第十五話 腹を括って
クレアの涙にジュンは慌てた。
「クレア。つらかった? ごめんね。もっと早くに気が付けば良かった」
「いえ……。私ったら……。心に決められた方が、いらしたのですね」
思わず口をついて出てしまった、先程の『心に決めた人がいる』という言葉は嘘ではない。
もう少し温めておきたかった感情ではあるが、目の前のクレアを見ると、ここはもう引き下がれない。
ジュンは大きく息を吸い込み、一気に吐きだして、腹をくくった。
クレアの正面に立ち、うつむいている彼女の細い肩に、手を置いた。
「ごめん。あれはクレアの事なんだ。僕の気持ちはクレアには迷惑かもしれない。僕は成人するまでに、生きる道をきっと探す。その時、一人の男としてクレアの前に立つ事を、許してくれないだろうか?」
クレアの潤んだ瞳がジュンを見上げる。
「はい……。ジュン様にふさわしい人間になれるように、努力しながらお待ちしています」
ジュンはそっとクレアを抱きしめた。
「このままで充分だよクレア。君が笑顔でいてくれれば、僕はそれだけでいい」
モナは足音を忍ばせ、笑顔で扉の前から立ち去った。
その日の内に、ギルド本部十四代総長ジェンナ・モーリスとコンバルのギルド長アンドリュー・モーリスより、何も知らされていないサリバン家当主に、手紙が届けられた。
その異様な速さに、モーリス家の怒りの深さを知ったサリバン家の当主は、王家を始めとする各方面へのおわびに奔走する事になった。
噂や憶測がどこを飛び回ろうと、耳に入って来なければ当事者には分からない。
ジュンは周りの心配をよそに、旅の準備を整えるために家を出る。
王都コンバルは、受験のために訪れていた人々も帰路に就き、徐々に日常を取り戻しつつあった。
ジュンはメフシー商会に行く途中で、のんびりと買い物をしている。
小遣いは旅の途中で増えていたので、日用雑貨や食料や調味料、鍋や食器を買い足すのに、不自由はしない。
おそらく商会に行けば全てがそろうのだろうが、ジュンはいろいろな店をのぞき、どうやら買い物を楽しみたかったようである。
この世界は老若男女を問わず、アクセサリーを身に付けるので、装飾店の数は多い。
ジュンは付加魔法を使用する目的で、自分の赤い瞳と同じ石のピアスにする事にしたが、同じデザインで、クレアの瞳と同じ緑の石を見つけたので、それも一緒に購入する事にした。
回復魔法を使える者がいる店では別料金ではあるが、その場でピアスの穴をあけてくれるようで、店員にピアスの穴あけを頼むと、回復魔法をかけながらそれはすぐに終了した。
本日の目的地でもあるメフシー商会は、メイン道路にひと際大きな店舗を構えていた。約束していた事もあり、店内でルーカスとの面会の予約を申し込むと、すぐに奥に通される。
「ジュン様。ご卒業、おめでとうございます。それにしても、さすがモーリス家の血筋。お見事でございました」
「お久しぶりですルーカスさん。何とか無事に証を手に入れる事ができました。それで旅に出る前にご挨拶に伺いました」
ルーカスは試験結果の発表に合わせて、王都に戻っていたらしい。
「旅にでられるのなら、旅先でメフシー商会をご利用いただこうと思い、ご来店のお約束をさせていただいたのです」
メフシー商会は世界中の王都に店を構え、大きな町にも支店があるという。
ルーカスが討伐した魔物の魔石や素材、薬草類の買い取りを正規の値段ですると約束をしてくれたのは有り難い。
「ジュン様はまだ未成年でございます。さまざまな店がございます。商人は、人はもちろん、人の足元を見るのが当たり前だと思っていてください。メフシーでこのカードを見せるのは、会長である私の、大切なお客様という意味がございます。また、危険に遭遇したら迷わず逃げ込んでください。よろしいですね」
カードを渡され、念押しまでされてジュンは苦笑したが、礼は忘れずに告げた。
ジュンは森で手に入れた、素材の買い取りをしてもらう事にした。
鑑定が終わり、ルーカスの孫のアンソニーがお金を持ってくる。
コンバルの店長をしていると紹介をされた彼は、ルーカスによく似ていたが、アンソニーの方が、やや優しいまなざしをしていた。
結局、買い物をする前より金が増えてしまったのは、あの日森で戦った、サーペントの肉以外の素材が高価だったせいである。
ちなみに肉は、ミゲルとモーリス家には渡してあったので、ルーカスにもおすそ分けをして喜ばれた。
(蛇だよ、蛇。食べる日が来るなんて思わなかったけど、大きすぎて普通の肉にしか見えない。おいしいからいいけど、口に入れる度にあの顔がちらつくのが、難点なんだよね)
ルーカスが近々、ミゲルの家に行くと聞き、ジュンは窓の話をする。
「今回、そのお話をされるおつもりでしょう。用意をして参ります。カーターは器用ですから、きっと良くしてくれるでしょう」
ジュンはミゲルへの手紙を託し、スライムの費用を払って店を後にする。
帰る道すがら、高い塀が続く道に違和感を抱いて立ち止まる。
カミルやセインに、王都には近寄ってはいけない場所があると言われた事を、忘れていたようである。
門に警備兵が常駐し、塀に囲まれたその中は長屋の様に扉が並んでいて、共同の井戸とトイレがある。
貧民層の救済住宅だが、そこからはい上がろうと努力する者ではなく、小さな悪事を働きながら、居付いてしまう者に問題があると聞いていた。
(思っていたよりは、暮らしにくくなさそうだな。万が一テント暮らしができなくなった時は、モーリス家に頼る事はしたくないしね)
ジュンは人生には、落とし穴や崖がある事を経験している。この世界での避難場所を確認した事は、きっと誰にも理解はされないだろう。
警備兵にけげんそうな顔をされ、ジュンはその場を後にした。
帰宅後。モーリス家で与えられている部屋で、ジュンは旅の支度をしている。
この世界の道は当然、舗装はされてはいない。
虫も魔力を持っていて強力なので、マントは欠かす事ができないが、当然暑い。
魔法陣を展開しながら、温度を一定に保つ魔法や、汚れ防止、はっ水の作用を付加していく。
ピアスには、軽い傷や病気を治すものと、害虫を寄せ付けない程度の結界魔法を付加する。もちろん、クレアのピアスにも同じものを付加して渡す。
「ジュン様。好きな方の瞳の色のピアスを、左耳につけると結ばれるという伝説があるのです。あのぉ……。ジュン様のピアス、いただけませんか?」
「うん。片方を交換しよう。僕もクレアの色を付けたいからね」
ジュンがおそろいのピアスを購入した自分を、心の中で全力でほめている事など知らないクレアは、うれしそうにピアスを見つめていた。
ちなみにジュンは、高校時代に彼女がいた。それなりのお付き合いをした経験がある。
それなりのお付き合いの後、彼女は自分の領域に土足で入るようになり、ジュンは彼女の所有物に成り下がった事を自覚したのである。
彼女が新しい男をアクセサリーにした時、ジュンは解放という名の失恋をした
その失恋の喜びが忘れられず、以来彼女を作らずにいたのだ。
そんな経験があるジュンにとって、クレアは好みのど真ん中だったのである。
旅に出る前日。
アンドリューにモーリス家の転移陣に登録をさせられた。各冒険者ギルドには、通信手段と転移陣があるので、緊急事態が起きたら本部のジェンナかアンドリューに連絡を入れろと言う。
(いやいや、それはまずいでしょ。公私混同って言葉はないの? 通信手段って何!? ハトかなぁ?)
あれやこれやと皆に、実現が不可能な約束をさせられそうになりながら、ジュンは皆の気持ちがうれしかったのか、ただ笑顔で聞いていた。
「クレアを狙う悪い虫は、私が退治しておくから安心するといい」
「え? ご存じだったんですか?」
「知らないのは、クレアとジュンだけだよ」
セインにそうささやかれて、ジュンは赤くなる。
ちなみにモーリス家は、娘へのプロポーズは父親や兄たちが、ギルドの練習場で返事をするらしい。
(ギルド長の父親と騎士団の兄を倒すのぉ? クレアは嫁に行けないよね……。僕がもらうから、別にいいけどね)
出発当日は、それぞれが仕事に向かい、クレアが王都の門までジュンを見送る。
「時々はお帰りくださいね。お気を付けて……」
「うん。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
クレアがけなげに作る笑顔がいじらしくて、ジュンは振り返らずに王都の門を後にした。
(泣いてる女の子より、涙を堪えている女の子の方が、抱きしめたくなるって誰かクレアに教えてよ……。あぁ、危なかった)




