と付いている。
血が増殖していく。
ニアスは寒気がした。
こいつは、化け物だ。ルルイエの『ニュクスの母体』により偶発的に生まれた化け物。
「アンサー。……あなたは聖なる海溝でちゃんと死ぬべきだった。ルルイエ様の為にも。今、あたしはケルベロスと共に戦っている。今、あたしはあなたを始末しないといけない」
ニアスは攻撃を撃ち込むべく、アンサーが此方を向くように言う。
しかし。
どろり、と。アンサーの両眼は溶ける。そして、ぼたぼたと、赤い血が眼孔の中から流れ落ちてくる。
「うっちゅ。うちゃ、うっちゃちゃちゃ」
人間の声とはとても思えない音声で、少女は歌い続ける。
ニアスは、服の中から、ショート・ソードを取り出す。
そして、アンサーの首を斬り付けた。
首が切断出来ない……。
気付くと。
周囲に、ガスのようなものが充満し始めている。
アンサーの背中から、ガス状のものが吹き出ている。
ニアスはすぐに、気付く。……アンサーの能力、それからこれは。おそらく、敵の能力だ。アンサーが新たに能力を身に付けているとするならば。……これは。
ニアスは全力で距離を取る。
ガスが充満している。炎が生まれ始めた。
アンサーの能力『サーキュレーション』。万物に遍くある赤を増大させていき、それを起点に爆裂を引き起こす力。
ニアスは走って、逃げる。
そして、建物の陰に隠れる。
大気が燃焼し。
辺り一面が、爆破炎上を起こしていく。
†




